第3話 オンラインお見合い
それで、何で時子さんは結婚相談所に入ろうと思われたんですか? という問いかけに対して、次の選択肢から正しい答えを選択せよ。
1、新型コロナの自粛期間中に、やはり一人はさみしいと思った
2、会社など、まわりに出会いがない
3、親や友人から結婚を勧められた
4、その他( )
「あ、聞こえますかね? 音声、大丈夫ですか?」
「聞こえます、こんにちは~」
「こんにちは~はじめまして~」
画面に現れたのは、三十七歳の会計士さんだった。写真の見た目通り、こざっぱりとした人だ。
時子は、真っ白いシャツに、小さい一粒ダイヤのネックレスを合わせて床に足を崩して座っている。ソファに座ってローテーブルのパソコンを見た場合、視点がかなり下がってしまうからだ。どうせ見えないだろうけれど、一応在宅勤務中に頻発したという「下はパジャマだったよ」という事故例を参考にして、も膝丈のジーンズタイトスカートを合わせている。どっちもゾゾタウンで昨日届いた服だ。婚活を始めて、時子は男性受けしそうな休日のおしゃれな服というものを全然持っていないことに気づいてしまった。
でも、新しい服が欲しくったって、伊勢丹も高島屋もルミネもマルイもやってないんじゃしょうがない。だから、時子の家の玄関にはゾゾタウンの黒い段ボールが積み重なっている。
試着無しに服なんて買えないと女上司は言っていたが、何のことはない。試着などせずとも、ゴムのスカートを買えばいいのだ。
「僕は今年の二月にこの結婚相談所に入ったんですけど、初めてです、ズームお見合い」
「そうなんですか。実は、私はお見合い自体が、初めてなんです」
「あ、すごいですね、初めてがズームお見合いって」
「そうなんですよ、ちょっと、緊張してます」
えへへと、時子は微笑みながら、大きな猫をよっこらせと被り直した。久しぶりだ。ただ相手に好感を抱かれる為だけに、自分とかけ離れた自分を演じるのは。そういうのが心底嫌だと昔は思って、そんなことをしなければならないくらいなら、合コンなんぞ行ったまるかと、反骨的な姿勢を維持していた頃もあった気がするが、もはや今は昔。
一浩さんというその会計士さんは、どうやら話によればまだ三人しか会えてないと言う。
四月の期末決算の前後で忙しくしている間に緊急事態宣言が出てしまった為だ。
一浩さんがどこの会計事務所にご所属かは知らないが、年収は八百六十万円。長野県出身の長男。転勤予定は無し。今後食いっぱぐれることも無さそう。
大きめの鼻と眼鏡が特徴的な顔立ちだで、イケメンからは程遠いが、清潔感がある。背景は白いレースカーテンが両サイドにまとめてある大きな窓で、外は青々とした空ばかりで、建物は見えなかった。
どことなく漂う、タワマンの気配。たぶんこの窓を見せたいんだな、と思った。わかります、あなた今逆光ですけどね。いいですよねタワマン。
外の建物がよく見えないから、勝どきだろうか……?
