最終話 光

「うーん、ビミョーに暇…なんか地図か本を持ってきてくれないかな?」


 レイチェルがベッドでつぶやくと、


「おまえさ、よくそんなことを今言えるよな…」とロイが呆れながら答える。5分に1回の間隔で陣痛が来ているところだ。


レイ「うーん、また痛くなってきた…うぅ…」

ロイ「…痛いのか?(真っ青)」

レイ「痛い痛い痛いっ…ロイ、何か言って励ましてよ!(いらいら)」

ロイ「だ、大丈夫か…(おどおど)」

レイ叫ぶ「大丈夫じゃない!痛いんだよ、バカっ!!………ふう…落ち着いてきた」


 これを5時間ずっと続けているので、ロイも疲労困憊こんばいしていた。

 段々と陣痛の来る間隔が短くなるにつれてレイチェルが獣のように変貌してロイに当たり散らす。それも最初は面白がっていたが、段々乱暴になってきた彼女におろおろしっぱなしだ。


レイ怒りながら「ねえ、痛くなってきた…ロイ、腰をさすってよっ…もっと下っ!強くだってば!」

懸命に腰をさするロイ「キキ殿…(すがる目)」

キキ「ロイ様、交代、致しましょう」

ほっとしたレイ「うえーん、キキ…」

慈愛に満ちたキキ「大丈夫でございますよ、レイ様。キキがそばにおります。ここですか?」

甘えるレイ「うん…ありがと…気持ちいいよぅ…だっ、また痛いのがきたっ…痛い痛い痛いっ」


 レイのそばから離れて明らかに肩の荷が下りたロイがソファーに倒れ込んだ。彼女が子供の為に苦しんでいるのに自分は何もできない役立たずな上、そばにさえいられない現実に愕然がくぜんとする。

 妊娠・出産時に夫の出来ることの少なさに情けなさを覚えつつも、子供が産まれたらその分可愛がって挽回しようとぎゅっと拳を握りしめて、出産と戦う妻を見守っている。



「うーーーんっ、ふいーーーっ、ふぅーーーっ」


 陣痛の間隔がなくなり、常時痛みで苦しむレイチェルの手をロイが握っていると(実際はレイチェルが万力のようにロイの手を握りつぶさんばかりだ)、少しづつ子供が排出されてきた。


「頭が出たから後は早いぞ、もう少し踏ん張れっ!」「レイ様、今が頑張っていきむ時です!」


「うーーーーっ、ふいーーんっ!!」


 ロイとキキの励ましとともにレイチェルの最後のいきみで一気に赤ちゃんの全身がこの世界にずるりと産み落とされた。女の子だ。彼女は新しい世界に戸惑っているように見えたが、いきなり王宮の離れを揺るがすような大声で泣きだした。


「びえーーーーーーーっ」


「まあまあ、とても元気な女の子ですわ。レイ様、元気ですよ!」

「おお、女の子か!やったぞ、レイとよく似た美しい娘だ!」とまだ顔が血と粘膜だらけでイマイチはっきりしないのにロイは彼女の中に美しさを認めている。すでに親ばかだ。

 しかし当のレイチェルは安穏とは無縁の苦しみの中にいた。


「おい、レイ、大丈夫か?」


 ロイは出産が原因で亡くなった母親を思って急激に心配になってきた。


「なんでっ?…なんでまだ痛いのっ…」


 レイチェルは出産が終わってぐったりしたいのだが、まだ痛みが引かずに打ちのめされている。


「レイ様?大丈夫ですか?」


 キキまで顔色を変えてそばに寄ったのを見て、ロイは恐怖で立っていられなくなり膝を床に付いて彼女にすがり付いた。


「レイ、しっかりしてくれよ、俺を置いてかないでくれっ…」

「…っあ…ロイ…っ」


 疲れと痛みでぼんやりしたエメラルドグリーンの瞳がロイをとらえた。





「レイ…疲れたよな、とにかく今はゆっくり寝ろ。子供はキキ殿とラウラ殿がいるから安心だ」


 涙目のロイが彼女の汗ばむ顔をいい香りのする濡れタオルでトントンと拭きながら覗き込んで言うと、彼女はロイに弱弱しく微笑んでから目で子供を探した。

 その様子は先ほどまで獣のように叫んでいたレイチェルと同一人物とは思えない。


「びえーーーーーーーっ」「ぴえーーーーーーーっ」


「まさか双子とは…お腹が大き過ぎると思っておりました」「元気な女の子と男の子でございます、おめでとうございます。ロイ様」


 目に涙を浮かべたキキとラウラは赤ちゃんの身体の汚れを優しく拭き取り、王と呆然としたレイチェルに双子を見せながらお祝いを述べた。そして、隣の部屋に赤ちゃんを連れて行った。


