第47話 ミーナの生い立ち①
ミーナの話は、彼女の明るい口調とは裏腹に、酷い内容だった。
ミーナは、とある伯爵家でメイドとして働いていた女の子供として産まれてきた。母親も美しい女性で、家の主人からも大切にされているメイドだったそうだ。そんな彼女の第一子であるミーナは、大勢の人に祝福されて生を受ける。
しかし。
産まれてきた美しい赤子の左目を覆う、鮮烈なまでの赤い痣。
元々、人前に出るメイドは見た目の美しさも重視される。美しい従者を揃えられるということは、貴族としての力を示すことになるらしい。その点で、赤い痣は見過ごせない欠点として扱われた。伯爵家の名に泥を塗りかねないものである、と。
すぐさま屋敷を追い出されるような仕打ちこそ受けなかったが、ミーナの母親は、女主人の話し相手という立場から、ランドリーメイドへと払い下げられた。「赤子の痣が無くなったら、また復帰させるから」という何の保証もない口約束だけを押し付けられて。
唯一救いだったのは、親子の関係は嘘偽りなく良好だったことだ。ミーナのせいで地位を失ったにも関わらず、母親は、ミーナの痣のことを申し訳なく思いこそすれ、糾弾することは一切なかったという。
しかし、周囲の環境は決して思わしいものではない。元々肉体労働はあまりしてこなかった母親にとって、ランドリーメイドの仕事は厳しいものだった。戦力にならない母親への同僚たちの苛立ちは、その子供であるミーナにもぶつけられた。5歳になる頃には、侮蔑も憐れみも嫌悪も、それを隠そうとする人間の顔も、痛いくらいに知っていた。
それでも耐えれたのは、愛する母がこの家のことを依然として大切に思っていたから。不思議なことに、昔から母の言葉を聞いてきたからか、いい思い出など無いはずのミーナも、同じようにあの家のことを愛しく誇らしく思っていたのだ。
事件が起きたのは、ミーナが16の時だ。その日は、お嬢様の誕生日パーティーということで、家中が
とはいえ、ランドリーメイド達は別段仕事が増えた訳ではなく、朝に井戸水を母屋に運ぶ手伝いをした以外は、普段通りと言って差し支えない。むしろ、家の人たちがパーティーにつきっきりになっている分、いつもより静かで、穏やかささえ感じられた。
「ミーナ、このシーツ類、畳んでリネン室まで持っていってくれないかしら」
「分かった」
母親に言われるがまま、母屋のリネン室までシーツを腕いっぱいに抱えて運んでいく。母屋と洗濯小屋との往復が面倒な為、前が見えないくらいにシーツを積み重ねて持ってきてしまったが、慣れた道なのでさくさく進める。
シーツや予備のカーテン、テーブルクロス等が保管されているリネン室は、キッチンの横にあった。今日は一段とキッチン内が騒がしい。もうメインディッシュは出ている頃合いだろうから、スイーツや食後の飲み物の準備をしているに違いない。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていたせいだろう。リネン室の中から物音がしていることに気が付かないで、勢いよく扉を開けてしまったのは。
「きゃっ……!?」
扉を開けた直後、今度は、ミーナの耳にも届いた。若い女性の悲鳴だ。しかしシーツで前が見えない。ミーナは横の棚にシーツを押し込みながら、室内にいる女性に声をかける。
「ごめんなさい。室内に人がいると思ってなく、て……」
語尾が弱まってしまったのは、自分の過ちに気がついたからだ。ミーナはてっきりランドリーメイドの誰か、もしくは部屋の掃除をしている他のメイドかと思っていたが、
そして、女性1人だと信じ切っていたが、その側には女性と同じように品の良い服装をした男性も立っていた。2人とも、衣類が少しはだけた状態で、ミーナを凝視している。
(逢引…しかも、お客様だわ)
事情が飲み込めた途端、ミーナは自身の顔から血の気が引いていくのが分かった。棚に収まりきっていなかったシーツが足元に落ちるのを無視して、深く頭を下げる。
「たっ、大変申し訳ございませんでした!!」
すぐにでも退室したかったが、膝が震えて力が入らない。せめてこれ以上見てはならないものを見ぬよう、顔を下げたままにするしか、その時のミーナに出来ることは無かった。
「はぁ…悪い、エリーゼ。気が削がれたからもう行くわ」
「えっ……ま、待ってよ!」
固まるミーナの頭上から聞こえてきたのは、そんな男女の諍う声。そして、ミーナの横を素通りして、男性が足早に部屋を出ていった。
残されたのは、最早退室するタイミングを逃しきったミーナと、エリーゼと呼ばれた女性のみ。せめてエリーゼがこのまま部屋を出ていかないかと淡い期待を抱いたまま俯いていると、性急な足音がこちらに向かってくる。そして足音はミーナの横を通り過ぎることなく、目の前で止まった。
