『すき』のすれ違い

しましま

幼馴染と家族

 いつもの帰り道、鈴奈はふと足を止めた。

 隣を歩いていた陽太も立ち止まる。


「どうかした、すず?」


 俯いていた顔を覗き込むと、ううん……なんでもない、と鈴奈は小さく首を振った。

 しかし、揺れたショートカットの隙間に見えたのは、鈴奈のなんでもなくない表情だった。



 陽太と鈴奈は幼馴染で、小中高と同じ学校同じクラスに通っている。

 明るく笑顔が絶えず、少し天然で、ひいき目なしにも可愛い鈴奈と、人が良い意外にたいした取り柄のない陽太。

 仲の良い二人は喧嘩をしたこともなく、今日も登下校を共にしていた。



 いつだって明るい鈴奈の、明るくない表情。

 何かに悩んでいるようなその表情に、陽太はとても心配になる。

 ……なんでもないって……幼馴染を舐めすぎだ。

 陽太は心の中で呟いて、足早に帰ろうとした鈴奈の腕を掴んだ。


「すず、少し寄り道しない?」


 道路の反対側にあった公園を指差すと、うん、と鈴奈は小さく頷いた。

 鈴奈の華奢な腕を引いて、ゆっくりと歩を進める。

 横断歩道を渡り、公園に入ると、靴底をかじる砂利の音がした。



 二人並んでブランコに腰掛ける。

 沈みかけの太陽が木の葉を照らし、静かな公園をほのかな秋の色に染めていた。

 砂場や遊具で遊んでいたちびっ子たちも、鐘の音の余韻と共に公園から去っていった。


 辺りに誰もいなくなってから、陽太はポツリと声を出した。


「……すず、なにかあったの?」


 自分で良ければ相談に乗る、と言いながら、陽太は軽く地面を蹴る。

 小さくブランコが揺れて、金具の軋む音がした。

 鈴奈は少しの間なにも言わなかったが、やがて制服のポケットをごそごそと漁り出した。


「…………実はね、これなんだけど……」


「えっ……?」


 陽太は目を丸くして、小さく声をもらした。

 鈴奈が取り出したのは白い封筒だった。

 青いシールが貼ってあるだけの簡素なものだったが、陽太はそれがラブレターであるとすぐに悟った。


 紅潮した頬に、恥ずかしげな表情。

 何もかも鈴奈の表情が物語っていた。


「すずはやっぱりモテるんだね」


「そ、そんなんじゃないよ……」


 モテない側の陽太からすると少し羨ましくも感じたが、相手が鈴奈なだけに寂しさの方が大きかった。


 ぎこちない笑みを浮かべる陽太に、鈴奈がスッと手紙を差し出す。


「ねぇ、ようちゃん、あけてみてよ」


「え? いや、なんでさ。自分であけなよ」


「いいから、早く」


 押しつけるように手紙を渡し、鈴奈は小さくブランコを漕ぎ始めた。

 なんで他人宛てのラブレターを、と思いつつも、鈴奈にこれを渡した人物が気になり、


「……しかたないなぁ」


 と、陽太は受け取った手紙を見つめた。

 頭の中をいろんな人の顔が駆けまわり、少ししてから、意を決して雲形のシールを剥がしにかかる。



 封を開けて便箋を取り出す。

 綺麗な二つ折りを開くと、


『すき』


 の二文字。

 ラブレターにしては簡単で短かな言葉だが、ロマンチックなことをする奴だなぁ、と陽太は感心した。


 それに反して、思うところもあった。


 この先も一緒に高校を卒業して、一緒の大学に行って、社会人になってからもなんだかんだで一緒にいる。

 そう思っていた陽太は、今までずっとそばに居たはずの幼馴染が急に遠くに離れていくみたいで、少し寂しく感じた。



 しばらく無言で手紙を見つめていた陽太に、鈴奈が声をかけた。


「……ようちゃん? あ、あのさ、どう思う……かな?」


「そ、そうだなぁ……」


 恥ずかしそうに鈴奈は微笑む鈴奈に、陽太はなんと言葉を返していいかわからなかった。

 恋愛経験など塵ほどもない陽太には、あまりに難しすぎた。


「……すずの思うようにしたらいいんじゃない? 僕から言えることなんて、ほとんどないよ」


 とりあえず当たり障りのない回答をしたつもりだったが、


「………………え?」

 

