32.旦那さまと、わたしと

 旦那さまの手は温かくて、触れていると安心するような、だけど同時にソワソワとしてしまう変な気持ちにも襲われてしまって、うまく言葉が出てきません。


「足元が悪いから気をつけて」

「は、はい」


 それなのに、私がこけてしまわないようにゆっくりと歩いてくださるので、顔の熱がおさまらなくて、焦ってしまいます。

 

 そのまま歩き進めていくと、綺麗な白い花が咲き乱れる原っぱに出てきました。

爽やかだけどほんのり甘い香りがしています。


「ここは昔、レイとよく遊びにきた場所なんだ。遊んでいると妖精王がやってきてはちょっかいかけてきていたよ」

「ウィルったら大人気ないですね」


 ウィルが小さな旦那さまたちに話しかけている姿を想像すると、可笑しくて笑ってしまいました。


「あいつは昔から変わらない。気さくでお人好しな王だ」


 旦那さまは小箱の中の水晶を取り出して私の掌にのせました。

 掌でキラキラ光るそれは、本当に私の記憶からできたのかと疑いたくなるくらい綺麗です。


「君が私のために王に渡してくれたこの記憶を返そう。記憶を取り戻した君にも傍にいて欲しいけど、王に釘を刺されてしまったから困ったものだね」


 旦那さまの手は私のもう片方の手で水晶に蓋をすると、包み込むように重ねてきて、ふわふわとするような、ドキドキとするような、変な心地がまた押し寄せてきました。


「それでも記憶を返したい。君が記憶のことで不安にならないように。たとえ私のことが嫌いになろうとも、君には辛い思いをさせたくないんだ」


 掌に温かな魔力を感じると、水晶が光りだしました。水晶はそのまま輪郭を溶かして光となって、私の胸の中へと消えてゆきました。


「ユーリィ、私の話を聞いてくれないか」

「どんなお話ですか?」

「昔話。昔と言っても、1年くらい前だけどね」


 エルが呪文を唱えると温かい風に包まれて、私の髪の色が戻りました。彼と同じ、黒い髪に。


「メイドのユーリィも可愛らしかったけど、私はやはりこの姿の君が好きだ」

「エ、エル? いったい何を言い出すんですか! 昔話をするんでしょう?」


 涼し気な目元を綻ばせて見つめられると、どうも胸がぎゅっと掴まれたような感覚になります。

 この美しい空色の瞳で気遣わしく見つめてくれるあなたを、どうして嫌いになれるんでしょうか。


 今なら鮮明に思い出せます。

 私に魔法を教えてくれたのはあなた。実践して見せてくれるあなたの瞳はいつもほんのりと光を帯びていて、それが美しくて、ずっと眺めていたかったんです。

 魔法の記憶が封じられていたからこそ、あなたが魔法を使ってその瞳が光を帯びると奇妙な感覚がしていたんですね。


 あなたのその美しい瞳も、魔法も、記憶を思い出せなくても大切なものとして心は覚えていたんですよ。


「君が初めて使ってくれた魔法はとても眩かった」

「何も知らない状態で使ったので加減がわからなかったんです」

「君はすぐに魔力切れを起こして倒れたよね」

「エルが魔法を教えてくれたから調節できるようになったじゃないですか!」

「1回の使用はね。使う回数の加減も覚えて欲しいくらいだよ」

「うっ……」


 眉尻を下げたエルを見ると、これまで何度も彼に「もう休め」と止められてきた記憶がよみがえります。


「君が消耗していくのがわかっていたのに止めなかった。君の気持ちがわかるから、必要とされたいと思っているのに止められると不安になると思って止められなかった」

「エル……」


 団長さんと比べられ、彼を超えようとがむしゃらになっているエルだからこそ、止めないで見守ってくれていたんですね。


「それに私は、突然連れてこられたこの世界で人の役に立ちたいと思って努力する君の姿に惹かれていた」

「嘘ですね。最初は目も合わせようとしなかったじゃないですか!」

「あの時は悪かったと思っている。君がみんなのために魔法を発現さるのを見てから、君に対する印象が変わった。どんどんと惹かれていったんだよ」


 そんなことを言われるとこれ以上は意地悪を言えないのが惚れた者の弱みです。

 惹かれただなんて、ものの例えであっても嬉しいと思ってしまう自分が憎いです。


「エルが魔法を教えてくれたり気にかけたりしてくれているのには気づいていましたけど……惹かれただなんて、エルはアレットさまのことが好きですのにそんなこと言わないでください」

「私がいつそんなことを?」

「とぼけないでください! ランシュ高原に討伐に行くときに言っていましたよ!」


 アレットさまのことをどう思っているのか聞いたら「今でも大切な人」って言っていました!