ミーナの胸ぐらをか細い腕で掴んだエリーゼは、ミーナの顔を見て露骨にその綺麗な顔を
「………っ」
「あんた、名前と所属は」
意外なほど強烈な打撃に言葉が出なくなっていると、上から冷水のような言葉が降りかかってくる。
「ら、ランドリーメイドのミーナと申します。大変申し訳ござ、」
「いいから。身支度を整えておきなさい」
「え」
「あなたみたいな醜女、うちにはいらないでしょ。私からお父様に言っておくから」
嘲笑を残し去っていくエリーゼに
(エリーゼ様って………旦那様のご息女のお名前だわ)
今日の主役の長女ではなく、次女がエリーゼという名だったはずだ。てっきり、お客様の1人だと思っていた。
ランドリーメイドをしていると、母屋から離れたところで作業している為、自分たちの主人といえど、その姿を拝見することは滅多にない。あっても遠目で見る程度だ。
しかし、噂だけなら知っている。旦那様は特に自分に似ている次女を溺愛しており、彼女の言うことなら何でも叶える程甘やかしているのだ、と。
つまりそれは、ミーナがもうこの家には居られないということだ。
彼女の手にかかれば、逢引していたという事実は塗りつぶしたまま、ミーナを追い出すことなど容易いだろう。その内容が事実かどうかなど、既に問題ではない。エリーゼは貴族で、ミーナは使用人であるという、純然たる事実さえあれば、それで済む話なのだ。
こうして、その日のうちに、ミーナは生まれ育った屋敷を出なくてはならなくなった。
恐らく、ミーナ以上にショックを受けたのは、母親だろう。彼女は、旦那様からの伝言を伝えにきた執事の話を聞くやいなや、自分も一緒に屋敷を出ると言い出した。
しかし、ミーナとしては、それに同意するわけにはいかなかった。今まで足を引っ張ってきた自分がいなくなれば、母は愛するこの屋敷で以前のように働けるに違いないからだ。
そこで結局、母が着いてきてしまうことのないよう、母が仕事で小屋から出ている内に、屋敷を離れることにした。
急いで書いた手紙だけを母の荷物に押し込み、決意がぐらつかないよう、ランドリーメイド達へ手短に挨拶を済ませる。
裏口から屋敷を出たところでようやっと、涙が零れ落ちてきた。
(どうしよう……どうしよう)
本当は、泣き出して縋りついてしまいたい程、怖くて不安だった。ミーナは今まで、あの家でしか働いたことがない。何の伝手もないどころか、目立つ痣のある自分を、一体どこの誰が雇ってくれるだろうか。門前払いされるのは、目に見えていた。
それに、曲がりなりにも、ミーナはあの家のことを愛していた。自分の愛しているものから愛されないということが、これほど辛いものだとは。
春の麗らかな日和だというのに、寒気が止まらない。涙のせいだけではなく、目の前が見えなくなってしまいそうだった。
「失礼。よろしければ、こちらをお使いください」
最初は、それがミーナに宛てられた言葉だとも気が付かなかった。
「えっ、あの…すみません、気にしないでください」
反応が遅れたことと、その間ずっと泣き顔を見られていたことに対する羞恥心から、目の前の男性とハンカチから顔を背ける。
しかし男性は、ミーナの失礼な態度に腹を立てるでもなく、穏やかな姿勢を崩さなかった。
「不躾に申し訳ございません。ですが、貴方をお連れするようにと、我が主人より申しつかっているのです」
「え…?」
驚いて顔を上げたミーナに、声から予想していた通りの優しげな顔の男性が微笑みかける。それを見て、また驚いてしまう。男性が、ミーナの痣に目を背けたり顔を顰めることなく、最初から真っ直ぐに目を合わせてきたから。
「私、アリシュテル伯爵家で執事をしております、シュルツと申します。奥様と旦那様が、貴方にお会いになりたいそうなのです」
彼の口から出てきた家名に、更に驚きながらも、ミーナは何故かその言葉を拒むことが出来なかった。
なぜミーナのことを知っているのか、アリシュテル家ほどの有力貴族が、ミーナに何の用があるのか、知りたいことは尽きなかったのに、何も聞かずにシュルツに付いて行ってしまったのは、1度でいいから見てみたいと思ったからだ。
真っ直ぐにミーナのことを見たシュルツの仕える相手が、どんな人なのか見てみたい。
どちらにせよ、行き場のない我が身だ。自分の直感を信じてみるのも、悪くないと思ったのだ。
元いじめっ子(?)ですが、崖っぷち伯爵家だけは守り抜いてみせます! 逢坂青 @meshigaumai
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