カメラに視点を合わせつつ、すーっと指先で家賃をググってしまいそうになる。
この人と結婚したら、私もこのマンションに住めるのか? と時子は思った。いや、資産欄に持ち家とか書いてないから、おそらく賃貸だ。
しかし年収八百六十万円の人でも、タワマンは借りれるものだろうか。
もしや家賃補助とかあったりする? 奇遇ですね、私もありがたいことに独身なんで、月五万円出てますよ。
「時子さんみたいに、にこにこ聞いてくれる方だと、画面超しでも助かりますね」
「そうですか? よかったです~」
「実は前にホテルのラウンジでお見合いした方は、こちらから質問したことにしか答えを返してくれなくて、けっこう心理的な負荷がすごかったです」
「それはヘビーですねえ」
そういうとこだぞ、序盤から前会った女の話をしちゃうとこだぞ。
内心ツッコミを入れつつ、もしかしたら一浩さんがお会いしたのは若くてモテモテタイプ会員で、受け身一方でも相手には困らないような人だったのかもしれない、と思った。
結婚相談所には、そんな若くから狩場を荒らしてどうするんだ、と言いたくなるような若い女の子も若干数在籍しているらしい。
二十代半ばの彼女たちは、ほぼ入れ食い状態で、医者や弁護士や経営者などの、結婚相談所の中でもより高所得層から伴侶を探す。しかし男性会員からすると、若くて可愛い彼女たちは、おそらく釣り物件のようなものなのだ。
二十代半ばの女から見て、「まあ結婚してもいいかな」と思えるのは、おそらく六つ上の三十二歳くらいだ。もちろんお金があれば二まわり年上でもOKという割り切った猛者もいるだろうが、「あんたが選んだの、おじさんじゃん」と家族や友達に思われのは嫌だというのも乙女心だろう。
そうして「やだやだ、二十代とじゃなきゃ絶対結婚したくない」というエグゼクティブたちが、「二十代とはなかなかマッチングが成立しないぞ……?」と気づく頃に、ようやくアラサーの時子たちに申し込みをするようになる。
これは時子の妄想ではなく、アドバイザーの桃沢から言われた厳然たる事実だ。
ピタゴラスイッチのギミックみたいに、かたんかたんと、シーソーが右へ左へと傾きながら、斜め下方にボールを渡していく。
三十代でお金持ち専門の結婚相談所に入った時子は、全く有利な立場ではない。
それでも、「普通の人と結婚したい、できれば綺麗で常識的で、育ちの悪くなさそうな人と」という要望には十分応えられる範囲にはいる、と考えている。
一浩さんは、よく喋った。この二か月間、クライアントと同僚以外、ほとんど人と喋っていないと言っていたが、きっと何気ない会話に飢えているのだろう。
わかる、と思った。美子たち同期と、四月の中旬になって初めてスカイプで飲もうとなったときに、時子は嬉しくて嬉しくて、人と話せるのがただただ嬉しくて、懐かしくて、パソコンの前で四時間も話してしまった。
一浩さんは、相槌を打つと、にこっとしてくれているところが、なかなか素敵だ。
時子は全く自分のことを喋ってない気がしたが、最初だしこれくらいでちょうどいいのかもしれないと思った。沈黙が続くよりよほど楽。お酒も飲むタイプらしいし、けっこういいかもしれぬ……と思っていたところで、その質問は一浩さんの口から発せられた。
それで、何で時子さんは結婚相談所に入ろうと思われたんですか?
「正直、思っちゃったんだよね。なんでそんなこと、お前に言わなきゃいけないんだよって」
「うわ、怖ぁ」
「いや言ってない、口では言ってない」
ライン電話越しに、同期である海老原ひろこが引いたのが分かった。本社配属の女子はほとんど辞めてしまったが、美子とひろこの二人は十年来の友達だ。
ひろこは婚約中で、本当は今年の五月に結婚式を挙げる予定だった。新型コロナの影響で式が延期になった為、ズームで両家顔合わせを計画しているところだが、両家の親たちはパソコンが不得意な為に難航している。
ひろこの背後には、旦那になる山本がキッチンで料理している後姿が見える。山本は、同じ会社の筑波にある研究施設で働いている二個下の理系男子で、ひろこは三人の中で唯一の社内恋愛経験者だ。二人は茨城県の守谷駅にあるマンションを新居として選んだ。
守谷からつくばまではつくばエクスプレスで十六分だが、ひろこは東京駅まで毎日一回の乗り換えを経て、五十分弱はかかる。入社してから「あたしは文京区か新宿区か港区以外には絶対に住みたくない」と言い張っていたあのひろこが、自分より残業が多いであろう山本くんの為に譲ったのだ。もう愛しかない。
「それで、なんて言ったの? 相談所に入った理由」
「プロフィールに書いてある通りにね、コロナがきっかけですって言った」
「じゃあいいじゃんそれで」
「そうなんだけど」
たまには一緒にご飯を食べようと言ってくれたから、ライン飲みを始めたが、すでに愚痴っぽくなっている。でも婚活を始めてから、思ったことや感じたことを、逐一誰かに話さずにはいられない体になった気がする。
