それはまるで白昼夢のようなⅠ


 ーーーきっとそれは夢に違いない。

 いや、夢であって欲しい。

 いやいや、夢であることをお願いします、何でもしますからぁ!


 そんな現実が俺を襲っていた。


「あー祐一くぅんーまた定時帰りー? 俺と一緒にレッツ残業なう!」


 しょうもない誘いをするのは同僚の楠だった。

 俺、上保原カミホバラ祐一ユウイチは高校の非常勤講師である。

 目の前の机の上で突っ伏すクスノキは同い年ではあれど、俺とは違い専任教諭、普通の会社で言えば正社員であった。


「残念だが、この後バイトがあるんでな。 ……すまんな」


 ーーーボーナスがある奴が何を言う。

 もっとも、残業代はそれなりに魅力的ではあるが、教員もお役所仕事、残業時間が多ければ多いだけ上から文句を言われる。

 特に非常勤講師は『わざと残業して稼いでるんじゃないの?』なんてよく言われたりする。

 まったく、嫌味な世界である。


 まぁ、そもそものところ大した時給でない非常勤講師の残業代よりも、この後バイトする塾講師の時給の方が圧倒的に良いため、わざわざ残業代で稼ぐ必要は無かった。

 この業界に入ってまだ数ヶ月、賃金水準の低さに驚くばかりである。


「とか言ってー、美人の奥さんが待ってるから早く帰りたいだけなんでしょー」


「……うちはそれどころじゃないさ。 家計は火の車だ。 だからバイトに行くんだ」


 ーーー俺には妻がいる。

 いや、形式的に『妻』という肩書を持ったと同居している。

 まぁ、同居せざるを得ないと言うべきか。

 そいつはとんだ金食い虫でロクでなしだ。


「でもでも、奥さんも働いてるんでしょー?」


「あれを働いていると言うならば、この世にニートなんてものは存在しないさ。 ……はぁ、単なるニートだったらどれほど良かったことか。 あれはニートよりもタチの悪いモノだ」


 正直、上手いこと言ったと思う。


「うわぁ、辛辣ぅ! 倦怠期って奴ぅ?」


「……はぁ。 好きに呼べばいいさ。 講義の時間が迫ってる。 じゃあまたな」


「ああああーーーーっ! 待ってぇぇぇぇぇ! 祐一くぅん!」


 叫ぶ楠をそのままに俺は理科教員室を離れるのだった。


「あっ! ホバティだ! さよーならー!」


「ホバティ! バイバイ!」


 昇降口へ向かう道中、部活帰りの生徒達が次々に俺に挨拶する。

 ーーーふむ、これはこれで悪くない。

 茜色に染まる教室や廊下、聞こえてくる吹奏楽部の音色、どこかノスタルジックな光景はあの二度と戻れない青春時代を思い起こさせる。

 あの頃もっと……今は辞めておこう。

 ちなみにホバティは生徒が勝手につけてあだ名だ。

 よくカバディと間違えられるが、メンタルの強い俺は気にしない。


「あぁ、気をつけて帰れよ」


 返すのは当たり障りの言葉。

 別に俺は面白教師枠を狙っているわけではないし、そもそもこの仕事を長く続けるつもりはない。

 単なる転職期間の間に合わせと言ったところだろうか。

 まぁ、生徒達の人気を集めても意味ないし、本気を出したら面白教師枠を狙ってる体育の尾崎先生に睨まれてしまう。

 あの人、かなり性格悪くて面倒くさいのだ。

 通りかかる生徒達に対する挨拶が段々と適当になっていき、『うぉいっす』みたいな言葉になってきた頃だった。

 ポケットに入ってるスマートフォンが揺れ、画面には見知った人からの電話が表示されていた。

 相手は住んでいるアパートの大家さん。

 アパートを追い出されることが多い俺にとって絶対に無碍に出来ない人だった。

 俺は三コール以内に通話に出る。


「もしもし?」


「あー祐一君。 私私、九重だけどさぁ。 今時間大丈夫?」


「時間ですか? 短時間であれば大丈夫ですが……」


「まぁ、すぐ終わる用件なんだけどねー。 ちょっと言いにくいんだけど、今月さ……またって言うと嫌味になっちゃうんだけど……家賃引き落とせなくてさ……出来れば早めに持ってきて欲しいなぁーなんて」