 と、鈴奈はキョトンとした表情を浮かべた。

 そのまま、目をパチパチさせながら陽太を見つめる。

 陽太が首を傾げていると、やがて諦めたように鈴奈は小さくため息を漏らした。


「ねえ、ようちゃん……それ、何かわかってるよね?」


 鈴奈は手紙を指差す。


「そりゃラブレターでしょ。さすがにわかってるよ」


「はぁ……やっぱりわかってないよ」


 馬鹿にするなよと笑う陽太に、なぜか鈴奈はムッとした表情を浮かべた。


「これラブレターなんだよ? 本当に何も言うことないの?」


「言うことって…………まぁそうだな、なんだか少しだけ寂しいってぐらいかな」


「寂しいって、ああもう、そうじゃなくてさぁ!」


 声を荒らげる鈴奈だったが、陽太にはその意味を汲み取ることはできなかった。

 そんな陽太に、鈴奈は潤んだ瞳で弱々しい声で言った。


「……私の気持ち、少しぐらい理解してよ……」


 悲しそうな表情の鈴奈を見ても、陽太は依然としてどうしたら良いのかわからなかった。


 そもそも陽太は恋愛なんてしたことがないのだ。

 あるとすれば、遥か昔、幼稚園の頃ぐらい。

 そんな陽太に、他人の恋情をわかれと言う方が無理なのである。



 あれこれ考えても答えが出ず、陽太はぐったりと肩を落とした。

 そして、そう言えば今日の昼休みも……と、学校での出来事も思い出し、小さなため息がもれた。




『ねえねえ陽太くん。良かったら一緒にお昼食べない?』


 親友の雄也と喋っていた陽太に声をかけたのは、クラスメイトの西条さんだった。

 西条さんは、茶髪混じりのツインテールを揺らしながら、ニコニコと笑っていた。


『おお、陽太、良かったじゃんか』


 雄也がすかさず茶化しにかかる。


『お前にもついに春が来たんだな』


『もう、新山くんってば、そんなんじゃないよぉ』


 チラッと西条さんが陽太に目を向ける。

 適当に読んだような話し方と、時折り目配せし合う二人の様子は、誰がどう見ても演技だと分かる。

 もっと言えば、西条さんが陽太に気があることも分かってしまう。


 にも関わらず、陽太は二人の迫真の演技には気づかなかった。

 そして、


『いやー、昼休みはいつもみんなでご飯食べてるんだよ。良ければ西条さんも一緒に食べる?』


 陽太は無意識に退けてしまうのだった。


『おい、陽太……お前なぁ』


『ん? お前だって一緒に食べてんじゃん』


『そうじゃなくてだなぁ。はぁ……もういいや。ごめんね、西条さん。僕にはこれが限界だよ』


 雄也が苦笑いを浮かべて謝ると、うん……そっか、ごめんね、と作り笑いを浮かべて西条さんは足早に去っていった。


『どうしたんだろね、西条さん』


『はぁ…………』


 西条さんが教室から出たのを確認してから、雄也は陽太の両方をガッチリと掴んだ。


『お前さ、それ本気でやってるの?』


『何がだよ? ってかどうしたんだよ急に』


