最終話「マジックアワーの声」

 青年は、携帯電話を眺めてはため息をつく。それをもう幾度となく繰り返していた。

 あれから数日。

 彼が女の子から取り戻した携帯電話に、誰からの電話もない。


 青年の気持ちに寄り添うように空は重く暗い灰色で在り続ける。

 やがてその重たい空が、抱えていた重さをボロボロとこぼし始める。

 大粒の雨。

 彼が最初にメリーさんからの電話を受け取ったあの日のように。


「こんな……雨だったな……」


 彼は自室の窓から外を眺めながら独り言を放つ。

 窓を叩く雨の音に紛れて消えてしまうくらいの小さな声で。


 青年は突如立ち上がり、玄関へと向かった。

 靴を履き、傘を持ち、雨の中へと駆け出した。

 彼が向かったのはあのコインランドリー。

 もちろん、手には携帯電話を持ったまま。


 コインランドリーへはすぐに着いた。

 携帯電話は沈黙を守ったまま。

 その画面を青年はしばらく眺め続けていたが、やがて再び傘をさす。

 彼の足音は時折、浅い水たまりの上をぱしゃり、ぱしゃりとかすめて行く。

 気にしていないというよりは、気付いていないという状況の方が近い。

 青年は、次の目的地のことばかり、考えていた。


 青年は頭の中で、後輩と過ごした日々のアルバムをもう何周も見返していた。

 後輩が自分に電話をかけてきた理由、それを突き止めたくて。


「……シュウト……もう一度、声を聴かせてくれよ……」


 弱気な声は、雨の中へ紛れて散った。




 青年が次にたどり着いたのは、とある寺の境内。

 歩き慣れたルートを経て、一つの墓の前に着く。

 傘をさしたまましゃがみ、青年は手を合わせる。


「……俺に、出来ることは、なんだ……」


 風がゴォと吹き、樹々が蓄えた雨がザッと地面へ飛び降りる。

 それ以外の音は全て遠い。


 青年が立ち上がると、再び風が吹いた。

 慌てて傘を閉じ、そして風の来た道を空に目で辿る。

 雨雲の裂け目から青い空が覗いていた。


「虹だ」


 ふいに青年が口に出した言葉。

 それは、かつて後輩と交わした会話の中にあった言葉。




『先輩は雨をキライって言いますけど、僕はそんなにキライじゃないです』


『だってさー、練習できないし、グラウンドぐっちゃぐちゃになるし、傘さすの面倒だし、それに洗濯物も乾かないし』


『でも、雨がないと困るでしょ?』


『そんな正論、ずりぃよ。もっとさ、身近な、体感的な、個人の生きた感想が欲しいんだよ……シュウト、お前はどうしてだよ。お前も理由言えよ』


『僕も雨よりも晴れの方が好きです。でも、雨を知っているからこそ晴れのいいところが分かるって部分もあるじゃないですか』


『逆にーってやつか。例えば?』


『……うーん……虹、ですかねぇ』


『虹?』


『僕、虹が好きなんです。雨が振った時はいつも、このあと虹が見れるのかなって嬉しくなっちゃうんです』


『はー、虹ねぇ……そうだな。じゃあ雨が振ったら俺は、シュウトがそういうほわーんとした笑ってる顔思い出すことにするよ。そしたら雨でもまあ、楽しみもあるんだなって思えるから』


『ほ、ほわーんって! 僕、そんな顔してましたか?』


『してたしてた! うちの女子マネあたりがキャーキャー良いそうな顔』


『からかわないでくださいよー』




 青年が記憶のアルバムもめくりながら見つめる先の空には、雲の切れ目がどんどん増え広がってゆく。

 やがておぼろげながらも太陽が姿を現した。

 太陽は、遠くの山の稜線に近づくにつれその輝きを増してゆく。


 太陽に魅入られていた青年は、ふと振り返った。

 微かに、虹が見えた。


「聞こえたよ……シュウト。今、俺のこと、呼んだだろ……虹、俺もちゃんと見えたよ。いつかの帰り道、一緒に見たよな、こんなマジックアワーの虹を」


 太陽が沈む前、空が色鮮やかに変わるわずかな時間、マジックアワーに浮かんだ虹は、青年の目にうかんだ涙の中に、万華鏡のように揺らいで消えた。


「シュウト……俺も最近、雨が好きなんだ。雨が降るとな、お前の笑顔、思い出すんだ」


 青年は墓の前で再び手を合わせ、来た時よりも少しだけ軽い足音で家路についた。




「シュウトさん、なんで使わなかったんですか、あのカード」


「だってこれ、メリーさんのカードじゃないか」


「もー、そこは多目に見てくれるって元祖メリーさんがカッコよく言ってくれたのにっ」


「んー……僕がね、声を届けたら、先輩はきっと立ち止まっちゃうって思って」


「どゆこと? ゆっちバカだからちゃんと説明して?」


「ずっと、待ってたじゃないか」


「待ってくれてたんじゃないんですか? 告白チャンスだったじゃないですかっ! あれワンチャンありましたよ絶対!」


「そしてその後、どうするんだい。先輩はまだ生きていて、これからの人生を歩いていくんだよ……だから、自分で見つけてほしかったんだ、僕の伝えたかったことを……先輩ならそれが出来るって信じてたから」


「もー、シュウトさんすごい素敵! さすがゆっちの師匠!」


「おやおや、うちのエース二人が随分暇そうにしているねぇ」


「あ、元祖メリーさん!」


「どうもです」


「休憩時間は終わりだよ。依頼の説明するからついといで」


「はいっ!」


 シュウトとゆっちの元気な声が、マジックアワーの空へ吸い込まれていった。




<終>

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メリーさんの贈り物 だんぞう @panda_bancho

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