31 結婚式

「ピィちゃん、入りますね」


 そして、ピィの思考はコロコロとした声に引き戻された。扉に向かって返事をすると、栗色の巻毛の乙女がひょっこりと顔を出す。


「おはようございます、もうお目覚めでしたのね」

「やぁ、マリリン。今日は殊更綺麗だな」

「えへへ、そうでしょう? 見てください、このドレス。今日のために、お母様が新しく誂えてくださったんです」


 マリリンがくるりとその場で回ると、薄黄色のドレスの裾がふわりと膨らんだ。小さなリボンやレースが所々に縫い込まれた、職人の技が光るたおやかなドレスである。


「うん、本当に綺麗だよ。マリリンによく似合ってる」

「うふふ、でも今日の花嫁さんには負けちゃいますわ」

「どうだろう、結構いい勝負をするんじゃないか?」

「まあ! でも私なんて、本気を出したピィちゃんに比べたら……」


 そこまで言いかけて、マリリンのまんまる眼鏡の奥の大きな目がピィの全身像にとまる。……彼女の髪は、少しばかりいつもより整えられているだろうか。だが、服装その他はいつもと同じであった。

 全く、同じであったのだ。


「ピィちゃん、なんてこと!!」


 マリリンは、両手を口元にあてて大袈裟に嘆いた。


「なんですの、その服は! 今日は結婚式ですのよ!? この間私とお母様とで選んだドレスはどうしたんですの!!」

「大事にしまってある」

「しまっちゃダメですわよ! 今日着なくちゃ!」

「でも吾輩に似合うと思えないし、動きにくいし、一人で着られないし」

「あんなに似合ってたんですわよ、自信持って! それに……!」


 鼻息も荒く、王女は魔王に詰め寄る。


「ピィちゃんがドレスをお召しになったら、クレイス様だってメロメロになるはずです!」

「……そ、そこは、別にどうでもいいんだが」

「一番大事でしょう! ほらもうっ、脱いで! ドレスを着ますわよ!」

「やだやだやだやだぁ! 吾輩絶対笑われるもん、似合わないって!!」

「ケダマちゃんも手伝って!」

「みょみょーっ!」

「裏切り者ーっ!」


 マリリンの細腕のどこに、魔王を屈服させる力があったというのか。ともあれピィは押さえつけられ、あれよあれよというまに着替えさせられたのであった。












 その頃、魔王城の広間にて。魔物や人間が入り乱れる中、前魔王であるブーニャは、ダークスとヨロ王、ガルモデとルイモンドとテーブルを囲んでいた。


「にゃー! ついにこの日が来たなぁ! 吾輩、腕によりをかけて骨をピカピカに磨いちゃったもんね!」

「ええ、確かに素晴らしい輝きですね。今日のブーニャさんは、この会場の誰より目立つと思いますよ」

「んもー、そんなこと言って! ダークス殿は目が見えんから分からんではないかー!」

「あっはっはっは!」

「にゃはははは!」

「すいませんすいませんうちの前魔王がすいません」

「ああいえ、ルイモンドさん、そんな恐縮なさらないでください。兄もめちゃくちゃ楽しそうなので……」


 あれ以来、すっかり普通の友達であるブーニャとダークスである。これでなかなか趣味も合うようで、よく二人で釣りに出かけたりもしているらしい。

 が、側近の一人であるルイモンドは胃をキリキリと痛めていた。一度追放された身とはいえ、ダークスはヨロ国の王族なのである。万が一ブーニャが粗相をしたらと思うと、気が気ではなかった。


「いいじゃねぇか、ルイ。オメェはいい加減心配し過ぎなんだよ」

「ガルさんは呑気ですねぇ……」

「仲良いうちは放っときゃいいだろ。止めなきゃいけねぇのは、喧嘩が国際問題に発展した時だけだ。あとは本人達の問題、俺らが首を突っ込むことじゃねぇ」

「……!」

「どした?」

「ガルさん……以前より賢くなりました……!?」

「あ?」

「す、すごい! これはすごいですよ! 古のモノの泥に侵食先を賢くする効能でもあったんでしょうか!? ともあれめでたい! これは早速お祝いせねば!」

「ねぇわ、泥にそんな効能。そんでだいぶマジで言ってるな。ぶっ飛ばすぞ」


 真面目に喜ぶルイモンドを前に、こめかみに筋を立てるガルモデである。が、その拳が美形の魔物に届く前に割って入った声があった。


「すいません! 遅くなりました!」


 現れたるは、今やミツミル国王となったリータである。整い過ぎた容姿を振り撒く若き王を、ブーニャは破顔して迎えた。


「よく来たな、ミツミル王よ! どうだ、政務の方はだいぶ慣れたか?」

「は、はい! クリスティアを始め皆が手伝ってくれるので、なんとかこなせています!」

「にゃにゃ! それは何よりである! 困ったら、いつでも吾輩や魔国を頼ってくるがいいぞ!」

「ありがとうございます! ……で、あの……」


 リータは、そわそわとダークスに顔を向けた。


「……その、師匠はどこに……?」

「ベロウ君のことかな? あれ、いないかい? さっきまでここにいたのだが……」


 ベロウがいないと分かるなり、目に見えて消沈するリータである。

 ――それは、一年前の大事件の直後。急遽各国王や代表者による話し合いが行われ、ノマン王国はサズ国に統合されることに決まった。その際、奴隷軍のトップだったダークスが、そのまま王に据えられたのだ。

