リモートワークはじめました

中村ハル

第1話

 薄暗い部屋でだらりとしていたら、机の上に開いて置いてあったラップトップが小さな音を立てた。しばらく無音の状態が続いていたので、思わずびくりとしてしまう。

 恐る恐る近づいてキーボードに指を置くと、画面が明るくなる。メールが届いていた。開くまでもなく、仕事の依頼だ。このPCは仕事用に支給された物だし、メールアドレスも専用だから、それ以外の要件が届くことはない。

 ほんの少しの煩わしさを覚えつつも、メールを開く。以前は自分の持ち場の他に、依頼に応じて出張をしていたのだが、しばらく前から未知のウイルスが世の中に広がった結果、外を出歩く人が減り、私の仕事も減ってしまった。仕事のない時間が増えて、どうしようかと思っていた時に、見知らぬ男が仕事場に尋ねてきた。

「こんにちは」

 胡散臭いほど明るい笑顔を貼り付けて、場違いに爽やかな声で男は言った。

「今、お暇でしょう」

 暇は暇だったのだが、断言されるとむっとする。だからだんまりを決め込んで、男を上目に睨み付けると、さらに華やかな笑顔を振りまいて、男は謝罪した。

「ああ、そんな顔しないでください。実は、仕事を受けてくれる方を探していまして。いえね、同業の方にお声がけしたんですが、あなたみたいに自分の持ち場以外の所の仕事を受けてくれる方がなかなかいなくて。皆さん、自分の所だけで手一杯だと言うんですよ。そんな訳ないんですけどね、おわかりでしょ」

 まあ、判らなくはない。この仕事は長時間拘束されはするが、基本的に、自由ではあるのだ。来訪者がやってくる時間や、より効率の良い時間帯で作業をやりくりすれば、他の場所への出張は可能なはずである。

「そう、そうなんですよ!さすがだ。やっぱりあなたを尋ねてきてよかった。皆さん正直、時間がないというよりは、動きたくないってだけだと思うんですよね。だから今回の仕事はあなた方向けだとは思ったのに、予想外にITに対してのハードルが高くて」

「……IT?」

「あ、お話ししていませんでしたっけ。ほら、今、企業の方とか、在宅が多いでしょう。だから、出張したところでクライアントの要望を満たすことが出来ないんです。そこで、だ」

 男はぴん、と人差し指を立てた。私はやや引き気味なものの、今までとは違う仕事依頼に、少しばかりわくわくしていたことは否めない。

「こちらもリモートすれば良いんだって、思いついたんです!」

 ずい、と男が顔を近づけてきたので、思わず私は後退る。

「どうです、良いアイデアでしょう?」

 確かに、私たちの仕事は対面が基本である。そして、保守的な人物が大半だし、昔ながらのやり方に固執することも多い。ルーティンを崩すことなど、思いもよらない。その結果、以前と変わらずに人がいるところが持ち場の者は継続して働いているが、私のように周囲が閑散としてしまった場合に仕事が成り立たなくなったケースもある。

 廃業を決意した者、浮浪する者、自堕落になった者、引きこもる者、喜々として自粛している者、色々いる。よもや自分たちに新しい働き方などあるはずもない、と決めてかかっているのだ。私とて、このまますることのない無為な時間を過ごしていたら、消えてしまうかも知れない。だから。

「やってくれますか!」

「……はい。が、がんばります」

「ええ、ええ!大丈夫、難しいことなんかないです。始めは上手くいかないかも知れませんが、誰にだってはじめてはあるでしょう。お釈迦様みたいに生まれてすぐ歩んで喋ってなんて、そりゃ、奇跡ですからね!神様になっちゃう。あ、仏か」