『……鈍感なのはいいけどさ、そろそろ気付かないといけない時期だと思うぞ? 全部わかれなんて言わないから、少しは他人の気持ちに気づく努力をしてみろよ』


 そう言うと雄也は肩から手を離し、西条さんが去っていった方に走っていった。





 雄也の言葉と鈴奈の言葉が頭の中で重なる。


『気持ちを理解しろ』

『気持ちに気づけ』


 どうしても難しい。

 特に、恋心なんてのはまるで理解できない。


 そう感じるのは、きっと陽太自身が恋をしたことがないからだ。


 もう一度、陽太は手紙に目を落とした。


 綺麗に、丁寧に書かれた『すき』の二文字。

 どこか丸っこくて柔らかくて、優しさを感じる。


 まるで鈴奈が書いたような…………。



 陽太は目を擦って、もう一度じっくりとその二文字を見つめた。



「ーーねえ、ようちゃん」


 真剣にも虚にも見える瞳が陽太を見つめる。


「私って、ようちゃんのなに?」


 陽太はその瞳を真正面から受け止め、返す言葉を探した。


「…………すずは僕の幼馴染……ううん、家族だよ」


「……そっか……そうなんだね。ようちゃんにとっての私って、家族だったんだね」


 はにかんだような鈴奈の表情が、陽太には一瞬だけ空虚に見えた。


「そうだよ。すずは僕の家族。大切なーー」



「ーー違うよ」


 突然、陽太の言葉は鈴奈の声によって遮られた。

 鈴奈は今にも泣き出しそうな声をあげる。


「私はようちゃんの家族じゃない」


「いや、でもーー」


「……それじゃあ嫌なんだよ、ようちゃん…………」


 鈴奈の瞳から、ほんのひと雫の涙がこぼれ落ちたのを、陽太は見逃さなかった。


「すず……」


 その瞳に手を伸ばしかけて、途中でやめる。

 鈴奈の言葉は、鈴奈の気持ちは、陽太が思っているほど軽いものではない。

 初めて見た鈴奈の泣き顔が、陽太にそれを教えた。


 謝るのは違う、励ますのも違う、ただ鈴奈が一番欲しい言葉をかけてあげればいい。

 心ではわかっていても、肝心の言葉が出てこない。


 鈴奈がくれたラブレター。

 そこに書かれた『すき』の二文字。

 恥ずかしそうな表情に、真剣な瞳。

 家族じゃないという言葉。


 これだけ並べられれば、いくら鈍感な陽太だって気づく。

 いや、そうじゃない。


 鈴奈に好かれていることを陽太は最初から知っていた。

 陽太も同じように、鈴奈のことが好きなのだ。


 でも、だからこそわからなかった。

 この手紙に書かれている鈴奈の『すき』と、自分の『好き』は違うものだと感じたから。



 薄く光り出しつつある三日月を眺めている鈴奈に、陽太はスッと息を吐き出すように言った。


「ーーすず、好きだよ」


 一瞬だけピクッと反応したものの、すぐに鈴奈は悲しげな顔になった。


「……うん、知ってる、知ってるよ。でもーー」


「でも、すずの好きとは違う……と思う」

 

