魔法少女は亡くなりました

天野蒼空

魔法少女は亡くなりました

どこに住んでもやりにくい。私は今住んでいるこの街をいつか出ていこうと思っていた。色のない世界。鉄筋コンクリート造りの古びた長方形の建物が不揃いに立っている。どんよりとした分厚い雲が空を覆い、この街を灰色に染め上げる。道行く人は少なく、人々の顔からは喜びとか笑いとかそう言った表情は消えた。そうして残ったのは悲しみとか寂しさとかそう言ったものだけ、通り吹く風は冷たく、肌を刺すようだ。悲しく廃れて行く私の街。




「ただいまー。」


ひっそりと静まり返った家の中。私には兄と父と母がいるが、皆働いている。だから私が帰ってきても誰もいない。机の上には書き置きとお菓子が置いてある。


「なになに…『おやつはこれを食べてね。帰りは遅くなります。夕食は適当に作って食べて下さい。』か。」


机の上のお菓子を、ボリボリ、むしゃむしゃと食べる。立ったまま食べるから多分誰かに見られたら「行儀が悪い」って怒られるけど、1人だから気にしない。

それから制服を脱ぎ捨てた。堅苦しいのは嫌いだ。


「夕食また1人かー。何にしようかな。」


何気なくつけたラジオからニュースが流れてきた。宿題を机の上に並べながら耳を傾ける。


「本日未明、魔法少女が亡くなりました。」


その一言を聞いたとき私は思った。もう奇跡なんて起こらないんだろうと。

そもそも魔法少女というのは奇跡を起こす存在。正確に言えば、使い魔のパワーを使ってキセキを起こす。僕らが「キセキだ!」と喜ぶのは全て魔法少女のおかげなのだ。魔法少女は色だ。灰色しか残っていないこの街のただ一つだけ残った色。神のいない街の唯一の光。


壁にかけてあった写真立てを手に取る。

映っているのは烏のように黒いくせっ毛の強い髪をポニーテールにしている女の子と、月の光のような銀髪を長く伸ばしてお下げにしている女の子。2人はお揃いの服を着て、楽しそうに笑っている。


「つまらくなるね。」


私は写真の中の娘にそう言った。もちろん、返事は帰ってこない。

しばらくの間、重たい空気が流れていた。沈黙が悲しみと寂しさを載せて落ちていく。


──ぱさり。


開けたままの窓から何かが入ってきて床に落ちる。


「なんだ?」


それは手紙だった。真っ白い封筒、バラの花が模られたろう印。宛名も送り主も書いていない。だけれども私はこの手紙が誰から来て、誰宛なのかということが直感的に分かった。これは人じゃないヤツが私に送って来たものだ。

手紙には活字のような乱れのない文字でこう書かれてあった。


「北の森の奥の館で待っています。」


たったそれだけだった。

北の森というのはこの街のはずれある森だ。真っ暗薄気味悪い、普通の人は近寄らない森だ。


「北の森の奥に館を置くなんて趣味がおかしいよね、あいつも。」


その森の奥に今から行くのは幾ら何でも危ない。帰りが遅くなってしまう。幸い、明日は学校が休みだ。明日行くことにしようと思い、私はその手紙を机の引き出しにしまった。

そして、ゆっくりと準備を始めた。普段は使わない一番大きなトランクを出して来て、必要なものを順番に詰めていく。手紙も一通、書かなきゃならない。

全てがすっかり整った頃には日はとっぷりと暮れていた。




翌日、空はいつもと同じように灰色だった。どんよりとした空とは反対に、私の心はすっきりと晴れていた。家族が皆仕事に行った後、私は家を出た。


私の格好は不審者そのもの。長袖のシャツとショートパンツ、膝下まである長い編み上げブーツ。フード付きの上着の上から長いコートを羽織っている。顔はフードですっぽりと隠れ、不審なことこの上ないが、この街にそんなことを気にする人はいない。大きなトランク片手にずんずん進む。

