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 1587年7月24日・金曜日、日本の暦では天正十五年六月十九日。私は筥崎宮の関白殿下の陣を後にした。

 もうすっかり夜である。

 私は行くあてもない。とりあえず博多から離れたかったので、街道を歩いた。

 そして歩きながら考えた。

 私の「すこと」は終わったと。

 終わったからといって、私はその後のことなど考えていなかった。これからどこへ行くのか……。

 関白殿下が言った通り、表面的には私は教会を裏切ったことになるのかもしれない。だから、教会には帰れない。

 そしてもうあの神学校セミナリヨの生徒たちとも二度と会えない。彼らは彼らで、私がいなくてもすくすくと育っていくだろう。私が大坂の教会に帰らなくても、彼らはすぐに私のことは忘れるに違いない。

 とにかく私は教会には帰れない……。

 待てよ……と、私は思う。

 私が帰れないその「教会」とは何だろう……?

 教会共同体は建物ではなく、キリストの体……しかし、キリストが天国の鍵をペトロに預けたその瞬間に、教会は『天主ディオ』の手を離れて、この世の、地上の組織として独り歩きを始めたのである。だから「地上を旅する教会」といわれる。それゆえにいろいろな間違いもある。

 私が教会を裏切ったのではなく、教会がキリストを裏切った。

 日本ではあのコエリョという司祭の所業に帰すかもしれない。だが、個人を責めてそれで問題は済まない。彼は準管区長であったのだ。

 では、彼を準管区長にしたヴァリニャーノ師の任命責任だといって、またここでヴァリニャーノ師個人を責めても意味はない。

 誰も裁くことはできない。「汝ら人を裁くな」とイエズス様も言われた。

 だから誰も裁かず、私は「すこと」をした。裏切りのように見えても、すべては日本を救うためである。

 イエズス様がこの言葉を言われたのは、イスカリオテのユダに対してであった。そしてユダは裏切った……と、今の人々は思っている。

 実はイエズス様とユダの間にはすでに盟約があったのではないか。イエズス様の筋書き通りにユダは行動した。

 このままではいつまでたっても人々は目を開かない。イエズス様が死刑になるその時に大いなる奇跡を見せて、否が応でも人々を信じさせようと、ユダは思ったのかもしれない。

 いくら師の命令だからといって、喜び勇んで師を売る人はいない。ユダは苦しんだだろう、悩んだだろう、その塗炭の苦しみを背負ってユダはイエズス様の居場所を密告した。ユダこそが、大いなる十字架を背負っていたのかもしれない。

 それははっきりと言える。なせなら、今の私がそれだからだ。

 ユダの苦悩を痛いほど身にしみて感じている。自分のものとして体験している。

 そしてあの明智日向殿もそうだったのだろう。

 彼も私欲や私情で主君を討ったのではない、そうしなければ日本の将来が危ないと危惧を覚えた結果での行動で、彼もかなり苦しみ、悩んだに違いない。

 私は自分のしたことをもちろん後悔はしていないが、だからといって別に誇りにも思っていない。「す」ことを「した」だけだからだ。

 かつてオルガンティーノ師は言われた。

「キリストとともにあるということは、イエズス様ならこんなことはなさらない、イエズス様ならきっとこうなさるだろうということを基準に行動することだ」と。

 私は、その基準通りに日本という国への愛を貫いたまでだ。私が日本にとって良きサマリア人になれたかどうかはわからない。だがイエズス様はそのサマリア人の話の後にこう言われた。

「汝も往きて其の如くせよ」

 だから、私はそうしたのだ。

 私はとりあえず今夜、体を休めるところを探して歩いた。もう夜も更けており、満月よりもだいぶ欠けたけれどまだ半月ではない月の光が頼りだ。

 今夜とりあえず寝る場所があったとしても、私が休めるところはどこにもない。

「狐に穴あり。空の鳥はねぐらあり。されど人の子は枕する所なし」――そう、イエズス様は言われた。私も同様だ。しかし、私には休むところがある。

 主は言われた――「すべて労する者、重荷を負う者、我に来たれ。我汝らを休ません」――すでに司祭ではない一人の男を休ませてくれる方は、常に私とともに歩んでおられる。

 それを実感しつつ、私は夜の街道を歩いていった。

      

 (「とある司祭パードレ憂鬱メランコリア」  完)



※天正十五年六月二十日(西暦・1587年7月25日・土曜日)、関白豊臣秀吉により

 「伴天連追放令」発布。

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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~ John B. Rabitan @Rabitan

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