第12話 御礼

「宿泊施設は別館ですので一階へ」


 水島が必要最小限のやり取りしかしないのでエレベーター内は静まりかえっていた。だが、七瀬が水島を睨んでいた。片眉を釣り上げ、下から上へ『メンチ切る』状態。


(チンピラに絡まれてるみたいだ……)


 長身の水島は下から睨まれている現況を物ともしない。つまりガン無視だ。一瞥もくれない。七瀬が見えていないわけではないのだろうが、まるでそこには誰もいないかのような対応だ。というか対応していない。


 七瀬は彼の何が気に食わないのだろう。前髪か、前髪なのか?

 正直言って七瀬の顔が真に迫りすぎて怖かったので俺は窓の外を見ていた。俺は関係ないですよー、のスタンスだ。



「……」


 窓の外の光景に絶句した。


 エレベーターから、高いところから世界を見る。行きは面接のことで頭がいっぱいだったので気にも留めなかったが、ガラス張りのエレベーターはまざまざと現状を突きつけてくる。

 壁の外、特に北側は廃墟同然だ。遠くに見える街には綺麗に見えるところもあるようだが、逆に言うと遠くまで行かないと綺麗な街がない。


 人類滅亡はオーバーな表現でも警鐘を鳴らすための比喩でもなく、ただの事実なのだ。



「あ!」

「ん?」


 一階に到着する前にエレベーターが止まった。扉が開くと、顔を出したのはだいぶ絞られた様子の凛だった。顔面蒼白でデフォルメされたマスコットのようだ。なにより涙目。


「あー、あんたたち。話は終わったのね。水島さん、お疲れ様です」

「いえ、桜さんの方がお疲れのご様子で」


 水島は表情も変えずに言葉だけ心配の意を表した。凛は咄嗟に涙を拭ってエレベーターに乗る。


「社長との話は終わったのね。どうだった?」

「明日入社試験だってさ」

「そ。課長の予想通りか」

「それよりお前、大丈夫か?」


 ミノタウロスにやられた時よりぼろぼろだぞ、と凛を肘でつつく。実際は全然そんなことはないのだが、反発心で元気にならないかな、との思いだった。


「言い返す気力もないわ……」


(こりゃ重症だ)


 精神的にはミノタウロスにやられた時より参ってるらしい。


 エレベーターが一階に止まる。凛が最初に降りて、何も言わずにふらふらと歩いていった。危なっかしいことこの上ない。行き倒れそう。


「どっかに用事か?」

「今から罰として訓練所の掃除。明日の試験までにピカピカにしろってさ」


 吉野さんの入社試験のことですね、と水島が補足する。どうやら俺の入社試験は訓練所とやらで行うようなものらしい。

 その訓練所がどれいくらいの規模なのか知る由もないが、クタクタでボロボロの女の子が1人で掃除できる程度ではないはず。ガチのペナルティだ。


「骨折してるのに?」

「そんなのもう治ったわよ」


 呆れた、と肩を竦める凛。顔が腹立つ。


「は⁈ 嘘だろ⁈ 擦り傷でもこんな短時間で治らねぇぞ!」

「くあ〜〜……」

「無視した上にあくび⁈ 七瀬、あぁいう子どう思う⁈」

「本部に戻ったら治るって言ってたじゃん。まーた忘れちゃったの? バカだねー、ふふっ」

「お、覚えてますけど⁈」


 そんなやり取りをしている間に凛はツカツカと歩いていったのだが、急に立ち止まった。


「「??」」


 何事か、と吉野・九十九ペアが、揃って首を傾げる。何故か固まったままの凛がいきなり振り返ると、顔が真っ赤だった。それも羞恥の赤。一体何故?


「凛ちゃんどうしたの? 漏れた?」

「ちっがうわよ!」


 赤ん坊のようにキャッキャと喜んでいる七瀬。笑いのツボが小学生だ。改めてめちゃくちゃな女の子だと思う。


「課長に言われたから仕方なくなんだからね!」

「京子さんがなんだって?」

「……た、助けてくれて……ありがとう」

「!」


 別にお礼なんて求めていなかったし、自分が助けたかったから助けただけだ。なにより──


「ふむふむ、ホントはもっと早く言いたかったけど恥ずかしくて言い出せなかった、と。京子さんに背中を押してもらってラッキーというところですかな。どう思います、九十九博士?」

「ブヒヒ、美少女の羞恥に染まる顔、わては堪らんです。ブヒヒ」

「最低‼︎ 死んじゃえ、訳ありコンビ!」


 本当に最低だった。掛け値なしに最低だった。

 九十九博士が禿頭のカツラまで用意してブヒブヒ鳴いていたのはかなり引いたが、これくらいふざけてやらないと凛は羞恥で死ぬと思う。それにしても、『わて』って言ったか、この美少女様は。


 全くもうっ、と踵を返して早足に歩き出した凛。まさか凛からお礼を言われるとは思わなかった。だったら……


「神倉!」

「……なによ」


 仏頂面で振り向く凛の頬にはまだ赤が残っている。


「助けてくれてありがとう!」

「!」


 ──なにより、助けられたのは俺のほうだ。知らない部屋で目が覚めて、第二の人生が数分で幕を閉じるところだった。凛の登場がなければ享年ならぬ享分3分。悲しすぎて言葉もない。


「バカ」


 そう言って凛は罰を受けに行った。


「今の『バカ』のところ。めちゃくちゃ良い表情だったな〜。水島さん、ちゃんと撮れてる?」

「問題なく」

「おぉい! 盗撮してんじゃねぇ!」

「いやー、良いのが来る気配がしたんだよね〜」


 俺が叫んでる時に後ろでこそこそ話してる思ったら。睨んでいた癖に仲良しではないか。

 見せて見せて、と水島の端末を覗き込む七瀬。


「お、いいね〜」

「ホントに撮ってるよ! おまわりさん、この人ですー!」


 意外とノリの良い水島だった。

 まぁ確かに良い写真だ。こんなものどうするんだろう。バッチリ良いのが撮れてしまっている。


「現像して部屋に貼る」

「この話まだ続くのか……」

「思い出の品とか、地元に全部置いてきたから新しいのを作りたい」

「盗撮コレクション作ってどうすんだ、犯罪者め」

「18禁じゃないからいいじゃん!」

「デカイ声で18禁とか言ってんじゃねぇよ!」


 そこからまだ5分ほど問答が続くという地獄の時間を経て、幽霊少女が第二の生のアルバムが作りたいとか言い出したので止めることもできず、渋々許可したのだった。そもそも俺の許可が必要なのかは置いといて。


 そんなバカ騒ぎをしているのが祟ったのだろうか。俺たちを狙った魔獣の影が、すぐそこまで近づいていた。

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