欲望

黒百合咲夜

欲望

「じゃあ、行ってくるね」


 夫婦に挨拶をして出かける娘。そんな彼女を、若い夫婦は微笑ましく送り出す。

 夫婦の娘は、これから遠くの町に出稼ぎに出掛ける。そんな娘を心配して、夫婦はこうして玄関まで見送りにやって来た。


「気を付けてな」

「悪い男なんかに騙されるんじゃないよ」

「心配しなくても大丈夫だよ。じゃあ、行ってくる!」


 元気一杯に笑顔で出掛けていく娘。その後ろ姿が見えなくなるまで、夫婦は手を振って見送っていた。


 やがて夫婦は、娘が帰ってくるまでと思って宿屋を経営し始めた。夫婦が住んでいるのは、宿のない小さな村だった。大きな町から町への中継地点。

 だから、夫婦の宿屋を多くの旅人が訪れる。他に休むところがないから当然だ。

 ある時、とても裕福な商人が夫婦の宿屋に泊まった。その商人は、とても楽しそうに夫婦と話して眠りについたが、翌朝、死んでいる状態で発見された。病死だった。

 商人の遺体を発見した妻は、驚いて夫を呼びにいく。


「あんたっ! お客さんが死んでるよ!」

「えっ!? ……本当だ」


 夫婦は困り、どうしようかと相談する。だが、やがて二人はとある物を見つけた。

 それは、商人が肌身離さず持っていた財布だった。パンパンに膨らんでいて、相当な重量があるように思える。

 妻が恐る恐る財布を開けてみると、中には金貨がギッシリと詰まっていた。村で暮らしていた二人は、今まで見たこともないような大金の輝きに目を輝かせる。

 そして、ある恐ろしい事を考えてしまった。


「この人を、近くの森に棄ててしまおう。きっと狼が片付けてくれる」

「ええ、そうね。それから、このお金はもらってしまいましょう」

「それから、お金を持っていそうな旅人も殺して金をもらってしまおう」


 何しろ、二人が住んでいるのは辺境にある村だ。村人たちは旅人が泊まっていることも知らない場合が多いし、町からも遠いから憲兵を送られる可能性も低い。きっと、事故死で片付けられてしまうだろう。

 それから、夫婦はお金を持っていそうな旅人が泊まる度、その旅人を殺して金品を強奪し、死体は近くの森に放り捨てて狼たちの餌にするという残虐な行為を繰り返していた。

 すべて二人の思うがままで、金に目が眩んだ夫婦を止める者は誰もいない。

 こうして、近くの町では行方不明者の数だけが増え続ける奇怪な事態となってしまっていた。


 そしてある日、いつものように旅人を殺して金品を奪った後に、扉を叩く音がした。


「今日はもういいけどな……」

「お引き取り願う?」

「……ううん。絞殺にしたから、血の臭いはしないだろう。だが、念のために空いている部屋に泊まってもらおう」


 夫の提案に賛成し、妻が扉を開く。そこに立っていたのは、若い女性だった。

 女性が立派な服を着て、たくさんの荷物を抱えているのを見た妻は、目の色と態度を変えて宿の中に誘導する。


「いらっしゃいませお嬢様!」


 妻の声に反応して、夫も奥から顔を覗かせた。この二人、お客の女性の顔なんてほとんど見ていない。重そうな荷物にばかり視線を送っていた。

 夫が女性の荷物を預かり、妻が部屋へと案内する。


「え? えと、あれ?」


 女性は少し戸惑ってはいたが、すぐに慣れて妻に付いていく。


「だね。今日は疲れてるから、また明日にでもいろいろと」

「ええ。どうぞどうぞ。ごゆっくりおやすみくださいね」


 女性は、手慣れた様子で布団を敷いて、静かに眠りについた。すぅすぅという寝息が聞こえてくる。

 夫は、預かった荷物を見て邪悪な笑顔を浮かべた。それに合わせるように、妻も不気味な笑みを漏らす。


「遠くから来た人だね。ほらご覧。家族へのお土産がこんなに」

「ヒッヒッヒ。ここに泊まってしまったことが運の尽きだね。お金もたくさん持っていそうだ」


 二人は、早速用意を始める。台所で包丁と薬品を手にすると、女性がいる部屋に向けて廊下を歩いていく。

 真っ赤な月光が包丁を不気味に照らし、ギシギシと廊下が音をたてる。

 やがて、二人はゆっくりと女性がいる部屋の障子を開けた。気持ち良さそうに眠っている女性に近づく。

 部屋にあった布に薬品を染み込ませる。薬品が染み込んだ布を夫が持ち、女性の頭側に回った。

 妻が包丁を胸の前に構え、準備を終える。そのタイミングを見計らって、夫が布を女性の口元に押し当てた。

 突然の出来事に女性は跳ね起きるが、薬品で意識が朦朧としている上に夫に羽交い締めにされたのだから抵抗できない。

 妻が包丁を突き出す。その先端は、狙いを外すことなく女性の心臓に達した。


「ど……て……」

「許してくださいね。これも娘のためなんで」

「……ぉ……かぁ……ん」


 血を吐き、血涙を流して倒れる女性。夫婦は、女性が完全に事切れたことを確認した。

 それから、夫婦は女性の荷物を漁り始める。大量に詰まった土産物もそうだが、まずは金だ。

 荷物を漁る妻の手に、布のようなものに包まれた硬い物の感触があった。嬉々としてそれを取り出す。

 だが、取り出されたそれを見た二人は、驚いてその場でひっくり返ってしまった。


「どどど……どうしてこの財布がここに!?」

「これは、娘が持っていた財布じゃないか!」


 二人は、ここでようやく先ほど殺してしまった女性の顔を確認する。


「「私たちの娘だよ!」」


 顔の半分を血で赤く染め、ピクリとも動かなくなった冷たい娘の体を、二人は必死で抱きしめる。


「おかえり! 土産を持って帰ってきたんだね」

「向こうではどうだった? 話を聞かせておくれよ……」


 何滴かの水が娘の顔に落ちる。それでも、娘が目を開くことはない。


「ただいまを聞いてない……ただいまと言ってくれよ……」

「うぅ……ごめんね。ごめんね…!」


 夫婦は、娘の亡骸を抱きしめたまま家を出た。それから、思い出話を聞くように道を歩いていく。

 その後、夫婦の姿を見たものは誰もいなかった。

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