課長代理、アンパンマンを目指します
荒瀬 悠人
第1話
何をすれば喜ぶ?
何に悲しみ、何に笑う?
どうしてそこに行き、何故そんな物に興味を持つんだ!?
私には何一つ理解出来ない!3歳の孫が考えることなど!
晩婚だった息子夫婦に子供が出来た。
初孫が産まれるという事で戸惑っていると、周りから「いつか孫の面倒を見なければいけない時がくるよ」と言われた。
周りはまるで私に「赤ん坊とは怪獣だ、悪魔だ」と言わんばかりに、孫の面倒の大変さを怪談話の様に教えてくる。
私は虚勢を張り「たかが赤ん坊ごときで」と笑ってみせていた。再三、周りの忠告を受けていたが、全く聞く耳を持たなかった。
そんな事をしてる間に、あれよあれよとその時が来てしまった。
後悔しとる。周りの忠告を聞いておけばよかった。何をすりゃいいのか全く分からん!
分からないのだ!まず、どう話しかけたら良いのかすら分からん!コミュニケーションの取り方が分からないと、居間で無邪気に遊び回る可愛らしい孫が、本当に小さな怪獣の様に見えてくる!
こんな事なら皆の忠告を真摯に受け止め、釣りとゴルフで埋め尽くされたボロボロの手帳に、孫の世話の仕方もしっかりと書き記しておくべきだったのだ。だがしかし、今ではもう手遅れである。
息子は小さい会社ながら、早くに課長となって、自分の家族のために頑張っている。ただ共働きしているため、私たちも孫の面倒を見なければいけない。
月曜から水曜は奥さんのご両親が孫の面倒を見てくれているが、木曜と金曜は私たちが見ることになっている。なので夕方4時から車で私が孫を保育園に迎えに行かなければならない。
それから夕食を食べさせてやり、息子夫婦のどちらかが帰ってくる夜の8時まで面倒を見ている。
妻にはもう懐いている孫だが、私にはまだ警戒心の塊で、そんな相手と過ごす時間は本当に辛いものである。
今日も保育園に着いた。今からの時間、孫と過ごさなければならないと思うと気が滅入る。
ただそうも言ってられない。自分の両頬を叩き、気合いを入れる。さて、重い腰を上げて孫を迎えに行こう!じいじの威厳を見せてやる!
勢いよく保育園に入り「ゆうたを迎えにきました」と保母さんに伝える。連れてこられた孫は、嫌そうにそのまま私の後ろをついてきて、車の後部座席に乗った。
終始無言の張り詰めた車内。なんとも 気まずい。今さっきの勢いはどこに行ったのかと言いたくなるくらいなに喋ればいいか分からん。誰か助けてくれ。。。
この車内で楽しそうに笑っているのは、孫が着ているTシャツのアンパンマンだけだ。
この空気を変えようと「保育園楽しかったか?」などと質問しても「うん」など一言、二言の素っ気ない返事しか返ってこない。
私はどうすれば良いのだとあれこれ考えていると突然、助手席にアンパンマンが現れた。彼はアンパンマンミュージアムショーなどで出てくる、ぬいぐるみのような出で立ちで貼り付けられた笑顔で私を見ている。
「お爺さん、ゆうたくんに怖がられてるんじゃないですか?」
そう言い残すとアンパンマンはポンッと消えてしまった。
うるさい!分かっとるわい!
私はお前のようにはなれん!孫に好かれるような可愛らしい風貌もしていなければ、孫が怖がる敵と戦うことも無いのだから!あるのはシワシワの老いぼれた体と、やかましい口だけだ。
本当ならば車を飛ばして、妻のいる我が家にさっさと放り込んでおきたいところだが、一度車を飛ばした際に孫は父親に「じぃじの車、怖かった」と密告し、こっ酷く怒られてしまった。
それ以来、まるで重役を乗せてるかの様に超安全運転を心がけ(させられ)ている。
家に着いた孫は玄関で乱暴に靴を脱いで、勢いよく妻のいる居間に走っていった。私は孫が脱ぎ散らかした靴を並べながら
「ゆうた!手洗い、うがいをちゃんとしないとダメだぞ!」
と注意したが、返事が無い。
その後、妻が優しく言った「手洗い、うがい」はちゃんと返事をしていた。
くそっ!なんで私にだけいつもこうなんだ!
やり場の無い怒りを抑え、私も居間に向かう。そこにはテレビを見ながら、ぐだっとテーブルに肘をつき、悠々とお菓子を食べる孫の姿があった。
このガキぁ。。。
怒りに任せ「お菓子なんか食べてはいかん!」と言おうとしたが、妻が入ってきて物凄い形相で「口出しするんじゃないわよ」と訴えかけてきた。
もう大黒柱として、私の面目丸潰れだ。昔は私の咳払い一つで、妻も息子も黙っていたというのに、今では妻に睨まれ、息子に怒られと肩をすぼめながら生活している。
感傷に浸りながら、温かいお茶を飲んでると突然、孫が私の方に振り返った。
「アンパンマン観てもいい?」
私は「いいよ」と答えながら、番組をアンパンマンに合わせる。
アンパンマンの歌が流れ始めると、孫は手を叩いて喜んでいる。
また始まった。こうなると、孫は何を聞いても「うん」とも「すん」とも言わんくなる。
またさっきのアンパンマンが出てきた。私の向かいに座りながら、無言で貼り付けられた笑顔を見せている。
くそっ!アンパンマンめ!私が孫にあくせくしている姿を見るのがそんなに楽しいか!?
