午後の首長竜

持野キナ子

午後の首長竜

 教会の鐘が正午の到来を知らせる時、私は小さな港町に足を踏み入れる。魚の生臭い匂いが白亜の町全体を包む。典型的な異国の海の町というやつだ。舗装されていない、土でボコボコな道を巨大なフナムシが走り回る。路上では商人達が巨大なヌメヌメした魚類や、見たことのない甲殻類を売っている。それらはまだ生きているようだ。表情筋の様にヒクヒクと蠢いている。小腹が空いているので魚介類を口にしたくなる。無性に魚を食べたくなる理由は、彼等が私達の祖先だからだろう。

「そのヤシガニとウツボを下さい」

 私が注文すると、商人はニヤニヤ笑いながらウツボの脳天に棍棒を振り下ろす。鈍い音と共に橙色の脳髄が辺りに飛び散る。次に彼は、ウツボの眼を潰して背を切り開き内蔵を出してヤシガニと一緒に焼く。全身を魚の血で深紅に染めた商人はまるでサンタクロースの様だ。この店は魚介類を棍棒で撲殺して血抜きをし、その場で調理してくれるようである。

 私は調理してもらったウツボを食べながら町を歩く。すると、小高い丘の上に一軒の大きな酒場を見付ける。それは丘の上からコバルトブルーの海を見下ろしている。店内からは何やら大きな歓声が聞こえてくる。口の中が油っこいのでワインを飲むのも良いだろう、そう思い酒場に入る。

 石油ランプが照らす店内では、大勢の人がざわついている。どうやら全員が町の住人のようだ。彼らはワインを飲みながら賭け事に講じている。賭けチェス、賭けポーカー、賭けサイコロ、闘魚……私は闘魚の試合に興味を持つ。だが、私は勝負運を持ち合わせていない。仕方がないので、空いているテーブルに腰を掛けワインを頼む。ワインを飲んでいると背後から声を掛けられる。

 あなたは賭けないの?

 後ろを振り向くと見事な魚顔をした女性が立っている。彼女は私の隣に座り語りかける。

 あなたの眼はガラス細工の様に繊細で綺麗だわ、それに鏡の様に物事の真実を映している、だからワインを頂戴よ。

 私は満面の笑みを浮かべて、彼女のグラスにワインを注ぐ。唐突に、彼女が私の額に熱い口づけをする。それは、まるで魂が浄化しそうな程の心地よさ。同時に天国へと続く階段のような神秘性を持つ。思わず恍惚とした表情を浮かべ吐息を漏らす。そんな私を彼女は誘惑する。

 私はキスをすれば相手との相性が分かるのよ、だから家に来ない?

 二人で家へと向かう。途中で軽く自己紹介をし合う。彼女は魚女と名乗る。町で一番の魚顔だそうだ。今日、魚女が酒場にいた理由は好みな異性を探していたからだという。余談だが酒場で賭博が行われる日には、売春婦達による客の争奪戦が勃発するらしい。

 魚女の家は木造で赤い屋根と白い煙突を持つ。家に入ると魚女が料理を作り始める。出て来た料理は山盛りのフライ。黄緑色のケーキ。七面鳥の丸焼き。私はケーキを呑気に平らげる。すると脳が冴え始め全ての音が聴こえだす。それは洪水の様に耳へとなだれ込む。音の海を潜水している様な錯覚に陥る。

「これ、何のケーキなんだい?」

「それはマリファナケーキよ」

「ほお、それではフライは?」

「幻覚サボテンと幻覚キノコよ」

「マリファナは初めてなんだ」

「近所の森に沢山生えてるわ。フライにした幻覚キノコや幻覚サボテンと一緒にね。私は、それらを異国に売って生計を立てているの。港の船を使ってね」

「それは変わった商売だね」

「いえ、貧乏な港町では普通よ。私は、全世界の人間がヤクを使用すればいいと思うわ。そうすれば、戦争がない実に平和な世界になると考えてるの」

 キノコとサボテンの効果が出始める時、私達は長時間の食事を終える。満腹になったので魚女の提案の下ストリップポーカーを始める。裸になることで全てを曝け出すという魂胆だ。我々はお互いの服を脱がし合う。魚女の裸体は信じがたい程の美貌を誇る。その身体は月光の如く輝き部屋を照らしている。だが彼女の乳房はさらに素晴らしい。まさに乳房という名の芸術。それは熟成したワインの様な上品な芳香を放つ。私の全細胞が彼女を欲する。

