第45話 夜食ならぬ野食

「遅いっ、もう夕方じゃねーか!ポールも一緒に居たくせになんで連れて帰ってこねーんだ!!」


 矢のような王宮からの催促を受けて仕方なくポールと共に王宮に帰ると、ロイが案の定酷く怒って待っていた。ポールまでとばっちりだ。


「ごめん、一人の女の子に名前を付けたら他の子もつけないといけなくなって…だって不公平だし。でも全然調子いいんだよ?」

「このバカ!ほら、飯食うぞ」


 レイチェルの腕を痛いほど掴んで前を歩くロイを見ていると、施設で高揚した気持ちがしゅんとなった。ポールにも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


(あんなに楽しかったのに台無しだっ。ロイのそういう所が嫌いだっての!)


 離れに着いたが余りにレイチェルが落ち込んでいるのを見て一緒に食べるのが気まずくなったロイは、


「ポールと食べたら今夜はすぐに寝ろ。俺はまだ仕事がある」と言って二人を残して足音も大きく出て行った。


 ポールは呆れて口を開けている。結婚して丸くなったのかと思っていたが、未だに癇癪かんしゃく持ちのままだった。


「ちぇ…ポール、悪かったよ」とレイチェルが言いながら席に着くと、ポールは何も言わず頭を撫でた。


「ちぇ、じゃありませんよ、レイ様!ロイ様がどれだけ心配されたか…その上レイ様に嫌われたと今頃思ってます。お気の毒に…後でちゃんと謝るのですよ」とキキは夕食を運びながらお小言を言った。


「まあまあ、キキ殿。レイも立派に王妃の職務を果たすべく頑張っているのですから、そこは褒めてやって下さい。孤児院と学校設立などなかなか普通は出来ないことです」とポールが上手くとりなしたのでキキは少し機嫌を直した。


 しかしレイチェルの納得いってない顔を見たら反省してないのは一目瞭然だった。


(なんだよ、キキもロイの味方なの?もうこんなとこ王宮いやだっ…明日家出してやるっ!そうだ、昔みたく港に行きたいな。アラン…に頼むと迷惑をかけるから一人で行くか)


「…もう、レイ様は全然反省されておられませんねっ」「まあまあ…」


 キキをなだめるポールの声をぼんやり聴きながら、街中に浮浪児が残っていないか確かめないとな、と思っていた。ラケルの細い身体に触れてからというもの気になって仕方ないのだ。




 レイチェルはラウラに手伝ってもらいそそくさとお風呂に入って寝る準備をした。


「おやすみなさいませ」とラウラが部屋を出ると、縁側に座って月を見た。今夜は明るいし、こっそり散歩したくなってきた。久しぶりの外出で興奮しており、今夜は眠れないだろう。目を閉じると子供たちの少し無理をした笑顔や寂しそうな雰囲気を思い出す。


(問題はロイがここに来るかもだが…王宮の自分の部屋で今日も眠るだろう。そういえば最近夜は来ないことが多いな。もしかして…妊娠してアレが出来ないから?)


 そう思うといかにもそうな気がしてきた。あんなに怒るのも前は毎日のようにしてたのが出来ないからイライラしてるのかもしれない。


(まさか…私を好きなんじゃなくて身体目当て?いやいや、それなら学生時代ぜんぜん手を出してこなかったのはおかしい…でも…)


 レイチェルはだんだんロイが本当に自分を好きなのかわからなくなってきた。




(思考がおかしくなるのは…きっと月の光のせいだな)


 レイチェルはこっそり部屋を出、靴を手に暗くて長い廊下をひたひたと歩いた。前から人の気配がするたびに隠れてやり過ごす。そんなことを繰り返していたら、王宮の広い庭に出た。

 気持ちが良くて思わず伸びをする。昼間に散歩するのとは雰囲気が全然違う。


「ふー、開放感!!どっかから王宮の外に出たいけど夜だから閉まってるだろうな」


 黙々と広大な庭を歩いていると、その日は昼寝もしていないしすぐに疲れてきた。心なしか下腹部が張ってきた気がする。張る、ということは異物を子宮が排出しようとしている可能性もある。まだまだ小さなレイチェルの赤ちゃんが外の世界に出てしまったら間違いなく生きられない。