学校帰りにお母さんを捕まえて、学校で起きたことを洗いざらい喋りたい小学生みたいだ。
「でもさ、そんなことわざわざ聞かなくてもよくない?」
「そんなのこれからいっぱい聞かれるって。転職の面接だって、私必ず聞くよ。なんで転職活動始めたんですかって」
そりゃそうだ、と時子は思った。ひろこは、人事で採用担当を行っている。その関係で、院卒で入社してきた山本くんと出会えたのだ。
「僕、前橋さんが婚活してる理由、もう一個当ててもいいですか?」
中華炒めを大皿によそってテーブルに運んできた山本くんが、席に着きながら言った。
山本はハイボールの缶をごくりと一口飲むと、「……家賃!」と言い切った。
「家賃て、あっそうか!」と急にひろこが大声を出した。
「時子、今年の誕生日で、家賃補助切れるんじゃん」
時子が物調面で山本を睨みつけると、「気持ちわかりますよ。だって家賃補助切れたら、毎月五万円の賃下げですもんね」とおかずを口に運んだ。笑いごとではない。
時子の年収の五百五十万円には、六十万円の家賃補助が入っている。
しかしそれは今年の十月に切れてしまう為、新高円寺駅にあるこのマンションの家賃、九万五千円を、全額自分で負担しなければならなくなるのだ。
「ていうかうちの会社も、入社十年目で家賃補助打ち切りとかえぐいね」
「その頃までにはさすがに誰かと生計を共にしてるだろうって計算なんですかね」
「あ~~うるせえ、うるせえ……」
本当に山本という後輩は賢くて、まったく嫌なやつだ。
ビールを飲みながら、目の前の麻婆サバをかっこんだ。
今日のつまみは、サバの味噌煮缶の麻婆豆腐風だ。ちぎった豆腐がかぶるくらいの水に、中華スープの素を入れて、サバの味噌煮缶を丸ごと入れる。唐辛子の粉を入れてぐつぐつ煮込んだら、ネギとごまと、花胡椒を入れれば出来上がりというずぼら料理だ。でもビールによく合う。
別に、家賃補助が切れるから結婚したいわけではないが、家賃補助が切れる前に結婚したいのも本音だ。
家賃補助が切れると、謎の東京勤務手当という一万円の補助が発生するようになるので、実質は四万円給与が下がるだけだ。それでも痛いものは痛い。
「わかってるけどさ、東京の物価と、うちの会社の給与が見合ってなくない?!」
泣き言を言うと、ひろこの顔がぱっと輝いて、いつものように手ぐすねを引いてくる。
「じゃあ、あんたこっちに近づいてきな。北千住とか東京まで二十四分だよ!」
「いやいや足立区だって東京都じゃん、高いことに変わりないわ」
「いや、絶対に杉並区より二万円くらい安いって。でも自己都合の引っ越しだから、最初の敷金礼金自分で払わないとダメかも」
「いやいや、もうだめじゃん! 今更自分負担で敷礼二か月分とかえぐすぎる」
「まあでも今後、テレワーク主体になったら通勤少なくなるし、都心に住むってステータス薄れてくる時代が来るかもよ」
それはまあ確かにな、と思った。
今まではたくさんの路線が通っている巨大なターミナル駅の近くに、大きくてきれいなオフィスがたけのこのように生えていて、色んな会社の人たちが間借りして、みんなで満員電車に押し詰められて一生懸命通っていた。
時子たちが勤める上州精密機材は、もともとは群馬県の小さな素材屋さんだったが、加工技術が上がるとともに、半導体や自動車関連のメーカーから定期受注が入るようになり、事業がどんどん拡大し、丸の内に本社を移したのはここ十五年くらいの話だ。
丸の内の三百人が入る十八階のフロア家賃は、毎月三千万円。値段に見合うかは分からないが、新しくて美しい、人に自慢できるようなオフィスだ。東京駅が目の前だから、新幹線にもすぐ飛び乗れる。神奈川の親に、ここで働いていると教えた時には、わざわざ車で見に来たものだ。
しかしそんな素敵なオフィスも、毎日通っていなきゃ価値がない。
感染予防の為のテレワークが定着すれば、そんなに大きなフロアも必要ないし、デスクや椅子だって全員分なんていらない。
そもそも都内一等地にオフィスがなければ、そんな物価の高いところを起点にして家を借りる必要も無くなるのだ。
そんな話をしてたら、山本が白けた顔で「まーでも俺みたいに、田舎の土地を安く買ったところに建てた、環境に良くない工場で働くしかない人間にとっては、関係ない話っすね」と言った。安定の山本の嫌味節である。
確かに山本のように、実験機材や分析機器などを扱って仕事をする人は、毎日職場に行く必要がある。この世には、テレワークでできる仕事と、できない仕事がある。
「山本くんは、親でも殺されたんかいってくらい、丸の内に愛憎を抱えているよね」と時子がややたじろいで見せると、「でもそんな丸の内OLと結婚したくせにい」とひろこが嬉しげに婚約者の頬を突ついた。
いちゃつきやがって、この野郎ども!