「……は?」


 ーーー絶望である。

 引き落としの設定している口座には先月の給料丸々とデイトレードで稼いだ金額が入っており、家賃月五万程度、訳ないはずなのである。

 それが引き落とせない。

 これが意味する事はただ一つ。


「……あんのアマ……」


 ーーーまたやりおった。

 俺は電話越しにジャンピング土下座をかまし、大家さんには明日までには家賃を持っていくように伝えた。

 あぁ、この真っ赤に燃える拳はどうしたら……。

 急いで家に帰りたいのを理性で何とか抑え込み、三コマの塾講師のアルバイトをこなした俺はまるで悪霊に取り憑かれた者のような四足歩行で自宅に飛び込んだ。


「だあぁぁぁらっしゃぁぁぁー! 何してくれんじゃオラぁ!」


 玄関のドアを蹴破りたい衝動があるものの、壊したらまた大家さんに弁償する羽目になるので、そっと開け、鬼の形相で部屋にいるであろう嫁(笑)に飛び付いた。


「はいはーい! 皆さんこんにちはぁ! みんなのアイドル、ホムーンでぇぇぇぇっ! ちょっ! なっ! あっーーー」


「何しとんじゃわれぇ!」


「ちょっ! はなっ! 何しとんって、動画! 動画配信中だっ! だってぇぇぇ!」


 しょうもない『そもそも働く気がない』なんてTシャツを着た嫁(ゴミ)の胸ぐらを掴み振り回す。

 ん? 動画?

 振り向くとそこにはノートパソコンが開いて置いてあり、その内蔵カメラが起動していた。


「だぁらっしゃぁぁぁぁー!」


壊したい衝動はあるものの、結局壊したら自分が買う羽目になるのでそっとノートパソコンを閉じる。

 ようは大事なのは勢いだ。

 ーーーこの嫁(産業廃棄物)、ギャンブルだけじゃなく遂に動画配信にまで手を出したか。


「ちょっ! 何すんの! せっかくチャンネル登録三十人いったんだから!」


「たわけぇ! まだ収益ができてなかろうっ! っていうか、何故また俺の口座の金にまで手を出した! 家賃の引き落としがあるって言ってただろうがいっ!」


「いやー……そのですね。 ほらわたくし、色々とユウにご迷惑をおかけしてますでしょう? そのー倍にして返せればと思いまして……」


 ーーー自白である。

 今年度三回目の犯行であることが確定した。


「で、回したのか?」


 彼女は絶望的な程のギャンブル狂い。

 平日は開店から閉店まで常連のパチンコ店でひたすら回し続ける女だ。

 

