『紫陽花の唄』

あん

『紫陽花の唄』

 浅草八軒町にあったというドブ板長屋に住む長兵衛の娘キヨは

快活な性格と男好きのする容姿のためか、

薄汚い長屋であるにも関わらず、キヨを恋慕する若旦那衆が

足しげく通ってきたものである。


「なあおキヨさん。そろそろこんな長屋を出て、あたしのところに

おいでなあ。綺麗なおべべ着ていい屋敷に住めばおとっつぁんも

満足だろうに」


 小松屋の若旦那はキヨと所帯を持とうと熱心に通ったが

キヨは若旦那の求婚を断り続けていた。


 しかしながら、キヨはどんな男にでも愛想が良く

呼び出されればホイホイとついていくところがあり

キヨに想いを寄せる男の中にはその態度が気に入らず

呼び出しておいてひどく打ち据えるという事もあった。

男の嫉妬というものは女のそれと引けを取らない。

顔を腫らして帰ってきたキヨを、隣に住む左官の伊助が見て

カンカンになったものだ。


「その唐変木の糠味噌野郎の名前を言いやがれ。俺が行って

ゲンコツお見舞いしてやらあ」

伊助にとってキヨは幼い頃から妹のようなものであったので

なんとかしてその男の名前を言わせようとしたが

「その人いつもはとっても優しいからね」と言って

キヨはとうとう白状しなかった。


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 伊助はすでに所帯を持っていたが、ある時長屋の女房連中や

町衆の女どもが連れ立って井戸端会議を決め込んでいたところに

通りかかり、ある話が聞こえてきた。


 伊助が家に帰ると古女房が飯の支度をしていたので

伊助は怪訝な表情で女房に聞いてみた。

「なあおい。近所の婆アどもがよ。おキヨの事を紫陽花だの

何だのって呼んでるんだが、ありゃ一体何でえ」


「はあ・・・まああれだよお前さん。女が花に例えられるなんてのは

よくある話じゃないか。ほっときよ」

何となく戸惑った様子だったが、伊助はそんな小難しい事は知らず

「へえ、そうかい。そりゃ確かにアイツぁ見目に悪かぁねえもんな」

と少々誇らしげな気分になっていた。


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 ある日のこと。伊助が仕事帰りに赤提灯の暖簾を潜ろうとした時、

柳橋のあたりで派手な物音がした。

何だ何だ喧嘩か。伊助が橋のたもとを見にいくと、

夜鷹が二人してキヨを袋叩きにしていたところに出くわした。


「おうおうテメエら何してやがんだ。歯っ欠け婆アこん畜生」

「何だいアンタ、この紫陽花の連れか。邪魔したら承知しないよ」

「うるせえ売女ども」キヨを庇いながら伊助は精一杯威嚇した。


「はん、売女とはそっちだろ。コロコロと色変えやがってさ。

この紫陽花女郎」


 棒切れを振り回す夜鷹たちを突き飛ばし、伊助はキヨを連れて

何とか長屋に戻った。

「おい怪我はねえか。あの婆アども今度あったらただじゃ

済まさねえぞ」頭から血を流しているキヨの顔を手拭いで

拭ってやると、キヨは流石に気落ちしていたようで

涙が止めどなく流れ出し、伊助の肩に縋って泣いていた。


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 帰宅した伊助は女房を問い質した。女房は渋々話し始める。

「あの子はね。色んな男衆について行っちゃうだろ?だから

コロコロ色が変わる紫陽花みたいな好きモノって呼ばれてるんだよ」

「何言ってやがる。お前アイツがそんな売女だとでもいうのかよ」

「知らないよそんなの。アンタもおキヨに惚れてんだろ」


突然の女房の糾弾に面食らった伊助は二の句が告げず、

オロオロとしてその場にへたり込んだ。


い・・いや違う。違うんだよ。俺ぁそんなんじゃねえよ・・・

確かにアイツの事は好きだよ。だがな・・・。アイツと

所帯持ちてえとか、そんな事はこれっぽっちも望んじゃいねえんだ。

なんて言えばいいか頭の悪い俺にはわかんねえけど

俺にはアイツが大事なんだよ・・・



 その日の夜、キヨは首を括った。

年老いた長兵衛が柱にぶら下がっているキヨを見つけて

伊助のうちに転がり込んできたのだ。

すでに冷たくなったキヨを柱から下ろし、

医者を引っ張ってきたものの、すでにキヨは事切れていた。


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 通夜の際、多くの男衆がドブ板長屋を訪れた。

そこで喪主の長兵衛に挨拶にくる男どもは皆一様に

「あんな良い娘はいなかった。あの娘に惚れられていた野郎が羨ましい」

と口を揃えて彼女の貞淑さを誉めそやした。


だが肝心のキヨが惚れていたという男は

とうとう姿を見せなかった。(終)

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『紫陽花の唄』 あん @josuian

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