見知らぬ夜

 ご飯を食べ終えて間も無く、灯りを一つだけ残して皆は眠りに就いた。俺もなんとか鎧を脱いで横になったものの、目が冴えて中々寝ることが出来なかった。何度も何度も寝返りを打ったり体勢をかえたりしてみたが、言い知れぬ不安が心に根を張り、睡魔が入る隙間がないのだ。


 思いっきり泣いて気分が軽くなったと思っていたのに、眠ろうとすると余計なことばかり考えてしまう。拭い去っても拭いきれない心懸かりが、ジクジクとカビのように侵食していく。


 こんな時は一層のこと起きるべきか。

 寝具として渡された厚手の布から抜け出し、寝静まった人たちを起こさないようにこっそりと移動して外へ。



 外は漆黒の世界だ。



 家の周りは灯りのおかげでぼんやりと見えるけれど、一歩先へ踏み出すともう何も見えない。試しに手を伸ばしてみると、肘から先はすうと溶けて消えてしまう。



 この世界に星はあるのだろうか。

 ふとした疑問が頭をかすめ上を見上げてみたが、鬱蒼とした森が空を隠して分からない。

 

 しゃがんで足元を確かめながら少しずつ家から離れていく。数歩歩いたところで太い幹にぶつかった。そのまま体を預ける。

 何も見えない。けれど不思議と怖くない。自分もこの空間に溶けてしまったかのようだ。

 風が吹いた。優しげに髪を頬を肌を撫でていく。何だかそれが心地よく目を瞑る。



「眠れないの?」

 急に上から声がかかり、驚いて目を開ける。辺りを見渡してみても当然何も見えないが、相手はそうではないらしい。ガサガサと音がして枝が揺れた。


「夜、危ない。体冷える」

 誰かが立っている。その人が動くたびに、ふわりとスパイシーで甘い香りが漂う。


「おいで」

 目の間に細くしなやかな手が現れた。誘い込まれるようにその手を握る。掌は豆だらけで乾燥している。しかし嫌ではない。彼女の人となりや生活が窺えるのだから。

 何故だろう、もう何年も触っていない、母の手を思い出していた。



 家の中に戻るや否やガネットは部屋の奥に消えてしまう。ところがすぐに戻ってきた。

「あげる」

 手には干からびた何かを持っている。多分、果物を干した物なのだろう。色は鮮やかな緑で、匂いはない。

 ガネットが美味しそうに食べているので、俺も一口かじってみる。

 何の果物なのだろうか、干し柿のようにねっとりとした濃縮された甘味がある。けれど人工的な甘さではなく自然な甘さのおかげだろうか、ペロリと食べてしまった。


「美味しい?」

 ガネットが聞いてくる。俺は首を縦に振る。


「──秘密ね?」

 口に人差し指を当て、彼女は微笑む。


「おいで」

 俺が雑魚寝していた床を座ってぽんぽんと叩いている。それに従って隣に座る。


「違う」

 どうやら横になれということらしい。床に横たわると満足そうに笑い、優しい手つきで布を掛けた。そしてあの愛しむようなリズムで、ゆっくり、ゆっくり、俺の肩を叩く。


「ありがとう」

 恥ずかしくて床を見つめたまま呟いた。

「──こども」

「子供?」

 自分が幼稚だと言いたいのだろうか。胸の内がもやもやする。

「いつも、こどもにやってるから」彼女は思い出を振り返るように、ゆっくりと。

「お子さん、いるんですか?」

「三人。可愛い」


 下から見あげた彼女は子供を想う母の顔だ。

 何で似ても似つかない母親を思い起こさせるのか、疑問だった。けれどそういうことだったのか。


 無意識なのだろう、暫くすると彼女の口から静かな歌が漏れた。

 聞いたことがないメロディー、どこの言語か分からない歌詞。

 だけどそれは優しく俺を眠りに誘っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マリーゴールドの花を添えて 鬼多見 林檎 @a-ri30n-aka3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