未来の解凍

 二〇二〇年の人類諸君、おはよう。

 生きているか? 飯は美味いか? なら結構だ。

 今日は大事なお知らせがある。

 突然頭の中に俺の声が響いてびっくりするだろうが、あなたたちの脳は正常だから安心して聞いてほしい。いや、これから俺が話すのはとても安心できることではないのだが。

 まず俺が何者かを明らかにせねば諸君は不安なままに違いない。

 俺は三十年後の人間、つまりあなたたちと同じ人類だ。決して敵ではない。

 次に、なぜ三十年後から声だけがするのかという疑問があるだろう。

 それに関しては、いかに科学が発達しようとも、三十年後にはまだ人ひとり分の質量を運ぶタイムマシンは完成していないから、というのが答えだ。

 しかし、データとして容量の軽い声だけなら過去に送ることができるので、こうして警鐘を鳴らしに来た。

 警鐘。そう、警告だ。

 人類は三十年後、二〇五〇年の四月三十一日から滅びゆく運命にあるんだ。

 あ、今嘘だと思ったろう。四月に三十一日などあるはずがない、これはエイプリルフールのような冗談なのだろうと思ったろう。

 残念ながら事実だ。そして真実だ。

 二〇三〇年から暦が改められ、四月も三十一日まであるようになったんだ。信じられないならそれでもいい。だが俺の話だけは聞いてくれ。


 まず牡羊座。あなたたちは最初の生け贄になった。二〇五〇年四月三十一日の午後四時、世界中から牡羊座の人間だけが消失するという事件が起きる。牡羊座であれば老若男女問わず、ただ一人の例外なくだ。この時点では人が同時多発的に消えたことへのショックの方が大きく、俺たちもまだ消えた人間が全員同じ星座だと気づきはしなかった。消えた人間はいずれ見つかるだろう、すぐにひょっこり姿を現すだろうと心の奥底で高を括っていたのかもしれない。だがその二時間後、さらなる事件が起きた。これはまだ、ほんの始まりに過ぎなかったんだ。


 二〇五〇年四月三十一日の午後六時、今度は世界中の蟹座の人間がいなくなった。まだ第一次消失の原因も解明されていないさなかに畳みかけるように謎の失踪が起こり、たちまち俺たちは混乱の坩堝の中に叩き込まれた。人が消える瞬間を撮影した動画が全国に流れ、俺たちは見た。空中に不意に出現した黒いもやのような手が、蟹座の人間を鷲掴みして消え去る光景を。


 謎の手の正体を探っているうちに夜が明け、二〇五〇年の五月一日に次の被害者たちが現れた。いや、消えた。世界中から獅子座がいなくなった。今回もまた黒い手による仕業だった。掴まれた人間はどうなっているのか、手はどこから来てどこへ行くのか、手に意思はあるのか、様々な議論が交わされる中、やっと俺たちは被害者の共通点が星座だということに考えを巡らせた。だが、いかんせん情報が足りなさすぎた。星座というヒントはなんの役にも立たず、事態は好転することはなかった。


 そして今度は天秤座が闇の手に引きずり込まれていった。世間は蒸発した家族や友人を求めて騒ぎ、今度は自分の番じゃないかと怯えるようになった。闇の手と呼称のつけられた謎の手は一切の情報と痕跡を残すことなく、ただただ無慈悲に天秤座を手中に収めて空中で霧散していった。どこかの国の軍の兵器ではないかとの声がささやかれ、人々は疑心暗鬼になっていった。


 それからさらに時間の経った二〇五〇年五月三日。山羊座の人類までもが闇の手に食われていった。家の中に閉じこもろうと他の星座の者と一緒になろうと関係なく、抵抗を嘲笑うように闇の手は山羊座の人間だけを消していった。そのとき、蒸発する星座の順番の法則に気づいたやつがいた。「次は私たちの番です」。そう言い切ったのは、双子座の記者だった。


 記者の予言通り、双子座の人間がことごとく闇の手に連れ去られていった。しかし、大きな進歩もあった。双子座の記者は、自分が消える前にいくつかの仮説を残していったんだ。その中で大きく注目を浴びたのは、今回の人間消失の順番はある小説を元にしている、というものだった。「今日の占い、終末カウントダウン」という、無名の個人の書いたひっそりとした作品だった。その内容は、地球外生命体が人類を星座別に分けて食らっていくことを星座占い式に仄めかすというものだった。俺たちはその小説を分析することに決めた。なぜなら、その小説の中で地球外生命体の標的にされる星座の順番が、闇の手が消していく人類の星座の順番とまったく同じだったからだ。


