家庭
谷内 朋
家庭
思えば幼少期から私の結婚観は変わっていたのかもしれない。
子供の頃はまだ高度成長期の余波が残っており、『女は結婚して子供を産んでこそ幸せ』などという戯言がまかり通った時代であった。
「結婚なんかして何が楽しいん?」
一桁年齢の頃からそういった考えを持っていた私はかなり浮いた存在だったと思う。それに危機感を持ったらしき両親はあれやこれやと詭弁を並べ立て、私の考えを是正しようと躍起になっていた。
「何言うてんの、女は結婚して子どもを産んで初めて一人前になるんやで」
そう言ってはいたが、私は母が一人前になっているようには思えなかった。普段は下のきょうだいしか可愛がらず、機嫌を損ねると私に八つ当たりをするような女のどこが一人前やねん?
「女は男に尽くす、それが一級品の女いうもんや」
父は父で自分のことすら母任せで飯の一つはおろかパンの一枚もまともによう焼かん、子供でもできることもまともにせん男に尽くして何が楽しいねん? はっきり言って両親の言葉はあまりにも阿呆臭くて全く心に響かない。
「それに何の価値があるん? 子供産んでもクズ育てたら意味無いやん」
「それをせんようにするんが母親の努めやないか」
いえお前らに育てられとる私ははっきり言うてクズやで。
「私それできる自信無いから子供要らんわ」
「女が子供要らん言うんは逃げや」
「逃げなら逃げでそれでもええわ。私みたいな子が増えたら可愛そうやん、せやから私は子供産まん」
七歳くらいの頃、私は両親に向け高らかにそう宣言した。
思春期に入り、まぁちょっとした恋心も持つようになった私は結婚願望こそほとんど無かったが多少思考は和らいできてたと思う。
そんなある日、単発ドラマで家庭崩壊から再生を目指すホームドラマをたまたま見ていた。母親が家庭崩壊のストレスに耐えきれず酒浸りになり、それを知った娘が母を助けようと不倫中の父と不登校の弟に協力を仰ぐ──。さあこれからってところでチャンネルが代わり、嘘やんと思った私は父を見る。
「こんなくだらんドラマ見て」
野球よりマシですけど。
「こんなもん教育に悪い」
都合が悪なったら手ぇ上げるお前より教育に宜しいですけど、とまでは言わないが続きが気になる。リモコン探したけど父の手元や、取り返そうとしたら間違いなくどつかれる。
まぁしゃあない、取り敢えず逃げとこと二階に上がってこの時はそれで終わったが、それから一年後くらいに我が家の離婚話が持ち上がった。
「お母さん、離婚しよう思うねん」
家族全員が揃い、まず母が口火を切った。
「何でや? 家族一緒に出直そうや」
これまで威張り腐っとった父が三歳児を凌ぐ甘えた声で母にすがる。どっちが歳上でしたっけ? 私はそんなことを考えていた。
母はここぞとばかり父を罵り、父は父で心入れ替えるからとアホみたいなことを吐かしおる。夫婦間の醜態なんぞ十五〜六歳とは言うても子供に見せてええもんちゃうで、私はこの夫婦阿呆やなぁと思いながらその光景を眺めていた。
「あんたらの意見が聞きたいんやけど」
あぁ言うてええんや、これまで私の意見は全て握り潰されてましたけど。
「私意見言うてええんや?」
取り敢えず嫌味を一つ、まぁスルーされましたが。
「あんたはどう思う?」
「したきゃすれば?」
「何でそんな言い方なんや?」
と半ベソ状態の父、今更すがるかあほんだらが。
「えっ?」
と母、何であんたが驚いてんねん? ハッタリかいな?
「夫婦のことは夫婦で決めて、これまでかて私の意見なんか聞いたこと無いんやから好きにしぃな」
「「……」」
いえそこ黙るとこですか?
「ほなあんたはどう思う?」
母は一卵性親子状態のきょうだいにもお伺いを立てる。コイツの返事で全てが決まる……私の勘はそう伝えていた。
「離婚……してほしくない」
終わった……私は我が家の真の崩壊を見た。
それから少し時間を置き、きょうだいと話す機会ができた。
「あんたの意見が通ったね」
そう言ってみたが奴の表情は冴えない。『離婚してほしくない』が本音でないのは分かっていたが、なぜあの場でそう言い腐ったのかが知りたかった。
「あ”ぁ?」
「良かったやん、多分離婚せぇへんで」
「何でそう言い切れるん?」
「あんたの意見やからや、おかんはあんたの言葉を採用する」
私の言葉にきょうだいの表情が歪む。
「だったら離婚する」
「何でや?」
「あんたの意見と違えてるから」
最初は意味が分からなかった。しかしきょうだいの中では一つの算用が出来上がっていた。そこで話は終わっているので確認をしたわけではないが、恐らく私が離婚に賛成したので母は思い留まる可能性が出てきた……それを危惧した奴はわざと異を唱えて母の感情に杭を打とうと試みた。
奴は我が家のアホ遺伝子を受け継がずそれなりに頭は良かったので、ある程度の深読みと場の空気を読み取る洞察力があった。しかしそれは相手もそれなりに賢くないと事は上手く運ばない。こう言ってしまえば何だが、いくら一卵性親子を自負しているツーカー同士でも、母の脳みそレベルでそんな高度な算用を読み取れる訳が無い。
結果はもちろん、離婚は回避されてしまった。
それから干支が一周を過ぎた頃、母は五十代前半で人生の幕を下ろした。一応は病死であるが、半分はストレス過多で亡くなったようなものだと思う。
離婚を回避してからの母はトラブルメーカーみたくなっていった。紡がれる言葉は不満と悪口ばかり、時には近くにいる知らない相手にすら喧嘩を売る始末であった。
ひょっとしたら鬱っぽくなっていたのかもしれない。いや、そうなっていた可能性すらあった。私は結局折り合いが悪いままだったので母の本音は分からない。ただきょうだいも母の変化に気付ききれなかったと後悔の声を漏らしたことが何度かあった。
母の葬儀を執り行うことになり、いくら不仲だったとはいえ離婚しなかった以上父が喪主となった。しかし親戚が来たとはしゃぎ出し、はっきり言って役立たずであった。葬儀屋さんもそんな父に呆れ、しまいには長女である私に伝達してくる始末であった。
結局段取りの立ち会い諸々は私がほとんど引き受け、父も責任放棄とばかり私に押し付けてきた。責任放棄しくさりおったんやから喪主の挨拶くらいちゃんとせぇよと思っていたが、期待は見事裏切られテンプレをまんま読むという頭の悪さを晒していた。
これが『女の幸せ』いうやつなんか? 私はこの日ほど『女は結婚して子を持つことこそ幸せ』が詐欺やと思ったことは無い。
家庭 谷内 朋 @tomoyanai
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