優良コンビ
土日は基本的に一日中家にいる。読書、ゲーム、週末課題、ついでに自主学習。さらには食事当番なので(我が家は食事当番制度を設けている。先日まで土曜日だけだったのだが、一向に料理の腕の上がらない父さんがついに母さんから戦力外通告を食らって日曜日も俺が担当になった。その日、父さんは風呂でおいおいと男泣きした)、料理も作る時間もあって何だかんだで1日はすぐに終わるのだ。だから、こうして休みの日に朝から外に出るのは、久しぶりだった。
腕時計の示す時刻は8時50分。俺は例の歩道の脇に突っ立って、住吉良を待っていた。料理当番は元々俺に用事がないことを前提としたものだったので、母さんは俺が出かけると聞くとぱぁっと顔を明るくして快諾してくれた。もしかしたら、全く休日に外に出ない俺のことを心配していたのかもしれない。これからはぽつぽつ外に足を運ぼうかなと、嬉しげな笑顔を前に思った。
指定された時刻は9時ちょうど。時間指定があって集まるときは、ついつい指定時刻の5分前にはその場にいようとしてしまう。どうにも俺は、相手を待たせたくない性分のようだった。
「やあやあすまない、待たせてしまったな」
通勤通学ラッシュを過ぎて比較的落ち着いた街に、溌剌としたいい声が響く。住吉良だった。一瞬、彼女だと気がつかなかったのは、見慣れた制服を着用していなかったからだ。
服の名前には明るくないのだが、黒基調でワンポイントの入ったトレーナーにスキニージーンズ、動きやすそうな赤のラインがはいったスニーカー、かろうじて俺でもわかる服を着ている。背には、けっこう大きめのリュックを背負っていた。
私服。偽善で築いた交友関係では、なかなか休日に遊びにいくような仲までには発展しない。そういうわけで、滅多に他人と遊ばない俺にとって、私服の同校生徒というのはなんだか新鮮味があった。昨日初めて話したばかりの人間にいきなり似合っていますね、なんていうのも馴れ馴れしく思えたので、褒め言葉は心の内にこっそりとしまっておくことにした。
「おはよう、千早君」
「待っていませんよ。おはようございます、住吉さん」
相手に合わせて挨拶を交わす。千早君に対して、住吉さん。今の俺の立場からして、この呼び方で不適切ではないはずだ。そう思っていたのだが、彼女の思いは違ったようで。
「ふと、昨日の夜に思ったのだが」
挨拶から話題をすっと切り替えて、彼女の左手が顎へ向かう。完全に癖だな…。妙に様になっているというのが容姿端麗の羨ましいところだ。
「君の名前は優、私の名前は良だ。2人合わせると優良だ! 優良コンビだな!」
このとき、俺はきっと間抜けな顔をしていただろう。昨日まで、俺は彼女に、裏の顔を除けば品行方正な模範的生徒、THE・憧れ、そんなイメージを抱いていたのだが、今ではもしかしたら、彼女は素でけっこう変わった人なのかもしれないと考えを改め始めていた。
「いい響きだろ、だから私は君のことを優と呼ぶことにした! 君も私を良と呼べ!」
変わった人疑惑は真実としてインプットされる。こんな無茶でめちゃくちゃな理論を彼女が振りかざすとは思わなかった。俺はなんとかこの謎理論に対しての言葉を絞り出す。
「俺とあなたは昨日が初対面だったはずなんですけど…」
「なんだ? 名前呼びは仲を深めてから、段階を踏んでからにしようみたいなタイプか? 思ったより純なのだな!」
俺が、ではなく世間一般的にもこうだと思う…。俺の反応を見て彼女はへらへら笑っている。この人デートの誘いじゃないと宣言しておきながらどうしてこうグイグイ距離を詰めるようなことをするのだろう。無自覚勘違いさせる系美少女ほどタチの悪いものはない。
そう思った矢先、彼女はスタスタと物理的に距離を詰めてきた。ぶつかる手前で足を止めた彼女は、俺よりも15センチメートルほど背丈が低い。真下から覗き込むように、彼女は俺を見上げてきた。
