インプラントされた共有脳によって、体験や知識のすべてを他者と共有し、あるいは自在に技能をインストールできるようになった社会。犯罪は治療可能な病気となり、警察や裁判所はその役割を終え、保健省という組織に統合された。その反面、トロルウィルスと呼ばれる悪意を感染させる体験コンテンツが存在し、次々と犠牲者を感染させていくウイルスに対抗するためのトロル対策局なる組織が必要とされていた。
主人公バクバは、共有脳を持たない「脳無し」の免疫屋。その彼が、エリート防疫官アルナナと組み、とある悪意感染事件を追うという筋書きです。さほど長くない作品ですが、その中で共有脳という素晴らしい技術と、それに伴って噴出した社会と人の歪みというものが見事に描き出されています。
共有脳を持つ者と持たない者。あるいは、共有社会の成功者と敗北者。人の心までをも編集してしまう超技術を手に入れても、人間らしい愚かしさ、素晴らしさが変らず残っている。未来社会の一面をスパッと切り取る技が見事でした。
一般論でいえば、もう少し物語の経過を見てから、レビューを打ったほうが適切な内容が書けるんでしょう。
しかしこの物語の場合は、共有脳というアイデアが強烈なため、おそらくどこの話数の時点で書いても、注目する大事なポイントに変化がないので、この時点で書けると判断しました。
少しだけネタバレというか物語の核心に触れるのですが、人間に共有脳を導入することで、あらゆる概念に変化が生まれました。
弁護士資格をはじめとした、専門的な訓練と実地経験を伴わないと使い物にならないはずの知識が、お手軽に使えるようになったのです。しかも上書きも削除も思いのまま。
共有脳を媒介にして共感能力を高めることより、殺人どころか戦争ですら未然に止められます。
一見すると、プラスの情報が並んでいるように思えますが、SF小説ですから、もちろん負の側面もたくさん出てきます。個性の概念が薄れるというか個人と個人の境界線が薄れていくわけですね。
ですが、この物語においては、もっと重大なポイントがありまして、それが殺人行為の価値観の変遷です。
じゃあその価値観をどうやって揺さぶるかといえば、ウイルスを使います。
トロルと呼ばれるウイルスがありまして、こちらも共有脳を媒介して他人に感染してしまうんですよ。どんなウイルスかといえば、人間が凶暴化して、しかも共有脳を使うことで戦闘行為に必須な経験を安易に導入できるため、無軌道な人間兵器みたいな状態になります。我々の世界における元軍人の乱射事件を思い浮かべるとわかりやすいでしょう。
じゃあ、そんなウイルスに感染した人間を誰が止めるかといえば、脳なし、つまり共有脳を導入していない人間が対処することになります。
またの名を免疫屋ですね。
ここで価値観の逆転が起きます。共有脳によって殺人どころか戦争を回避できるようになった人類に、なぜかトロルに感染した人間を落ち着いて殺傷分できる人間がいる。じゃあ、その人間は正常なのか異常なのかという問いです。
この物語が憎らしいのは、そこでデイブグロスマンの名著【戦争における「人殺し」の心理学】を引用することで、ことさら強調されます。
どんな本かといいますと、ベトナム戦争の兵士たちの発砲状況を調べることで、そもそも一般的な人間は戦場においてどれだけ殺人マシーンになりえたのかということを調べたものです。
結論から語れば、一部の人間が〈活躍〉していて、ほとんどの兵士は発砲すらしていなかったのです。ただし、この本の内容に関しては、今も論争が起きていますので、安易に結論と銘打ってはいけないんでしょう。しかしここはレビュー欄ですので割愛します。
さて、この物語の内容に戻るのですが、殺人に関する価値観の変化を土台にして、他の価値観にも切り込んでいくことになります。まだ連載途中ですので、次々とテーマが出てくることでしょう。
どんなテーマを掘り下げていくのかを目撃するのは、私だけではなく、このレビューを見たあなたかもしれません。