渦中婚活!
新井電卓
第1話 時子さんは誰かとお寿司が食べたい
お寿司が食べたい。
食べたことがないけれど、丸の内のブリックスクエアの地下にある、まんてん鮨で、お寿司が食べたい。
時子が通りかかる昼時には、いつもお客さんがいっぱいだ。見るからに小さい店で、戸を引くとカウンター前に椅子が並べられていて、背中の後ろを通るのも大変そうだけれど、美しい店構えをしている。
いつも満席の表示が出ていて、予約を取ろうとしたこともなかった。でも、あそこで昼間から好きな人と、刷毛でちょっとだけ醤油を塗ったようなきらきらお寿司を食べて、だらだらと日本酒が飲めたら、どれだけ幸せな気持ちになれるだろう。
はあ、とため息を零しながら、空腹の身を起こして、よっこらせと廊下の床に直置きしている桐箱を持ち上げた。
従弟が先日めでたく結婚した。独身の余裕と、東京暮らしで培われたセンスを見せつけてやろうと思い、わざわざギンザシックスまで行ってふかふかのタオルを二万五千円分も贈ったのに、内祝いの品は揖保乃糸だった。まあ、美味しいから、いいんだけども。
時子は昔からそうめんが好きだった。夏になると、お母さんが透明のそうめん専用の鉢を食器棚から下ろしてきて、錦糸卵を焼いて、ハム、きゅうり、みょうがを刻んでくれたものだ。
今から考えると、そうめん用の器を家族の人数分揃えてあるなんて、なんて贅沢で「丁寧な暮らし」であろうか。
1Kしかない、時子の家にそんなでかい食器を置くスペースは無い。島忠で買ってきた、ラーメン、うどん、丼ものをすべて兼任してくれる、プラスチックだけれど艶消しがしてある器を、廊下にあるキッチンの棚から取り出す。
そうめんは九十秒間茹でろとあったので、シンクの端に置いたスマホの電源をタッチすると、二十二時五分と表示された。こんな遅い時間だから具はいらないだろう。でもビールは必要よね、当然。
金曜日のテレビは好き。かりそめ天国もやってるし、全力!タイムズもやっている。コロナで在宅勤務が常態化してから、時子は昔のテレビっ子に戻ったような気分だ。番組表が頭の中に入っていて、テレビを楽しみにしている自分がいる。ちょっと前までは、とりあえず毎週録画予約しているものを、平日夜や週末に一気見するだけだったから、録画リストに番組が溜まるまで、すごく楽しみにしている連ドラ以外、全然放送する曜日や時間が頭の中に入っていなかった。
白いめんを端で突いていたら、もう二分経っている。慌てて、ガスコンロの下の戸棚からステンレスのざるを取り出して、湯を捨てる。ボールに水を張って、ハイボール用に冷凍庫に入れていたロックアイスを取り出して、氷を並べる。からんと音を立てて割れたところに、水で洗ったそうめんを流し入れる。
ああ、やばい。めっちゃ美味しそう。まあ寿司ほどじゃないにしても。
時子の家は創味のそばつゆを使っていたので、そういえばこの紺色のパック以外で、めんつゆを作ったことが無い。練わさびを器の端に塗り付けて、冷やしたそうめんを盛った器と一緒に、リビングのローテーブルに置いた。卓上の会社用スマホの通知を切って、テーブルの端に追いやる。
「キンッキンに冷えてやがるぜえ」
ぷしゅっと開けて、一口含む。口元に、泡と一緒に苦みが入ってくる。この喉ごし、銀色のやつ。どっと喉が一気に開いたところにビールがぐんぐん入ってきて、ちょううまい、最高の華金! ぷはあ、とたくましく週末にログインしたところで、口元を手の甲でぬぐった。
「さてと、プロフィールとやら、作っちゃいますかあ!」
冬のボーナスで買った、大好きなノートパソコン、surfaceプロを立ち上げて、時子は結婚相談所の専用サイトのリンクをお気に入りからクリックした。
結婚相談所の担当の女の人から、明日の写真撮影で着る服を準備しつつ、プロフィールも同時進行で作っておけよと言われていた。
独身証明書はもう提出済なので、写真を取って選んでアップロードしてもらったら、時子の顔とプロフィールは、もう結婚相談所の会員ページに掲載されてしまうのだ。
スカイプで、同期の美子(みこ)ちゃんから、「あ」とメッセージが入った。
「ん」とすばやくタイピングして送り返すと、「音兵器です?」とすかさず来た。
マイクをオンにして、「みこたん、今、あたしプロフィール作ってるよ」とワードファイルを開きながら喋り、テレビの音量を下げた。
