第1話 エミワララ

めっっっっっちゃ田舎。


中学2年の春、私は父の転勤で祖母が住む「神山村」に引っ越して来た。

田舎ってことは聞いてたけど、本当に絵に描いたような田舎っぷりだ。


1面見渡す限りの田園風景。

人の気配はほとんど無く、アニメでしか見たことがない無人の野菜売り場なんかもある。


父は仕事場に行ってから向かうらしい。

渡された地図を手がかりに祖母の家へ向かう。


初めて来た祖母の家は、余程土地が有り余っていたのか非常に広い平屋で、祖父が亡くなった5年前からずっと1人で住んでいるとは思えない。


インターホンを鳴らすと、ドアから小柄な老婆が顔を出した。

祖母だ。

祖父の葬式以来だから、5年ぶりの再開だ。


「彩ちゃんいらっしゃい。5年ぶりね。大きくなったわねー。」


「こんにちは。これからお世話になります。」


「あらー、しっかりしてるわね。じゃあ早速家を案内するから上がってちょうだい。」


「お邪魔します。」


祖母によるだだっ広い家の案内が終わり、最後に私の部屋に通された。

畳が敷き詰められた6畳の部屋。

女子中学生が生活するには充分な広さだ。


「まだ中学生なのに長旅疲れたでしょう。ゆっくりしててね。夕飯出来たら呼ぶから。」


「はい、ありがとうございます。」


「おばあちゃんなんだから敬語じゃなくていいのよ。」


「はい。あ。」


「ふふふ、まだ緊張してるのね。まあ慣れてからでいいのよ。」


そう言って祖母は部屋から出ていった。


部屋に自分の荷物を入れ、畳の上に寝転んだ。

窓から温かい日差しが差し込んでいる。

時々聞こえるウグイスの鳴き声が心地良い。

先程まではそこまで感じていなかったが、疲れもあったのだろう。そのままうとうとと眠ってしまった。



祖母に晩御飯で起こされて目を覚ましたのは18時だった。

結局3時間程がっつり寝てしまった。

食卓に向かうと、美味しそうな大きなハンバーグとコンソメスープとご飯が2人分置かれていた。


「お父さんはまだですか?」


「さっき連絡があって、22時頃に帰るそうよ。大変よねー、転勤早々に。」


「はあ...。」


祖母のハンバーグはそこら辺の下手なファミレスのハンバーグより美味しかった。

久しぶりにこんなに美味しいご飯を食べた気がする。


私のお母さんは病気で1年前からほとんど病院暮らしをしている。

それまではお母さんの作るハンバーグが大好きで、よくねだってはお母さんを困らせていた。

病院暮らしになってからはレトルト食品かお父さんか私の料理。

でもどれもお母さんの手作り料理に足元にも及ばない。


祖母のハンバーグは、お母さんのとはまた違うけど、凄く美味しくてどこか懐かしい。

ここで涙でも出れば感動的なんだけど、不思議と心は動いても涙は出てこない。


「ごちそうさまでした。」


「彩ちゃん食べるの早いわね。お皿はつけといてくれたら良いから、お風呂入ってらっしゃい。」


「はい。」



お風呂から出るとちょうどお父さんが帰ってきた。


「ただいま。どうだ、ここでの生活は。」


「おかえり。まあまあ。」


「そうか。」


お父さんとはいつもこんな感じ。

ほとんど言葉を交わさない。

お互い元々無口な方だし、同級生だって多分こんなもん。


とりあえず今日は寝よう。

晩御飯を食べたくらいから眠くて仕方ない。



次の日の朝、お茶を飲もうと思い縁側を歩いていると、庭に大きな納屋を見つけた。

