語り散るカタルシス

稀山 美波

語る、散る

 『散る』というのはつまり、カタルシスである。


 圧をかけられた感情が、一点に凝り固まった心の内が、鬱屈とした心情が、解き放たれる。あるいは、何かしらの臨界点を越した物質が、何かしらの形で解き放たれる。有にしろ無にしろ、抑え込まれていたものはすべて、最終的に『散る』というかたちを取るのだ。


 鬱憤が溜まった際、あなたはどうするだろう。

 抑え込まれていた感情を解き放つべく、感情の赴くままに『散財』するのではないだろうか。


 失恋した際、あなたはどうするだろう。

 鬱屈とした心情を払いのけるべく、『散髪』をしたりするのではないだろうか。


 執筆していた小説に納得がいかない際、あなたはどうするだろう。

 すべてを投げうって、窓から原稿用紙を『散逸』させたりするのではないだろうか。


「ここも懐かしいなあ」


 散ることとはつまり、解放。

 言わば、決別でもある。


 『散財』をすれば、金銭と決別することとなる。

 『散髪』をすれば、思い出と決別することとなる。

 『散逸』をすれば、自身の成果と決別することなる。


「桜が咲いてる。君と初めてこの街に来た時のことを思い出すよ」


 では、僕が今している『散歩』は、何を解放し、何と決別することになるのだろう。僕の心は、何に抑え込まれているんだろうか。


「君のご両親に初めて挨拶をする前日、緊張のあまり酒を浴びるように飲んでさ。へべれけになって、左の眉毛、間違えて全部剃っちゃったんだよね。もう焦って焦って、マジックで書いてみたけどもう違和感がすごいのなんのって」


 桜並木の下を歩きながら、彼女との思い出を散らしていく。


 情けない、楽しい、嬉しい、悲しい、様々な思い出が春の日差しの中に溶け込んで、散っていった。吹きすさんだ風に舞う花弁ひとつひとつに僕が零した言葉が乗り、宙に舞い、散っていく。僕の口から解放された思い出たちは、何と決別したのだろう。


「あの丘。楽しかった時も、悲しかった時も、決まって君はあそこに行きたがったよね。今の季節はちょうどいいや、おっきな桜が満開で綺麗だ」


 僕の傍らで、僕の歩調に合わせ、僕と共に歩く彼女へ、声をかけていく。彼女は何も言わず、ただ目先に見える小高い丘だけを見据えているように感じた。


 僕たちの思い出が詰まった丘は、街の外れにある。

 俗世から切り離されたようにぽつりと佇むその丘には、薄紅色を枝先に蓄えた大樹がどっしりと腰を下ろしている。僕らを手招くように、はらり、はらりと小さな薄紅色が散っていく。


「行こう」


 冬の寒さに抑え込まれていた桜が、今カタルシスを迎えている。

 己の中に眠る生命力を解放させ、冬という季節に決別し、花弁を『散らす』。


 僕たちの思い出の場所は今、決別の場所と化していた。


「この場所は変わらない。相変わらず、憎らしいほど澄んでいて、腹立たしいほど綺麗だ」


 散り終えてた花弁が埋め尽くすなだらか坂道を、僕と彼女はひた歩いた。頂上に着いた途端にびゅうと風が吹き、散っていく薄紅色が僕の視界を埋め尽くす。それらが消え入ったあとに残されたのは、眼下に広がる街並みだけだ。


 僕と彼女が生きた、思い出の街。

 そこにまた一つ、花弁が散っていく。



「さあ、君も」



 『散る』というのはつまり、カタルシスである。

 散ることとはつまり、解放。言わば、決別でもある。



「愛していたよ」



 この丘から彼女の遺骨を撒く――『散骨』をする僕もまた、愛する人との決別をした。

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語り散るカタルシス 稀山 美波 @mareyama0730

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