放っておいて

宮古遠

放っておいて

 

 

     1



「―――開けてください」


 目覚めると、僕の元へ《通知者》たちがやってきた。

 すがすがしい青空の朝のことだ。


「大人しく出てきてもらわないと、然るべき処置をとることになりますよ?」


 ドンドンドンと、《通知者》は乱暴に、アパートの玄関を叩き続けている。

 僕はただ、怯えていた。


「なぜ僕なんです」


 僕が叫ぶと、《通知者》は低い声で云った。


「法律です」


 法律? 

 だからって何故、死ななきゃならない。


「潔く諦めましょう。楽んなりましょうよ。パッと」


 《通知者》が優しく、僕に語りかける。

 声色を替えたって無駄だ。僕は絶対に、お前たちのいいなりになんかならない。

 死んでたまるか。


「帰ってくれ」


 僕は云った。


「仕方ない」


 途端、銃を持った《通知者》が、ドアを蹴破り、僕の部屋へと飛び込んだ。

 僕は一思いに、包丁で《通知者》の腕を裂いた。


「あっ」


 《通知者》が怯む。ドアの真横に僕が潜んでいるとは、思わなかったらしい。

 僕の感覚は恐ろしい程、研ぎ澄まされていた。なんでも上手くゆく自信があった。

 実際その通りだった。

 その《通知者》は老いていた。

 腕を裂かれ、銃を落とした。

 運も僕に味方した。

 咄嗟に僕は、しゃがみ込む《通知者》の首を突いた。

 鮮血が、波紋となって辺りに飛び散る。


「ぐえ」


 あっけない。なんだ。

 僕がこんな抵抗をするとは、思ってもみなかったのか。

 それとも、たくさん死を与えるうちに、慣れっこになったのか。

 なんにしても都合がよかった。


「う、うっ」


 もう一人の《通知者》は、目の前で仲間が死んだために、酷く動揺していた。

 青年だった。


「うああああっ」


 僕は叫びながら、怯む《通知者》に突っ込んだ。

 銃弾が僕の頬を掠める。

 僕たちは、アパートの前でもつれ合った。

 必死に。必死に。

 僕は必死に死と戦った。

 挙句、僕は《通知者》へ馬乗りになった。


「やめてくれ」


 青年が叫んだ。

 聞こえなかった。

 僕は錆びた包丁で、何度も何度も、《通知者》の腹を抉った。


「うっ、ぐげく、ぅえ」


 《通知者》は、何回かびくつきながら呻いた後、全く動かなくなった。


「逃げよう」


 こうして僕は、人を殺して『間引き』を脱した。

 僕も含め、何もかもが恐ろしいと気付いたのは、暫く後、こびり付く血を見た時だった。

 しかし結局、僕は直ぐに追いつめられた。

 気付くと僕は、冷たく生臭い暗渠の中を走っていた。

 僕の後ろを、沢山の《通知者》が追ってくる。

 銃声が沢山、僕にぶち当たった。

 僕は膿みたいな下水へ落ち、そしてどこかへ流れていった。

 抵抗の果ての無惨な死を、感じながら。



     2



 目覚めると、僕は沢山の、薄汚れた老人に囲まれていた。


「心配することはない。《傘の使者》よ」


 『老人の楽園』の長は云った。

 長から話を聞いて判ったことは、僕はあの、頭上高くそびえる、亀の甲羅みたいな模様のきのこ傘から、突然落ちてきたらしい。

 それ故か、老人たちは僕を、《傘の使者》と思っているらしかった。

 僕は心底疲れ切っていたので、それを否定しなかった。

 その後、傷の治った僕は、老人たちに恩返ししようと尽くした。

 だが、暫く過ごすうち、僕は楽園の異様さを知った。

 彼らは何もかもを敬い、何もかもをありがたいものとして禁じた。本能的な生殖行動は、悪魔を産み出す悪行とされ、感情の揺れ動く発露そのものを、老後安息の妨げと認識した。

 彼らは何よりも、終わりゆく命、滅び死を受け入れる準備を大切にした。

 それは楽園へ棲む全てのものの『戒律』だった。

 先日、ある老夫妻が火炙りになった。禁忌を破り、情交に至ったのだ。


「君らは狂っている」


 焼かれる老人は云った。

 彼らはそうして、穢れ、焼けた肉を、何事も無かったかのように貪り喰った。

 僕も食べた。酸っぱい挽き肉だった。

 誰も見ぬ間に吐きだし、僕は泣いた。

 訳が分からなくなった。

 殺されるのはゴメンだった。だから必死に尽くして、働いた。

 然し、そのうち老人たちは、僕の働くことを良しとして、行動の何もかもにつけ込んで、仕事の全てを僕に押しつけた。仕事以外に、身の回りの様々な小さい事柄を、僕に義務として奉仕させ始めた。それは僕が、この楽園で一番の『若者』だったことも関係していた。次第に眠る暇も無くなった。

 こうして僕は堪えられなくなり、老人たちの寝静まる晩、『老人の楽園』を逃げ出した。


「《傘の使者》よ。どこへゆく」


 結局こうなった。松明を持った老人たちが、半狂乱に、半ば裸体になって、しわしわの肉体を振り回しながら、僕を追いかけてくる。


「《使者》を逃がすな。捕まえろ」


 捕まれば喰われる。酸っぱい挽き肉になる。

 それだけは御免だ。

 老人たちは永遠と僕を追いかけてきた。が、そのうち一人、また一人と、身体を震わせ倒れていった。

 そして全ての老人が野垂れ死んだ。


「ざまあみろ」


 僕は振り返り叫んだ。

 途端、足を踏み外した。

 世界が平らだと知ったのは、このときだった。



     3



 目覚めると、僕は真っ白な、よくわからない部屋にいた。部屋の真ん中に、半畳が四枚敷き詰められ、ちゃぶ台が据えられている。その前に、髪も口髭も顎髭も眉毛も耳毛も、何もかもが白くて長い、もつれたモップじみた老人が一人、茶を啜り、座っていた。


