第二章 【入院少女】:第1話
「……暇だ」
上を見れば、シミ1つない白い天井。
右を見れば、一面に広がる灰色のコンクリートが窓から覗く。
仕方なく正面に視線をやれば、白いベッドとそのまま同化してしまいそうなくらい、包帯でぐるぐる巻きにされた真っ白な俺の左足が目に入る。
……そう。
俺、金井 ジュンは先週交通事故に見舞われ、左足を骨折。現在はこうして入院中、というわけだ。
「全くです。なにせ、なーーんにも、やることないですからね」
そう言って俺の左側――、空きベッドに腰掛けた少女は退屈そうに「うーん」とノビをした。
白いものばかりで構成されたこの部屋では、彼女の纏う漆黒は異様なまでに目立つ。
尤も、実際にその黒を視認できるのは俺だけなんだけど。
「お前は別にいいだろうが。そもそも、ここにいなきゃいけないってわけじゃないんだし」
「何を言うんですかジュンさん。死神たるもの、取引相手から離れるなんて言語道断です」
――死神。
死の近いところに現れ、寿命と引き換えに願いを叶える少女。
彼女と出会ったあの日から、もうすぐ一年が経過しようとしていた。
『取引相手』、と彼女は言うものの、この一年で彼女が俺に再度取引を持ちかけたことは一度もない。
一体俺の何が気に入ったのかわからないが、どうやら今は俺のそばで過ごすことが彼女のライフスタイルになっているようで、他に取引相手を探しに行く様子もない。
『死神に懐かれるフリーター』。
なんとも不名誉な称号である。
「……思ったんだけどさ」
「はい」
「俺がこうして事故に遭ったり、何かしらの不幸にたびたび見舞われるのは、お前に取り付かれてるせいなんじゃないだろうか、と」
「むっ。失礼な。言いがかりはやめてください」
そう言って死神はジト目でこちらを睨み付けると、不服そうに鼻を鳴らした。
「だってお前が言ってたんじゃないか。死神っていうのは『死の近いところ』にいるものだって」
「まぁ、言いましたけど」
「じゃあやっぱりお前のせい――」
「違います」
めちゃくちゃ食い気味に否定されたな。
「あのですね。確かに死神は『死の匂い』のあるところに現れますが、今私がこうしてジュンさんのそばにいるのは私自身の意志ですから。それとは無関係ですよ」
「……じゃ、今の俺の周囲からはもう『死の匂い』は一切感じてないと?」
「そうとは言ってません」
「おいこら」
どういうことやねん。
「だってここ、病院ですもん。死の匂い自体はそこかしこに感じますよ。強さの強弱はありますけど」
「……」
「もー、そんな目で見ないでください。大丈夫です。私が寿命を奪わない限り、ジュンさん自身に死が近づくことはありませんよ。……多分」
「多分て」
「まあまあ。とにかく、もうすぐ退院みたいですし。よかったじゃないですか、大した怪我じゃなくて」
「いや、骨折は十分大した怪我だっての」
「えっ」
「え、じゃないが」
きっと死神のこいつにとっては、死に直結しない怪我は全部大したことない扱いなんだろう。
なんか、腹立つな。
◇◇◇
「コーヒーってそんなに美味しいですかねえ」
「……」
病院内の休憩室。
自販機で缶コーヒーを購入した俺は、そのまま空いているソファに腰掛けて一息つく。
リハビリは順調だ。杖に頼らざるを得ないものの、もうある程度は自由に歩き回れるようになっている。
「苦いし、喉越し悪いし、オレンジジュースのが美味しいと思いますけど」
「……」
「ジュンさーん。無視しないでくださーい」
いや、人前で話しかけるんじゃねえ。
この休憩室には、俺以外にも人間がいる。
彼女が見えているのは俺だけなんだから、その問いかけに返事なんかした日には精神異常者に間違えられて、即刻別の病棟に移動させられることだろう。
もうすぐ退院だって言うのに、それだけは勘弁願いたい。
そしてなによりこいつのタチの悪いところは、それを重々理解したうえで面白半分で俺に話しかけているということだ。
「……あ」
「あら、ジュンくん。どうも」
「どうも」
柔和な笑みを浮かべながら、俺に小さく頭を下げる初老の女性。
彼女に釣られるようにして、俺も軽く頭を下げる。
「どう?入院生活はもう慣れた?」
「おかげさまで」
彼女の名前はヒカリさん。
この病院で出会ってから、こうして時折交流するようになった患者仲間。
親切でいつも明るい彼女は、俺よりもだいぶ前からこの病院にいるようで、入院中は色々と良くしてもらっていた。
「実は、もうだいぶ足の状態良くなってきてて。そろそろ退院できそうなんです」
「あら、それは良かったわ。若いんだから、こんなところにしょっちゅう来ちゃ駄目よ」
「肝に銘じておきます。ちなみに……」
「ん?」
――考えてみれば。
ヒカリさんとはこれまでに何度か話したが、今まで彼女がどういう容態でここに入院しているかは、一度も聞いたことがなかった。
意図的に避けていたのか、ただ話題に上がらなかったのか。話題に上げたくなかったのか。
でも、今日は自分が退院する日が近かったからだろう。
それが、相手の事情を知らない人間が簡単に口にして良い言葉ではないことに気付かず、俺はつい話題にしてしまった。
「ヒカリさんは、どうなんですか?」
「ああ――、私はね」
ずっと浮かべていた彼女の笑みが、一瞬、消える。
そして、すぐまたいつも通りの笑みを浮かべると。
「多分、ずっとここにいるわ」
と、寂しげに口にした。
死神少女〜寿命と引き換えに、あなたの願いを何でも叶えます まっきーに @rukimasa
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