32 結ばれる手

 一方ピィとマリリンは、とたとたと長い廊下を早足で歩いていた。


「んもう、絶対遅刻しちゃいましたわ! それもこれも、なかなかピィちゃんがドレスを着ていてくれないからっ!」

「マ、マリリンが吾輩のアクセサリーを長時間悩まなきゃもっと早く終わってたぞ!」

「だってピィちゃん何でも似合うんですもん! 怒るなら可愛く産まれたご自身をお怒りなさって!」

「んんん!? えええ!?」


 愛らしく頬を膨らませるマリリンの言に、わたわたするピィである。が、残念ながらここから事態はより深刻化する。


「ああ、ピィさん、マリリン王女。ちょうど呼びに行こうと思って……」


 角を曲がった所で鉢合わせしたのは、朗らかに笑うクレイスである。だが、彼がその目にピィの姿を収めた瞬間、


 彼は、卒倒した。


「えええええええ!!?」

「ええええええええええ!!???」


 目の前で倒れられては放っておくわけにもいかず、クレイスを介抱しようとする乙女二人である。けれどピィが触れようとした瞬間、クレイスは片手で制してきた。


「……すいません……それだけはご勘弁ください……!」

「ご勘弁と言ったって、お前ぶっ倒れてるんだぞ。早く運ばねば」

「いえ、もうただでさえショックが大きいんです。これでピィさんに触れられようもんなら、俺多分爆発して死にます……!」

「なんでだよ」


 意味がわからない。だがクレイスは本気で言っているようで、ピィと目を合わせないよう薄目で遠くの方を見ていた。


「ちょっとマジで直視できない……! ピィさん、どうしたんですか。俺が朝行った時は、ドレスを着る予定なんて無かったじゃないですか」

「まあ、朝からそんな会話を! お熱いですわね!」

「違うんだ、マリリン。吾輩がドレスをしまいこんでいたのをコイツが勝手に確認してただけであって」

「ピィさん、まずはドレスの裾から目を慣らしてもいいですか」

「もう好きにしてろ、お前は」


 流石にこの状態にマリリンも付き合わせるわけにいかず、ピィは彼女にケダマを預けて送り出すことにした。……去り際、マリリンがやたらニヤニヤしていたのにだけは閉口したが。


「……綺麗なドレスですね」


 そして数分かけて、ようやくクレイスはピィの顔を見られるまでになった。


「髪色に合わせたネイビーのドレス。華美でなく、かつ装飾品も最小限のシルバーだけ。けれどそれが、逆にピィさんの魔王としての気品を際立たせています」

「相変わらず口が上手いな、お前は」

「静かで優美なる、夜闇に浮いた月。それが今のピィさんです」

「ほんと恥ずかしい」

「ちなみにそのドレスは、俺に見せるために?」

「そんなわけないだろ。思い上がるな」


 軽めにビシッと頭を叩いてやる。その時たまたま使ったのが左腕だったというだけだったのだが、複雑そうな顔のクレイスに見つめられた。


「……腕、だいぶ動くようになりましたね」

「そりゃあな。吾輩は魔王だぞ」

「傷跡は?」

「残るは残ってるけどな。まあ大したことはない」

「……」

「というか元気になったなら早く行くぞ。結婚式」

「俺たちの?」

「ニャグ爺とクリスティアのに決まってるだろ! いい加減にしろ!」


 流石にそれは冗談だったらしい。「わかってますよ」とクレイスは笑った。

 ……思えば、あの日からよく笑うようになったものだ。最初に出会った時こそ、これほど胡散臭い笑顔は無いと思ったのに。


「ピィさん」


 クレイスがようやく身を起こす。かと思ったら、ピィの前で膝をついた。

 そして顔を上げる。凛とした風貌の青年は、ピィに向かって片手を差し出した。


「……どうか、俺の手を。このクレイスに、あなたを式場までエスコートさせてください」

「……」


 彼のグレーの瞳は、真剣な色に染まっていた。

 ――あれからフーボ国の貴族として、彼は上から国を変えていくと決めた。その後は他国からの後ろ盾をうまく使って立ち回り、今やフーボ国でも確固たる地位を築いていたのである。彼が言うには、もう少し情勢が落ち着いたら、他の者に仕事を投げてピィの元へ婿入りしに来るとのことだったが……。

