第4話 マジクソ可愛い軍師

五月中旬。緊急事態宣言は解除されないまま、少しずつ気温が上がってきた。


がらがらの電車に運ばれて、久しぶりに東京駅南口の改札を抜けると、ふわっと心地よい空気が体を撫でる。春も過ぎて、もう寒くもなく、ジャケットを汗ばむことなく着れる季節。こんなに心地よい通勤は久しぶりで、そわそわしている自分がいる。


JPタワーの前の横断歩道は、いつもは黒山の人だかりなのに、信号待ちしているのは時子以外に五、六人しかいなかった。立ち止まって、すっかすかの初夏の丸の内の全景を拝む。


久しぶりに会社に行くのは懐かしくて。


春に履くはずだった、七センチヒールのベージュのパンプスの丸いつま先がぴかぴかしていて嬉しかったけれど、予想通り踵が痛かった。


ああ、こんなに良い天気なのに、みんなでマスクなんかして、離れて立って。


眩しくて、あまりにもぼんやりしていたからか、会社に行くのにけっこう時間がかかってしまった。いつも一階を通り抜けするJPタワーは、もう部外者は通れなくなっていて、自分の会社の出入り口も、東京駅から見ると真反対のドアしか使えないようになっていた。

遠回りしないといけない、いつもと違う道、いつも使わないエントランス。


知らない間に、見知ったはずの街が変わっている。自分が生きている間に、こんなことがあるとは思わなかった。たぶんきっと、みんな思っていなかった。






閑散としたオフィスの中は、平日の朝だがほぼほぼ消灯されていた。横に長いフロアで、蛍光灯が点いているのは経理と、人事と、営業のサポートスタッフの席だけだった。


それも、お上からの言いつけを守って二割程度しかいない。誰もいない方が気楽かも、と思いながら、時子は自席に鞄を置く。予想通り、営業スペースのメールボックスには大量の郵便物がそのままになっていた。当たり前と言えば当たり前だが、出勤停止命令が出てから誰も開けていない。


「ええ~マジで……」


もはや郵便物が多すぎて、引き出しが閉まらなくなっていた。請求書処理の為に、一日だけ出勤させてほしいと上司にお願いして会社に来てみたはいいが、一日で終わるのかちょっと不安になる量だ。


緊急事態宣言中、先週も、一昨日も、誰かしら図面を取りに来たり、新しいノートパソコンの受け取りで営業は来ていたはずなのに、放置である。


ペーパーナイフを用意して、引き出しを丸ごと取り出して、空いているスペースの上に置く。図面や仕様書関係、来年度の展示会のご案内、取引先からの封筒や、経費系の請求書。中には、明らかにギンザのクラブのママから部長へのヘルプのお葉書があったりして、ハハハ……と苦笑してしまった。


すでに引き落としが終わっている、携帯電話やWi-Fiなどの費用請求書どころか、二月にあった接待の請求書なども発見してしまい、慌てて経理に「今すぐやるので処理してほしい」とメールで一報を入れる。システムでそれぞれ経費引落の伝票処理をして、印刷して、ホチキスで請求書の原紙を止めて……なんてことをしたら、気づいたら十一時半になっていた。


ふっと後ろの席を振り返っても、いつもの一緒にランチに出る友達の席の上は、明かりすら点いていなかった。朝に、同期のラインに「今日出勤するよ」と送ったら、「気をつけて」くらいしか返ってこなかったから、分かってはいたけれど。


暗いオフィスの廊下を、気になってた仕事に着手できて良かったあ、と充実感を噛み締めつつ、財布とスマホを持って出入り口に向かう。

エレベーターで降りた地下の飲食店エリアなんて、ラーメン屋以外どこも空いてなかった。

自粛中けっこう自炊頑張ったから、何か美味しい、温かい、自分で食べれないものが食べたかったんだけれども、思った以上にビル自体が死んでいる。



下のファミマで買ったコンビニのパンを、会社のリフレッシュスペースでかじりながら、相談所のスマホサイトの「ご紹介」のページをクリックすると、ずらっと縦に顔写真と氏名の頭文字を示すアルファベットが並んだ。



①「K・S 三十五歳/会社員・IT営業職/年収 九百七十万円」


②「M・T 四十一歳/大学教授・教育関係/年収 一千万円」


③「K・J 三十九歳/会社員・製薬メーカー営業職/年収 八百六十万円」


④「A・T 三十一歳/会計士・監査法人/年収 六百五十万円」


⑤「J・N 三十五歳/歯医医師/年収 九百万円」


⑥「O・H 四十三歳/会社経営/年収 一千四百万円」


⑦「M・K 三十四歳/会社員・IT開発職/ 九百七十万円」


⑧「F・M 三十六歳/会社員・コンサルタント職/ 一千三百万円」


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結婚相談所に入る為には、年収証明を行う必要がある為、記載されている金額は直近の実績値だ。こういうところが結婚相談所の最もいい所だ。アプリと違って、身分を偽っていないかとか、本当は妻子がいるのではないかなどを、日常的な会話に紛れて尋問する必要がない。


お金の力ってすごい。めっちゃいい。ていうか年収が本当に高いな!