「ときちゃん、明日撮影なのん?」
「そうなのです。今日、じゅんちゃん泣いてないね。寝たの?」
「そうなんですよお、マジ快挙。純司さん、パパともう寝てる。すでにこの時間にビール飲んでるの、勝ち組じゃないですか?」
美子は声を抑えてはいるけれど、たぶん居間にいるんだろう。隣の和室は戸を閉めて分断できるので、イヤホンをつけて美子はご機嫌で一息をついているようだった。
「えらいですみこたんママ、えらいです~。あ、ごめん、遅いけど、今そうめんずるずるするよ」
ティッシュに乗せた海苔をつゆの上でちぎり、麺をすすった。美味しい。しかもラーメンよりかは、幾分かヘルシーであるような錯覚を覚える。んん。美味しくてけっこうどんどん食べてしまう。ゆずこしょうのチューブも少し出してみた。
「ときちゃん、明日撮影何時なの? フルメイクとかしてくれるの?」
「ううん。メイクは自分でしてきてねって。でも髪は巻いてくれるらしいから、さっきめっちゃ毛先トリートメントした」
「ええやん。そうか、美容院やってないもんね」
そうなのだ。五月のゴールデンウィーク明けには、東京も自粛解除という話だったが、予想通り伸びたので五月二週目の今も馴染みの美容院が再開していない。
美容院も、まつエクの店も再開していないけれど、ゴールデンウィーク中に駆け込んだ結婚相談所は、めちゃくちゃ普通に営業していた。
なんでだろう。国民の生活というか人生に密接に関わる業種だからだろうか。
「みこちゃん、あたいが書いたプロフィール添削してくれちゃったりする?」
「もうそんなん見ずにはいられないから、さっさとスクショください」
コントロール&スクリーンショットした画面を、ぽちっと転送した。
◆お名前:前橋 時子(まえばし ときこ)
◆生年月日:1988年10月11日(31歳)
◆住まい:東京都/23区
◆身長:164センチ
◆血液型:A型
◆続柄:次女
◆最終学歴:大学卒業(東京女子大学)
◆年収:550万円
◆職業:会社員
◆勤務地:東京都23区
◆出身地/国籍:神奈川県/日本
◆婚歴:初婚
◆子供:なし
◆趣味:食べ歩き、ゲーム、映画鑑賞
◆資格:普通運転免許
◆本人資産:
◆その他資産:
◆お酒/たばこ:少し飲む/吸わない
◆宗教/宗教名:なし
◆結婚後の子供の希望:特になし
「とりあえず一枚目送ってみた」
「はんはん」
読んでもらっている間に、そうめんを一気にすすった。わさびで少し咽る。夕方トラブルで上司から電話がかかってきて、なんだかんだで夕飯が遅くなってしまい、かなり飢えていたのだ。まだちょっとお腹が空いているので、冷蔵庫に何かないか探しに行く。スライスチーズを見つけて、二枚取ってくる。
「あ、ときちゃんってそういえば東京女子大なんだあ。なんかこうやって見るとお嬢様っぽいね」
「実際は違いますけど」
「女の方も年収とか書くんだねえ」
「まあね」
「この本人資産とかなんなの?」
「これ、なんか別に空欄でいいよって言われた。男の人の側の方は、土地とかあると土地って書くらしい」
「あーマンションとか? 女の側はまあどうでもいいのか」
「んー知らんけども、大して当てにしないんじゃない。一応高級結婚相談所だし」
スライスチーズをかじりながら、二本目は角ハイボールの500ml缶を開けた。
「ていうかお酒、少し飲むじゃないでしょ、あんた詐称はダメだよ」
「あ、やっぱり? じゃあ、とりあえず飲む、に変えよう」
苦笑しながらぽちぽち書き換えて、スクロールする。次はいわゆるフリースペースだ。
「こっからが大事なんだよねえ、送るから酔っぱらう前にちゃんと読んで!」
◆自己紹介/PR
大学卒業後、メーカーで営業を勤めております。
顧客訪問や他事業所への出張も多く、会社の中では忙しく飛び回りながらも充実した社会人生活を送っています。
普段から食事の時間は大切にしており、食べ歩きをしながら素敵なお店を探すのが趣味です。
お酒は、ハイボールやワインを嗜みます。ぜひ一緒に飲んでくれるパートナーを探しています。
コロナの影響で、在宅勤務が続いており、一人で食事をすることの寂しさを切々と感じております。
また、旅行も好きなので一緒にコロナが落ち着いたら国内旅行や、海外旅行に出かけたいです。
「どうかな?」
「なんか、え、まず最初の方から行くと、けっこう忙しい女感出てるけど、これって婚活的にどうなのかな」