見た目はボロボロで、もう何年も使っていないように見える。

ドアに手をかけると割とスムーズに開いた。

もっと苦戦すると思っていたのに、少し拍子抜けだ。


中はホコリっぽく、某映画に出てくるススワタリが現れそうな雰囲気だ。

大きさの割に物が少ない。

奥に進むと、1冊のノートが目に入った。

被ったホコリを手で払うと、汚い字で「日記 友成勘平」と書かれていた。


友成勘平、私の亡くなった祖父の名前だ。

物心ついてからはほとんど話したことがないが、どうやら無口な人だったらしい。

そんな祖父の日記がなぜこんなところでホコリを被っているのだろう。

なんだか気になるので、日記を部屋に持ち帰ることにした。


日記の内容はあまりに非現実的な内容だった。

まずこの日記が書かれたのは祖父が14歳、今の私と同じ歳の時だった。

この村の西側、「妖怪の森」と呼ばれる深い森にいる妖怪達との交流の様子が、ほとんど毎日綴られている。


あまりに字が汚いので途中で読むのをやめた。

最後まで読んでたら日が暮れそうだ。

ただこの内容は少し気になる。

村の西側、妖怪の森、そこに実際にいるとされる妖怪達。

怪談が特に好きなわけでもないが、好奇心が唆られる。


愛用のウォークマンとイヤホンを持ち、祖母に自転車を借りて早速森に行ってみることにした。

祖母には引き止められかねないので森に行くとは言わなかった。



森までは自転車で20分くらいだった。

見るからにかなり広い。

森の道は自転車では走りにくそうだったので、自転車を道の端に置いて徒歩で入って行く。


森は薄暗く、ジメジメして、少し嫌な雰囲気だ。

まるで侵入者を追い出そうとするかのような、嫌な空気に満ち満ちている。


ほとんどまっすぐな道をしばらく進むと、少し開けた場所に出た。

するとどこからともなく声が響いた。


「おまえは誰だ。なぜ人間がここに来た。」


「私は友成彩。祖父の日記を見て興味を持って来てみたの。」


「友成...?祖父...?」


前方の草からガサガサッと音がした。

1匹のたぬきが現れた。


「小娘、勘平の孫なのか?」


「たぬきが喋った。」


「たぬきではない。俺はこの森の番人、ヤマノムジナだ。」


「何それ変な名前。」


「おまえさんの祖父が考えたのだぞ。」


「ふーん。で、妖怪は?いるの?」


「今目の前にいるではないか。」


「え?どこ?」


「俺こそが妖怪だ。まあ貴様ら人間がそう呼ぶだけだがな。」


妖怪というから、てっきり一反木綿とかぬりかべとか砂かけばばあが出てくるのかと思ったら、喋るたぬきが妖怪だそうだ。


「何それ、喋るたぬきが妖怪って。」


「勘平も同じようなことを言ってたな。」


「ねえ、他にも妖怪はいるの?」


「もちろんだ。」


「みんなたぬき?」


「まさか。いろんなやつがいるさ。」


「じゃあ会わせてよ。」


「...まあいいか。俺は案内人でもある。勘平の孫ならある程度信頼もできるだろう。ただし、条件がある。」


「何。」


「ここで起きたことは他人に言ってはならん。絶対にだ。」


「わかった。」


「あと、他の人間を連れてくるな。おまえは特別だが、本来は追い返すからな。」


「どうして私は特別なの?」


「勘平の孫だからだ。」


「それだけ?」


「それだけだ。」


「...そう。」


随分易々と信頼しすぎではないか?

