30 今は、この幸せだけを

「……いや、アホか」


 しかしピィは、クレイスを見るなり眉間に深い皺を寄せた。


「お前、何度吾輩の部屋に勝手に入るなと言えばわかるんよ! 毎朝毎朝、どんな鍵つけても突破しおってからに!」

「はい、やはりピィさんの寝顔は何度見ても可愛く愛らしいもので……」

「ダメだ会話ができてないな! もうやだ! 吾輩部屋を変えてもらう!」

「俺との相部屋に?」

「なんでそうポジティブで恐ろしい発想ばっかポンポン出てくるんだよ! いいから出てけ!!」


 クレイスを部屋から押し出し、三重に鍵をかける。ピィはしばらくうなだれていたものの、「よし」と気合いを入れ直すと朝の支度を開始した。

 顔を洗って、髪を整えて。「みょー」と鳴きながら膝に乗ってきたケダマに、ブラッシングもしてやって。


「……そうだな。今日は、特別な日なんだ」


 やっと穏やかな心地になったピィは、ブラッシングにうっとりとするケダマを撫でる。


「だって結婚式なんだ。ケダマも吾輩も、とびきりおめかししなくちゃ」

「みょ」


 ふわふわしたピンクの毛を束ねて、自分の髪と同じ色のリボンを結んでやる。ケダマも嬉しいのか、体を震わせて鏡を覗き込んでいた。

 空は快晴。本来なら、常に魔力の雲で覆われているはずの魔国にしてはありえない天候である。だが、今日だけは特別にと魔法をかけて青空を作っていたのだ。

 ――何故なら、歴史上初めて、魔物と人が婚姻を結ぶ日なのだから。

 ピィは、静かに目を閉じる。そして、もう一年前にもなるノマンを倒した後のことを思い返していた。










「ああああああああああピィちゃんんんんんん!!!

! 大変ですわ、大変なお怪我ですわああああああ!!」

「マ、マリリン、そんな大袈裟にしなくていい。吾輩は魔物なんだ、これぐらい一週間も経てばすぐに……」

「にゃああああああ! ほんとだ、すごく酷い怪我じゃ! パパァッ! 吾輩の娘が怪我をしておるのだ! すぐに助けてくれぇっ!!」

「ピーピー騒ぐでない、バカ息子! あと皆の前ではニャグ医療長と呼べと言ったろうが!」

「クッ……クレイス! 本当にクレイスがいるのか!?」

「先生……! ……ああ、よくご無事で……!」

「いや、私のことはいい! それより君が……あああ、私達を助ける為にこんなにも魔力を削ったのか! 君は魔力を使うことに負担がかかる体なのに……! チクショウ、やっぱり乱入してノマンに爆弾ぶち込んでやるんだった! と、とにかく今助けるから!」