 すでにどの星座が消えるのかを予習していた俺たち人類だが、それはかえって逆効果だったのかもしれない。次に消えるとわかっていた蠍座の者たちがパニックを起こしたのだ。どこへともなく逃げ惑う者、泣き叫ぶ者、果てはどうせ消えるのならと凶行に及ぼうとする者までいたが、そのどれもが達成されることはなく、みな消されていった。おかしな話だが、蠍座の人間が残っている他の星座の人間に危害を加えようとすると、まるでそれを阻止するように手が現れて蠍座を消し去っていくのだ。


 焦りと恐れに包まれ、五月だというのに極寒の雪原に放り出されたかのように残った人類の大半は震えていた。そんな中、俺は双子座の記者の残したヒント「今日の占い、終末カウントダウン」を黙々と調べていた。作者は何が言いたかったのだろう。なぜ、消えていく人々の星座順がわかったのだろうか。ただの当てずっぽうなのか、はたまた……。俺は作者に会いに行くことにした。その作者は、まだ消えていない方の人間だった。


「声が聞こえたんですよ」五月七日、『今日の占い、終末カウントダウン』の作者のもとを訪れ、単刀直入になぜこの星座の順番にしたのかと問いただすと、そう言われた。「声? 誰の声だ?」「さあ……」「さあってなんだ。今の事態をわかってるのか。人類全員が消えるかもしれないんだぞ」俺の声は苛立っていた。「お前が書いたこの小説は、高度な地球外生命体が地球人をランダムな星座順で食すような内容だな。もしかしてお前は裏で宇宙人と繋がっているのか。今起きているこれは、地球外生命体の仕業なのか」「すみません、私は何もそこまで考えずにあれを書いたんですよ。不謹慎ならばすぐに削除しますから」「そういう問題じゃないだろ」俺がその小説家の胸倉を掴んでぶん殴ってやろうかと思ったときだった。闇の手が虚空から現れ、あっというまに小説家を握りつぶして空気中に溶けていったのは。あの小説家は水瓶座だったのか。結局、有意義な手がかりはあまり得られず、謎はその濃度を薄めることはなかった。


 五月十日。乙女座の人間が消え、人口がおよそ半分以下になった人類は疲弊しきっていた。経済は回らず、社会制度は乱れ、働く者も何かを売り買いする者もぐっと減った。一歩外に出れば広がるのは世紀末のような閑散とした光景で、文明の擦り減った様がありありと感じられた。食べ物はもっぱらどこかから持ち去ることが当たり前となった。テレビなどろくに放送されず、かろうじて見られたものとしては消えた星座の芸能人や俳優の出演していたドラマの追悼放送ぐらいだ。まだ死んだと決まったわけじゃないのに不謹慎じゃないのか。そういう声が大きくなり、やがてどこの局も放送をやめるようになった。文明がゆっくりと朽ちていくのがわかった。


 五月十二日には射手座の人類がいなくなった。あとに残ったのは俺たち牡牛座と魚座の人間のみ。ここまで事態が切迫すると人間どこかおかしくなるもので、闇の手を崇める文化やら我々牡牛座は選ばれたノアの子孫なのだと主張する新興宗教団体まで現れ始めた。これは救済なのだ。誰かが言ったその声はどんどん大きくなり、しかし当然ながら賛同する人間の数は限られていた。人類が自分の星座にここまで真剣に向き合ったのは歴史上初かもしれない。もしや闇の手の狙いはそれだったのだろうか。しかし、何かを議論しようにも、さすがに残っている人間が少なすぎた。


