第2話 在宅勤務でローテーブルはきつい!

首が痛い。

時子は左手を反対の肩に当てると、ぐぐっと首を傾けた。ローテーブルに会社支給のノートパソコンを置いて、ソファに腰かけてメールを打っている。目線はかなり下になり、今までの経験上二時間くらいぶっ続けでやると、目と首が限界値を迎えてくる。


「もうだめだ……」


電源ケーブルを抜いて、すぐ傍らのベッドに乗り上げ、枕をクッションにして腹ばいになってパソコンを見ながら、自分の担当の得意先別注文金額一覧表をスクロールしていく。こうやって、あるときはソファで仕事し、地べたに座って目線をパソコンに合わせ(そうすると、キーボードと高さが合わない)、うんざりしてはベッドで寝そべりながら仕事をする。


この負のループだけが、在宅勤務の最大の苦難だ。ダイニングテーブルが欲しいと思うが、ダイニングはダイニングで、仕事をするための場所ではないので、めちゃくちゃ疲れるぞと上司が言っていた。


きっとこうやってみんな、会議の時だけ上半身はきれいな格好をして、「肩が!」「腰が!」と日本中で叫びながら仕事しているんだろうか。なんということだ。ゲーミングチェアが欲しいと、人生で初めて時子は思った。


もうすぐ十三時なので、そろそろズーム会議が始まる。腰を庇いつつ、時子は定位置に戻る。

画面上に、各人の顔が映し出される。背景がおしゃれな会議室風に設定されている課長代理が、「みんないますか」と呼びかけてきた。

マイクをオンにして、「います」と返事をして、すぐに切る。このマイクのオンオフを適切に切り替えることが、オンライン会議ではもっとも重要な作業だ。誰かがオンにしっぱなしにしている、ハウリングしたり、犬の遠吠えに会議が邪魔されることになる。


「もうすでに掲示板で見ていると思いますが、解除されていないので、今のところ出社は今週もできませんと。それで、客先訪問もおそらく解除後、六月末までは行えません。接待も同様です。以上、それでは受注実績について各自お願いします」


営業部隊なのに営業をできなくなってから、早二か月半である。時子が勤める上州精密機材は、二月十六日から、他社への訪問が前面禁止となった。


半導体関係は絶好調ではないが、中国が動き始めているので受注は来ており、営業活動の主体である訪問や接待がなくても、お金が入ってくるということに、今更ながらにぞっとしている。

もちろん、クレーム対応や現地に行って納入品の調査をする必要はあるだろうけれども、自分たちの存在価値がちょいと揺らいできてはいないだろうか?


「じゃあ次、前橋さん。報告してください」


「はい。カネカワ商会さんから、月末に六百万円の受注が入る予定なので、予算マイナス十五パーセントで終わる予定です」


「ほかに何か案件ありそうですか」


「濱邊工具さんのところから引き合いがありましたが、コロナで試験予定が伸びたので、止まっています」


「じゃあそれ入力しといてください」


仕事が無いというわけではない。新規の引き合いがめちゃくちゃ減ったが、見積は作るし、電話もかかってくる。

それに、このご時世でお客のところにモノを納入できたとしても、先方の出勤率が低くなっていて箱を開けてもらえず、伝票処理が全体的に滞りがちだ。そうすると必然的にこちらへの入金が遅れることになり、会社の中で管理系の人間に突かれることになる。

そういう今までは起こりえなかった細かい調整みたいな仕事が増えた。


しょうがないじゃん、向こうも出勤できないんだから、とも思うけれど、本当に倒産しかけている可能性もあるので、そうそう楽観できない。


「ほかに何かある?」


「そういえば、会社に何か請求書とかが営業に来てるやつがありそうなんで、そろそろ会社行きたいです」


課長が「何かあったっけ」と言うと、「リースとか派遣さんの請求書溜まってそうです」と返すと、画面上の各窓で先輩たちから「あ~」とか「それ即刻払わないと絶対駄目なやつだ」と呑気な声が聞こえてくる。


あ~じゃねえよ。総合職だからって、請求書の処理押し付けてきやがって、と思った。

時子はエリア総合職で転勤がない。規定上では、総合職との違いは本来それだけのはずだ。しかし、部署に届く細かい事務処理は入社一年目からずっと時子の仕事で、後から入ってくる新入社員たちがその業務を引き継ぐ様子は全く無い。

もう諦めているが、時々、喉の奥からぐうっと熱いものがやってきて、時子はハイヒールでつかつかと近寄って、同僚たちを往復ビンタしたい衝動にかられる。いや、やらないけども。


そんな感じでフラストレーションが溜まってきていたら、急に画面上の課長の窓が消えた。


「……課長、落ちましたかね」


「あの家のWi-Fi弱いんだよ。でかいマンションでいっぱい家あるから」


「集合住宅でみんな家で働いてると、急に回線弱くなりますよね」


そんな風にやいのやいのと話していると、課長が蘇ってきた。なんか息子がオンラインゲーム落としてたわ、と言いながら椅子に腰かけるのが見える。

背後にはケロケロケロッピーのぬいぐるみと、周期表のポスターが映りこんでおり、どう見ても、課長の方が子供部屋を占拠しているようだった。


「あのー前橋。一応上に本社出勤していいかお伺い立ててから、また連絡します」


「はい」


そうして、週一の営業会議が終わった。本来なら会議室でプロジェクターを使って、真っ暗な中で二時間かけて行うものだが、本日は四十分で終了してしまった。

無駄話が減ったからだろうか。今までのは何だったん、て感じだ。


夕方になって時子が自分のsurfaceを立ち上げると、ちょうど結婚相談所のカウンセラーの桃沢さんからメールが来ていた。






前橋様



こんにちは。昨日はお写真を早速お送り頂き誠にありがとうございました♪


白いノースリーブのブラウスが映えて、素晴らしいお写真になりましたね!