 そしてそんな彼にくっついていったのが、ブーニャとベロウだったのである。


『オレ様な、いつかフーボ国に帰ろうと思うんだ』


 別れが辛過ぎて号泣するリータの頭を撫で、当時のベロウは言った。


『だから、そん時までにちょいと学と箔をつけときてぇんだ。ま、今までフーボ国はノマン王国に擦り寄って甘い汁をすすってきたわけだし? 案外こっちにいる方が、フーボの奴らをどうにかできるかもしれねぇってのもあるけどな』

『ううう……じゃあ、フーボ国での仕事が終わったら、ミツミル国に来てくれますか?』

『いや、普通にそのままフーボで暮らすけど……』

『じゃ、じゃあ! 骨だけでもいいので、ミツミルに埋めに来てください!!』

『逆にお前はそれでいいの!? 骨だぞ!?』


 そういうわけで、ベロウとは今日まで別れて暮らしていたのである。故にリータとしては、ベロウは殊更会いたい人物であったのだが……。

 その時、にわかに入口辺りが騒がしくなった。


「あああああっ! もうあっちこっち引っ張んじゃねぇよ! オレ様せっかくめかしこんでんだぞ!?」

「にゃー! 素敵にゃー! ベロウにゃんかっこいいにゃー!」

「ベロウにゃーん! 会いたかったにゃあー!」

「もー、ちょっと小便行っただけでこれだよ! オイ分かったから! 後で全員なでなでしてやるから!」

「その言葉を忘れるな、にゃー!」

「楽しみが増えたにゃー!」


 ――大量のニャンニャン医療隊に取りつかれた、ベロウが広間に入ってきたのである。というか、猫の数が多過ぎてほぼただのキャットタワーだったのだが。


「師匠!」

「あ、リータ久しぶり! 早速だが頼む、コイツらを何とかしてくれ!」

「は、はい! え、でも何をすれば……!」

「おや、リータ王じゃないですか。ご無沙汰しております」

「! ヒダマリさん、すいません! 少しだけお体をお借りします!」

「何何何」

「こんにちは猫さん達! こちら眼鏡のお兄さんが来ましたよー!」

「にゃー!! あの鬼畜眼鏡にゃー!!」

「逃げるにゃー!! また髭を引っ張られるにゃー!!」

「アイツだけは嫌いにゃー!!」

「よし! ありがとうございました、ヒダマリさん!」

「マジかよ、蜘蛛の子散らすように逃げてったんだけど。どんだけ嫌われてんだ、兄ちゃん」


 突如現れたヒダマリのお陰で、ベロウは無事救出された。が、ベロウのキャットタワー化はまだ終わらない。


「じじょおおおおおおお!!!!」

「うわーっ!」


 次はリータの番であった。


「やめろーっ! お前王様になったんだろ!? 幼児退行してんじゃねぇよ!」

「会いたかったですー! お元気そうで何よりですー!」

「聞いちゃいねぇな! やめろって、お前にゃんこと違って重いんだよ! 腰が! 腰がやられる!」

「うわ、すげぇ人気ですね」

「ヒダマリ! ドン引きしてねぇで剥がすの手伝ってよ!」


 結果としてヒダマリは全く手伝ってくれなかったので、ベロウは一人でリータを剥がすことになった。一国の王を雑に引き離しながら、ベロウはヒダマリに話しかける。


「……ま、何はともあれさっきは助かったよ。そんで兄ちゃん、最近どうなの?」

「ええ、変わらずヨロ国で仲間と研究を続けていますよ。ベロウさんらに比べたら、気楽な身分です」

「そうか。……で、例の件は考えてくれた?」

「んー……俺としては、共同研究者たるネグラ君がいればすぐにでも行くのですが」

「あー、やっぱその条件は譲れなぇか。……で、ネグラちゃん。そこにいるのは分かってんだけどさ」

「ギクッ」

「どう? コイツと一緒にサズ国に来るの」

「絶対! 嫌です!!!!」


 テーブルの下に隠れていることを見破られたネグラは、ここぞとばかりに声を荒げた。ネガティブな目つきは相変わらずだが、流石にいつものボサボサ髪には櫛が通され全体的に小綺麗な風貌になっている。

