「1103教室最後尾左端」
何者かになりたい、とはいつも何となく思っていた。
でも、「何か」になりたいと思ったことはなかった。
大学に行けばなりたい「何か」が見つかるかもしれないと思っていたけれど、それは間違いだった。なんでもできると聞いていた学生生活なのに、実体は驚くほど退屈だった。世界が広がると聞いていた大学という場所で、僕のコミュニティは高校時代よりも狭まった。
今も教室の隅っこに座って教室を眺めながら時間をつぶしている。
教壇に立つ教授の声は小さすぎて、一番後ろの席に座る僕には全く聞こえなかった。聞かせる気がないんじゃないかと思うほどだ。聞いても分からないと思われているのかもしれない。その通りだから別にいいけど。
一番前に座る人達は、教授の一挙手一投足をすべて書き残そうとでもしているみたいに延々とノートをとり続けている。役者みたいに大げさに相槌を打っている人もいた。カルトみたいだとも思ったけど、学生としては正しい姿なんだろう。ノートパソコンに後から見ても分からない、というか見返すつもりのない、教室にいる言い訳みたいなメモを打ち込んでいる自分よりはずっとマシだろう。
教室の真ん中あたりから、片肘をついて寝ている人や、こそこそとスマホをいじっている人がちらほらいた。席が後ろにいくにつれて、学生の熱意は薄れていくみたいだ。後ろの席では、片肘をつくのではなく突っ伏して眠るようになり、こそこそとではなく堂々とスマホをいじっている。見事な熱意のグラデーションである。
さすがにそこまで行くと「その態度はどうかと思うよ」と、正義感の風味が口の中でしたけれど、どうかと思う権利なんて僕にはない。僕だってパソコンの画面半分でネット小説読み始めてるわけだし。
とにかく、教室にはいろんな人がいた。学問に執着するひと、いちおう学生として振舞おうとするひと、単位だけあればいい人。色々だ。
別に色々いていいと思うし、いるべきかもしれないとも思った。
でも、僕はどの人にもなりたいと思わなかった。
じゃあ、僕はどうなりたいんだろうね。
「……なにか、書いてみようかな」
なんでそう思ったのか、いまだによくわからない。たまたまネット小説を読んでいたからかもしれないし、これなら僕でもできそうだと思ったのかもしれない。もしくは自分の考えを表現したい、みたいな創作野心が心の底にあったのかもしれない。
とにかく、そう思い立った僕はその講義の最中に小説サイトのアカウントをとった。メールアドレスを登録して、プロフィールを設定して……と準備をしている途中でペンネームを決めるように求められた。
凝った名前を考えようとも思ったが、名前を考えてるうちに全部めんどくさくなってしまっては本末転倒だ。僕はテキトーに今自分が座っている場所の名前を付けた。
「1103教室最後尾左端」
長くて、変な名前だった。でも、気に入らなかったら後で変えればいい。
そんなことをゴチャゴチャやっているうちにアカウントは完成し、講義も終わった。一本も小説のないワークスペースに、何故か少しだけ興奮したことを覚えている。
何を書こうか。どんなものを書こうか。どうやったら読んでもらえるだろうか。もし売れちゃったらどうしよう……。
などなど、物を書く人間が誰しも通る淡い妄想を頭の中一杯に広げながら、僕は教室から一歩踏み出した。そして、いつもよりも目線を上げて歩き始めた。
そしたら、教室の名前の書かれたプレートが見えた。
「1013教室」
あ、違った。
ま、いいか。
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