(やばい…これってば怒られるどころじゃない…落ち着け、深呼吸…)


 すぐに階段に座り深呼吸するが、子供の命が危険かもと思うと緊張で呼吸が浅くなってきた。恐怖で心臓がうるさい。


(怖いっ…まさか流産とか…嫌だっ、誰か助けて!子供が無事なら牢獄にだって入ります、だから神様っ…)



 レイチェルが怖くて動けなくなり、しばらくうずくまっていると、


「レイ?何でこんなとこに…おい、大丈夫かっ」と聞きなれた声が頭の上でした。


 いきなり動いてお腹が痛くなるのが怖くてゆっくり見上げると、やはりロイだ。彼はカッカする頭を冷やすために庭に出て、偶然レイチェルを見つけてしまった。


「ごめん、散歩してたらお腹が痛くなってきて…怖くて動けないんだ。ロイ、助けて…」


 ロイが慌ててレイチェルを抱き上げると、彼女は極度の緊張から解放されて気を失った。




「レイ…大丈夫か?」


 目を開けるとロイが目の前にいて、泣きそうな顔をしていた。レイがぼんやり頷くと、真珠のような涙をポロポロと二粒こぼした。


(あれ、ロイが泣いてるんておかしいな…夢か?)


「本物のロイ…?」


 ロイの顔を触ろうとしたが、力がうまく入らない。そして、子供のことを思い出した。


「ロイ、赤ちゃんは…」

「大丈夫、冷えと疲労で腹が張っただけだ。安静にしていれば治るって。なあ…レイ、頼む…俺が悪い、俺が怒鳴って悪かったから、頼むから身体を大事にしてくれ。もう二度と怒らないから、勝手に離れを出てかないでくれ…俺を一人にしないでくれ。怖いんだ。頼むよ…」


 俯く彼は布団の中のレイチェルの手を探し当てて握った。彼の震えを感じ、レイチェルは意地を張り過ぎたと反省した。


「ごめん…。でも良かった、赤ちゃんが無事で…もしや流産するかもって思ったら怖くて息が出来なくなって…動けなかった。そうだ、神様に約束したんだった…」


 うわごとみたいに次々と話すレイチェルに不安を覚えながら、ロイは聞いた。


「何をだ…?」

「赤ちゃんが無事だったならお礼に牢獄に入るって」


「…っ」


 ロイは呆れて大声で怒鳴りたかったが、先ほどしたばかりの約束を思って言葉を飲み込んだ。その様子を見てレイチェルが吞気に、


「あ、もちろん元気になってからだよ。今は無理」と言ったので、ロイは我慢できず怒ってしまった。


「…当たり前だ。っていうか、なんで牢なんだよ!」


 もうすでに約束を違えてしまった自分自身にショックを受けているロイに、

 

「まあまあ、ロイ様。レイチェル様は混乱していらっしゃるだけですよ。ゆっくり寝たら治ります。ロイ様もですよ。では、私は下がります」と王医がとりなした。


「…」

「ありがとうございます」


 無言で落ち込むロイに代わり、レイチェルはお礼を言った。



 王医が部屋を出ると、ロイはレイチェルの手を布団から出して体温を確かめるように長い時間唇に当てた。そして服を夜着に着替え、レイチェルの隣に片肘をついて寝転んだ。しばらく彼女をじっと見てから、


「レイ…施設から帰ってくるなり怒鳴ったりして悪かった。心配してたのに、すげー楽しそうに帰ってきたから腹が立って。それに、隣にあいつがいたろ?」と怒った理由を告白した。


「あいつ?」

「…ポール」

「ああ、ポールね、私の為に彩色してある地図を事務所に飾ってくれたの。で、たくさんの植物を南方から取り寄せ…っ」


 話の途中でロイはレイの唇を塞いだ。暖かくて柔らかいレイチェルの唇の感触はすぐさま欲情に直結してしまいそうで、彼はあわてて唇を離した。


「あいつの話は嫌だ」

「な、」


(なんでだよっ!あんたのいとこじゃないか)


