巻き戻しパレット -afterstory-

傘木咲華

巻き戻しパレット -afterstory-

 何と言うか、半透明だな、と思った。

 自分の部屋を見渡し、色川しきかわ彩名あやなは苦笑する。色だけじゃなくて形すらも曖昧に感じるのは、きっと新しい部屋にまだ慣れていないせいなのだろう。

 一週間前。彩名は田舎の町から都会へと引っ越してきた。別に一人暮らしを始めたとかではない。彩名はまだ高校一年生で、引っ越した理由もただの親の転勤。引っ越す前は都会だ都会だと無駄にテンションが上がっていたが、今は自分でも驚く程にローテンションだった。だって、仕方ないではないか。何か大きな目的があってここに来た訳じゃないのだから。

 きっと、キラキラとした都会に感動を覚えるのはまだ早いのだ。もう少しだけこの環境に慣れる必要があるのだろう、と彩名は思っていた。


「誰だろ、こんな時間に」

 スマートフォンをいじりながら、彩名はぽつりと呟く。時刻は夜の七時過ぎ。夕食を食べ終えて部屋でぼーっとしていた彩名の耳に、インターフォンの音が響いてきた。透かさず「はいはいちょっと待っててねぇ」という母親の声が聞こえたため、彩名の意識はすぐにスマホの画面へと戻っていく。

 と、思ったのだが。

 彩名は密かに小首を傾げる。ガチャリと玄関の扉が開き、出迎えた母親の声のトーンが妙に高いのだ。会話はよく聞こえないが、初対面ではありえないような声の弾み方をしている。母親の知り合いなのだろうか、と彩名は若干気になり始めた。

 しかし、

「……急に静かだな」

 賑やかだった話し声は急に途絶え、静まり返ってしまう。もう帰ってしまったのだろうか。あんなにも親しげに話していたのだ。相手が誰だったのか訊ねようと、彩名は部屋を出ようとした。

「…………?」

 ピタリ、とドアノブを握ろうとしていた手が止まる。

 気のせいだろうか。微かに足音が聞こえる気がする。そろりそろりと遠慮がちにこちらへ向かってくる気配。

 ――まるで、他人の家でも遠慮がない私とは真逆の足音だ。

 無意識に、ぎゅっと両手を握り締める。何故かはわからない。全然わからない。何で急に幼馴染の顔が浮かんだのかなんて、わかるはずもない。なのに、上手く息ができなくなって、苦しくなって、自分の表情すらもあやふやになった。

 やっぱり気のせいなのだろうと思う。だって、ここはもう田舎じゃない。今になってひょっこり顔を出してくる訳がない。そんなこと、誰よりも理解しているはずなのに。

 これは彼だろう。幼馴染の和佐間わさま幹久みきひさ――ミキくん、なのだろうと。

 期待してしまう。ミキくんだったら嬉しいな、と思ってしまう。離れ離れになる瞬間は平気だったのに、今は鼓動とともに気持ちが溢れている。

 ミキくんが彩名の部屋に遊びに来る時、彼はいつだって慎重だった。

「幼馴染でも、アヤちゃんは女の子だから」

 というのがミキくんの口癖だ。彩名は別に気にしなくて良いと思っていたし、自分の方が幼馴染として普通の感覚だと思っていた。ミキくんは幼馴染で、家族みたいなもので、それ以外の感情はない。

 ついさっきまで、そう思っていたはずなのに。


 コンコン、と扉がノックされる。

 ――ああ、やっぱりいつものミキくんだなぁ、と思った。

「アヤちゃん、久しぶ…………へっ?」

 一週間。たった一週間振りの再会。

 それなのに、自分は一瞬で彼を――ミキくんを困らせてしまった。せっかくミキくんが目の前にいるのに、視界が滲んでしまってよく見えない。

「ホントに……ミキくんなの?」

「そう……だけど、大丈夫? もしかして、僕が来るの姉さんにネタバレされてた?」

「ううん、違うの。もしかしたらミキくんかなって、期待しちゃってたから」

「そっ、そうなんだ。嬉しいなぁ……なんて、あはは」

 ミキくんの声は今まで聞いたことがないくらいに上ずっていた。ミキくんだけどミキくんじゃないみたいだ。多分きっと、今までだったら「何々、どうしたの?」とからかっていたところだろう。でも、今はその新鮮な姿から目を逸らしちゃいけないと思った。

