番外編 キキの里帰りに伴う王宮の災難

「本当に宜しいのですか?身重のレイ様を放っておくなんて…」


 キキは出発直前でもまだ迷っている。彼女の母の調子が悪いという手紙がフォンテンブローから来たので息子のアランとともにお見舞いに行くのだが、レイチェルを心配しているのだ。


「大丈夫だってば、ラウラがいるし」


 今さら迷うキキにレイチェルは呆れたように言った。でもキキはなんだか悔しくもあって食い下がる。彼女にとってはレイチェルは大事な大事なお嬢様であり実の娘同然なのだ。


「…でもラウラ様だってお休みがあるでしょうに…」

「何言ってるの、侍女がたくさんいるのを知ってるでしょ?ロイがいるし大丈夫だって」


 ロイは毎時間のようにレイチェルが離れにちゃんと健康でいるのか確認しては腹を触って戻って行く。あれやこれやといらぬ世話も焼く。

 お腹の赤ちゃんが動くようになったらずっとそばにいそうで厄介だとレイチェルは密かに心配していた。先日はポールからもらった甘いものをキキに隠れて食べていただけで雷が落ちたのだ。


「はあ…いいのでしょうか…」

「さ、母さん。馬車が待ってくれてる。では、レイ様、出来るだけ早く帰ってきますので」とアランがキキをせかすように言った。


「早くなくていいから、お母様の側にゆっくりいてあげてね」


 レイチェルは赤髪の幼馴染にくれぐれもキキを頼みますとの願いを込めて言った。それはちゃんとアランに届いており、彼はレイチェルのエメラルドグリーンの目をしっかり見て返事をした。


「はい。ではロイ様に宜しくお伝えください」


 二人はロイが用意してくれた速馬車で出発し、あっという間に山の中に入った時、キキが急に大声を上げたのでアランは飛び上がった。


「ど、どうしたの、母さん。驚くじゃないか!」

「アラン、大変!レイ様に料理は王宮に頼んであるから絶対に何も作らないようにって言うのを忘れてたわ!大丈夫かしら、まさかお作りにならないわよね…」

「うっ…ロイ様はレイ様の料理のことを知っていらっしゃるから大丈夫だよ…多分…」といったアランも少し不安そうに赤髪をかきあげた。


 そして彼らの心配は現実になった。




「うっ…なんだ、この悪臭は?!事件か?」

「他国の攻撃かもしれぬ…原因を探れ、今すぐだ!」


 王宮の庭で訓練している騎士が騒ぎ出して、臭いの元は王宮の離れだという話になった。しかし王が離れに男性が入るのをとても嫌がる事は王宮では有名だ。騎士団では団長とアランしか許されていない。

 その日は二人ともおらず勝手に入れないので副団長が悩んでいたら、たまたま離れに向かっていたユリアヌスがいたので捕まえた。


「ユリアヌス殿、この悪臭は…」


 彼はすでに漂う異臭にピンときていた。このテロと疑われる程の悪臭の原因はレイチェルの料理だろうということを。彼は一応王妃の名誉の為にごまかすことを選んだ。


「いえ…これはですね、王妃様が最近薬草の実験に凝っておりまして…。なのでご心配には及びません」


 ユリアヌスがそう言うと、副団長は明らかにほっとしている。


「そうですか、安心しました。しかし何を作られておりますのか…さすが王妃様、戦わずして勝つ為の秘密兵器でしょうかな、頼もしいことです!」

「ははは…は…そうですね…」


 ユリアヌスは乾いた笑いをニコニコしている騎士団員に向け別れた。


 念の為ユリアヌスは離れでこっそり確認したが、やはりこの悪臭の元はレイチェルの料理だった。

 嫌な予感、つまり食べさせられる予感がするユリアヌスは、フェリシアの元に向かっていた足を止めて王宮への道を戻っていった。緊急の用事ではないので命拾いした、とホッとする。ロイもバカではないのでさすがに食べないだろう。