「あいつレイのことが好きだ。俺とポールはどっか似てるからわかる。軽い事言ってるけど、本当は一途で真面目。学問に本当はのめりこみたいけど、王族の使命感から我慢して仕事してる。戦争だって嫌いだけど、ひとたび争いが起これば先頭に立って軍を率いてるんだ」


(ふーん、ロイが褒めるなんて意外だな…)


 レイチェルが面白そうな顔をしたので、ロイが口をとがらせて聞いた。


「なんだよ?」

「ポールが好きなんだ?だから余計に嫌なの?」


 レイチェルの言葉にロイは顔を赤くした。面白くて頭が切れて剣術もこなすポールは、ロイの理想なのだろう。


「…そうだよ、悪いか」

「悪い。ポールもロイの事好きだって今日話してて思ってたんだ。ねえ、ロイはポールの恋人を気に入ったら手を出す?」

「出すわけねーだろ!っと、ごめん…」


 思わず声を荒げてしまい、素直に謝るロイがとても可愛い。


「でしょ?ポールもそう思ってるよ、だってロイのこといつも弟のように大事に思って気にかけてる」

「…レイ」


 ロイは抑えきれずにレイに深く口づけしてから、大きくため息をついた。


「はー、レイの身体に触れられないなんて辛い。早く子供産まれないかな…」

「それは、早くしたい、ってこと?」と先程湧いた不信をロイに向けながらレイは聞いた。するとロイが疑われたと気付き頬を少女のように赤く染めた。その様子が可愛くて仕方なくて、レイチェルはときめいた。


「違う、そんなしたいだけじゃなくって…レイとくっついていたい。心も身体も深いところで結びついてるって感じて安心したい…ダメか?」

「ダメじゃない、嬉しい。私もロイと早く繋がりたい。でもさ、たまにはこうやって一緒に寝て欲しいな。赤ちゃんがいるせいか眠りが浅くて、夜中に起きた時に一人は寂しいし怖い」


 そうレイチェルが頼むと、ロイは眉間に皺を寄せた。


「…わかった。寂しい思いをさせてたのに気が付かず悪かったよ。でもおまえのお腹に赤ちゃんがいると思うと、緊張して寝れねーんだ…もしかしたら寝てる間に手足が当たったりなんかしたら怖いからな」


(なんだ、そうだったんだ…)


「そんなの全然大丈夫だよ…バカね…」


 レイチェルの心のもやもやがなくなっていた。しばらく二人はぎゅっと抱きしめあってから、


「ちょっと月の光を浴び過ぎておかしくなってたのかも」とレイチェルが言うと、

「おまえは本当に動物みたいだな」と呆れたようにロイが答えた。


「まあね、フォンテンブローの山で育った野生児だもん。アランと山を歩いていてお腹がすいたときに見つけたリスは丸焼きにして食べたけど、美味しかったよぅ!持って帰ってパイにしたりね。そういえば蛇を捕まえて皮を剥いでアランと二人で焼いて食べたのも意外と美味しかったよ、新鮮で。骨が多くて食べるの大変だけど」


 レイチェルは嬉しそうに蛇の捕まえ方から、頭の後ろを押さえつけて包丁でぐるりと切れ目を付け、頭をぎゅっと握ったまま切れ目を入れた部分の皮を持って引っ張ると魔法のように鱗と皮が剥けてしまう話をした。

 大きなヘビだったので皮も鱗も固くて2人で一生懸命いたんだ、と得意げに言っている。子供の時のアランとレイチェルは皮を剥ぐ作業が楽しくてヘビを食べていたようなものだった。

 

 まったくムードがないし妊娠中にする話ではないな、とロイは呆れていたが、レイチェルはまだ皮をぎ取ったあとに、切れ目で頭を落として内臓を剥がす話をしている。切り落とした頭はしばらくの間動き続けるなど詳細にわたるのでかなりグロいのだが、レイチェルは子供時代を思い出してかなり楽しそうだ。

 レイチェルの昔話がまだまだ終わらなそうだったので、


「おまえなら飢饉になっても子供の腹が減ることはなさそうだな…安心したよ。へビの話はまた明日…」と言って長いキスで彼女を溶かして寝かせた。


(この国の子供にはヘビを食べさせることがないようにしねーとな)


 ロイはそう思いながら眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る