このたぬき、本当に番人なのかな。


「ところで、おまえは表情が変わらんな。勘平はもっと喜怒哀楽がわかりやすいやだったのだが。」


「そうね。感情が表に出ることはないかも。それが何?」


「よし、おまえさんにぴったりなやつを連れてくる。そこで待っていろ。」


ヤマノムジナはそう言うとガサガサと森の奥へ消えていった。



5分程でヤマノムジナは帰ってきた。


「あれ、妖怪は?」


「連れてきたさ。ほら。」


ヤマノムジナにつられて上を見ると、1話の大きな鳥がこっちに向かって飛んできた。


「お呼びですかい?」


鳥は地面に降り立つと甲高い声で喋った。


「鳥...?」


「こいつはエミワララ。笑いの妖怪だ。」


「またセンスのない名前...。」


「こいつも勘平が考えた名前だぞ。」


「えぇ...センス疑うわ。」


エミワララが急に甲高い声で笑いだした。


「くわっはっはっはっは!おっと失礼。急に大きな声を出して悪かったね、お嬢ちゃん。」


「はぁ。」


「ムジナ、この娘を笑わせればいいのかい?」


「ああ。その通りだ。」


笑わせる?初耳なんだが。


「くわっはっはっはっは!こんなに表情筋の動かない人間は初めてだ!苦戦しそうだね。」


「そうなんですか。」


「そうさ!大抵の人間は、多かれ少なかれ感情が顔に出るもんさ。それがあんたは全く出ない。遺伝ってやつかねぇ。勘平も最初はそうだったよ。」


「そうなんですか?」


「食いついたね。あんた勘平のこと何も知らないね?」


「物心ついてからはほとんど会ってないので。」


「そうかそうか。それではどうやって笑わせてやろうかね。」


「あ、待って。」


ヤマノムジナの方に顔を向ける。


「ねえ、妖怪を紹介するだけだったのが、なんで私を笑わせることになってるわけ。」


「なんでって、おまえさんの無表情をなんとかしてやろうと思っただけさね。」


「余計なお世話よ。」


「そうか?勘平は喜んでくれたのだが。」


「別に、笑わなくたって生きていけるし。」


「そんなことは無い!」


突然エミワララが大きな声を出した。

真剣な目をしている。

見た目が鳥だから分からないけど。


「お嬢ちゃん、名前は何だい?」


「友成彩。」


「彩、あんたは笑わなくても生きていける、そう言ったね?

確かに生きるだけなら笑う必要はないさ。でもね、笑わないと ''豊かに生きる'' ことができないんだよ。

あんたはまだ若いからわからないかもしれない。勘平も最初はわかっちゃいなかったさ。

でもこれだけは覚えておきな。

笑わない人間はただの人形だ。

笑う人生は常に虹色だ。

無理に笑わなくてもいい。

心の底から笑えることを探すんだ。

それを探すことが ''豊かに生きる'' ってことなんだよ。

わかったかい?」


「うん...」


「ふふふ、今は完璧にわかる必要はないよ。とにかく笑いな。」


そう言うとエミワララはまた甲高い声で笑った。


さっきまでケラケラ笑っていたエミワララの真剣な説教についつい聞き入ってしまった。


心の底から笑えることを探すことが ''豊かに生きる'' こと。


まさか妖怪に説教をされるなんて、夢にも思ってなかった。

祖父ももしかしたらこんなふうに妖怪にいろいろ教わってたのかな。


「それじゃ、彩ちゃんを笑わせちゃおうか。今日の演目は、芝浜です。始まり始まりー」


「え、落語?」


「おや、落語はお嫌いかい?」


「いや、そうじゃなくて、今どき落語って」


「あ、笑ったね。くわっはっはっはっは!」


自然と笑ってしまっていた。

心の底から笑うってこんなに気持ちいいんだ。


私は空が赤くなるまでエミワララの落語を聞いて、意味はわからないけど心の底から笑っていた。


帰り際、入口までヤマノムジナが送ってくれた。


「また来なさい。何かあっても何のなくても。

勘平のことも沢山話したいからな。」


「うん、ありがとう。また来るね。」


そう言って私は自転車を漕ぎだした。



家に帰るとちょうど夕飯の支度ができたところだった。

今日はカレーライスだ。


「いただきます。」


カレーライスも凄く美味しい。

ファミレスのカレーなんて比にならない。

何をしたらこんなに美味しくできるんだろう。


カレーライスの出来に満足したのか、笑顔で食べる祖母を見てるとふとヤマノムジナとエミワララにしきりに「勘平に似ている」と言われたことを思い出した。


「あの、私とおじいちゃんって、似てましたか?」


「そうねえ。」


祖母は少し考えてから答えた。


「無表情でなかなか感情がわからない、でもその奥にはちゃんと人間らしい温もりが残ってる。そういう所はそっくりね。」


そうなんだ。

本当に似てたんだ。


「彩ちゃん、何かあった?」


「え、どうしてですか。」


「なんだか今朝より随分表情が柔らかくなったから。」


「そうですね。」


森での出来事は話せない。

どう言うべきだろうか。

少し考えて、ぴったりな言葉が浮かんだ。

これだ。


「友達が、できました。」

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友成彩と森の妖怪 魚思十蘭南 @ranan5296

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