「魔女の住む家」
「あの家には魔女が住んでるからね。近寄ったらだめだよ」
「魔女?」
「そう、魔女。こわーい魔女。健太なんて捕まったらすぐに鍋にされて食べられちゃうんだから」
「食べられる? 僕が?」
「そう。だから、近寄っちゃだめだからね」
「え~絶対うそだよ!」
と、言いつつも、小学生の時からビビりだった僕は、結局その家に近づくことはなかった。
母が「魔女が住んでいる」なんて言ったのは、その家が大通りから外れた暗い路地に建っていて、子供が一人でウロウロするのは危ないからだ。僕の家以外でも、似たような話がされていたらしい。友達の話を聞いていると路地にあるのは「魔女の家」だったり「殺人鬼の家」だったり「変質者の隠れ家」だったりした。
どれも危険な場所から子供を遠ざけるための作り話だったが、怖いモノ見たさでその家にこっそり向かう子供が後を絶たず、作り話の防犯上の効果はそれほど高くなかった。
が、当時の僕は、あの家の周りを「怖い場所」だと思っていたし、中学生、高校生になるころには、流石にもう「魔女」だの「食べられる」だのといった話は信じていなかったが、それでもその家の周りはどことなく不吉なイメージが残っていて、その家の近くを通るのは避けていた。
あれから二十年は経った。僕はもう年齢的には立派な大人になり、家を出ている。結婚し、当時の僕と同じくらいの歳の息子までいる。この年になると、当時、母がそう言う作り話をした気持ちも、今ではよくわかる。こどもに危険を伝えるためには、ちょっとしたフィクションが良く効く。
「お父さんが行ってた小学校ってこの辺?」
「そうだよ。ここをまっすぐいったところ」
夏休みという事で実家に帰り、息子の良太と家の周りを散歩している途中のことだった。良太はどこか不思議そうな顔で言った。
「お父さんも子供の頃があったんだね。何か変な感じ」
「そりゃ、生まれたときから大人だったわけじゃないさ」
「でも、僕が生まれたときはもうお父さんはお父さんだったよ」
「まあ、そうだな……」
僕が言葉に詰まると、良太は少し得意げな顔をした。良太は最近、かなり鋭いことを言う事があって驚かされることが多い。ひょっとすると天才なんじゃないか、と思うこともある。これが親バカってやつなのかもしれないけど。
「あ、お父さん。あそこにショベルカーあるよ!」
そう言うが早いか、良太はいきなり走り出した。良太はいわゆる「はたらく車」が大好きだった。消防車や救急車、パトカーなんかを見れば必ず見入ったし、工事現場にわざわざ通ってダンプカーの写真を撮っていた時期もあった。
必死で後を追うと、そこには良太の言う通りショベルカーがあった。ショベルカーは大量の木片の上にあって、どうやら家の取り壊しを行っているようだ。その様子を見て、良太はひどく興奮していた。目をキラキラと光らせている。
「お父さん! 写真写真! スマホスマホ!」
「お、おう、ちょっと待って……ってここ」
息を整えて改めて周囲を見渡すと、そこはあの「魔女の家」があった場所だった。
「取り壊されたのか……ここ」
ぼんやりと当時の記憶がよみがえる。
「魔女」がいるからと避けて通ったことや、怖いモノ見たさで友達と夜に通ろうとしたけれど、結局怖くなって走り抜けたこと。魔女のうめき声みたいなものが聞こえたとか、転校したあの子は魔女に食べられちゃったとか、様々な噂が学校で飛び交ったこと……。
怖いながらも色々な噂がこの家にはあった。様々な虚構がこの家の周りには渦巻いていた。何か、ここには秘密があるのだと、特別な場所だと、僕らは心のどこかでずっと信じていたのだ。
それが、今はただの瓦礫の山だ。
木片が大量に散らばり、かつての一軒家は影も形もない。わずかに残った骨組みの中に、無機質な重機が鎮座している。白い看板が次に建つ建物の構造や工期を伝えていて、工員のモノらしきヘルメットが転がっている。
そこには、あらゆるものがはぎとられた、剥き出しの世界があった。
隠し事も、秘密も一切ない、ありのままの世界があった。
なんだかその光景は、途方もなく虚しく、寂しいものだった。
「? どうしたの、お父さん」
「……むかしさ、ここには魔女が住んでたんだ」
僕の言葉に良太が首をかしげる。
「魔女? それってどんな人?」
「うーん。ごめん。お父さんもよく知らないんだ。子供を食べちゃうこわーい人だったり、殺人犯だったり、変質者だったり……でも本当は、結構普通の人だったのかもしれないね」
「なにそれ、へんなの」
良太が口をとがらせる。その表情は、どこか昔の僕に似ていて、やっぱり親子だな、なんて思ってしまった。
「でも、壊されちゃったんだね。その家」
「そうだね。魔女、どこかに行っちゃったのかな」
「ほんとに魔女なんているのかな……」
「どうだろ、でもいてくれた方が、お父さんは嬉しいよ」
「なんで?」
「なんていうかさ。秘密とか、隠しごととか、ちょっと怖い話でも、ないよりはあった方が、楽しいんじゃないかなって思うんだ」
思想も、虚構も、都市伝説も、陰謀論も、そりゃあ本気で信じて人生を狂わせるのは考え物だけど、それが全部なくなってしまったら、この世界はこの瓦礫の山と同じになってしまうのかもしれない。剝き出しの世界よりも、作り話の秘密にあふれた世界の方が、素晴らしいような気がする。
「うーん。よくわかんない」
良太は顔をしかめて、首を傾げた。その様子に思わず口元に笑みが浮かぶ。
「はは、良太にはまだ早かったか」
「それって、サンタさんがは本当はいないけど、いることにしといた方がプレゼントもらえるからラッキー……みたいな話?」
「……的確だな」
やっぱりうちの息子は天才かもしれない。
日常の文学シリーズ 1103教室最後尾左端 @indo-1103
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