 私の記憶力を舐めないでください!


 手負いの獣のように荒々しい気持ちになって言い放つと、エルはいつもの落ち着きはどこにいったのやら、手を握る力をぎゅっと強めてきました。


「それは、幼馴染として大切に思っているということだよ」

「しらじらしいですよ!」

「本当だよ。片時も忘れられないほど愛おしい人は、別にいる。拗ねたような顔で睨んできている、無茶ばっかりする困った人なんだけどね」


 エルは何を思ったのか、急に地面に片膝をついて見上げてきました。

 こんな綺麗な顔が至近距離に来ると言葉が詰まってしまうんですけど。


「その人の顔を見ていると心が安らぐんだ。なのに顔を合わせることができなくて、憂鬱な毎日を送っていた」


 しかも悲しそうな顔をして覗き込まれたら、どうしたらいいのかわからなくなってしまいます。


「1年前、君が倒れてなかなか目を覚ましてくれなくて、私は後悔した。だから君の魔法を封じてでも止めることにしたけど、君がいない1年はとても長くて、寂しくて、辛かった。療養することになってポネラに向かう途中、君に会えるのがどんなに嬉しかったことか。君を見た時、どれだけ声をかけるのを我慢したことか」

「だからって無視しなくても良かったですのに」


 こういうのって、恨みがましいというのでしょうか。

 ちくっというと、エルは眉尻を下げてしまいました。


「あの時は、君に何も知られないようにしようと必死だったんだ」


 私のためを想い、ひっそりと守ってくれていた人。必死になって考えてくれていたことはとても嬉しい。


「君のためと思って魔法を使えなくしていたけど、やはり君の望まないことはしたくない。だから、これからはやり方を変えたいと思う」

「ど、どうするつもりなんですか?」


 エルは急に真面目な顔つきになって、その真剣な表情に魅入られてしまいますが、彼が何をしようとしているのか、そのことがとても気になってしまいます。

 微かな期待がじわじわと胸を支配してくるのです。


「無茶しそうになったら絶対に止める。だからずっと傍にいられる存在でありたい。ユーリィ、どうかこの先もずっと一緒にいて欲しい。私と、結婚してくれないか?」

「エル、私も――」


 ドクンと心臓が大きく跳ねて、喜びをかみしめながら返事をしようと口を開きかけた時、背後で聞き慣れた声たちが聞こえてきました。


「は~、エルヴェの前置きは長すぎるんじゃないか? 途中で寝そうになったぞ」


 脱力しきったウィルの声。


「エルと一緒にいるということは、ユーリィは騎士団にもどってくれるのかな?」


 期待を滲ませた団長さんの声。


「なにを仰いますか! スーレイロル家の奥方になるのであればそれ相応の教育をさせてもらいますので遠征に行かせるわけにはいきません!」


 ピシャリと言い放つデボラさんの声。


「みなさん、声が大きいので旦那さまたちに気づかれてますよ」


 慌てて宥めるナタンさんの声。


『ヒュ~ヒュ~!』

『エルヴェも言ってくれるねぇ~』


 そしてオッサンみたいに冷やかしてくる妖精さんたちの声。


 皆さん、後ろの木に隠れているつもりなんでしょうが、ちっとも隠れきれてないんですけど。むしろ隠れるつもりなんてさらさらないのかもしれません。


 エルは苦虫を噛んだような顔をしてちらっと一瞥すると、立ち上がって顔を寄せてきました。


「ユーリィの気持ちを聞かせて」


 囁いて促されると、改めて緊張するんですけど。


「ぜひ、私もエルと一緒にいたい。あなたが見守ってくれるように、私もあなたを助けたいんです……!」


 一思いに言い切ると、すっかり真っ赤になってしまった頬に、彼はキスしてくれました。優しく触れたその感覚に、いろんな気持ちで頭がいっぱいになって。


「愛してる」

「――っ!」


 トドメの一撃にすっかり陥落してしまった私はその後の記憶を覚えていないまま翌朝、スーレイロル家のお屋敷マナーハウスの一室で、当主エルヴェの婚約者として目を覚まし、新たな生活をスタートすることになりました。



 そんなこんなで、スーレイロル家は今日も平和に、神秘の守り人としての役割を担っております。




***メッセージ***


最後まで読んでくださってありがとうございました!

ゆっくりのんびりとした異世界地方領での生活を覗いている気分で書いてきましたので、ユーリィたちのお話は心穏やかに書くことができました(^^)


「面白かった!」と思っていただけたらレビューの★ボタンを押していただけますと嬉しいです。

次作のエネルギーになります。


それでは、新しい物語の世界でまたお会いしましょう!

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スーレイロル伯爵家のマナー・ハウスにて 柳葉うら @nihoncha

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