シャッフル
娼館の二階の裏窓から飛び降りると、右隣の雑貨屋のゴミ箱を漁っていた野良犬が驚いて逃げ出した。
「おおっと、悪いね」
冗談めかして言いながら、建物の影から通りを見る。朝陽が仕事へ向かう男達を照らしていた。彼女の言う通り、気持ちの良い朝に似合わない、黒いボーラーハットに灰色のスーツ姿の男が二人、娼館の二階を新聞を手にちらりちらりと見つめている。いや、監視しているという方が正しいか。
「張り込みが下手な奴らだ」
ローガンは肩を竦めて溜息を吐くと、娼館の前の馬用の繋ぎ柵に眼をやった。
ローチを残してはいけないが、おいそれと近づくことが出来ない。
「さて、どうするかね」
ガンマンジャケットの胸ポケットから紙巻タバコを取り出そうとした時、通りの向こうから駅馬車が来るのが見えた。ローガンはしめた、と笑みを溢す。
渇いた地面に車輪が轍を残しながら駅馬車が近づいてくる。あと少し。
ボーラーハットの男達の前に差し掛かろうという時であった。
ローガンは駆け出した。そのまま馬車の側面にぴたりと貼り付く。男達は死角になっていたローガンに気付いた素振りは無い。
中にいた黄色いドレス姿の中年の婦人が、眼をまん丸にしてローガンを見た。
「おっと失礼。レディ」
帽子を軽く取って片目を瞑る。そんな仕草が腹が立つほど様になるお前は、詐欺師になった方がいいんじゃないか。と古い友人に言われるほどに、ローガンは女性達に好感を持たれることが多かった。
その言葉通りに、中年の婦人はまんざらでもなさそうに笑みを返す。
ローガンは馬車の側面に張り付いたまま鋭く口笛を吹いた。賢い愛馬は自ら繋ぎ柵から手綱を外し、ローガンに走り寄って来た。
「良い子だ。ローチ」
馬車に並走するように速度を合わせ始めた斑模様のマスタングに、ローガンはひらりと飛び移る。
振り向けば、男達が慌てたように新聞を放り投げるのが見えた。
「悪いな。俺は男に追いかけられる趣味はねえんだ」
馬腹を蹴れば、意を汲んだローチが駆け出す。もうすぐ街の出口だ。人通りは少ない。
久しぶりに思い切り駆けられるのが嬉しいのか、いつもより馬足が軽い。ローチは速さは並だが、他のどんな馬より遥かにスタミナがあった。
他の馬が全力で駆けられる距離の2倍以上は駆け続ける事が出来る。
手綱を手に、内腿でしっかりと馬腹を締めた。ローチが加速する。前屈みになって風の抵抗を少しでも減らす。
乾いた大地をマスタングの馬蹄が力強く踏み、蹴り上げる。
街の外に出る。広大な草原の向こうには赤い岩山が連なっていた。草原を馬に乗って走る時の乾いた風や日差しが、ローガンは何よりも好きだった。
あのボーラーハットの連中が何を追ってるのかは知らないが、この街に来てからと考えると、ポーカーでせしめたあの懐中時計絡みだろうか。
ローチの馬蹄が草原に響く。振り返れば、もう煩わしい追手は影すらも見えない。
馬足を緩め、ローガンは手綱を川の方へ向けた。
足跡で追跡されるのを防ぐためだ。
ローチがまだ走り足りぬとばかりに鼻を鳴らすのを見て、苦笑しながら首を軽く叩いた。
「わかってるよ相棒。だけど奴ら……恐らくピンカーベルの連中だ。ガラガラヘビよりしつこくへばりついてくるぜ」
ピンカーベル探偵社。アレン・ピンカーベルが立ち上げた探偵社で、当初は10人ほどの小さなものであったが、1850年に大統領暗殺を未然に防いでからその勢いは加速してゆき、今では千人以上のエージェントが所属している。賞金稼ぎや法執行官達を尻目に政府の仕事等を積極的に請け負い、急速にその勢力を伸ばしていた。
鉄道会社や駅馬車、銀行の護衛や無法者集団の取り締まりから、暗殺なども行うという噂もあった。
ローガンにとっては、最も関わり合いになりたくない輩の一つだ。
少し潰れた煙草の箱から一本取り出して、マッチで火を点ける。甘苦い煙を肺一杯に吸い込んで、吐き出した。
「全くよ、コイツがそれ程のもんかねぇ」
煙草を咥えながら、胸ポケットからローガンにとってはガラクタにしか見えない懐中時計を取り出して、鎖の持ち手をゆらゆらと目の前で揺らす。
きらきらと太陽の光に照らされた真鍮が輝いた。
「ん?」
丸い時計部分の側面に、小さな長方形の穴が空いているのに気が付いた。
ローガンは迷わずベルトからボウイナイフを抜き、慎重に切っ先をその穴に差し込んだ。
ぱきり、と小気味よい音を立てて時計部分が二つに割れた。すると中から黄ばんだ小さな紙片が落ちて、慌てて受け止める。
「おっと……何だこりゃ」
それは、小さく畳まれた羊皮紙だった。
革手袋を外して、破かないように慎重に開く。少しの風や衝撃でも破れてしまいそうだ。
開き終わると、ローガンは驚きに眼を丸くした。
それは、世界地図だった。羽ペンでも木炭でもない、奇妙なタッチで描かれたそれは、かなり精巧なものだ。
世界地図の周りには、幾つもの紋章が描かれている。髑髏にクロスボーンの、ジョリー・ロジャー(海賊旗)。
紙の右下の端には、英語でもフランス語でもない奇妙な文字がびっしりと縦書で書かれていた。未だかつて見た事の無い文字だった。
だが、ローガンは本能的に、それがとんでもなくヤバく、価値があるものだという事を嗅ぎ取っていた。
彼もまた、無法者(アウトロー)なのだ。
煙草を咥えながら、ローガンはにい、と笑みを浮かべた。
退屈でしょうがなかった己の中の猛獣が、むくりと起き上がったような気がした。
「面白くなってきやがった。なあ、相棒」
運命という撃鉄が、静かに起こされた瞬間だった。
ギャンブラーズ・ハイ 片栗粉 @gomashio
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