「どうかなとは」
「だって、向こうも結婚したいんだから、家庭とかに安らぎ求めてる人多いんじゃない? そうすると、こんな月に二回も泊まりがあったりなかったりの女、ちょっとごめんだぜってならないかな」
「ええ~でも誠実に書くと、そうなるんだもん。しょうがないじゃん、仕事なんだから」
まさか二行目から指摘があると思わず、慌てて目をこらす。疲れた目には字が小さい。フォントをでっかくしながら、時子は首を傾げた。
出張の回数は時々、くらいの表現にした方が良いだろうか。ありのままを書いたらだめなのか? モテからは遠ざかるのかもしれない。
「あと三行目からだけど……」
「うん」
「プロフィールで酒を少ししか飲まないとか書いておいて、ハイボールとワインかよっていう」
確かに。二人でちょっと笑ってしまう。全然酒好きなのが隠せていない。
「コロナの影響って素直に書いてていいと思うけど、コロナで急にさみしくなって婚活始めた女感出てるね」
「事実だよ」
「ですよねえ。まあ、これはいいのかなあ。どうせ相談所の手直し入るし」
バカ素直すぎるかなと思ったけれど、こうやって書いて、誰かに刺さってほしいと思った。
この時代にありふれた、みんなが感じるようなさみしさを、どうせなら同じように今東京のどこかで感じてくれている人がいい。
さみしさや心細さを同じ時代に味わって、自分の人生を少し立ち止まって、ぱっとふと顔を上げて、目が合う。
手段はロマンティックではないかもしれないけれど、そうやって、誰かと出会ってみたいのだ。
「あ、ねえ、海外旅行が好きって書くと、金がかかる女って思われないかな? 旅行が好きくらいにしといた方がいいかな?」
「いや、それなりに少しは金がかかる女だから、大金はたいてリッチな結婚相談所入るんだし、書いとけよ。それで金がかかりそうだって思う男なんか、ごめんだぜってすればいいんじゃない」
急に男前な意見が出てきてちょっと意外だったが、確かにな、と腑に落ちた。ちなみに、入会するための費用は合計四十二万円だった。細かく見れば、登録料とか、プロフィール作成費用とか、月二回の紹介料などだ。これとは別に、無事にカップルになって卒業する時には、更に結婚相談所に成婚料を支払わなければならない。
高い。何回顔に、美容皮膚科で赤味消しのレーザーを照射できるんだかわからない。
でもその代わりに、ある程度の年収の男性たちを紹介してもらえるのだ。
「お金で男の人を買うみたいだよね」
「でも向こうも払うんだから、いいんじゃない。サービスを買うんだよ。だいたい、五~六十年前もお金出して隣の村からお嫁さんやらお婿さんを探してくる時代だったんじゃないの?」
「自由恋愛は現在の贅沢ってかあ。いいなあ、みこちゃん、現代を謳歌したうえで結婚されてますもんね」
「二十代の時の合コン行脚の賜物ですよ」
そうだった。美子は確かに、二十代の時に頑張りすぎるほど頑張っていた。その頃の私といえば……合コンに行く為にマルイで買ったワンピースを金曜日に着てきて、終業後に会社の化粧室で口紅を直す美子ちゃんたちを、ちょっと遠くから見ていた。
「でもさあ、ときちゃん。私、ときちゃんには結婚相談所で、恋愛してもらいたいなあ」
やっぱり、ときちゃんには、好きな人と幸せになってもらいたいな!
カメラはオンにしてないけど、画面の向こう側に、ビール片手に美子が肘をテーブルについて、優しい眼差しでこっちを見ている気がした。
私は二十代の時に、結婚しなかったけれど、良い友達とはよく遊んだ。それはしかも、とびきり良い友達だったと時子は思った。
「……ねえ、みこちゃん。私、今年の誕生日までには、絶対結婚相手見つけたいよう」
「おっ、その意気だぞ!」
そうと決まれば、今夜はパックして寝ろ! おやすみ!!と言って、急に美子がスカイプから退室した。いなくなる寸前、遠くでまだ生後五か月の純司が泣いている声がした。
おやすみ、美子ママ。お疲れ様、そんでもって、ありがとう。
ぱたんとノートパソコンを畳むと、すぐに自分以外の人間が誰もいない、いつもの一人住まいに戻る。
すぐにリモコンの音量を上げる。
時子は一人暮らしの醍醐味を、十二分に今味わっている。
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