「兄さん、クレイス君は任せてくれ! 私の奥さんは回復のエキスパートなんだ! な、マリア!」

「ええ、一時間もあれば粗方治せます! お任せあれ!」


 ――ノマンとの激闘後、ばったりとその場で気絶したピィとクレイスは、巨大化したケダマの根性により皆の元に連れてこられていた。

 ノマンが倒されたことは、泥の支配が消えたことですぐに皆にも知れ渡った。サズ国の奴隷にも、ノマン兵にも。

 ノマン王国民にも。


「……そうか。ノマン様は、討たれたのか……」


 呆然と呟くは、先ほどまでブーニャとダークスに対峙していたノマン軍兵士長である。そんな彼に同情したのか、ヨロ国の研究者であるデンが腕を組んで言った。


「そう! これでお前さんも自由の身だぞ!」

「自由の身といったって……これからどうすれば」

「とりあえずはサズ国の復興であるな! ノマンの支配から逃れたのだから、もはやお前さんらが争う必要も無い!」

「けれど……我が同胞には、サズ国の民を蔑んできた者も多くいます」

「むむ、それは身分の卑しい者と同列になりたくないという意味か!?」

「いえ、そうではなく……いや、そう思う者もいるかもしれませんが……」


 兵士長は、首を振って続ける。


「……我々は、相当にサズ国の者から恨まれているのです。事実、ノマン王国軍は彼らを虐げてきました。犯した罪は、到底消えるものではありません」

「だが、償えるだろう!」

「……」


 デンは胸を張り、まっすぐに兵士長を見ていた。


「前を向くのだ! 悔やんでいるのなら、そう口に出せばいい! そして行動をもって示すのだ! それでいい、むしろできることなどそれぐらいしか無いのだ!」

「……!」

「動くのだ! 我々は今から忙しくなるからな! 何せ国も人も魔物も法も、一から作り上げなければならぬ! これは大変だぞ! 不要な者など一人とておらぬ! 特に力持ちで体力のあるお前さんらの協力は、必要不可欠だ!」

「……ッ……知らないおっさん……!」

「デン=ボンボンである!」


 だが、デンの言うことは的を得ていた。ノマン王国は王を失い、サズ国は奴隷の身に落ちた者ばかりでまともに統治できる者がいない。フーボ国だってノマンに擦り寄る汚職貴族だらけであり、ミツミル国も長き圧制から解き放たれたばかりなのだ。

 まともに国として機能しているのは、ヨロ国と魔国だけという凄まじい状況。解放の喜びもそこそこに、彼らは早急に“世界としての方針”を立てる必要があった。


 けれど、今は。


「無事に終わって良かったぁぁ……! 魔物の皆さん、死んでる方はいませんね!? モグさんもコケッコさんもボヌヌゥさんも、全員いらっしゃいますね!?」

「うーい、バリュマー!」

「コケッコケッコケッ!」

「びょー! びょー!」

「わああああい! 人間さんもよく頑張ったねぇ! 偉いねぇ! すごいねぇ!」

「はい、スライムさんもお疲れ様です! たくさん助けてくださり、本当にありがとうございます!」

「ああああ、もう自由なんだ……! 俺たちは、楽になれるんだ……!」

「誰も殺さなくていいんだ……! 戦わなくていいんだ……!」


 ――ただ、ようやく手にした自由を分かち合うことができればいいと。周りを見渡しながら、手当を受けるピィはそう思っていた。

 その時、ふいに大きな影がピィ達を覆う。


「おおー、やっぱネグラ君の竜形態は最高だな! こんな距離でもすぐに来られる!」

「ヒ、ヒダマリの為じゃないからな! ガルモデ様に頼まれて仕方なくだから! つーかまだ体痛いんだよ! その辺分かってる!?」

「竜……!? その声、ネグラか!?」

「あ、ま、魔王様っ……!」


 不恰好な水色の翼を広げた竜が、少々おろおろしたあと砂埃を上げて着地する。しばらく恥ずかしそうに身を縮こめていたが、ぺこりと従順に長い首をもたげた。

 そんな彼の背中から飛び出てきたのは、派手なシャツのサングラス男である。


「おい! クレイスがアホやらかしてると聞いて来てオレ様が来てやったぞ! ちゃんと生きてんのか、あのアホ!」

「そりゃ生きておるに決まっておろう! 不吉なことを言うでないわ、チンピラ!」

「皆さん、ありがとうございました! お陰様で、こちらは全部上手くいきましたよ!」

「ベロウ、クリスティア、リータ王子……! 来てくれたのか!」

「ぎゃー! 嬢ちゃん、何その腕!? 大丈夫!?」

「お体が治っていない時にすいません、ピィ様。でも、どうしてもあなたに会わせたい方がいて……」


 リータは、体を避けて視線を元来た道に向ける。そこには、赤毛の男に肩を借りて竜から飛び降りる、美しい青年の姿があった。

 その者を見た途端、ピィの瞳が揺れる。


「……ルイ、モンド?」

「おう。すぐにでも会いたいっつーから、連れてきてやったぜ」


 ガルモデの言葉に、ピィの目から一気に涙が溢れ出した。視界が滲む中、ガルモデとルイモンドは顔を見合わせて笑っている。


「……ピィ」


 そしてルイモンドは、誰も聞いたことがないような優しい声で言った。


「よく、頑張りましたね」


 魔王は、痛みも忘れて二人の魔物に抱きついていた。

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