「君は私の二面性を知る数少ない仲だ。良いではないか」
いたずらを企む子供のような顔でニヤニヤする今の彼女は、その二面性を全く感じさせない。というか近い、緊張するし恥ずかしい。この人にはいずれ自分の容姿が武器であり凶器にもなりうることをはっきり理解させねばならない。
「良だけに」
俺は彼女に気恥ずかしさを抱いたことを恥じた。それはさておき、どうにも彼女の中で、名前呼びはもう決定事項と化してしまっているようだ。俺が呼ばれる分には構わないが、こちらから呼ぶというのは現状ハードルが高すぎる。いや、ハードルは高過ぎればくぐれるので、壁。壁が高すぎる。俺は妥協案を提示することにした。
「良さん、じゃダメですかね…」
左手を顎に。しばし黙考の後。
「まあ、いいだろう! ではよろしくな、優!」
そう言って、彼女は笑みを浮かべて俺に手を差し出す。妥協案は容認されたようだ。
「よろしくお願いします、良さん」
彼女が心変わりする前にその手を取って、俺たちは握手を交わした。不思議な関係の始まりだった。
********************
「それで、今日は何をするつもりなんですか?」
俺は良さんの横に並んで歩道に沿って歩き、飲食店街の方へ向かっていた。行先を決めているのは俺ではないので、ただただついていくしかない。
「優、朝ごはんは食べたか?」
早速良さんは俺のことを名前で呼んでくる。ここは妥協したものの、やはり名前で呼ばれるというのはむずがゆい。早くこの呼ばれ方にも慣れますようにと願って、彼女の質問に答える。
「ええ、しっかり食べてきましたよ」
「うむ、なら問題ない。早速作業に移ろうか」
「作業?」
「慈善活動さ」
そう言って彼女は背負っていたリュックを体の前に持ってきて、ジーッとファスナーを開き中身を漁り始める。ひょいひょいと取り出されたのは、トングに大きなゴミ袋、ついで軍手。2人分のセットが用意されていた。どうやら、今日は2人でゴミ拾いをするようだ。
「君と話がしたいと言ったが、それはまた後だ。まずは街の景観を良くしよう」
「良だけに、ですか」
「何を言っているんだ? 君は」
良さんのテンションに合わせようと軽口を叩いてみたら、提出された課題の中に的外れな英訳を見つけた英語教師のような顔をされた。心の底から「何を言っているんですか?」と思っている顔をする良さん。想定と程遠い反応に、頰がひどく熱くなるのを感じた。
失態を亡きものにしようと、俺は俯きながら、良さんから清掃活動用具一式を受け取ろうと手を差し出す。しかし、しばらく待ってみても手の平には空気の感触しか感じられない。2セット用意されていたからてっきり自分の分なのかと思っていたが、思い違いだっただろうか。そう考えて顔を上げてみると、良さんは腕を組んで、こっちをみてにやにやしていた。
「満点の反応だな」
からかわれていたのだと理解して、俺の顔はまたいっそう、熱を帯びていった。
清掃用具一式を今度こそしっかりと受け取って、俺はトングで空き缶紙くずペットボトルを拾ってはゴミ袋に放り込む。良さんは手慣れた様子で、小さな紙くずまで目ざとく見つけてはひょいひょいと袋の中に投げ込んでいく。分別は気にしなくていいと言われたので、視界に映るゴミっぽいものはどんどん袋に入れていく。天候は晴れ。青一色ではないものの、雲はほとんど空に浮かんでいない。日差しはそこまで強くないが、インドア派の俺にとってはそこそこダメージが入る。日差しが強くなってもHPが減ることのないポッケモンたちは丈夫だなと思った。
「良さんはいつからこれをしているんですか?」
俺の方から話題を振ってみる。作業の手は止めず、良さんは言葉だけをこちらに向けて答えてくれた。
「昨日の時間帯に始めたのは高1からだなー。中学生だと何かと大人たちの目があるからね。高校の制服を着ながら作業していれば、夜中、外に出ていても声はかけられにくい。人もそれなりに通るところにいるから、変人に襲われる心配も少ないぞ」