一番最初に出てきた三十五歳のITは、斜め横からのカットで、爽やかな笑顔をこちらに向けている。うっすらぼやけた背景は公園のようにも見えるが、どこかのスタジオで撮ったのだろう。

名前をクリックして詳細ページに飛んでみると、本人の普段の写真が二枚アップされていた。会社の飲み会で撮ったと思われる、ビールジョッキを右手に微笑んだ姿と、海外旅行中のラフな写真だった。こうして見ると、プロのカメラマンってすごいなあ、と感心しつつ、「会心の一枚」以外に「魔法が解けた後の、本当の私はこんな感じです」という写真を載せてもらえると、けっこう好感が持てる。


プロに撮ってもらった写真を載せる人もいれば、結婚相談所の受付の前で、カウンセラーさんに撮ってもらったのだろうという写真もあった。

蛍光灯の下で撮る写真は、等身大感は出ているが、やはり顔色も良くないし笑顔もぎこちない。

あと、やはりプロに写真を撮ってもらっている人の方が、結婚への意欲を感じてしまうのは、うがりすぎだろか。まあ、タダ同然のアプリに出てくる「明らかに自宅の洗面所で自撮りした俺」より、百五十倍くらいマシだが。



「あ、時子さん」


勢いよくスマホをホーム画面に切り替えて、反射的に振り返った。

後ろにマスク姿で立っていたのは、後輩の青山あかりだった。あかりは口元を手で覆いながら何故か首を横に振った。


「大丈夫です、見えてません」


「何がっ?」


「見えてないです、先輩がアプリやってるなんて、全然見えてないです」


「バリバリ見えとるわ!!!」


あはー、とあかりが笑い出して、マスクに隠れていない瞳がかまぼこ型になる。会社で最もモテる二十七歳、この世に恐れるものなど無し。


ピンクベージュのぷっくらしたネイルをひらひらさせながら、「時子さんの隣すわっちゃおー」と言って、丸の内の仲通が見える、高めのスツールに腰かける。

時子は、美子もひろこも、会社の中では目立つタイプだと思っていたけれど、この青山あかりは最早別格だった。学生時代はキャンペーンガール、キャンパスのミスコン出場経験あり、時子は今まで生きてきた中で、あかりほど可愛いと思った女はいない。生まれてこの方、男に困ったことなんざないだろう。

この女としての自尊心を砕いてくる後輩のことを、どうしても嫌いになれないのは、あかりがむちゃくちゃな女だからだ。


「お昼、何買ってきたの」


「お好み焼き弁当です。マスクしてたら、青のり食べても問題ないからチャンスと思って」



コンビニのお好み焼きを頬張りながら、あかりは美味しい、と語尾にハートマークをつける。以前に、「文字に起こすと、あんたの台詞は全部ヒソカみたいになる」と言ったら、あかりは爆笑していた。



「ねえ、あかりさんて、今アプリやってる?」


「今ですか? 今東カレデートしかやってないです」


「ティンダーやってないの?」


「なんかティンダーだと、会社のキモい既婚者とマッチングしそうで、やだあ」



そんなことをのたまう口で、あかりは三年ほど前に時子にティンダーを熱心に勧めてきた。これ、イケメン多くてよくないですか? 強くないですか? と言いながら高架下のバーで「ちゃんと認識してる? 顔見てる?」と突っ込みたくなるほど高速で画面をスワイプしつつ、「今から飲めそうな人探しましょう!」と言った。

この行動力に引き込まれて、時子たちはその後本当に二人連れの外資系サラリーマンと合流し、そのうちの一人と実際に一か月ほど付き合ったことがあった。

時子は、あまりにも簡単に出会いを呼び寄せるその力強さ、恐れ知らずのところを羨ましいと思うのと同時に、こいつはいい意味でやばい女だと確信していた。



「時子さんがやってたさっきのアプリって何ですか?」


にこにこと聞いてくるあかりに、時子はすっと自分のスマホを差し出した。

ナニコレ知らなーい、えーお金持ちばっかりーすごーい、と小声で言いながら見ていたら、「あっ、これ、マジでガチのやつか」とあかりが急に低い声を出した。

そっと顔を寄せて、「時さま。え、相談所?」と聞いてきたので頷くと、「あらー!」と口元に手を当てて目を輝かせた。そこがモテの秘訣でもあるのだろうが、本当に気持ちの良いほど、リアクション芸人的な女である。