「それで、今日はどうしたの?」

「……心残りがあったんだ。これなんだけど」

 言いながら、ミキくんは一冊のスケッチブックを取り出す。ああ、なるほど、と彩名はすぐに理解する。一度だけミキくんの絵のモデルになったことがあるが、気恥ずかしくなって途中でやめてしまったことがあるのだ。

「それだけのために来てくれたんだ?」

 あまりにも律儀で、それがやっぱりミキくんで、彩名はようやく笑う余裕が出てきた。ミキくんは真面目だし美術部でも優秀で、もしかしたら唯一の心残りが彩名のスケッチだったのかも知れない。そう思うと何だか楽しくなってきてしまった。

「ぃやっ、その……それだけじゃ、ないんだ」

 しかし、ミキくんの表情は逆に固くなっていく。気付けば両手を握られ、彩名の感情も一気に迷子になった。

「アヤちゃんは幼馴染で、姉さんとも仲が良くて……僕にとって家族みたいなものだった。でも、アヤちゃんが引っ越して、離れ離れになって……いつの間にか心にぽっかり穴が開いてたって言うか」

 頭は混乱しながらも、ミキくんの言葉はまっすぐ彩名の心に届いた。

 ミキくんは幼馴染だ。ミキくんのお姉さん――真樹まきねえも本当のお姉さんのような存在だ。ミキくんも大切で、真樹姉も大切で、もう一つの家族のようで。だからこそいつかは離れなきゃいけない人達だと思っていた。

 この別れは必然だと。だから仕方がないのだと。そう思っていたのに。


「やっと気付いたんだ。僕は…………アヤちゃんのことが好きなんだって」


 たった一言で、自分の中の勘違いが崩れ落ちる。

 ずっと寂しかった。地元を離れたからだとか、新しい部屋に慣れないからとか、そういう訳ではない。

 もう、この空間は半透明ではなくなった。

 自分でも驚く程に色とりどりで、眩しい程にキラキラしている。足りないのはミキくんだけだった。恥ずかしいけどこれが現実だ。

「わっ、わた……私も、好き……だよ。気付くのが遅くなってごめんね」

「え、あ、いや。僕が遅かったんだよ」

「いやいや、私が」

「いやいやいや」

 恥ずかしさのあまりテンションがおかしくなる。彩名もだが、ミキくんは自分以上に恥ずかしがり屋なのだ。今、ミキくんは一生懸命頑張ってくれているのだろう。

「ね、ねぇ! ……幹久、くん」

 何だか、恥ずかしくなってきた。

 照れるとかそういう意味とは別に、ミキくん――幹久くんにばかり頑張らせている事実が、だ。このままじゃ嫌だと心が叫ぶ。だから自分も前に進みたい。


「遠距離恋愛、してみませんかっ?」


 勢い余って目を瞑りつつも、幹久くんへと想いを伝える。

 恐る恐る目を開けると、無言で頷く幹久くんの姿が目に入った。

「よろしくね」

「……うん、よろしく」

 握る両手に力がこもる。

 手を繋ぐなんて、それこそ当たり前のようにやってきたことなのに。今はこんなにも嬉しくて、恥ずかしい。


 ミキくんとアヤちゃんからは卒業したけれど。

 これから新しい日々が始まるのだと思うとわくわくが止まらなかった。



                                    了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巻き戻しパレット -afterstory- 傘木咲華 @kasakki_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