えっちゃんへ

尾八原ジュージ

えっちゃんへ

 えっちゃん。


 たびたび手紙を送ってごめんなさい。でもこの前の手紙、きっと読んでくれたと思います。同封したDVDも見てくれたことでしょう。


 今この手紙を書いているとき、外は雨が降っています。夫の敏夫が亡くなった日にも、こんな風に雨が降っていましたね。


 えっちゃんに以前お話しした通り、敏夫はあの日、庭の楡の木から落ちて首の骨を折り、亡くなりました。


 ちょうど私が出かけていた時間帯で、家にはほかに誰もいなかったので、夫はひとりぼっちで、ずぶぬれになって死んだのです。警察の人に、「即死ではなかっただろう」という旨のことを伝えられて、私は何とも言えない気持ちになりました。


 えっちゃんはわざわざお葬式に来てくれて、我がことのように涙し、私をなぐさめてくれましたね。あのときは私もつい、あなたに抱きついて、子供のように泣いてしまいました。あなたという親友がいて本当によかったと、あのとき思ったものです。


 それとも、親友と思っているのは、私だけかしら?


 まぁ、そんなことはいいのです。だって私とえっちゃんは、親友よりももっと強い絆で結ばれているんですものね。薄々わかっているでしょうけど、やっぱりきちんとお話ししたくて、こうして手紙を書くのです。




 敏夫が亡くなったとき、皆が首をひねっていました。


 だって、どうして雨の日にわざわざ、楡の木なんかに登ったのでしょう? 濡れるし、寒いし、危ないし、いいことなんかひとつもありません。第一あの人は、庭の手入れなんかやったことがないのです。庭のことは全部、私と出入りの庭師さんがやっているのですから。


 でも、私だけはその理由を知っていました。それでいながら、ずっと知らないふりをしていました。


 あなたのためですよ、えっちゃん。


 突然だけど、えっちゃんが敏夫と不倫していたこと、私は知っています。実は結構前から家の中にカメラをしかけて、証拠を集めていたのです。


 私たちの寝室のダブルベッドでやっているのを見たときは、あまりの面の皮の厚さに驚きましたが、笑ってしまいました。だって肉や皮のダブついたおじさんとおばさんが、必死な顔して絡み合ってるんですもの。滑稽でしょう?


 DVDでご覧になったでしょうけど、寝室の映像、なかなかよく撮れていたでしょう。お互い割りきった関係のくせに、えっちゃんは敏夫とやる時、結婚指輪を外させていたのよね。これもおかしくってお腹がよじれそうでした。


 でも安心してね。私、あえてえっちゃんのご家庭を壊そうとは、思っていないのです。


 ただ、えっちゃんと分かち合いたいことがあるだけなんです。




 敏夫が亡くなった次の日のことでした。確かあの日も、前日の名残のような小雨が降り続いていましたね。


 警察の方からの聞き取りや、葬儀の段取りやなんかに疲れて、寝室の窓からぼんやりと、くだんの楡の木を眺めていたときでした。寝室に仕掛けておいたカメラのことを、ふと思い出したのです。隠していたのではなく、その時まで本当にうっかり忘れていたのでした。


 敏夫の死に関することが、何か映っていないだろうか……そう思ってデータを再生してみると、案の定でした。


 私が寝室に仕掛けておいたカメラは、映像はきれいに撮れるんですけど、マイクの方は本当にお粗末なものです。それでもえっちゃんと敏夫が、あの日大喧嘩をしたということはよくわかりました。


 旦那様とお嬢さんをあんなに自慢にしているえっちゃんが、敏夫に不倫関係を解消しようと言われてあんなに怒るとは、私には予想外でした。一方で敏夫は、口では簡単に「愛してる」とかなんとかいいながら、結局は打算で動く人なのです。きっと、私がふたりのことを知っているということに、気づいていたのでしょう。大事になる前に、なんとか収めようとしたに違いないのです。


 私はふたりの口論がヒートアップしていく映像を、コメディー映画を鑑賞するような気分で見ていました。でもえっちゃんが突然、サイドテーブルから何かをつまみ上げ、寝室の窓を開けたのを見たときには、思わずドキッとしました。


 あれよあれよという間にえっちゃんは窓の外に何かを放り投げ、敏夫が慌てた様子で窓に駆け寄る。そしてあなたに怒鳴り散らす。あなたは荒っぽく身支度を整え、寝室を出ていく。その後、窓辺でうなだれていた彼も、服を着て外に走り出していく。


 そこまでが、データに残っていました。


 私は小雨を透かすようにして、寝室の窓から外をよく見てみました。すると、窓の外にある楡の枝の間に、何か光るものを見つけたのです。双眼鏡を持ってきて確認してみたら、やっぱりそれは敏夫の結婚指輪でした。