一度、アンパンマンを嫌いにさせれば私に興味を持つんじゃないかと、毎日アンパンマンの顔が描かれたアンパンを出し続けたが、飽きて嫌いになるどころかアンパンが好物になってしまった。
「アンパンマンはなんで子供たちにそんなに人気があるのかね?」
と夕食の支度をしている妻に問いかけてみた。
「そりゃあ、正義のヒーローだからよ」
「正義のヒーロー?」
「だって、ちょっとこれ見てよ」
妻は料理の支度を中断して、私のところに携帯を持ってきた。そこには[正義]と入力すると[アンパンマン]と表示されている。
「なんだこりゃ?」
怪訝な顔して妻に聞くと
「これは文字を入力すると、それを予測変換してくれるのよ。[正義]と入力すると[アンパンマン]と変換されちゃうくらいアンパンマンは正義の代名詞なんじゃないの?」
「まずなんでこんな物をお前は持ってるんだよ?」
「このアプリは顔文字とかもいっぱい入ってるのよ。これからゆうた君と遊べるように、今のうちから色んなこと覚えていきたいじゃない」
そう言うと妻は楽しそうにキッチンに戻っていった。
妻のこういう今でも新しいことに挑戦していこうとする姿勢は、本当に感心する。
今日もアンパンマンは村の住民たちを助け、バイキンマンと懸命に戦っている。
私の時代は助けてくれる、正義のヒーローなんていなかった。
終戦間近に産まれた私は貧しい生活を強いられていて、生きていくのに精一杯だった。
学校が終わって鉄工所で働き、仕事を終えた後、鉄工所の油でまみれた手で広告の裏を使いながら勉強していた。
その後、大人になり新聞社に勤め、家族のためにと家庭を顧みず死にものぐるいで働いた。休みも削り、子供の面倒は全て妻に任せっきり。
町を救ってくれるヒーローを当てにする暇さえ無かった。
「なぁ、ゆうた。アンパンマンはいると思うか?」
不意に私は孫に質問を投げかけてみた。
「何言ってるのじいじ、いるじゃん」
そう言って孫は不思議そうに孫はテレビを指さした。そこには勇敢に戦うアンパンマンの姿があった。
アンパンマンは現実世界を救ってくれなくてもいい。テレビの中の世界で悪と戦い、町を救うことだって子供たちの正義であり、ヒーローなのだ。
私なんかとは違い、誰しもが分かる形でアンパンマンの功績がテレビに映し出されている。
「お前は良いなぁ、アンパンマン」
ふと、ため息混じりに呟いた。すると、突然
「じいじもアンパンマン好きなの!?」
と、孫が目を輝かせなが私をじっと見ている。
まだアニメは途中なのに、アンパンマンに興味を持ったと勘違いした孫は、私に嬉しそうにアンパンマンの凄さについて語り出した。
あれ?孫が楽しそうに私に話しかけている。
あんなに何も話さない、何を考えているのか分からなかった怪獣が、夢中になって私に話しかけている。
そういえば孫を分からないと毛嫌いするばかりで、私の方から歩み寄ることを一度もしなかった。そうか、案外孫とのコミュニケーションとは、こういう歩み寄りが大事なのかもしれない。
アンパンマン、悔しいが確かに君は正義のヒーローかもしれないね。この小さな怪獣と私も君に救ってもらえたよ。
向かいでこっちを見ていたアンパンマンがゆっくりと消えていった。消える瞬間、彼の顔は貼り付けられた笑顔ではなく、本当に嬉しそうに笑っていた。
思い返してみると、私は一度でも誰かの正義のヒーローになったことはあるだろうか?
仕事馬鹿で妻、息子にとても寂しい思いをさせてきた。家族に対して愛情だってちゃんと注いできたつもりだ。
しかし家族にはちゃんと伝わっていたのか?本当に一度でも家族の助けになったことはあるだろうか?
今まで顧みずだった私でも今ならまだ間に合うかもしれない。
息子の代理かもしれないが、この小さな怪獣のヒーローに私はなってあげられるかもしれない。いや、なれるさ。歌の中でも言ってるじゃないか。「アンパンマンは君さ」と。
そう思うと心が軽くなり、笑みがこぼれてきた。
テレビではアンパンマンがバイキンマンをやっつけたところだ。孫は気にも止めず、私に話しかけている。
悪いねアンパンマン。「勇気」は無いかもしれないが、「愛」は君より少しばかり持ち合わせているつもりだよ。
追伸、後日孫に歩み寄ろうと、大量のアンパンマングッズを買ってきてやったのだが「こんなにあると怖い」と泣かれてしまった。
その事で妻からは「孫を泣かせるなんて何をやってるの」と怒られ、息子からも「ゆうたに物を買い与え過ぎるな」と怒られてしまった。
どうやら、正義のヒーローの道は険しいらしい。
課長代理、アンパンマンを目指します 荒瀬 悠人 @arase_yuto
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