 うふふ、と笑う男を見て、私は少し、後悔した。


 そうして、少しの訓練期間を得て、私は新しいやり方での仕事を開始した。男から支給されたラップトップとメールの使い方は、もちろん知っていたので、問題はない。

 後はリモートワーク中の人々に上手くアピールするだけだ。

 今回の依頼メールを読み直す。

 集まっているのは4名。リモート飲み会の盛り上げ役だ。得意な案件だと、少しほっとする。私の仕事で一番難しいのは、勤務中の相手の気を引くことなのだ。そもそも、私たちが一番得意とする時間帯は夕方から夜にかけてなので、ただでさえ昼間は不利である。

 そして、在宅勤務中の人々は、一心不乱に仕事をしているか、逆に背後の子供やらペットやら洗濯機の呼び出し音、はたまたパートナーの「腹減った」に対応するのに手一杯で、こちらには気もそぞろになる。この問題点に関しては、まだまだ研究と改良の余地がある。

 男から紹介してもらった先輩は、このリモートワークの古くからの達人のようで、電子機器の発展にもいち早く対応していて、その探究心に頭が下がるばかりだ。

 私も、早くその域に到達したい。

 ちらりと時計を見る。時刻は23時を少し過ぎたところ。

 大きく深呼吸して、ラップトップを操作する。メールに添付されたIPアドレスを打ち込むとプログラムが作動してネットの海から網を引き寄せ、リモート飲み会中の4名が画面に映し出される。対象者はそのうち1名。一見大人しげな男子学生だが、こいつがなかなかどうして、女の子を騙して泣かせるような奴で。すでにだいぶ酔いが回っているのか、仮面が剥がれて品のない口調が漏れてしまっている。どうやら、同じ飲み会の席にいる女の子が次の狙いのようだ。

 私は対象者の写る画面を選んで大きく表示する。

「お邪魔します」

 部屋の隅の薄青い室内灯を最小の光量で点すと、カメラをオンにする。画面の隅の『同期』ボタンをクリックする。私の虚像が、大口を開けて笑う男子学生の背後に、二重写しになる。ぼんやりと、青い光を纏って。回線をハッキングして、私のカメラ画像をターゲットの映像に重ねているようなモノだと説明されたが、多分細かい仕組みは違うのだろう。

 私は、部屋の暗がりに立つ。まずは、目立たぬように。

『あれ、ねえ、ヒサシ君、部屋に誰か居る?』

『え、いないよ』

『でも……見間違いかな、待って』

『え、なになに!』

『小さくて見えない』

 一度私は、闇に紛れる。4人が揃って、画面を大きくしたところを見計らって、今度は手だけを、その肩に乗せる。

『う、うわ、手、手手手!!』

『え、やだやだ、なに!』

『何だよ、何だ、これ!』

 パニックに陥った4人の内、3名には申し訳ないと思いつつ、私は顔を男子学生の頬に寄せた。

『わあああああ!』

 大絶叫が画面の中にこだまする。そうだ、この声、この表情。恐怖に慄き、不安に引き攣り、逃げ場をなくした思考回路がパンクして、理性が溶け出す。私は口元が微笑むのを禁じ得ない。堪えていた唇に笑いが忍び寄り、ぱくりと開く。にったりと、私は嗤う。

『うわあああああああああ!』

『いやああ!怖い!やだ、その女、誰!!』

 画面の中は阿鼻叫喚である。パソコンの電源を落とすなり、画像をシャットアウトしてしまえば良いのに。わあわあと騒ぐばかりだ。堪らない。久しぶりの悲鳴と恐怖に、悦びが湧き上がる。

 ひいひいと、情けのない叫びを上げながら、ターゲットがカメラをオフにしようとする。そんなことをしたところで、私は消えはしないのに。むしろ、回線を閉ざしてしまえば、私の剥離した分身は、この場に留まり続ける。私としては、後から帰宅すれば良いから、さほど困らないが、それではリモートの意味がなくなってしまう。だから、耳元に囁きかけた。