 前日、おかしな格好で庭に横たわっていた敏夫は、左手の薬指に指輪をはめていませんでした。


 きっとえっちゃんと会っていたから外したのだ、とは思っていましたが、まさか楡の小枝に、輪投げの輪みたいにはまっているとは、思ってもみませんでした。


 指輪をなくして、きっと敏夫は焦ったでしょうね。私が外出から戻ってくれば、遅かれ早かれ指輪をしていないことには気づかれますから。えっちゃんは知らなかったでしょうけど、私の実家の後ろ楯を失ったら、敏夫の会社は一気に窮地に立たされるのです。私と離婚するわけにはいかなかったのです。


 きっと敏夫は急いで脚立を持ってきて、雨に濡れるのも構わず、楡の木に登ったのでしょう。うちで一番高い脚立が、彼の横に倒れていましたから。指輪は相当高いところに、ちょこんとひっかかっていたので、なかなか取れなかったのでしょうね。夢中で手を伸ばしているうちに、つい足を滑らせたか何かしたのでしょう。


 おわかりになったかしら? 敏夫が亡くなったのは、あの指輪を取りに行ったせいなんです。


 つまり楡の枝に指輪を引っかけたえっちゃんが、彼の死の原因を作ったのです。


 でも落ち着いてくださいね。私、あなたを責めようというのではないのです。そのことはもう、あなたにもわかっているのではないでしょうか。


 あのDVDを観たあなたなら。




 確かに敏夫は、楡の木から落ちて亡くなりました。しかし幸か不幸か地面がぬかるんでいたために、すぐには死に至らなかったのです。きっと意識も、しばらくはあったでしょうね。


 お送りしたDVDに、あなたたちのベッドシーンと一緒に焼いておいた動画。えっちゃんも見てくれたことと思います。


 あの日私が敏夫を発見してから、彼が亡くなるまで、ずっと撮影していたものです。


 私が外出先から戻ったとき、敏夫はすでに楡の木の下に倒れていました。捻じくれたようなおかしな体勢になってはいましたが、息はありました。状況がまったくわからないままに私が駆け寄ると、小さな声で何かぶつぶつ言い始めましたが、それは「救急車、救急車」と繰り返しているのだということが、何度か聞いているとわかりました。


 この辺りで私は、敏夫が結婚指輪を外していることに気付きました。そして、ぼーっと立ち尽くすのをやめて、動画を撮り始めたのです。


 カメラを向けたときの敏夫の顔、私は一生忘れることはないでしょう。こちらを見ながら首を動かすこともできず、雨に打たれ、冷たい泥に顔を半分つけて、声もだんだん小さくなり、口も動かなくなって……やがて、もう十分待っただろうな、と思った頃に、私はようやく動画を撮るのをやめて、たった今敏夫を見つけたようなふりをして、119に電話をかけました。


 37分12秒。最近のスマホって、結構長い動画が撮れるものなんですね。雨の中、立ちっぱなしでいたので、レインブーツの中がすっかり冷たくなってしまいました。


 えっちゃん。人生なんて、おかしなものですね。


 敏夫は常日頃、私のことなんかもう少しも愛していないどころか、むしろ憎んでいるような態度をとっていたものです。それが最期は、しのぶ、しのぶなんて、私の名前を呼びながら死んでいくなんて、あの日の朝には想像すらしていなかったことでしょう。


 でも、このおかしな人間の生をなるべく安楽に生きていきたいというのが、私の願いなのです。きっとえっちゃんもそう思っているでしょうね。


 だからえっちゃん。どうかこの動画のこと、内緒にしてくださいね。


 もしもそれができないのなら、残念だけど私にも考えがあります。今は便利な時代ですから、私の指先ひとつであのベッドシーンを、あなたの真面目な旦那様と、愛らしいお嬢さんにお送りすることができます。あなたが私のお願いをきいてくれないのなら、何が何でも一緒に地獄に落ちてもらうから、そのつもりでいてください。


 何度も言うように、私はえっちゃんの家庭を、人生を滅茶苦茶にしたいわけではありません。


 ただ、私たちがふたりで殺した敏夫の死にざまを、あなただけが見ていないなんて不公平だと思ったのです。


 こうしてお手紙を書き終えようとしている今も、窓の外には雨が降っています。寝室からあの楡の枝の間をよく見ると、銀色の小さなものがちらりと目に入ります。もう何日もああしているけど、なかなかカラスが持っていったりはしないものですね。


 いつか晴れて、足場が悪くない日に、がんばって指輪を取りにいってやろうかな、なんて考えているのですが、もう少し先になりそうです。天気予報はまだまだ雨続きだと言っていますから。


 だからしばらく、あの指輪はそのままにしておきましょう。あれは、私たちふたりの記念品のようなものですし。


 ではえっちゃん、お元気で。また私の家に遊びに来てね。ふたりで敏夫の話などしましょう。




 羽田恵美子様 みもとに


 古館しのぶ

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