 言いながら、陽太はバッグから財布を取り出す。

 そして、中から小さな布袋を取って、鈴奈に見せた。


「……あ、それ……」


「このお守り、すずは覚えてる?」


「うん、覚えてる。懐かしいね。幼稚園の頃だったっけ」


 ようやく鈴奈が優しい笑みを見せたことと、ちゃんと覚えていたことに、陽太もちょっぴり安堵する。


「じゃあさ、このお守りをくれた時に言ってたことは覚えてる?」


「え? それは…………」


「すずはさ、『これからもずっといっしょだよ』って言ってたんだよ」


 懐かしい思い出を頭に描きながら、陽太はお守りの口を開ける。

 中から出てきたのは、一枚の紙だった。

 所々が色あせたその紙は、幾重にも綺麗に折り畳まれていた。


「懐かしいよね、この絵」


「あ……その絵…………」


 幼稚園児の落書きのような、男の子と女の子が手を繋いでいる絵。

 男の子は黒い服で、女の子はピンクのドレスだった。

 周りに描かれた指輪やお花の絵も、幼い鈴奈が結婚というものを想像して描いたのだろう。


 鈴奈はあの日のことを忘れているかもしれないけれど、陽太はハッキリと覚えていた。


『すずはようちゃんとけっこんする!』


『ねえようちゃん。けっこんするとね、かぞくになれるんだよ!』


 無邪気な鈴奈がくれた言葉が、次々と頭に溢れ出る。

 鈴奈はありあまる程の大好きをくれた。


『はい、ようちゃん。これあげるね!』


『このおまもりはね、すずとようちゃんがかぞくのしるしだよ!』


『これからもずっといっしょだよ、ようちゃん!』


 鈴奈の笑顔は忘れもしない。

 そしてまた、鈴奈の想いに限りない嬉しさを感じていたことも忘れていない。


 あの日、鈴奈がくれたお守りと絵を、陽太は毎日持ち歩いていた。

 結婚する約束も家族になることも、今では幼い時分の思い出にすぎない。

 でも、互いのことは家族のように好きあっていると、陽太は信じていた。


 だから、改めて伝えられた『すき』が何を意味しているのか、陽太にはわからなかった。


「ねえ、すず。僕たちはさ、幼馴染でも家族でもあると思う」


「……私はようちゃんと家族になりたい……。だから、ようちゃんと…………」


 言いかけて、鈴奈は言葉を止めた。

 深く息を吸って、吐いて、ついに鈴奈は始まりの言葉を告げた。


「ーーようちゃん、私はようちゃんと家族になりたいから、ようちゃんの家族をやめる」


 そっか、と陽太は真剣な表情を返す。


「ようちゃんと私は、今からただの幼馴染。だから、ちゃんと受け取ってほしいの、私の気持ち」


 月明かりが細やかに二人を照らし、宵闇の公園にひと時の静けさをもたらす。


「私はようちゃんがすき! ようちゃんの恋人になりたい! 恋人としてお話ししたい! 恋人として隣を歩きたい! 恋人として一緒にいたい!!」


 静けさを打ち破る声は、陽太に確実に想いを届けていく。


「笑い合ったり喧嘩したり、そうやって私たちはいつか家族になるの! 最初からゴールにいるなんて、私は嫌だ!!」


「…………」


 すぐには言葉が出ず、ただ、いてもたってもいられなかった陽太はブランコから立ち上がって、鈴奈と三日月の間に立ち塞がった。


「ーーすず、僕もすずがすきだよ」


 きっと、陽太の気持ちも鈴菜に伝わったのだろう。

 潤んだ瞳は僅かに震えていて、大粒の涙が頬を溢れさせていた。


 陽太は頬笑みながら、そんな鈴奈に手を差し出す。


「僕は鈍感だから、すずの気持ちをわかってあげられないかもしれない。隣を歩くのも、お話しするのも、一緒にいるのも、今までと変わらないかもしれない」


 陽太の差し出す手に、鈴奈は手を伸ばす。


「でも、すずと家族になりたいから……僕はすずと一緒にいる。笑い合ったり喧嘩したり、いつか本当の家族になるために、僕の恋人になってほしい」


 伸ばした手が陽太の手を優しく掴み、鈴奈は陽太を引っ張るようにして立ち上がる。

 そして、満面の笑みを涙に濡らしながら、


「うん、いつか家族になろうね、ようちゃん!」


 と、陽太に抱きついた。

 そのまま幾ばくの間、鈴奈は陽太の胸の中で嬉し涙を流し続けた。

 陽太も鈴奈の頭に頬をあて、ひっそりと涙をこぼしていた。



 それから少しの時が過ぎ、ほんのりと冷たい夜風に押されて、二人は夜の闇に包まれた公園を後にした。

 三日月の照らす下、並んで歩く二人の手はしっかりと握られ、今初めて、陽太と鈴奈はゴールへの第一歩を踏み出したのだった。

 

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『すき』のすれ違い しましま @hawk_tana

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