シャーリーズ・ルビー・ビール

宇佐美真里

シャーリーズ・ルビー・ビール

十三番目の月が死んだ後に生まれてきた太陽は、この世に姿を現してから彼此八時間が経とうとしていた。午後の二時。成長した太陽は溌剌とした光を放っている。今が盛りだ。


スタンドでガソリンを入れ終わると僕は、年甲斐もなくミント、チョコ、ストロベリーという何ともちぐはぐな組み合わせの三段アイスを口にしていた。ピザトーストにするかホットドッグにするかで迷っていたはずだったのだが、結局は全くかけ離れた選択をしていた。滅多に口にすることもないそれは「これでもか!」と自身の甘さを主張していた。


「ねぇ、ライオンさん?乗せてくれない?」

コンバーチブルのドライバーシート側の扉に寄り掛かり、ぼんやりと三段アイスを舐めていると、声がした。声のした方へ振り向くと、トランクのすぐ脇に青白く痩せっぽちな女の子が、ポツリと立っていた。"女の子"と云っても子供ではない。明らかに成人はしているが、そのガリガリに痩せ細った姿は"小鹿"を思わせた…。痛々しいと云ってもよかった。


「乗せてって、一体、何処まで?」僕は訊いた。

「シャーリーズの生まれた街まで乗せてってよ?」

そう言うと彼女は僕の返事を待つこともなく、そのまま扉を開けることもなく飛び越えてクルマに乗り込んでしまった。サイドシートに深く身体を沈め、膝を抱え込んだ彼女は、やはり痩せっぽちで、その手足はまるで"小枝"だ。迂闊に触れれば、容易くポキッと折れてしまいそうで、膝を両腕で抱えている姿はまだ立ち上がることも出来ずにうずくまっている生まれたての"小鹿"だった。

「どっちの方向に行けばいいんだい?」

クルマに乗り込みながら、僕は彼女に訊いた。

「トワイライトに百マイルってところかしら…」彼女は事も無げに言ってのける。

「行って貰える?」首を傾げ、彼女はニコリとして続けた。


西に百マイル…たかだか二三時間の距離だ。

そもそも然したる用がある訳でもない。僕は首を縦に振った。

彼女の名前はサラと云った。僕の印象通り、周りからはやはり"小枝のサラ"と呼ばれていたらしい。


「シャーリーズってのは友達かい?」僕は訊いた。

かつて彼女とはルームシェアをしていたのだと小枝のサラは言った。


「シャーリーズの家ではビールを作っているんだって。レッド・ビールってあるでしょう?赤い色をしたビール。でも、彼女の家のそれは、そこいらにあるような普通のレッド・ビールとは違うンですって」

それは、ルビーのように輝いているのだとシャーリーズは語ったそうだ。

「ピジョン・ブラッドって知ってる?」

ハンドルを握る僕の前に回り込むように首を回してサラは言った。僕は黙ってフロントガラスに目を遣ったまま、首を横に振る。

「ルビーの中でも最高級のルビー。それを"鳩の血"と表現するそうよ。まさに血のような妖輝な赤を内側から発しているみたいなんですって!そんな色をしたビールだって、シャーリーズは言っていたわ」

「サラは見たことがないのかい?」

「えぇ…。見たことも飲んだこともない。シャーリーズから聞いただけ…」

少しだけ表情を曇らせながら、サラは言った。


「実は、会ったことも…ないの…」


僕は思わず、まっすぐに伸びるハイウェイから視線を外し、隣のシートで膝を抱える"小鹿"に視線を遣った。

「ルームメイトって言わなかったかい?」

おかしなことを言うもんだ…会ったこともないルームメイトとは。

「変よね?アハハハハ…。ルームシェアしてたんだけど、実は全てのやり取りは手紙だったの…。手紙と云うよりもメモね…あれは。私が出掛けている間に彼女は部屋に居る。私が部屋に戻ると彼女はいつも出掛けている。でも、彼女がそこに居た形跡はあるのよ…。ベッドには着替えた後の服が放り投げてあったり、テレビの前には飲み残しのあるグラスが置いてあったり…」