すてきすてき、と言いながら、先ほど見ていた紹介男性ページを一緒にじっとのぞき込む。


「この紹介ページから、今月あと四人選べるんですか?」


「そう。一人はもうこの前、申し込んだ日にマッチング成功して、ズームで会ったから」


「それ、オンラインキャバクラよりむちゃくちゃですね?」


ふむふむ、と一覧の男性陣の詳細を見ていき、それからあかりは、丁寧に各人を評価していってくれた。



①「K・S 三十五歳/会社員・IT営業職/年収 九百七十万円」


→どこだろうこれ、野村? NTTグループですかね? あとはAWSとか? 所在地知りたいです。顔もさわやかで良いですね。なんとなくですけど、今後も年収上がりそう。営業職だからコミュ障ではなさそう。



②「M・T 四十一歳/大学教授・教育関係/年収 一千万円」


→大学教授ってところがいいですね(ハート)准教授とはやっぱり違いますよね。金額的には早慶ほどではないから国公立とかですかね? 子ども生まれたら頭良くなりそう。こういう人は教育に惜しみなくお金出しますよ。でももうちょっとオッサンですね。全然関係ないけど、私はいつか名大の教授と結婚してノーベル賞授賞式に妻として出席してみたいです。



③「K・J 三十九歳/会社員・製薬メーカー営業職/年収 八百六十万円」


→製薬メーカーの営業って、もっと年収いいのかと思ってました。新薬とか抗がん剤とかじゃなくて、健康食品売ってる人もMR語るやついるから注意してください。この人ちゃんと薬学部出てますけど年収がな~。顔はいいけどもうすぐ四十代なのに九百万円いかないのなら、これで頭打ちかもしれませんよ。



④「A・T 三十一歳/会計士・監査法人/年収 六百五十万円」


→この人からは、名のある会計事務所の香りがしません。根拠はありません! あと自分のことを紹介する写真にケーキ載せてくる男ってろくなやつがいないと思います。スイーツかよ。



⑤「J・N 三十五歳/歯医医師/年収 九百万円」


→雇われかなあ。でも親も歯科医師って詳細に書いてあるから、将来継ぎます。すばらしいです! でもこの世は犬も歩けば歯医者にぶち当たりますので、お金取れることをきっちりやってる病院か調べた方がいいですよ。



⑥「O・H 四十三歳/会社経営/年収 一千四百万円」


→お前もスイーツか……。甘いもの載せとけば女が捕まるとか思ってるんですかね? でもとりあえず私ならこの人と最初にデートしますね。海外旅行好きって書いてあるから、コロナ終わったら連れて行ってくれそう。タダで。ビジネスクラスでシンガポール行って、クレイジーリッチごっこしたい。



⑦「M・K 三十四歳/会社員・IT開発職/ 九百七十万円」


→コミュ障の香りがぷんぷんしますが、こういう人って、すぐ落とせますよ。二回目のデートで高島屋で買ったハンカチとかあげると、勝手に感激したりしますからね。年収的にもいいですね。誤差ですぐ一千万円プレーヤーですからねらい目です。



⑧「F・M 三十六歳/会社員・コンサルタント職/ 一千三百万円」


→顔が好き。百六十九センチの男は、統計的に百六十五センチしかありませんが、時子さんがぺったこんこ履いて、こいつがシークレットシューズ履けば別に何の問題も無さそう。 いい! この人と絶対会ってください! それで私に経営者仲間を麻布で紹介してください!!



最後の方、あかりは息が荒くなり、もうはあはあ言っていた。

時子は呆然としながら、きらきらした目のあかりに、「本当に、あんたに言って良かったと今、心から思ってるよ」と感謝の意を示した。

あかりは頷きながら、「コロナ終わったら、どの人とデートしたのか、絶対に私に教えてください」と言った後に、絶対に、と再び付け加えた。あかりのふっくらした唇に青のりがついていたので、備え付けのアルコールティッシュで拭いてやる。


婚活って、楽しい。

まだ全然始まってないのに、なんやこれ、楽しい、と時子は笑ってしまった。


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渦中婚活! 新井電卓 @araidenkyoku

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