第10話 焔のVermilion Eyes

 デルコスには表情を崩すことのないシルフィーヌの辰砂のような瞳に、なぜだか自分と同じものを感じていた。人間とは所詮感情に支配される生き物だ。時として法や秩序よりも尊ぶべき命題が与えられることがある。騎士としての任務を優先して掛け替えの無いものを失って以来、自分の心に渦巻く憎悪の念を抑えることができない。自分の中にこんなにもどす黒い感情が存在することなんてかつては想像だにできなかった。多分今の自分はエヲルの敵を撃つためならば何だってできる。誰からも名誉を称えられる事がなかろうと、吟遊詩人に悪の騎士として何世代にも渡って語り継がれることになろうとも、復讐は何よりも優先されるべき、果たさなければならない責務なのだ。それをこの女もまた背負っている。この女の細かい所作の一つ一つ、呼吸、わざとらしく生み出された隙が全てを物語っている。


「リュテリアの紅茶はあまりお気に召されませんでしたか?」


 二人の間に流れる空気に居辛さを感じたシルフィーヌは自分以上に仏頂面を続ける騎士に話しかけてみた。


「華奢な身体付きにも関わらず、動作に一切のブレがない。中身が筋肉で引き締まっている証左だ。でなければ少なからず不随意的に筋肉は細かく震えてしまうものだ。私は同じような体格の女性を存じておりますが、その女性は天下無双の二刀流の使い手でした。神がかった運足。一瞬の重心移動。レディ・サイレンは貴女の腕っぷしが強いと評されていたが、貴女は武術の達人だ。違いますか?」


「そんなことでずっと渋い顔をされていたのですか?」


 シルフィーヌは思わず少し表情を和らげた。微かに笑みが溢れる。この男はずっと私を値踏みしていたのか。


「さすが騎士殿の慧眼お見事、と申し上げたいところですが、残念ながらそれほどの腕前ではございませんよ。かつては高みを目指したこともありましたが、高みを目指せば目指すほどより強い絶望となって跳ね返ってきました。ままならぬものです」


「確かに、ままならぬものですね」


 デルコスはそう返しながらも、シルフィーヌの弁が事実ではないことを直感的に看破していた。この女は一日も鍛錬の手を休めたことはない。今も高みを目指している真っ最中だ。間違いなく自分より強い。


 二人の間に再び張り詰めた空気が漂う。デルコスもその空気を嫌ってようやく白磁のティーカップを口元に運んだ。その時、思っていたよりも早くレディ・サイレンとアンセロッドが部屋に戻ってきた。アンセロッドは呼吸が酷く乱れている。魔法についてはまるで専門外だが、この半刻ちょっとのうちに一体何が起こったのだろう。


「デルコス卿、アンセロッドは初めての経験に少々精神を疲弊しています。マナ酔いも起こしています。休息が必要です。次回のレッスンまで一週間空けましょう」


「レディ・サイレン、私は大丈夫です! それよりももっと早く学びたい!」


 アンセロッドは必死に虚勢を貼った。依然として興奮していた。早く真髄を得たい。あの万能の力を操りたい。一度触れたら収まることの無い渇望に支配されていた。


「アンセロッド、今焦る必要はありません。いえ、焦ってはなりません。基礎はゆっくりと丁寧に学んだ方が良いでしょう。こうして時間を取れるのはエルディン公が次の一手を打つまでの束の間の期間しかないかもしれません。今となっては魔術の基礎から学ぶ機会はそう多くはありません。今のうちに徹底的に仕込みますから」


 レディ・サイレンからそのように説明を受けると、アンセロッドには反論の余地は残されていなかった。


「さぁ、デルコス卿、アンセロッドを連れ帰ってください。彼女は疲れています。今はゆっくりと休息させてください。思っている以上に心は消耗するものです。彼女のことは私が責任を持ちます」


「行きましょう。アンセロッド」


 デルコスはアンセロッドの身を預かって帰路へと促した。そうだ、レディ・サイレンの言っていることは正しい。思っている以上にエヲルの死は私たちの心を蝕んでいる。そしてこの黒い感情と同質のものをシルフィーヌとレディ・サイレンも秘めている。そう確信している。アレリオンには全てが見えているのだろうか。私たちとレディ・サイレンとの利害が一致しているという事が。彼なら私たちの復讐心さえ手玉に取るだろう。だとしても私は彼に身を任す。復讐のためならばどこまでも黒く染まることができる。

 デルコスはまさか自分とアレリオンとの相性がここまで良いとは露程も思っていなかった。そのことに気がつき驚くとともに、彼が味方でいることが内心頼もしく思えてきた。あの日、ゼパム投げで熱くなった自分を確かに彼は手玉に取っていた。己の未熟さを冷静に省みれるようになった自分は今よりもさらに強くなれるはずだ。何者にもアンセロッドを傷付けさせない。エヲルの仇を撃つ。私の中でこの二つがブレることはない。


 デルコスがアンセロッドを連れて館を去ると、サイレンはシルフィーヌの入れた紅茶で一息入れることにした。まさかエクスタシスでいきなり恐怖公の座標を探知し始めるとは。サイレンにもさすがに予想外だった。やはり私の制御下に置いて正解だった。


「あのデルコスという騎士も侮れませんね。ずっと私の動きを監視していましたよ。まるで臨戦態勢でした。自分の方が実力に劣ることを理解していながらも、何かあれば差し違える覚悟を持っていました。あのような人間は決して侮ってはなりません」


 シルフィーヌがレディ・サイレンに告げる。


「彼は確かエヲルと行動を共にしていましたね。エヲルは惜しいことをしました。あの娘の剣術に触れていたのであれば、か細い腕をした女性が実は武術の達人であることを見抜くことも可能でしょう。あなたはエヲルと戦ったら勝てますか?」


 レディ・サイレンからのやや挑発的な問いかけにシルフィーヌは一瞬沈黙した。頭の中でエヲルとの戦闘をシミュレーションしてみる。


「お互い相性が悪いのですぐには勝負は付かないでしょう。そうなると体力に勝る私が有利です。私が勝ちます」


 シルフィーヌの言は自信に満ち溢れていた。エヲルは決定的な弱点を持っている。それは彼女自身が切り札を持っていないことだ。切り札を習得するにはまだ若過ぎた。身体能力には目を見張るものがあったが、剣鬼には遠く及ばない。だがもしあの時エヲルがラスゲイルの追撃を振り切っていたならば? 今この場にいるのは私ではなく彼女の方だったかもしれない。


「やはりエルディンに移って良かった。リュテリアからの紅茶の関税は個人輸入に限っては下げて頂くようエルディン公に直訴しましょう」


 レディ・サイレンは静かに笑う。アンセロッドの素質を目の当たりにしてレディ・サイレン自身もやや高揚しているようだった。続々と手札のカードが揃ってきている。彼女の手の中に吸い寄せられていくかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王と賭博師のウォーゲーム 貴舟塔子 @fiezerald

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