既に2年以上、街に出てはゴミを拾う日々。ある程度予想していたとはいえ、やはり驚かずにはいられなかった。彼女は続ける。
「けっこう長いことやってはいるけれど、道に捨てられているゴミですらなくなりはしない。私がゴミを拾っているのを目にした上でゴミを捨てていく人間がいるくらいだ、隠れてゴミを捨てる人間もざらにいるだろう。もう習慣づいたものだ、私がこの街を去るまでは、終わることも、やめることもないだろうな」
良さんはどうやらこの街に住んでいるらしい。こともなげにそういうものの、自分の努力が踏みにじられているということを実感しながら作業をするというのは、かなり精神にくるものがあるはずだ。それでも、良さんは街に出る。俺だったらきっと、1ヶ月もしない内にやめてしまうだろう。
俺はそもそもの疑問もぶつけることにした。
「どうして、清掃活動を?」
ピタッと、良さんの手が止まった。そうして、ゴミ袋を地面に置いて、左手を顎に。きっかけを思い出しているのだろうか。うんうんいいながらその姿勢で固まっていた良さんは、しばらくしてようやっと、しかし歯切れ悪くこう言った。
「なんと、なく…かなぁ…?」
その言葉と、悩ましげな表情に、俺は霹靂に打たれたかのような衝撃を受けた。
「小さな頃からテレビのニュースなんかを親と一緒にぼんやり見ていてね、ある日なんとなく『人を助けたい』と思ったんだ。それでも、この身1つでできることには限りがある。だからこれはそのうちの選択肢の1つ、に過ぎない気がする。なんとなく、したかったから、した。きっと、それだけだよ」
この人は思い返していたのではない。考えていたのだ。どうして、自分はこんなことをしているのか、そのルーツを。結果として、そこに特別なものは何もなかった。あるのは、善性ただ1つのみだった。
すごいと、月並みな言葉で、俺は良さんに尊敬の念を抱いた。自分の偽善への劣等感を感じる隙間もなく、彼女の輝きが俺の心を奪っていた。良さんのような心を持ちたい、けれども形成された人格はなかなか崩れないだろうと、彼女のようになることは、どこか諦めを感じてしまった。春風が、彼女の髪をなびかせる。短めの髪でも、横髪で片目は隠れるのだな、とそのうち忘れることを知った。
時折、雑談を挟みながら、俺たちはゴミ拾いを続けた。彼女の言う通り、意識してみると、綺麗に見える街はゴミだらけだった。タバコを、飲み物の入っていたプラスチックを、ファストフード店の紙袋を、所定の位置に捨てることすら煩わしく思うような人間が蔓延っていることの、動かぬ証拠が散らばっていた。
「このゴミ袋1つ分、これが休日の私のノルマだ」
俺のゴミ袋がいっぱいになるより先に、彼女がぱんぱんに満たされたゴミ袋をこちらに見せてきた。よくよく見てみると、彼女のゴミ袋は俺に手渡したものより一回り大きい。
「優の持っている袋は、平日のノルマだな、精進したまえ」
どうやら常日頃ゴミ拾いをしない俺に、手心を加えてくれていたようだ。…精進?
「あの、精進って…?」
「ん? ああ、そうか、まだ言っていなかった」
先の言葉は、奇しくも予想がついてしまった。
「これから君の休日は、私と慈善活動をしてもらうぞ!」
手を腰に当て、胸を張る彼女。出会って2日目の人間に強制労働を命じられた俺は、異議ありげな目を良さんに向けながらも、内心、これで彼女に近づくことができるだろうかと、どこか、期待を膨らませてしまっていた。それに隠れて、そのポーズは体のラインが強調されるのでやめてほしいと邪な思考を抱いたことに、良さんには程遠いなと、心の中の自分が眉を寄せて息を吐いていた。
善力少女は挫けない ジャスミン茶 @danmarinekosan
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