The bus stop and memory

更科 周

The bus stop and memory



 今日も、早すぎる最終バスの最後席で耽る。きっと、明日も明後日もそんな日々が続いてゆく。新しい生活も、瞬けば退屈な過去になる。


 「そこ、寝ているのか」教授の呆れたような声でうとうとしていた意識が覚めた。

「寝てないです。起きてます」

危うく最前列で寝た挙句にレジュメを受け取り損ねるところであった。危ない。そんなミスをしても笑ってくれる人もいない。気を付けなければ。

 この春から新しい生活が始まったばかりである。希望に満ちた(笑)大学生活である。長い受験勉強期間を終えて、無事次のステージへと歩みを進めた新入生たちはさながら蛹から蝶になったようだ。遊びに勉強、アルバイトなど様々な目新しさに日々忙しさを極めている。

私も、そうなる予定だった。確かに目新しい世界に心を躍らせていた。だが、それが続いたのもほんの一か月のことであった。虚無感、孤独感に襲われ、課題を片付けるために生きているようなそんな五月が始まった。どうやら私は、蛹から蝶になったのではなく土から這い出した蝉だったようだ。



五月病という言葉が日本で一番似合うだろうと自負できる日常のなか、高校時代のことを思い出す日が増えた。テストや恋愛、部活。そうしたものにだけ心を揺らして、ただ過ぎてゆく日常がどれだけ素晴らしかったか思い知らされるようであった。高校時代は早く卒業したい、早く大学に行きたいとそんな事ばかり考えていたのにも関わらずに。なんとも勝手な言い分である。昔のことを想う度に自嘲する。正直、これは自分だけの意見ではないとも考える。

人はいつも言う。昔は良かったと。老若男女に関わらず皆口を揃えて言う。「現在」を愛せない者たちは、いずれは愛することになる「現在」を「昔」にならないと愛せないのであろう。結局思い返せばいつだって現在が一番輝いているのに。

そう自嘲に辿りついて、反省し、過去を忘れて今を懸命に生きようではないかという思考に行き着くまでがルーティーンとなっている。これらが行われるのはいつだって、懶惰な日常のなかでも特に暇を持て余す移動中だ。


「次は、大内。大内でございます。お降りの方は降車ボタンを押して、お待ちください。」


こいつを忘れていた。このバス停の名前が耳に入り自己嫌悪に至るまでがルーティーンであった。美化しがちな過去を忘れようとした矢先に現れる名前。

「大内」はかつて高校時代に好意を寄せた男の名前である。まだ好きだなどという感情があるわけではない。ただ、ひどく印象に残る言葉なのだ。人生におけるエピソードを一つ作って、いなくなった。風の噂を聞いても、いい話は聞かない。きっと、私が一番忘れなければならない名前だ。それこそ、始発のバス停に置いて来なければならなかった二文字だ。

住んでいた土地までも離れ、ようやく決別できたと思った先にまたもや、その単語があった。

このバス停を通るたびに、現在を肯定することができない自分の存在を突き付けられるようで胸が痛む。実際、それは大した痛みではないはずだ。ただの感傷だ。砂糖を入れないカフェラテ程度の苦みだ。


「咲はさ、そうやっていつも『忘れなきゃ』って言うけど、本当にそう思ってるの」

高校時代からの友達である朋が、アイスミルクティのストローをいじりながら言う。

「どういうこと」

「いつも最終的には忘れなきゃって言うけど、咲からは高校時代の懐かしい話しか聞いてないよ。忘れる気、ないでしょ」

 少し、意地悪な顔だ。変わっていない。

「まぁ、高校時代の友達だからそうなるのも仕方ないとは思うけどね」

 屈託のない笑顔がそう続けた。

「そんなに昔の話ばかりしてるかな」

 正直、自覚はあったがあまり認めたくない自分がいたのでそう問い返した。ちょっと言いすぎたかなあといった返答を少し期待していたかもしれない。

「そうだよ。咲からは今の話なんて、『課題が大変だ』なんて話くらいしか聞かないよ。私は、咲の今の彼氏とかの話聞きたかったりするんだけどな」

彼氏どころか、友達もできたとはっきり言えない有様である。ん、まあ、そこらへんはね、と言葉を濁すしかなかった。

「ま、どうであれ、咲が幸せならそれでいいよ私は。過去を離せなくても。それは別に罪じゃないしね」

 なんだか、大人に諭されているような感じになってしまった。随分自分が子供なんじゃないかと、悲しいような悔しいような気がした。

 私は、不幸ではない。けれど、幸せだとも言い切れないでどこにも行けないでいる。迷子の子供だ。


 朋とそんな話をしてから、三日四日程経つ。未だにどこもいけないような気がしている。

「まぁ、捨てる必要なんてないよな。人間の身体に不必要なもんがないように、人間の人生にやって不必要なもんはないやろ」

 テレビから、しみじみとした関西弁が聞こえた。たしか不倫騒動で一時期姿を見せなくなった芸人だ。当時のことを根掘り葉掘り質問されているところのようだ。どうにも、その芸人が言った言葉が耳に残った。

「確かに、俺は許されんことをしたなって思う。反省もしてる。ただ、忘れようとは思えへん。忘れとうても忘れられやんし、忘れたることがええことなんかわからん。せやから、俺は過去を抱きしめて今からを生きてくことにするわ」

 気持ち悪いことを言うなボケぇ、とツッコミ役の司会が言って、その場面は終わった。この話が社会的にどう思われるのか、あまり良くない想像が脳裏を掠めた。けれども、今の私には響くものがあった。誰にも聞こえないありがとうを言って、テレビを切る。


「えー、次は大内。大内に停まります。お降りの方は降車ボタンを押し、お待ちください。」


 いつものアナウンスが左耳から右耳に流れられないで、頭の中に腰を下ろす。

 今度、ここで降りてみよう。定期有効範囲内だから、お金もかからない。一度くらい降りてみよう。いつもやってくる自己嫌悪の前にそんな考えが浮かんだ。

 

 忘れなくたっていい。毎日この名前を目にするのだって、意味があるのだろう。そうだ。一度、大内に会いに行こうか。そんなばかみたいな気持ちにもなった。けれど、そのばからしさが心地いい。それを少し楽しみにして、今を歩こう。


 朋に今度大内に会いに行こうかと思っているという話をした。ばかじゃないのと笑ったが、いいと思うよ、とも言ってくれた。


 大内へ

 君は、どこまでもひどいね。

 会えもしないのに、影だけは残していくだなんて。

 君のおかげで毎日あの頃を思い出してしまう。

 一度、会いに行くよ。


 送らないメールの下書きを書いて、メールボックスを閉じる。たぶん、大内にも、あの頃の自分にも会えないと思うから。会えなくていいとも思うから。過去に縛られるのではなく、過去を抱きしめて歩こう。

 今日も、あのバス停の名が耳を撫でる。くすりと笑って、今日も疲れたなと呟く。きっと、明日も、明後日も。

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The bus stop and memory 更科 周 @Sarashina_Amane27

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