十四 終幕

「おかえりなさい。わたくしの可愛い子……ユル・カナレノ・ガルデニア。お顔を見せて、ああ、お母様によく似て……ほんとうはいますぐにこの腕に抱きたい、けれど死者の身となりましたわたくしには許されないこと。

 あの晩、あなたに心臓を託してから早十二年。針によって命を絶たれ全てを運命のままにと任せ、ただ祈りながら見守ってまいりました。願いを受け継ぎ、心臓を守り抜き……けれども心付かぬまま彷徨うあなたを連れ戻すため、新たな主人を迎え入れました。シェデーヴルはガルデニアの親戚と同じ。魂を持たぬ冷たく美しい人形は、ガルデニアの母と見立てる偶像としてふさわしいでしょう。

 けれども迷ってはいけません、そのようなことは夢の内におめなさいね。水面みなもの月に見とれて、我を忘れて岸から手を伸ばしているうちに、水に落ちて溺れてしまいます。そうなる前にあの御方を立ち退かせたく思いますけれども、あなたを愛してくださるお姿を見ますとその意思も弱ります。

 檸檬の断面に灰を撒いて、溢れぬばかりの言葉を集め、くちなわを招き、舞台を整え、最後に姿を消してねやへ篭られました。

 その閨で幕越しにお聞き申しました……弟のことです。

 人は忌子を厭いますが、魔女はあらゆる子供を受け入れるといいます。ガルデニアの仕立屋が愛用しておりました美しい糸は、北の果ての魔女の手によるものでした。

 針の怪が起こりました数年前から、糸の煌めく色彩がどこか物憂げでいじらしい様子に変わりました。その糸の色が懐かしくて、心惹かれて、わたくしのお洋服や小物には必ず刺繍をするようにと仕立屋にお願いしたほどです。やはりあの子が紡いだのですね。

 道ならぬ、棄てられぬ恋に憧れて、焦がれて、そのために命を。羨ましい。

 それを次男も望んでおります、お母様への……。兄の身代わりであったために受けられなかった愛を死者に求めて、想いは日に日に増すばかり、この邸で死を得たときに、彼は旅を終えられる。その舞台も整いつつあります。

 今宵、あなたが眠った後に……我が弟と母の偶像が邸で相対あいたいするとき、舞台は終幕へ向かいます。

(ご主人、一体どのような方かと思えば、恐ろしいほどにお美しい。まるで人形のようですね。)

(おや本当に人形かもしれませんよ。お試しになりますか。)

 誘われるままに跪いて縋り、針を受け、幕の向こう、その冷たさに白い息も消えゆく。彼の目にはもう、空に灯る月と水面に映る月もわかりません。白く揺らめくのは月に雲が掛かる為と心得ます、さてその手が掴んだのは空気か水か。乾いた喉を灼くような甘い液に乱され迷った心。水の底から見上げるとそこから見えるのは、探し求めていた母の姿。白く冷たい手で掬い上げられ、くちなしの葉の露を唇に。

 夜が明けますと、あなたは今夜の出来事や聞いたことをすべて忘れます。こうして死者が語りますのは、ほんとうは許されないことですから。悲しまないで、わたくしの魂は心臓とともにあなたの胸の中にありますもの。

 梔子の系譜は、いつかあなたの命と共に終焉を迎えます。そのときには、朽ち果てた美しい邸で愛しい我が子をこの胸に抱き、子守唄を唄いましょう。」



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「ユル、何をしているの。」

 声が聞こえた方を見上げると、

「おかあさま……?」

「ぼくだよ、よく見て。お母様でもいいけどね。」

 銀色の髪と長い睫毛が洋燈ランプの光を受けてきらきらと光りました。優しく微笑むような、どこか寂しげにも見える、冷たく美しい顔を傾けるのは、ミーシャさん。

 そっとぼくの手から洋燈を取り、おいで、と手を引きました。

 幕は暗く、梔子の果実を枕元に添えて、おもかげに伏すように。

 お母様の唄が遠く、聞こえました。



わたしの梔子、お眠りよ

針は隠しておきましょう

月のやわく窓ゆらす

まばたき静かに白い夢

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針と梔子 ゆきか @yukica_6008

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