街の中心部を抜け、川を渡り、森の入口へ。何人かの人とすれ違ったが誰も私の事なんか見ちゃいない。


「さて。ここから、ね。」


私は森の中に足を踏み入れた。

森の中はまさしく闇の世界だった。日の光は届かない。びっしりと生えた木々が枝と枝を重ね合わせるようにして空を隠しているからだ。私はずんずん奥に進んだ。


突然、目の前に一匹の蝶が現れた。普通の蝶ではない。光る蝶だ。金色の鱗粉を散らしながらゆっくりと飛ぶ。


「これについて行けってことか。」


案外いい趣味してるところもあるのね、と、蝶を見る。とんだ軌跡に鱗粉が散り、僅かに道を残す。

そうしてずんずん進んで行った。

どれほど進んだか、もうわからなくなるくらい進んだ。足がくたくたになるまで進んだ。すると、館が見えてきた。古い洋風のレンガ造りの館がずっしりと居座っていた。


「やっと着いたか。こんな所に建てるなんてアイツもなかなか変なやつ……。いや、最初から変なやつだったか。」


そう呟くと。私はその館の扉を叩いた。すると、ギシギシと音を立てながらそのドアはひとりでに開いた。

その館の中はまるで城のように豪華だった。足元ににはふかふかな赤い絨毯、頭上には眩しいほどに輝くシャンデリア、壁際にはピカピカに磨き上げられた騎士の鎧。


「やっと来てくれたんだね。」


何もない空間から声がした。


「遠い所やって来たのに主人は姿も見せないのかい?私はもうクタクタだよ。こんな森の深い所に建てるのもそうだけど、やっぱりこの館の主人は悪趣味だね。」


私は笑ってそう言った。


「あぁ、気分を悪くしたのなら謝ろう。今ちょうど君を迎えるための支度が出来た頃だ、奥の部屋に来てくれるかい?」


私は黙って奥の部屋へ進んだ。

奥の部屋は書斎になっていた。壁という壁は大小様々な本で埋め尽くされている。中央には大きな文机。立派な椅子が主を待つかのように置いてある。

机の上に一匹の猫。そいつは真っ黒な毛をつやつやと光らせていて、金色の瞳を細めてこう言った。


「久しぶりだね、セリ。」


「あぁ、久しぶりだな、使い魔さん。……いや、元使い魔さんか。魔法少女はもう居ないんだってな。」


「使い魔だよ。前も、これからも。後ちゃんと名前で呼んでくれよな。ルイズリーって名前がちゃんとあるからな。ところでセリ、人の家では、というより人と話すときはフードを取るのが礼儀ってものじゃないのかい?」