"小鹿"は膝を抱えたまま、サイドシートで足をブラブラとさせた。

「いつもメモ書きのはじまりは決まってた…。『おかえり、サラ』って。私、何だか毎回、その『おかえり』が嬉しかったんだ…」

そんなメモのやり取りに何度か、実家であるビール工場が登場していたのだと言った。

「でも或る日帰ったら、新しいメモは無かった…。突然、彼女は消えてしまったの…」



「だからビール工場に行ってみれば、何かシャーリーズの話も聞けるかもしれないって…思い切って。それで彼女ご自慢のビールもついでにご馳走して貰おうかと思って。でも、彼女の家までは遠くって…」


そういう訳で今、"小枝のサラ"は、僕のクルマのサイドシートに埋もれている。小さく、深くシートに埋もれている彼女からはフロントガラスの向こうは、空以外何も見えないはずだ。今度はサイドシートに寄り掛かったまま、振り向くこともなく僕に尋ねた…。

「ねぇ?どうしてあなたは、ライオンなの?」

どうやらサラは、話題を変えたがっている様だった。



ある日、僕はライオンになった…。

父が教えてくれたバイク。小さい頃から僕はモトクロスに明け暮れていた。僕だけではない。兄も弟もみんなで明け暮れていた。兄弟の中で一番臆病な僕だったが、バイクに跨っている時だけは自由で居られた。何も恐れずに居られた。歳を重ねてからも常にバイクと僕は一緒だった。自分はこの世界で生きていくものだとばかり思っていた。疑ったこともなかった。それが運命だと思ってもいたのだけれど…。

或る日、レース最中の大きな事故が運命を変えた。コース前方、ジャンプセクションで着地に失敗したバイクに、後続のバイクが次々と突っ込んでいく…。僕の直前の、ジャンプ中にバランスを崩したバイクに、僕は空中で接触。そのまま僕はバイクから放り出されコースに叩きつけられた。それ以降、僕はニ度とバイクに跨ることはなかった。

「そうするしか、なかったんだと思う…」

そしてその時から…、僕はライオンになった。大きなライオンの姿の中の、臆病な僕。

僕は、ライオンになった…。



ふと昔の記憶から現実に戻る。サイドシートに目を遣ると…。

そこには何故か"小枝のサラ"は居なかった。

いつの間にか…奔っているクルマの中から彼女は姿を消していた。


「?!」

シートに何かが転がっている。

僕はクルマをハイウェイの脇に寄せ、ゆっくりと停めた。


シートに転がっている何か…。

それは王冠だった。栓抜きで瓶を開けた時の、拉げた跡が残る黒い王冠が三つ。

僕はハンドルから手を放し、その王冠を手に取った。微かに甘く、かつ焦げたような香ばしい匂いが、鼻先を駆け抜けた気がした。

「何故こんな物が?」

王冠の表には、闇の中を飛ぶ"ブラッディー・ピジョン"が描かれていた。

そして、その"ピジョン"を取り囲むように小さな文字が、やはり赤い文字で飾られている。


 『シャーリーズ・ルビー・ビール ★ サンクス!』



「さて…どうしたもんかな…」と僕は独り言ちた。

"トワイライト"に向かって、もう既にかなりの距離を来てしまっているはずだった。かと言って、然したる用がある訳ではない。そして、引き返す理由も特にない。此処まで来たついでだ。


「ルビィ・ビールの一杯でも飲んでみようか…」

僕はそう呟くと、真っ赤に照りながら今日の役目を終えようとしている老年の太陽に向かって、アクセルを踏み込んだ…。


ドアミラー越しに映るハイウェイ反対車線を、勢いよく遠ざかるクルマのテール・ランプたちが、まるでキャンディのように見える。

その遥か後方には、生まれたての十四番目の月が顔を覗かせていた…。



-了-

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