普段のポニーテールも素敵ですが、

髪もダウンスタイルで巻かれていて、前橋様の良さがとても良く出ていたと思います。


やはり男性会員の皆様は、まずお顔を拝見してからプロフィールの詳細を確認される方が多い為、

このお写真であれば、かなり多くの方からお申込みがあると思います!


お送りいただいたプロフィールですが、この内容で問題ございません。

カウンセラーの私からの推薦文も追加しておりますので、

宜しければサイトのプロフィール画面からご確認ください。


本日から前橋様の会員データが本サイトに掲載されますので、どうぞ宜しくお願い致します。



まずは十五名のプロフィールを紹介させて頂きます。

PDFファイルを添付致しますが、サイトのご紹介ページからもご覧頂けます。


また桃沢より入会のお祝いとして、基本サービスである二名様/月の申し込みとは別に、

今月はプラス三名様にお申込み可能となっております。


なかなかコロナウイルスの感染流行で、お会いしにくい状況が続いておりますが、

提携ホテルのラウンジではアルコール消毒を徹底しております。


斜め向かい合わせに座るなどして、

会員の皆様の中には、直接お会いされている方もいらっしゃいます。


また、ズーム等のオンラインで最初にお会いすることも可能ですので、

ご希望の方とマッチングが成立した場合には、お会いする方法について気軽に私までご相談ください。


それでは失礼致します。



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エグゼクティブ専用結婚相談所

ギンザアフロディーテ


チーフカウンセラー 桃沢千香子


東京都中央区銀座一丁目9-22

ダイアモンドビルディング7階

(銀座一丁目駅より徒歩2分、燦ジュエリー様と同じビル)


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改めて登録が完了したと言われると、時子はなんだかドキドキしてきた。


婚活系のサイトに登録したのはこれが初めてではないが、ほぼタダ同然のサイトで、一応審査っぽいものはあったが、画像をアップロードするのなんか凄く簡単だった。



しかし、今回は違う。金額が違うし、手間も違う。


時子はこの年になって結婚相談所について調べるまで、「独身証明書」なるものが公的に発行されていることすら知らなかった。

去年、なんとなく本籍を杉並区に移しておいて本当に良かった。このコロナで大変な時に、こんな用事で区役所に行くのは非常に申し訳ない気持ちになったけれど。


そして何より婚活アプリと異なるのが、写真だ。

女子アナウンサーも通うという、結婚相談所指定のスタジオでわざわざ撮った写真は、過去最高に可愛くて、「もう全部のアイコンこれにしたい」とさえ思った。(こんなきらきらな写真を、会社のメールプロフィールになんかしたら、一発で突っ込まれるからやらないけれども)


当然、現代科学の為せるワザ、本人とかけ離れない程度に、薄く見えるシミが手早く目の前で修正されて、頬に健康的な赤みを入れてもらった。


スタジオにある白いペンキで塗られたドアの前で、ちょっとだけ微笑んでこちらを見ている自分の画像を見て、どうして結婚相談所のスタッフが「一枚目は絶対にスナップショットではなくて、プロが撮ったもので」と言ったのかよく分かった。

加工アプリで、肌の質感がやたらと滑らかにぼやけた写真より、ずっと自分らしいのに、すごく爽やかで愛らしく見える。


客観的に見て、どうなんだ。

可愛いかも。やばい。う~ん、なんか、行けそうな気がしてくる!


結婚相談所に通うことを話した同期四人のラインに送ったところ、これでもかと時子の気持ちを高めてくれる感想をたくさん貰った。みんな面白がっているのはわかっているが、持つべきものは人の婚活を面白がって聞いてくれるやつらである。


相談所の専用サイトにクリックして、自分のプロフィール画面をまじまじと見る。

会社員、三十一歳。

三十一歳にしては、私、けっこう若く見えないだろうか、と希望を込めてまじまじと見てしまう。


何も始まってないのに、ひとつクリアしたような気持ちだ。


アドバイザーの桃沢さんからのコメントには、こう書いてあった。




★★☆彡--------------------------------------------------------------------------


とても誠実なお人柄で、お仕事に真剣に取り組まれている、自立した女性です。

一般職としてお勤めである為、転勤等はございませんが、営業としてご活躍されており、

妻として、パートナーとして、一緒に家庭を支えていきたいというお気持ちがあるそうです。


黒目がちの可愛らしいお顔立ちで、凛とした印象のすばらしい女性です。

一緒にお食事やお酒を楽しまれる方がお相手には望まれています。


桃沢


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ありがとうチーフエージェント桃沢。


ちゃんとカウンセリングの中で、時子の自尊心の部分をきちんと汲み取ってくれていないと、こう書かないだろうと思うような文章だった。

会う人からこう思われたいという形が、短い紹介文の中にあった。


私が、一応自分なりに無様でもちゃんとしようと努力している人間で、なんとかかんとか働いてますってことが、わかってもらえたらいいな。


……とかなんとか言っちゃって、男の稼ぎは当てにして、結婚相談所に入ったんだけれども。いや、別に悪いこととは思わない。私は全然、矛盾してないぞ! と急に自分を励ますことにした。

そもそもエグゼクティブな男たちとやらが、年収550万円の稼ぎを当てにするかは分からない。それでも、金目当てに思われるより良いじゃないか。そうだそうだ。


さて、紹介してもらえる十五名の男性たちとは、どんな人たちだろう。


新しい家電を箱から取り出した時のような、似合いそうな服を通販でたくさん取り寄せた時のようなわくわく感。

それでも、ちょっとページを遷移する指先は、おっかなびっくり震えていた。

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