 貴族らしい華やかな礼装の青年を、前にして。これではまるでプロポーズみたいだとそう連想してしまったピィは、勝手に熱くなった頬を両手で押さえた。


 そして、それを見逃すクレイスではないのである。


「え、なんですかやっぱこういうのが好きなんですかガンガン押されるよりちょっと引いて礼儀正しいのがいいんですかなるほど今後の参考にさせていただきま」

「もー! ほんと吾輩お前のそういうとこ嫌い!」


 またしてもぐいぐい迫ってくるクレイスを両腕で突っぱね、勢いで手を取る。何故か逆に目を丸くした彼の体を引っ張って立たせ、ピィは言ってやった。


「誰がお前なんかに任せるか! 今日は吾輩がエスコートしてやる! 特別だぞ!」


 ……その時、自分は一体どんな表情をしていたというのか。クレイスは、今にも泣き出しそうに笑み崩れたのである。











 生まれて初めてピィが見た結婚式は、華やかで幸せなものだった。笑顔が溢れて、祝いの言葉が飛び交って。正直自分がやるのは面倒だなぁと思っていたピィだったのだが、こうして誰かと喜びを分かち合える場にいられるのはとても満ち足りたことだと素直に思えた。


「……それでも、まさか吾輩にお婆ちゃんができるとは思わなかったがな」

「あ、ピィちゃん! 次はブーケトスですわよ! 早く行かなきゃ!」

「ブーケトス? なんだそれ?」

「花嫁さんが投げるブーケと呼ばれる花束を手に入れるイベントのことです! しかもこのブーケをゲットできた女の子は、次に結婚ができるというジンクスがあるんですのよ!」

「へぇ、マリリンは詳しいな」

「えへへ、実は文献で読んだお話だったんですけどね。クリスティア様に提案したら、ぜひやろうと言ってくださって」

「そうか。マリリンが結婚したらヒダマリがどんな顔をするか見ものだが、そういうことならぜひ行ってくるといい」

「何を仰ってるの!? ピィちゃんも来るんですわよ! ほら!」

「ええっ!?」


 マリリンに連れられ、ピィは渋々未婚の魔物女性と人間女性がひしめき合う広間の中央へと向かう。ちなみに魔物はその場から動かぬようにとのハンデがあるので、力で劣る人間女性が完全不利というわけではない。


「では、行くぞ! せーのっ!」


 だが、触手持ちの魔物に敵うはずがなかった。ブーケをゲットしたのは、魔王城食堂長の触手の魔物メルボさんだった。


「ずるい! ずるいぞ! メルボさん!」

「うふふっ、なんとでもおっしゃい! 結婚は戦争なのよ!」

「むむう……!」

「待っててブーニャ様……! 絶対に落としてみせるわ!」

「待ってメルボさんの好きな人父さんなの!?」


 ブーケトスは、終わってからのやりとりも楽しいものなのである。

 片や、テーブルでドリンクを飲むクレイスに声をかける者があった。


「よっ! お前、相変わらず嬢ちゃんばっか見てんのなー」

「おや、ベロウさん」


 クレイスの元居候先の男、ベロウである。慣れぬ結婚式の空気に疲れたと見え、どかりと椅子に座るなり彼はネクタイを緩めた。


「惚れてんねー。まあ別にいいけど」

「何せ他に見るものも無いので」

「結婚式でその言葉は失礼過ぎるだろが。……あ、そうだ、この間はサズ国に労働者の派遣ありがとよ。まだ全然人手が足りねぇから助かったわ」

「なんの、フーボ国としてもありがたいことですよ。今は犯罪に身を落としていても、真っ当に働いて稼ぎたいと思う者も少なくありませんからね」

「つっても思い切った政策をやるよな。今政府の勧める働き口に行けば、これまでの罪を免除してやるとか」

「……一応、裏でどんな事をしてきたかはざっと探りますがね。かなり強引な手を使わねば、現状を変えることはできません」

「そっか」


 返事をしてのち、ベロウは腕を組んで少し考えていた。だが、むっすりとした顔のまま口を開く。


「……なあクレイス」

「はい」

「お前さ、今はちゃんと幸せか?」

「なんですか、突然」

「いや、なんとなく気になって」

「えー……」


 クレイスの目が、ダークスに向けられる。それからぐるりと会場全体を見回した後、またピィにとまった。賑やかな世界の中心で、友と、仲間と、知らない誰かと笑い合う彼女に。

 そんな彼女の緋色の瞳が、一度クレイスを捉える。ピィは、意外にも照れ臭そうに笑うと彼にヒラヒラと手を振った。

 そうして、彼女がマリリンに話しかけられてあちらを向く頃には。クレイスの口元には、すっかり柔らかな笑みが刻まれていた。


「……そうですね。俺が自覚しているより、俺はずっと幸せかもしれません」

「そうか。そんなら良かった」


 ベロウはヒヒッと肩をすくめて笑う。長い腕を伸ばし、ぐしゃぐしゃと押し付けるようにしてクレイスの頭を撫でた。


「ちょ、何するんですか」

「うるせぇクソガキ。いいか? 人間、生まれてきたからには幸せにならなきゃならねぇぞ。生きていくってことは、幸せになることだ。お前はちゃんとそれを胸に刻んで生きてかなきゃいけねぇ」