 もちろん臭いに敏感な白玉は真っ先に王宮の安全な場所に避難しているので離れにはいない。彼は薄情なのだ。




 皆が不穏な臭いに騒ぎ出す1時間前、レイチェルが材料を台所に広げているのを外出しようとしたラウラが見つけて声をかけた。


「まあ、レイチェル様。お料理をされるのですか?」

「はい、内臓と野菜の炒め物でも作ろうかと。よくキキが作ってくれてまして」

「では、私はお手伝いを…」とラウラが言ったが、


「ラウラは今日お休みですよね?いいのです、簡単な料理ですし」と断った。彼女は「そうですか…」と言いながら、申し訳なさそうに部屋を出て帰って行った。侍女たちはいつも通り広い離れでそれぞれの仕事をしている。


 これが悲劇の始まりだった。




「料理長、料理が一品出来上がったのですが、味を最終調整して頂けませんか?」


 レイチェルが鍋を差し出して可愛らしく料理長に言うと、彼の襟足から冷や汗がぶわっと出た。

 離れに呼び出されて何かと思ったら王妃の料理の味見であった。わくわくしたのも束の間、目の前の料理は凶悪な悪臭を放ち、汚泥かコールタールの塊のような見た目でとても修正が効くような代物ではない。


『調整不可能です!!』


 そう言いたいのはやまやまだったが、エメラルドグリーンの瞳でじっと彼を期待を込めて見つめる美しい王妃にそんなことを言えるはずもなかった。


「わかりました、少し味見させて…頂きますね」


 料理長は匂いから来る激しい吐き気を押さえ、決死の覚悟でスプーンにすくった怪しい塊を口に流し込んだ。彼の本能が危険だと拒否していたが、彼はプロだった。

 すぐに彼の脳の芯にまで染み込むパンチのある味…そういえば素敵だが、あまりの不味さに脳と身体が硬直し痙攣けいれんした。彼は床にバタンと倒れた。


「誰か!料理長が!!」


 彼は担架で医務室に運ばれていった。 




「うーん、今回はいけると思ったんだけどな…」とレイチェルが申し訳なさそうに向かいに座るロイに言った。離れでいつもキキに作ってもらって食べるのだが、彼女がいないので王宮の食堂にいる。


「おいおい、まさかその殺人料理を俺に食べさせようとしてねーだろうな」


 ロイは前に並ぶ料理を注意深く見渡した。うっかり大量に食べたりしたら命とりだ。


「へへへ、実はその小鉢に入ってるの。少しだから大丈夫、食べてみて」


 ロイの目の真ん前にこれみよがしに置いてある黄色い小鉢。そこに黒い物体がちんまりと盛られている。上にはごまかすようにハーブが一枚のせられていた。


(うっ、怪しいと思ってたやつだ…。臭いを嗅いだら絶対に食べられないし、これは飲み込むしか…いや、でも明日も仕事が…)


 逡巡しゅんじゅんしながらも最終的にはレイチェルへの愛情が勝ち、小鉢に手を伸ばした。要するに彼はユリアヌスが言う所の『バカ』だった。


「お、それ旨そー!南方の大陸のくじら料理か?」


 横からひょいとロイの小鉢を取り上げ、中身を指でつまんで口に入れた。


「う…ぐぅっ…」


 バタン…


「あーあ」

「ポール、大丈夫?しっかりして!」


 犠牲になったのは食事に遅れてきた可哀そうなポールだった。風邪気味で鼻がきかなかったのが運の尽きだ。

 すぐに担架で彼は医務室に運ばれていった。



「あぶねー、俺がああなるとこだったぞ。ポールが風邪気味で食いしん坊で行儀が悪くて助かった…いとこ殿の冥福を祈ろう。さ、これで安心して食べられる」

「ちぇ、今日は失敗したけど、明日はきっと大丈夫だから食べてね」


 愛するレイチェルに「食べてね」なんて可愛く言われて食べないわけにはいかない。


「ぐっ…仕方ねーな。あまり強力でないものを頼む」

「了解!」


 レイチェルがあまりに嬉しそうに騎士団を真似て敬礼したので、顔が引きつるロイはとりあえず明日のことを考えるのは止めた。だって可愛い過ぎる。可愛いは正義なのだ。

 そして、キキに手紙を書こうと考えていた。それも今夜書いて速達で出さねばなるまい。

 毎日2人も倒れたら、1か月後には王宮に人がいなくなるのは間違いなかった。

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侯爵令嬢は学者になりたいのに周りがやたらと后にしたがるので困ってます 海野ぴゅう @monmorancy

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