金色の目が笑う。

さっきの嫌味の返しだろう。

私は無言でフードを取った。癖っ毛の強い髪が、はらりと降りる。その髪の色は紅だった。炎のような紅だった。

金色の目がこれ以上ないほどに開かれる。口元がもごもごと動き、何か言いたそうにしているが、声は出て来ない。

しばらくの間沈黙が続いた。それを破ったのはルイズリーの震えた声だった。


「お……おい、その髪は……。その髪の色は……。」


「私の髪の色がどうかしたのかい?」


私は何事もないかのように聞いた。だって私は「フードを取れ。」と言われたからフードを取っただけ。何もしていない。しかしルイズリーは何かに怯えるように震えている。


「嘘…嘘だ。昔は確かに黒だったんだ。俺はちゃんと見た。君の髪は、セリの髪は黒だったんだ。」


「あぁ、君に会った頃は染めていたんだ。この色が嫌いでね。それより早く要件を言いなよ。こんな遠くまで呼びつけて話すんだから、とても大切なことなのだろう?」


淡々と私は言った。ルイズリーにとっては私の髪の色がとても重要だろうけれど、私にとってはどうってことはない。生まれてからずっとこの色だもの。


「言えない……言えるわけない。」


ルイズリーは、困ったような苦しそうな声で呟いた。


「何も用がないのにこんな森の中に呼び出した。なんて言わないよな。」


金色の瞳を覗き込んで私は挑発的に言う。


「それで用件は?」


「魔法少女だった子の最後の願いを叶えるために呼んだんだ。彼女は最後までとても勇敢な魔法少女だった……。」


ルイズリーは遠くを見つめる。


「ルイズリー、私に何をして欲しいんだ?」


金色の瞳が決意したようにまっすぐこっちを見る。


「セリ、君、魔法少女にならないかい?俺を使い魔として世界に奇跡を起こすんだ。さぁ契約してくれ。」


「残念だけどそれは無理だね。私は魔女。魔女は魔法少女にはなれないんだよ。」


赤毛は魔女の証。それも強い魔女の証。昔の私は魔女であることが嫌で嫌で仕方がなかった。でも、これであの子の仇が取れるなら、魔女でよかったのかもしれない。


「他の娘を探すしかないのか。」


そう残念そうに言うルイズリーに私は微笑む。


「魔法少女は亡くなったんだ。次に亡くなるのはルイズリー、君だ。」


手のひらに青白い炎のような光が集まる。


「や、やめてくれ。この街は灰色なんだ。俺と魔法少女で色を…。」


「その必要はないね。あ、あとそんなに怯えなくていいよ。命は取らないからさ。」


「じゃあ何をする気だ。」


ルイズリーは一歩、また一歩と後ずさりする。


「君を使い魔じゃなくすだけだ。」


そう言うと、青白い炎をそっとルイズリーに向かって投げた。


「や、や、やめてくれ!俺は、俺は!!」


ルイズリーはもがき苦しんでいるように見えた。


「心配はするな、魔法の火だ。肉体は焼けない。」


言葉にならない叫びが部屋中に広がる。私は黙ってそれを見ていた。

やがて、一つ、また一つと蛍のような灯りが炎の中から出てきた。それは柔らかい緑だったり、明るい黄色だったり、鮮やかなピンクだったり。一つ一つ、色が違った。

この街に魔法少女はもういない。だから…。


「行きなさい。キセキの種。街に色を届けて。」


そう言って窓を開けた。

魔法少女が居ない分、奇跡の数は少ないだろうがないよりはマシだ。それに魔法少女も神も居ないなら、きっと誰かが拾ってくれるだろう。

やがて青白い炎は燃え尽きて消えて黒い猫だけがそこに残った。猫は丸くなって眠っていた。だから私はそっと館を出た。重たいトランク片手に森の中を歩いた。


「この辺りでいいかな。」


少し開けた場所で私は立ち止まった。それから上着のポケットからガラスで出来た杖を取り出して簡単な魔法陣を描いた。


「やっとこの街を出ていける。魔法少女を断ってこの街に残ることはできないからね。」


一息ついてから私は詠唱を始めた。


「テレポート。」


辺り一面が白く光った。





「セリ、使い魔を燃やすのはやりすぎだよ。」


話を聞いていたジェリコーは笑って言った。


「その時はそのくらいしか思いつかなかったのよ。上手くテレポート出来るかどうかの方が心配で。」


ここは私があの時テレポートしてきてからずっといる街。魔女の街コルディアだ。隣にいるジェリコーは私の相棒。


「でもちゃんとコルディアに着いたじゃないか。」


「成功したと分かった時は跳び上がったわよ。」


「だろうね。それにしてもセリが来てもう五年か。」


遠い目をしてジェリコーは言った。そうあの日からもう五年経ったのだ。


「なあ、セリ。」


ジェリコーはさっきまでの雰囲気はどこへやら、真面目な顔をして切り出した。


「なによジェリコー。急に真面目な顔をして。」


「真面目な話だからだよ。」


ごくり、と、唾を飲む。


「そろそろ街を持たないか?」


「街、ね。」


乾いた唇を舌で舐める。


「魔女は街を支配できる。それは知ってるよね?」


「ええ。でもある程度力がなくっちゃダメよね?」


「セリにはそれだけの力がもうあるんだよ。真っ赤な髪を持ってるじゃないか。」


私は自分の髪を触った。赤い、炎のように赤い、癖の強い髪。


「生まれた時からこれなんだけど。」


「赤い髪は強い魔力の持ち主にだけ現れるんだよ。ねえ、街を持たないか?」


「街って言っても、そんなにぽんぽん出てくるものじゃないでしょ。」


「一つ、放棄された街がある。セリもよく知っている街だよ。」


はっとした。


あの街だ。


神に捨てられた街、私の故郷。

青い炎が見えた気がした。


「ねえ、あの街をセリのものにしない?」


私はニヤリ、と笑った。行き場のなくなったアイツはまだ森の中にいるだろうか。


「それ、いいわね」

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