 五月十五日。とうとう魚座の人間までもが姿を消した。これでもう地球上にいる人間は俺たち牡牛座だけだ。あとはいつ我が身が消されるかを待つだけとなった。まさかこのまま都合よく牡牛座だけ見逃してくれるとは考え難い。確実に人類は滅びへの道を辿っている。だが、ただ滅ぶのは文化人の名折れ。なんとかこの事実を伝えられないかと、声だけをこうやって過去に送ることにした。こうやってメッセージを過去に送っても未来は避けられないかもしれないが、何か爪痕だけでも残しておきたかった。いつ終わるのかを知ることができれば、覚悟も決まる。それをなんとかしようと対策を練る者が出てくるかもしれない。俺たちはそれに賭けた。事前に試運転として、近い過去に同じメッセージを送ってみると、それを受け取ったのはなんと例の小説家だった。なるほど、あいつはこのメッセージを聞いて小説のネタにしたのか。一つだけ謎が解けた。…………おっと、ついに俺たち牡牛座にも闇の手が伸びてきたようだ。最後のご対面だ。俺たちの先祖よ、若き日の俺たちよ、あなたたちがこの未来をどうにか回避することを祈っている。俺たちはもう時間切れだ。じゃあ、さらばだ。








 ……………………あー、もしもし。聞こえているだろうか二〇二〇年の人類諸君。俺は先日メッセージを送った未来人だ。そうだ、消えたはずの人類だ。

 落ち着いて聞いてほしい。なんと俺たちは、闇の手から解放されたんだ。牡牛座だけじゃない。全ての星座の人間が無事に地球に帰ってきた。戻ってきたときは全員同じタイミングだった。

 闇の手に包まれていた間の記憶はない。だから、気がついたときには俺たちは再び地球上に立っていたんだ。そのときの空の光景を一生忘れることはないだろう。空は漆黒に覆われ、その中で無数の星々がぎらついていた。いや、星に見えたそれは目だった。俺たちは無数の何者かに見られていたんだ。

 そして、俺たちが再び地球に現れた瞬間、地球が割れんばかりの万雷の歓声と拍手が俺たちを迎えた。大気にひびでも入るんじゃないかと思うほどの大合唱だった。

 そうして、空に浮かんでいた無数の目は次第に消えていき、漆黒の闇も晴れた。全てが終わったそのとき、俺たちは理解した。これは、手品だったのだ。人間をトランプか何かに見立てて、星座をトランプのスートのように使って人間を区別し、徐々に消していくという消失マジックだったのだ。果てなき宇宙の知的生命体が、地球人全員を巻き込んで行った大がかりなショー。俺たちはその道具として使われ、見世物にされたというわけだ。

 ショーは幕引きとなったが、全てが元通りというわけにはいかない。俺たちを消していったやつらの時間の感覚は俺たちとは大きくずれているらしく、全人類が解放されたのは実に西暦二〇七五年のことだった。俺たちは消し去られたときそのままの状態で歳をとらなかったが、約二十五年の間、地球は人類不在の時期を過ごしていたのだ。アスファルトで舗装された地面からは植物が伸び、一番の天敵を失った動物たちはこれを機にと繁殖し、あらゆる文明が時間の中に置き去りにされている。人類はまた、自然を科学で押さえつけなければならなくなった。文明の再構築が必要になった。

 だから三十年前の、いや、五十五年前のあなたたちには覚悟をしておいてもらいたい。これから三十年後に、人類は一度歴史から姿を消すということを。そして、決して脅威が去ったわけでもないということを。

 いつまた、やつらが俺たちを手品の道具として利用し、人類の生活に影響を与えるかわからない。これは近いうちに必ず起きる未来であり、そしていつも俺たちのそばに潜んでいる、危うさという名の隣人なのだ。

 やつらの前では、人類はただのトランプに過ぎない。対処法を見つけろというのも無理な話だろうが、せめてやつらに、俺たちはただの道具ではなく、一個の生命体であると認識してもらえる程度に進化しなければならない。トランプは単純だが、俺たちは複雑であるべきだ。一人ひとり個人差があり、自己主張をする生き物だ。やつらも、色も形も揃わないカードでは手品をしようとも思わないだろう。

 これからの時代、俺たちに必要なのは個の尊重だ。俺たちにはそれが足りていなかった。だから諸君。今こそ、未来と過去の人類が手を取り合い、個性を殺さぬ社会を目指すときがきたんだ。俺たちはトランプみたいに薄っぺらじゃない。魂の厚みを持っている。そう言い切れるよう進化をしよう。

 最後に、このメッセージが素直に受け止められることを願う。そして、あなたたちは俺たちと同じ未来を辿らないことを祈っている。

 以上、五十五年後の愚かな子孫一同より。

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今日の占い、終末カウントダウン 二石臼杵 @Zeck

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