「許さないから……」

『うわ、うわあ、ごめ、ごめんなさい!すみません!もうしません、もう絶対にしません!!だから、だから許して!!』

 拝むように両手を合わせて、涙と鼻水を垂らしながら男が絶叫する。安アパートの壁を突き抜けた大声に、隣の部屋の住人の堪忍袋の緒が切れたのか、薄い壁が連打される。その音に、男の背中がびくりと跳ね、声にならない悲鳴を上げて、それから脳内処理のキャパシティを越えてしまったのか、気を失った。

 私はじっと男を見下ろし、それから画面に顔を向ける。他の3人が、呆然とした表情でじっと画面を見つめていた。がたがたと震えている女子に微笑みかけて、私の仕事は終了した。

 

 ふっと、カメラからこちら側へと意識が戻る。私は暗い部屋の中で、ラップトップを見つめた。4分割された画像の中には、床に倒れたターゲットと、泣きじゃくる女子、放心状態の長髪男と、何やらスマホに向かって喋っている眼鏡男子が写っている。だが、最早私には関係のないことだ。仕事は終わった。

 同期を解除して、画面を切り替える。それと同時に、通話アプリが起動した。

 通話アプリの画面の中には、あの男がにこやかに微笑んでいる。

「やあ、今回もいいお手並みでした。だいぶ慣れてきましたね」

「……そ、そうでしょうか」

「そうですとも!どうです、リモートも悪くないでしょ」

「リモート、というか、これ、多分回線通してその場に行ってますよね、私」

「うーん、そうとも言いますかね。まあ、でも、今までみたいに移動しなくて済むから楽でしょ」

「確かに、意図しない場所で見つかって追いかけ回されたり、しないので……」

 出張の時などは、移動中の電車の中で、いわゆる『視える人』に見つかってむやみに驚かせてしまったり、写真に撮られてしまったりとトラブルも多かったのは事実だ。それがないだけでもずいぶんと気持ちが楽だ。

「これからは、幽霊だってリモートの時代ですよ。あなただって、その部屋に次の住人が入居してくるの、少し先でしょ」

「ええ、そうなんです。最近、有名になりすぎてしまって……」

 有名な事故物件としてどうやらネットに掲載されてしまったらしく、なかなか新たな住人が見つからないのだ。その上、掛け持ちで立っていたホテルも休業中とあっては、折角出向いたところで見てくれる人もいない。驚かす相手の居ない幽霊ほど役に立たないモノといったら……。

「リモートワークの先駆者は、まだビデオテープの時代からこの業種の可能性に気付いていたみたいですからね!まあ、最近では神社仏閣もリモートでお祓いやらなんやら始めてるし、気をつけなきゃならないことは多いですけど。あ、今度、保険を作ろうと思ってるんです」

 男はごそごそと何かを探していたが、やがて紙切れを一枚画面に突きつけた。

「ネット回線を通過中に、セキュリティソフトにひっかかったって人がいましてね。まあ、そういった不慮の事故もあれば、近いうちに、幽霊対策用のプログラムが神社庁辺りを先駆にネットに仕掛けられるようになると思うんです。そういった事故に対応する保険を作ろうと思って。今度それを作るに当たって、アンケートを採らせて欲しいんですよ。あ、もちろん謝礼は出しますから」

 ね、っと有無を言わさぬ調子で男は捲し立てて、一人で勝手に納得をしたように頷いている。

「さあ、これから夏もやってくることだし、この業界のリモートワークの可能性について、考えていきましょ!どうです、今日はこれからリモート打ち上げしません?」

「……え、あ」

「じゃあ、今日の丑三つ時に!一緒にリモートワークの達人目指しましょうね!」

 やけにハイテンションな男は、一方的に回線を切ると、電子の闇の中に沈んでいった。

 私は溜息交じりに微笑むと、届いていたメールを開き、壁に掛けたカレンダーに赤いマジックで印を付けていく。今月は、仕事がたくさんだ。うきうきとした気持ちで窓のカーテンを開けると、丁度こちらを見上げていた人と目が合い、夜の静寂に悲鳴が高く響き渡った。

 今夜は美味しいお酒が飲めそうだ。

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