 そんな彼がいるテーブルを覗き込んだヒダマリは、嬉しそうに片手を上げた。


「よお、ネグラ君。久しぶりだな。探しても見つからないから心配してたんだぞ」

「クソッ、ヒダマリ……! 何故ここに……!」

「何故も何も来るに決まってるだろ。俺一応王族なんだし」

「ぐぎぎ……! お前にだけは会いたくなかったのに……!」

「そんな事を言うんじゃない。一緒にサズ国へ行って、また思う存分研究しようぜ。君がいなきゃ面白くないんだよ」

「ぐぎぎ」

「……師匠は、サズ国にヒダマリさんとネグラさんを誘致しようとされているのですか?」

「ああ、そうだ」


 リータの質問に、ベロウは頷く。


「ヨロ国にゃ負けるが、実は旧ノマン王国にも結構いい研究設備が揃ってんだよ。それを遊ばせておくのも勿体ねぇし、だからヨロ国から何人か優秀な研究者が来てくれればと思ったんだけど……」

「それでヒダマリさんを誘っていたのですね」

「そうそう」

「で、でもなんでその流れで僕なんですか! 他にいくらでも適任はいるでしょう!」

「いや、そんなことはないぞ! 自信を持ってくれネグラ君。君は俺にとって代替のしようがない存在だ!」

「ヒダマリ……」

「優秀な能力、研究素体、魔物としての知識、討論相手、交通手段! どれを取っても、俺のパートナーとして君以上の適任は無いと断言できる!」

「今聞いただけでも、僕にとって不本意な要素が二つほどあったがな! 誰が行くか!!」


 ぎゃあぎゃあとやりとりする二人を尻目に、ベロウはリータにだけこっそり耳打ちした。


「……実はな、もう一つあんだよ」

「え、ヒダマリさんを誘う理由ですか?」

「おう。今でこそ問題無くサズ国の王をやれてるダークスさんだがな、あの人ももういい年だろ? そんで、後継としてヒダマリの名前が上がったんだ。アイツなら元々王族だし、候補としてはいいんじゃないかっつってな」

「ああ、なるほど」

「それと、シンプルにダークスさんがヒダマリを気に入ってるってのもあってさ。マリパさんもオーケーしてくれたし、あとは本人の一存だけなんだが……」

「……唯一の条件であるネグラさんが、強情というわけですね」

「そうなのよ。どうすりゃ落ちるかなー」

「……個人的には、ネグラさんも満更ではないと思うんですけどね。多分行かざるを得ない状況を作れば、悪態をつきながらもすんなり行くと思いますよ」

「何、お前そういうことも分かんの?」

「なんか……分かっちゃいますね……」


 複雑そうな顔をするリータに、疑問符を頭に浮かべるベロウである。が、広間の照明が落ちたことで会話は中断された。


「むむ、もう式の時間であるか?」


 それにまず反応したのは、ブーニャである。


「参ったな、まだ来てない者もおるではないか。困ったもんだ」

「まあ、おいおい来るでしょう。彼らの分まで、我々が盛り上げましょう」

「ふむぅ、まったくマリパ殿はよくできたお方だのう」

「いいえ、それほどでも。ただ、今は彼らの幸福に浸れたらと思うだけです」


 ここでマリパは、少し声を落としてブーニャに問いかけた。


「……どうです? ブーニャ様。何せご家族が結婚されるのです。しかもその相手が人間となれば、相当に緊張されているのではないですか」

「……そうだな。それは確かにそうだ。実際生前の吾輩は、魔物と人との和解に尽力してきた身だった。……そして今、まさにその結晶であるようなこの儀に臨み、臆していないと言えば嘘になる」


 「だが」と前魔王は、骨だけの顔に優しげな笑みを漂わせた。


「――いくつになっても、家族が増えるということは。なかなかどうして嬉しいものだ」


 暗闇の中で、一人の青年が陸上型チョウチンアンコウの魔物の明かりによって照らされる。今やヨロ国の外交大臣にまで出世した、バリュマ=シタレードであった。

 彼は一礼すると、よく通る声を会場に響かせた。


「皆さん、この度は結婚式にお集まりいただきありがとうございます! 本日司会を務めさせていただきます、ヨロ国のバリュマです!」

「ひゅー! バリュマー!」

「ちょぎょぎょぎょ!」

「応援ありがとうございます! それでは、まずは本日の主役であります新郎新婦のご入場から! たくさんの拍手でお迎えください!」


 彼は、優雅な手つきで大きな扉を指した。それを合図に、近くに待機していた音楽隊により壮大な音楽が流れ始める。

 扉が開く、緊張の一瞬。いよいよ、大陸史上初のカップルがお目見えする時が来たのだ。


「――新郎ニャグ=ミラルバニ、並びに新婦クリスティア=マーガレット! 入場です!!」


 歓声と拍手の雨の中、礼服を着込んだしわくちゃ顔の猫の魔物と、純白のドレスに身を包んだ老婆が登場する。二人は視線を交わすと手と手を取り合い、祭壇に向け厳かに皆の前を歩いていった。


「――いや、なんでお前らだよ!!!!」


 故にそんなベロウの呟きも、喝采に紛れて誰にも聞こえなかったのである。

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