「……あまり、言ってる意味が分かりませんが」

「いいよ、分かんなくて。オレ様が勝手に言いたかっただけだから」

「はぁ……」

「つーかお前、オレ様に恩があるのを忘れてねぇだろな! オレ様がフーボの貴族になった日にゃ、めちゃくちゃ優遇してもらう予定なんだから!」

「や、その頃には俺もうピィさんに婿入りしてるんで……」

「そこはもう……あれだ、粘れ!」

「嫌です。俺幸せになります」

「ムカつく!」


 不毛な言い合いをしていると、ふと広間に流れていた音楽が変わった。合わせて何人か立ち上がり、それぞれペアを組み始める。


「お、ダンスタイムかね。ちょうどいいや、嬢ちゃん誘って踊ってこいよ」

「はい、勿論。……あ、ベロウさん」

「何?」

「向こうから物凄い勢いで猫の大群がやってきています。ご武運を」

「あーっ!!」


 一瞬でにゃーにゃー鳴く毛玉に埋もれるベロウを見もせず、クレイスはまっすぐピィの元へ行く。そして二人は二言三言を交わし、手を取り合った。

 明るく、テンポの良い曲が会場を満たしている。兵士も元奴隷も、人もスライムも、人の王妃も魔物の王も、微笑み合って踊っている。

 無論、この広間の外の世界ではまだ混乱が続いている。真実が明るみになり、国はごとりと変わり、まだ差別や貧困の泥に喘ぐ者も多い。

 けれどこの場所では、人も魔物も、身分も違う者達が共に生きていた。そんなきっといつかは訪れるだろう未来に願い、皆は愉快なステップを踏んでいたのである。


 その中で、クレイスはそっとピィの耳元に口を寄せる。


「……ところで、ピィさんに一つ質問をしたいのですが」

「うん、なんだ?」

「あなたは、まだ世界征服を企んでいますか?」

「ほぇっ!? いきなりだな!」

「まぁ、デリケートな話です。逆にこういう場でしかできないと思いまして」


 クレイスは、踊る人の少ない場所へ上手くピィを誘導する。


「古のモノの力が封じられたとはいえ、まだピィさんの体には“支配”の力が残っています。しかも今、各国は大いに力を失っている状態です。……ピィさんが望むのであれば、明日にでも世界征服は可能だと俺は思うのですが」

「あ、えっと。うーん……」

「その辺り、ピィさんはどうお考えですか」


 彼の問いに、ピィは戸惑いながらもクレイスを見上げる。……いつもの通り、彼は澄ました表情だ。だがそのことが、何より彼が本気であることをピィに確信させた。


「……その、吾輩の考えは逆なんだがな」

「逆?」

「ああ。つまり、まだ時じゃないと思ってるんだ」


 だからピィも、ちゃんと答える覚悟を決めたのである。


「不老不死の独裁者が死んで、世界は新たな歴史を紡ぎ始めた。良き王の元で人も魔物も増え、これからきっとより良い世界に変わっていくだろう」

「……どうでしょうね。数が増えれば、その分厄介にもなりますよ」

「それもそうだがな。しかし、数があればあるほどできることは増える。……例えば、結界の殻に守られた世界の外に行くだとかな」

「……」

「要するにだ、まだこの世界はやっと芽が出てきたぐらいなんだ。収穫するには早い。多くを得たいと思うなら、もっと育てないと」

「……では、世界が立派な果実になった暁には」

「うむ、必ずやこの魔王の手でもって刈り取ってやるぞ。その時はクレイス、お前の力も借りることになるだろう」

「勿論。俺はずっとピィさんの味方ですから」

「ふふ、それも千枚舌じゃなかろうな」

「まさか」


 ――側からみれば、睦まじい恋人同士のように見えたかもしれない。その実、無邪気な世界征服計画を立てるピィとクレイスは、誰にも知られることなくたった二人きりの世界で笑い合っていた。


「……魔王と勇者の夫婦が共謀して世界征服するなんて、前代未聞ですけどね」

「しれっと結婚させんな。まだ早い」

「まだということは、だいぶ期待していてもいいということで」

「ああもう、知らん。好きに受け取れ!」


 照れ隠しのあまり離れようとするピィの手は、しかししっかりとクレイスに掴まれている。こうなれば仕方ないので、ピィもまた彼の手を握り直した。

 優しい温度の中で、ピィはふと思い出す。幼き日、孤独だった自分に向けて伸ばされた手のことを。生まれて初めて自分に応えてくれた手に、きっと恋すらしていたことを。

 もう一度クレイスの手を握り、そこにある存在を確かめる。それに気づいたクレイスに笑われて、やはり恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。

 ――まるで、終わることを忘れてしまったような音楽の中で。やっと届き合った二人の手は、ずっと固く結ばれていた。




 新米魔王と千枚舌勇者の世界征服記・完

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新米魔王と千枚舌勇者の世界征服記 長埜 恵(ながのけい) @ohagida

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