「いえ、今回はお馬さんに。 常連のゲンさんが、今日の大穴が一着だと……」


「競馬かぁぁぁぁぁぁ! それに大穴はリスキー過ぎるぅぅぅぅ! ……で、いくら使ったん。 正直に言ってみい?」


 出来れば全額使っていないでほしい。

 この家の生計を支えているのは俺。

 口座に預けてある金額は我が家のほぼ全財産だった。


「……ご、五十万……かな? てへっ!」


「てへっ! で済まされるレベルじゃねぇぇぇぇ! 全額じゃねぇかぁ! え? 明日からの生活どうすんの?」


「ええっと……いつものバイトすれば……八千円は手取りで……」


 彼女の就労先は近所の神社。

 日給八千円の手渡しである。

 もっとも、遅刻に途中早退、無断欠勤、の常連であり向こうも手を焼いている。

 もうこちらは煉獄の炎で炙られているのでどうしようもなかった。


「十分の一以下ぁぁぁぁ! もう頼むからギャンブルをやめてくれぇ!」


「あーそのだな。 古来より妻を支えるのは夫の役目、妻のためならば夫は臓器を売るなんてことわざがあってだな」


「そんなものねぇぇ! お前どれだけ俺から金を搾り取るつもりだ!」


「……ふふふっ! 我が名は『啜姫』、敵も契約者も全ての者の血を啜る古の魔剣ぞ!」


 冗談のように聞こえるが、そう彼女は魔剣『啜姫』。

 別に厨二病を患っているわけではない。

 彼女はまさに超常的な存在そのものだった。

 もちろん剣としても具現化出来るが、長い歴史の中で彼女は不本意ながら神格を得てしまい、その影響で人間体の方が今や本体となっている。



「いい加減、まともに働いてくださいませんかね。 駄魔剣」


「やめろっ! その言い方は! 何かゴロが悪くてゾワっとする」


「駄魔剣」


「やめろぅ! いいのか? お前もその駄魔剣の契約者となるのだぞ?」


「……はぁ、いいよもう。 はいはい、駄魔剣使いの祐一でーす。 はい、以上」


 千葉の駄魔剣使い、上保原祐一。

 ーーーうわ、結構恥ずかしいな、これ。

 顔には出さんけど。


 そう、俺は彼女『啜姫』の契約者であった。

 数ヶ月前、自暴自棄になって川で溺れた際に、つい勢いで水底に眠る彼女と契約してしまったのだった。

 彼女の力が強すぎて、契約を破棄しようにも破棄できないクソ仕様の魔剣であった。

 契約者が生きている限り、他の者と契約する事は出来ないと彼女がぬかすので、しぶしぶ契約してしまった責任を果たすために同居しているのだった。

 一応、契約上一生の付き合いが確定しており、そして現代の戸籍等の行政上の問題もあって、不本意ながら彼女を『妻』と対外的には公表している。


「以上ってなんだ以上って! 私は多くの武士もののふ達に恐れられてきた存在なのだぞ!」


「へぇ、それがギャンブラーに落ちぶれるとは」


「待てぇぇぇい! ギャンブラーを馬鹿にするな! ギャンブルというのはこの平和な世の中で唯一、殺るか殺られるかの世界だ。 私は魔剣『啜姫』、命のやり取りが本分だ!」


「……しょうもな」


  ーーー本音である。

 むしろ、そうとしか言えなかった。

 我が家の魔剣はギャンブラーでロクに働かない。

 どこかのラノベのタイトルかと突っ込みたくなる。


「なっ! なっ! なにおう!」


 言い返せず、吃る駄魔剣。

 そんな一言で揺らぐ本分は捨ててしまえ。

 それなりに金銭が溜まればギャンブル依存症の施設にぶち込む予定であるが、先ず今はどう落とし前をつけるかだ。

 まぁ、彼女にとって落とし前のつけ方は一つしかないだろう。


「とりあえずは家賃と生活費だ。 これがなければ稼ぐに稼げん。 俺の給料が振り込まれるのは来月だし、お前の給料じゃ二人で暮らすのはギリギリだ。 だからーーー」


「だから?」


「体で払ってもらおうか」


 そう言って俺は上着のジャケットを脱いだ。

 そろそろだ。

 ちょうど今がよい頃合いだった。


「ちょ! ちょっと、待て! まぁ……そのだな、お前と私は一生の付き合いだし、そういうのもあってはいいんじゃないかと思う。 その……なんだ、子供を作ってーーー」


 顔を真っ赤にしてゴニョゴニョと呟く魔剣(笑)。

 ーーー何を言っているのだこの駄魔剣。

 彼女の最後の言葉が言い終わるか終わらないかのちょうどその時だった。

 玄関のチャイムの音が部屋に響く。


「はーい、今出ます」


「なっ! タイミングの悪い」


 そう言って俺は玄関を開けると、いくつもの段ボールを抱えた配送業者が待っていた。


「すいませーん、セバスチャン運輸です。 上保原さんですよね? お荷物お届けに上がりました!」


「はい、そうです。 荷物は中に。 サインは書いときますんで」


「はーい」


 俺は配送業者に荷物の置き場所を指示すると段ボールにして約二十個分が家の中に運び込まれ、狭い1LDKの我が家は既に足の踏み場も無かった。

 ーーーどうやら彼女はこの段ボールの意味を理解したようだ。

 口をあんぐりと開け、全身が震えている。


「ご苦労さまです」


「はーい。 こちらこそまたのご利用をお待ちしてまーす」


 配送業者の手により玄関のドアが閉められ、外界との窓口が遮断される。

 ーーーさぁ、パーティーの時間だ。


「ゆ……ユウ、こっ……これは……」


「知らないとは言わせないぞ。 ……前にやらかした時にもやらせただろ? ……お前の大好きな造花だ」


 積まれた段ボールの中身は内職で作られる造花の材料。

 そう、これから彼女には地獄の内職作業を行なってもらうのだ。

 最低でも明日までには家賃の五万分は。


「さぁ、今夜は寝かせないぞ。 


 ーーー彼女の悲鳴がこだましたのだった。




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間違った魔剣の使い方 朝霧楓葉 @fuyo-asagiri

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