 ああ、君は実に素晴らしいよ、結婚しよう、私は告白して彼女を抱きしめる。その後、生まれたままの状態で海岸へ移動しお互いを語り合う。

「旅人さんはヤクをやる?」

「うん、初めてコカインを使用した時は実に不快だったよ。使用後に夢を見たんだ、悪い夢をね。親指と人差し指の間から人間を覗くと、その人が怪物に見えるんだ。自分意外の全てが醜く映るんだよ。まるで、疑心暗鬼になってる時の様にね。それからも嫌な出来事が起こると、時々思うんだ。まだ、自分は悪夢の中で迷子になってるんじゃないかって」

「始めては皆そうだわ、精神の中で迷ってしまうか、悪夢を見るのよ。私の体験談も聞く?」

「ぜひ頼むよ」

「私は自分が太陽になる幻覚を見ていたの。太陽になって知らない村を見下ろしているのよ。そしたら、村で殺人犯の処刑が始まるの。奴の犯行は残酷極まりなくて、泣き叫ぶ母親の前で双子の幼女を刺殺したらしいの。全住民が殺人犯に怒り狂っていたわ。だから奴の処刑を始めたのよ。それでね、縄で縛られて無抵抗の奴を、大勢が束になって棒で殴打し始めたの。野次馬も含めて、皆の眼は狂犬の様にギラギラ血走っていたわ。

 その行為を見て私は微かな戦争の気配を感じたの。『興奮と怒りが戦争を始めるのかな』ってね。犯人を擁護する気はないけど、少し見てて憐れに思ったわ。食料豚を屠殺した時を思い出してね。その後、顔の凹凸さえ判別出来なくなった奴は熱湯を浴びせられて、髪を引きちぎられて磔にされたのよ。誰の眼にも奴が虫の息だと分かったわ。さすがに、村民も奴への攻撃を止めたのよ。でも唐突に、あいつは気持ち良さそうに大声で笑い出したのよ。結果的に頭をスイカの様に割られたわ。つまり彼は暴力を愛していたのね」

「変わった幻覚だね。でも、その話を聞いたらスイカを食べたくなってしまったよ」

「確かにそうね。家に取りに行ってくるわ」

 魚女は全裸でスキップしながら家へと向かう。午後の海辺には自分だけが取り残される。束の間の孤独である。しかし、波や砂がオーケストラを奏で私を慰めてくれるから大丈夫。海を見ると懐かしい気分になる。なぜなら海は人類の故郷であり母だからだ。私は目を閉じ波の音を聞きながら人生について思考する。適当な答えが出たので水平線を再び見る。どうやら夜が接近している様だ。海は極彩色に輝いている。誰かが絵の具をこぼしたのだろう。私は眠気を感じ始めたので、海を見ながら横になる。

 だが目覚めた矢先、海を泳ぐ奇妙な巨大生物を発見する。そいつは全身が十メートル程度で色は藍色。ウナギの様なヒレを持ち、蛇の様に長い首を水面から出して悠々と泳いでいるのだ。

「なんだ、あの首長竜みたいな生物は? また自分は夢の中で迷っているのか?」

 私が困惑している間に、首長竜は大きな咆哮と共に海中へと消える。残っているのは首長竜の余韻のみ。その後、スイカを持って戻ってきた魚女に一部始終を話す。だが、彼女は「首長竜はあなたの精神よ」と言うだけで相手にしてくれない。仕方がないので、私達は海を見てスイカを頬張る。赤い果汁が互いの裸体にこびり付く。返り血の滝を浴びている錯覚に陥る。その後、二人で彼女の家に帰り眠る。

 朝、目覚めると外が歓声で包まれている。気になった私達は着替えて外に出る。町では宴を行っている最中の様だ。何を祝福しているのだろうか。気になるので住人に尋ねる。

「昨日の夕方、漁師達が海で首長竜を発見したんだ。観光客のおかげでこの寂れた町も潤うよ」

 私は昨日の出来事は幻覚ではないと確信する。その後、魚女と手を繋ぎ宴へと足を運び、笑顔で叫ぶ。

「首長竜に乾杯!」




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