小説書ければ命は要らぬ。私の命はなお要らぬ。

わらしべ

第1話

 s県m町のアーケード街。平日の午後3時。


「いらっしゃいませ」


 ノスタルジックな音楽が流れる喫茶店に来店を告げるベルがなり、ウェイトレスの青年が声を上げる。私が手元から視線を上げると、5歳ほどの少女と母親であろう女性がテーブルへと案内されていた。


 なんとなしに見ていると、少女が物珍しそうにこちらをみた。あわてて手元のノートパソコンに視線を戻す。


 喫茶店で作業する人は最近じゃ珍しくない。見慣れないものがあったとすれば私の着物姿だろう。TPOを弁えていないかもしれないが、この時代錯誤なファッションは師匠に強制されているのだ。


 視線を気にせずふんぞり変えれるほど図太くもないので、私は視線を避けるように猫背になってノートパソコンと睨めっこする。


「ねぇ、お兄さんお侍さん?」


 そうやって画面にばかり見ていたので、かけられた声にギョッとしてしまった。顔を上げると、先ほどの少女が向かいの席に座っていた。親は連れておらず、一人だった。


 母親の姿を探すと、斜め前方の席に座りメニューをみていた。私の席はトイレに一番近いので、少女は手を洗った帰りに声をかけたのであろう。


 まずい。何を隠そう私はコミュニケーションというものが得意ではない。なんと返したものか、視線を右に左に泳がす。


 子供相手にみっともないことこの上ないが、老若男女のうちどれであっても私はこのような反応しか出てこないのだ。


「私、着物姿だけれど侍ではないのです。期待に添えず申し訳ない」


 あたふたと醜態を晒したあとに出てきたのは、子供には硬すぎる謝罪文とぎこちない笑顔だった。


「何してるの?」


 幸い敬語の大人を怖がるタイプの子供ではなかったらしく、何か面白い返答があることを期待した表情で聞いてくる。


「小説を書いているんです」

「しょうせつ?お兄さん小説家さん?」


 不器用に作っていた笑顔が固まる。


 なんと残酷な質問だろうか。小説を書いていると言っても小説家とは限らないのだ。無邪気な質問というのは時に人を傷つける。


 もちろん自分の文章だけで食べていく野望を持っているが、今は小説界に進出したばかりの鼻垂れ小僧である。編集と師匠にダメ出しされ続けて賞の一つもとったことがない。


「…うん、小説家ですよ?」


 しかし、何も知らぬ子供に己の未熟さを説明するほど正直ではない。青二才ほどプライドは高いのである。


「すごい!すごい!どんな本書いてるの?」


 私はサッと目を逸らした。子供に嘘をつくと言うのはなぜこんなにも罪悪感が湧くのだろうか。


「ハハッ……私の小説は漢字がやったらめったら多くて君にはまだ早いですよ。ほら、手を洗った帰りじゃないですか?お母さん待ってますよ」


 そう言って、いまだにメニューを広げている母親に視線を向ける。少女は思い出したのか、あっと言って帰っていった。


 か弱いプライドを守りきれたことで、妙な達成感で満たされ、何倍もの惨めさが心を寂しくした。さもざもっとした感情にため息を吐く。


 奥の席では少女の母親が驚いた声を上げたあと、申し訳なさそうに視線で会釈をして来ていた。その横で少女が小さく手を振ってきたので、思わず左手で振り返してしまった。


 それがまずかった。


 突然大きく動かしたからであろう。火傷のような痛みが左の手首から肘の間を走り回る。


 悲鳴を口から出さないように奥歯を噛みしめ、右手で痛む部分を掴み圧迫する。目が合っていた少女は不思議そうな顔をした後、母親とともにメニューを見始めた。


 脂汗をかきながら数秒、じっとしていた。じんわりと痛みが引いてから、右手をそっと離す。


 この痛みとも2日の付き合いなのだが、激痛になれることはない。


「あの、大丈夫ですか?」


 様子を見ていたウェイトレスの男が話しかけてきた。不安げな顔で抑えていた左腕を見ていた。


 中身を見られただろうか。冷たい汗が首をつたい始める。


「えぇ、怪我が治りかけなんです。急に動かすと、まだ痛みます」


 へへへっと笑いながら、ウェイトレスの視線から左手を隠す。不自然じゃないか不安だったが、中身は見られていなかったようで、ウェイトレスは心配そうな顔のままだった。


「お客様、もしよろしければ保冷剤などをお渡ししましょうか?」

「いいんですか?ありがとうございます」


 すぐにお持ちしますと言ってウェイトレスが離れていく。親切な人だ。この腕を見せて混乱させるのは忍びない。


 周囲を見てから袖をそっとまくる。私の腕は明らかに常人のそれとは別物だった。


 病弱な白い腕には鱗がびっしりと張り付いていた。


 青魚の腹に付いているような銀色の鱗が腕から生えている。店内のオレンジの明かりにぬらりと照らされ、ギラギラ輝く左腕。もちろん、私の本来の腕ではない。


 すぐに戻ってきたウェイトレスから保冷剤とタオルを受け取るとそれを机に置き、左腕を乗せながらまたノートパソコンに向き合った。


 私は痛みと罪悪感に眉間のシワを寄せながら、パソコンの画面に文字を打ち込んでいくのであった。


 全ては3日前。

 そう、3日前から始まったのだ。

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