 急に部屋がシンとなる。不安になったロイはストンと落ちるように寝てしまったレイチェルの顔に自分の顔を寄せた。彼女がちゃんと健やかに息をして寝ているのを確認して安心する。


「二人も産んで疲れたよな…おまえすげー頑張ったな。ずっとお腹に赤ちゃんが二人もいたんだから大変だったよな、偉いよ。今まで何もできなかった俺にもこれからは頑張らせてくれ。二人を死んでも幸せにするから…おまえの父親のように…」


 ロイは彼女にキスしようとして彼女の唇がひどくカサカサに乾いていることに気が付いた。

 枕元の水差しからコップに注いだ水を口に含み、少しずつ彼女の口内を湿らせた。彼女の喉を水が通る音がし、ふゅー、と喜びとも安堵ともとれるため息が彼女から洩れる。


 その瞬間、ぶわっと彼の全身を何か大いなるものが通っていったのがわかった。全身の皮膚があわ立つ。それは神がイタズラにまき散らした圧倒的な幸福のカケラのようなものだったのだろうか。

 しばらくその余韻に浸ってから、自分も眠くて仕方ないことに気が付いた。水を飲み、レイチェルの隣にゆっくりすべり込んで彼女の顔をじっくり眺めた。


「自分ではどうすることもできない大きな何か…か。おまえのおかげで俺はそれを知ることが出来た。やっぱり俺の直感は間違っていなかったよ、おまえは俺に必要な存在だと思ってた。…愛してる、俺のすべてをおまえと子供たちに捧げることを誓う」


 ロイはレイチェルのおでこに初めてキスした時のように、胸を高鳴らせながら唇を彼女の頬に落とした。




 ロイ国王の代でルテティア王国は段階を踏んで奴隷制度を廃止し、自由市民として希望者に戸籍を作った。一部の人間は、元の国へ戻ることを選択したが、ほとんどの者が残った。

 王都ブルクは安全で豊かな都市として拡大していき、世界で最も人口の多い100万人都市が形成された。

 周辺諸国とも貿易をよくし、各国と平和通商条約を結ぶなど戦争を起こさない努力が常に行われた。それは自分の地理の研究の為に平和主義を徹底するポールと、ロイ王の妹と結婚するために貴族となった戦争孤児のユリアヌスの功績だった。

 一つ国を挟んだセリカ王国のジャイ王との大国同士の友好な関係も平和の大きな一因であった。文化の交流も盛んになされ、お互いの国の有事の際には友軍として大規模な出兵をする条約を結んでいるのだ。

 また、彼らの政策では合併吸収した地域の文化、言語や習慣や宗教には干渉せず、一方的に価値観や支配を押し付けることはなかった。他国に支配されるくらいならばとルテティア王国の庇護を得るために属国になる道を自ら選ぶ国もあった。


 そのように弱小国を吸収して新しい属州を作り、絶え間ない周辺国との小競り合いはあったが大きな戦争がないことでより発展していくルテティア王国は、ロイの代で王国史上最大の版図はんととなった。


 レイチェルとロイは男女5人の子宝に恵まれ、その時代にしては珍しく出来る限り自由に育てた。そして哲学者・科学者・動物学者・経済学者・音楽家と多様な職業につく子供たちを見守った。

 王位はユリアヌスとフェリシアの3人息子の1人を養子にして譲った。幼少時から優秀で視界が広く冷静な灰色の瞳の彼は、懐いていたポールと共に世界中を旅していた。広大な版図を任せるのに最も適した人物で、誰から見ても異論がなかった。

 これでルテティア王国はトップの王からして能力主義が徹底してると国内ならず周辺国まで知らしめ、優秀な人材がルテティア王国に流入した。


 ロイが50歳、レイチェルは48歳で王と王妃を引退して田舎に引きこも……るのかと思いきや、長距離航海用の船を作って結婚前に約束したワクワク島を探す航海に出た。

 時代はすでに世界が丸いと証明されており、新しい大陸や島の発見の報が毎月のようにもたらされていた。二人の興味は枯れていなかったのだ。


 二人は何度かの世界一周を経験してから、退位して20年目の冬に離宮にて1週間違いで穏やかな表情で亡くなった。

 人道主義の礎を築いた学者肌の王と正妃として慕われ続け、300年経って国や時代が変わっても、二人が共に入っている墓にはお供えの花が絶えることはなかった。



 彼らが憧れのワクワク国に辿り着けたのかは、彼らの航海日誌を読んで後世が証明するのであろう。

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