「いらっしゃい。まあこちらへ」


 老人は僕に、ちゃぶ台の前へ座るよう云った。

 訳も判らず、僕は応じた。


「あなたは」

「神様です」


 老人―――神様は、急須へお茶っぱを入れ、電気ポットのお湯を注ぐと、熱いお茶を湯飲みへいれ、僕に差し出す。菓子器には沢山の煎餅が詰まっていた。

 僕はふうふうと息を吹きかけ、茶を啜った。

 少し落ち着いた。

 だが一体、何者だろう。

 そうした疑問を見抜いたのか、神様は僕を見て、苦く笑った。


「信じられぬようですな。では、証拠をお見せしましょう」


 神様は手を開き、僕の前にある模型を浮かべた。


「これが貴方のいた世界です」


 それは確かに、あの日『老人の楽園』から見上げた、甲羅みたいな傘のキノコだった。平べったい世界の真ん中で、無表情に聳えている。

 神様は云った。


「ここは大変な世界です。戦争の後、人間はみんな、この甲羅の中に籠もりました。でも、維持が大変です。ですからヒトを、定期的に『間引く』のです。それを逃れても、今度は下の世界です。そこには汚染世界を生き延びた老人たちが住みますが、恵まれぬ子が産まれます。静かな圧力と強行なる善意が支配する社会です」


 フガフガと、色々を喋りながら、神様は醤油臭い煎餅を手にした。


「食べます? お煎餅」

「頂きます」


 こうして僕と神様は、煎餅を肴に、熱い茶を啜りながら、他の色々な形の世界を鑑賞した。丸いの、四角いの、糸みたいなの、半透明の、たくさんあった。


「私は試しに、君たちの世界を平面にしたり、他にも、球状の世界にしたり、色々試しました。そうして、物事が上手く運ぶようにと、色々な決まりを定めたり、知恵を与えたりしたのですが、結局、どれも上手くゆきません。皆、初めは私の決めた通りに、決まりを守って動いてくれるのです。然しそのうち、抜け道を見つけたり、別方向からの解釈を行って枝分かれたり、幅を広げたり、逆に狭めたり、何かを足したりするのです。それ自体はいいのですが、結局その所為で、同じはずの決まりが別々になって、つぶし合おうと、争いが起こるのです。どうにか正しく戻そうと、手を加えても駄目です。だから約束事を定めない世界も創ってみました。私の思いつかない、独自の決まりが生じましたが、一番酷い世界でしたよ」


 神様は、少し悲しそうな顔で、笑った。


「私はどうしても、何度やっても、世界を上手く創り出すことができないのです。でも、要領も、混ぜ込む鉱物も、環境も、間違っていない筈なのです。ありとあらゆる準備を整えた筈です。なのに、なのにどうして、いっつもこんな事に、なるのでしょう。いったいどうすれば、よいのでしょう」


 そして神様は云った。


「なぜこうなったと思います?」


 僕は少し黙った。そうして少し考えた後、ゆっくりと、無責任にもこう云った。


「どうにかしようと思うから、こんなことが起こるのではありませんか?」


 神様は黙った。


「どうにかしようと、なにか、彼らの為にしようと思って、頑張るけれど、結局それは自分にとって苦しい事だから、失敗するんじゃありませんか? 失敗と思うんじゃありませんか?」

「失敗、ではないと」

「どうにかしようとしないでくださいよ。勝手にしてくださいよ。好きにしてくださいよ。放っておいてくださいよ」


 すると神様は笑った。


「わかりました。じゃあこれからは、手助けしない事にします。ありのままを楽しんで、見捨てます」

「そうしてください」

「ありがとう。なんだかスッキリしました」


 こうして僕と神様は、ちゃぶ台越しに握手を交わした。


「じゃ、そゆことで」


 途端、僕の下の畳がぱかっと割れ、僕は落ちていった。


「さようならぁ」


 神様の声が頭上で響いて、ぼやけてゆく。

 意識が途絶える。



     4



「―――開けてください」


 目覚めると、僕の元へ《通知者》たちがやってきた。

 すがすがしい青空の朝のことだ。


「大人しく出てきてもらわないと、然るべき処置をとることになりますよ?」


 ドンドンドンと、《通知者》は乱暴に、アパートの玄関を叩き続けている。

 僕はただ、怯えていた。


「何故、僕なんです」


 僕が叫ぶと、《通知者》は低い声で云った。


「法律です」


 法律? 

 だからって何故、死ななきゃならない。


「潔く諦めましょう。楽んなりましょうよ。パッと」


 《通知者》が優しく、僕に語りかける。

 声色を替えたって無駄だ。僕は絶対に、お前たちのいいなりになんかならない。

 死んでたまるか。


「帰ってくれ」


 僕は云った。

 途端、《通知者》が扉を蹴破り、飛び込んできた。


「そんな訳いくか! ここは私らのアパートだ! 家賃払えこのグズ!」


 僕は誠心誠意、大家さんに土下座をした。

 そして云った。


「申し訳ありません。明日にはきっと払いますから。ですから、ですどうか、お許しを。………………」


 どうにかしなければ。






   了



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放っておいて 宮古遠 @miyako_oti

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