「でひろちゃん。人事採用だと、会社行かないとなかなか大変じゃない?」
「いやあ、もうコロナでどうしようもないって言って、全部オンライン採用にしたんだよ。うちの会社も今や開き直って、三次の役員面接までオンラインだよ」
「え、そうなの? すごくない?」
上州精密機材は会社体質が古いので、そこまで割り切るとは思わず、驚いてしまった。
「けっこうWi-Fi切れてうまく行かない時もあるけど、交通費が削減になったよ。地方の大学生も、面接の度にホテルとか新幹線使うより、家で面接する方がよっぽど楽なんじゃない」
なるほど、婚活も就活も、オンラインなのか。すげえ時代がやってきたなと思った。
「オンラインで面接って、ズームのURLとか送られてきて、時間になったら入るの?」
「そうそう。学生もこっちも家でやる」
「ええっ、三次ってことは最終面接ってことでしょ? オンライン越しに、どんな人か見抜くの」
「まあ毎年直接会ったって見抜けないしね、どうせ。一定数辞めるし。あ、あれすごいよ。今時の学生の女の子だと、めちゃくちゃ映りよくなるように、女優ライトとかパソコンの後ろに置くみたい。すごい時代だよ」
女優ライトって何? と聞く山本に、「美容ユーチューバーが使ってる、目の中に白い光が入るやつ」と教えている。
めちゃくちゃいいこと聞いた、と時子は思った。
今日は昼にオンおみ……「オンラインお見合い」をやったから自然光がいい感じに入ってきたが、夜に開催された場合には、家の照明だとちょっと暗い気がする。
えっ、いいじゃん、メイクにも使えるし、ふつうに買いたい。
「でもさあ、時子がちょっと、何で結婚相談所に入ったのかって聞かれてイラっとしたの、なんとなく今わかったわ」とひろこが言った。
「そんなの、答えられないよね。たくさん理由があって、いろんな理由や事情が重なって、結婚したいなあってなるんだもんね。そんなん真面目に聞いてどうすんだって、なるよ。なんで弊社を志望したんですかって質問だって、なんか意味あんのかなあこの質問って思う時あるし」
うるせえ、うるせえ! と言った後に、はははと酔っぱらってきたひろこが明るく笑った。
つられて山本が画面の横でちょっと笑った。新高円寺から遠く離れた、茨城県守谷市にある、新築のきれいなマンションで、もうすぐ籍を入れる二人がにこにここっちを見ている。
この二人はこの先、たとえ引っ越しをしようとも、同じ部屋からこうして時子にオンラインを通じて話しかけてくるのだろう。
時子はこの夫婦が好きだ。
時子が三月に「もうすぐトイレットペーパーなくなっちゃう」と電話した時には、山本は筑波中のドラッグストアーを探して、二時間かけて助手席にひろこを乗せて新高円寺までやってきた。
マンションの下で、車の窓を下げると、マスク姿の二人がビニール袋ごとトイレットペーパー六ロールを投げて寄越して、そのまま何も言わずにバックして帰っていった。
時子は、二人の車が見えなくなるまで手を振った。トイレットペーパーを抱きしめながら、五分くらい泣いた。
時子は、もしもこれから出会う誰かの中に、一浩と同じように質問をしてくる人間がいたとしたら、こう答えようと思う。
私もなんだか、この小さな画面の向こう側に座ってみたいと、急に願っちゃったんですよね、と。
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