「『昨日』と『明日』の真ん中にて」
深夜三時。
仕事を辞めてから、私の生活リズムは面白いように崩れた。同じ時間に起きて、同じ作業を繰り返して、平日は次の休日のことばっかり考えて、休日は次の平日のことばっかり考えてた時は、夜更かしして動画見たり、明日のことを考えないでお酒が飲める自由さが羨ましく思ってた。
でも、実際にやってみると「なんだこんなもんか」って感じだった。一日中スマホいじって終わった空虚さとか、その空虚さを埋め合わせようとして段々と長くなる夜更かしの時間とか、昼頃起きて時計を見たときの深い溜め息とか、それを誰も咎めない虚しさとか。あんまり嬉しくないものばっかり見つけてしまう。
”アイツ”は優しいから、私の生活にとやかく言わない。というか、同棲しているはずなのにほとんど家で話すことはない。とても朝の早い仕事をしているから仕方ないのかもしれないけど、何も言われないのも無視されてるみたいでちょっと悔しい。とやかく言われるのが嫌で仕事辞めたはずなのに。
……自分、相当にワガママだな。
新しい仕事を探そうとは思うけれど、上手くいかない。なんというか、新しいことを始められない。昨日できなかったことを今日やろうとしても、昨日できなかったんだから、今日もできるわけがなくて、結局昨日と同じことを繰り返す。
だらだらと「昨日」がずっと続いている感じだ。
いつまでたっても「明日」が来ない。
そのことに、見えないところで、無意識のうちに、ジメジメした得体のしれない焦りだけが増えていく。そして、眠れなくなくると、こうして夜の街を歩き回る。ただ、行くところなんてないから、夜でも結局コンビニに来てしまう。
おんなじコンビニに毎回行っているから、店員の顔も覚えてきてしまった。向こうも私のこと覚えてるかも。でも、店員さんは私の名前を知らないし、私も名札に書いてある長いカタカナの名前は永遠に覚えられそうにない。
都会ってコンビニが多すぎる、と気づいたのは最近。ずっと東京の真ん中へんにいると、10mおきぐらいにコンビニがあるのは当然だから、それが普通なのかなって思ってた。地方から出てきた”アイツ”が教えてくれなかったら、街に一つしかコンビニがないとかざらにある、なんて知ることはなかったかもしれない。異文化は自分を知るきっかけになるものだ。
まあ、コンビニがいっぱいあるからって、都会の人間が幸せかって言われたら、そうでもないってのは、便利なアプリがいっぱい入ってるスマホの持ち主が幸せかって考えれば分かるような気がする。
何しよっかなーとかぼーっと考えて、気が付くと理由もなくコンビニを出たり入ったりしてる時と、四角いアイコンが一杯並んだ画面を行ったりったり来たりしているときの感覚は驚くほど似てる。
コンビニに来たはいいものの、結局何をするかは決めてない。とりあえず何か買おうかと思って店内を回る。スイーツが置いてある棚で足を止める。美味しそうでかわいい装いのケーキが並んでいる。
でも、こういうものを食べるのって、なんて言うか覚悟みたいなものが必要な気がする。
きっと、食べれば幸せになれるんだろうなって分かってるのに手が出ない。ちょっと不思議だ。いつでも私は幸せでいたいはずなのに。でも、甘くておいしいって知ってるケーキを買うのをためらう。
値段のほとんど変わらないお菓子は割と買う癖に、特別感のある「ケーキ!」 みたいなのを買うことはめったにない。ショートケーキとかチョコレートケーキとか、三角形だか扇形だかの形してるやつは特に買わない。少なくとも、ふらーっと入ったコンビニで、そういうケーキを買おうって思うことはない。
なんでだろ? 太るから? 身体に悪いから? 甘すぎるから?
まあそれもあるだろうけど、ほんとにそれだけ?
なんか、「いつもと違う」ってことにビビってるだけなような気もする。
つらつらとどうでもいい事を考えながら、たっぷり二分くらいぼーっとスイーツの棚の前で佇む。今日くらい、ケーキ買ってもいいかな。とも思ったけど、何が「今日くらい」なのかがよくわからなくて、結局ケーキは手に取らずに店内の物色に戻った。
しばらくコンビニをうろついて(こういうのを徘徊っていうのかな)、結局いつもとおんなじものを買った。味のない炭酸水と、緑色のスムージー。
こんなに沢山商品があるのに、結局買うものはなぜかいつも一緒。「理由もなくお金使うなんてもったいない」という正義感と「せっかくコンビニに来たんだから何か買うべき」という妙なプライドがせめぎ合った結果、「まあ健康になれるならいいか」みたいな、消極的な健康志向だ。けっこう美味しいし。
ビニール袋をもらわず、店を出る。何か万引きしたみたいで、ちょっと心がすーすーする感じする。スムージーを飲みながら片手で炭酸水のペットボトルをぶらぶら揺らす。
このまま部屋に戻ろうか。もう少し外をふらふらしようか。
どっちも同じようなものだけど。
のっぺりとした、退屈な「今日」がずーっと続く。
変わらない「今日」が続くほど焦りは増す。
でも、いつもの「今日」が長引くほど未知の「明日」が怖くなる。
どうしようもない。八方塞がりだ。
塞いだのは私だけど。
結局、部屋に戻ることにして、ペタペタとクロックスを鳴らして歩いていると、バイクが遠くに見えた。ライトの光がこちらに向かっていて、暗い道を照らしている。
もう少し近づくと、バイクに新聞が積んであるのが見えた。どうやら新聞配達のバイクらしい。おそらくバイクの持ち主は、近くの家の郵便受けに新聞を放り込みに行ってるらしい。多分もう4時を回っているのだろう。そろそろ太陽が昇ってくるかもしれない。
新聞を積んだ古いバイクを眺めていると不思議な気持ちになる。
この新聞は今日の新聞? それとも明日の新聞?
私にとってはまだ今日は終わってない。だから、これは「明日」の新聞だ。
でも、これを配る新聞屋さんにとって、これは間違いなく今日の新聞のはず。
じゃあ、私は新聞屋さんにとって「昨日」の人間なのかもしれない。
同じ時間を共有しているはずなのに、私は「明日」に置いて行かれている。「昨日」に取り残されている。
そんなことを考えると、なんだか途方もなく寂しくなってしまった。
配達を終えてバイクに戻ってきた新聞屋さんは、バイクの前に突っ立っている私の顔を見て、驚いたような顔をした。
「ねえ。『今日』って何だろうね?」
私は思わずそう尋ねた。
私の急な質問に”アイツ”は眉をひそめたが、何かに気づいたような顔になって、それから深い溜め息をついていった。
「はあ? 今日はお前の誕生日だろ? 妙な聞き方すんなよ」
「え?」
呆れたような”アイツ”の顔を見て、急いで新聞の日付を確認する。確かに、紙面に書かれた日付は私の誕生日だった。
「うわ……ほんとだ……」
「回りくどいことしやがって……それ言うためについてきたのか? ご苦労なこった」
「いや、そうじゃないんだけど……覚えててくれたんだね」
「……まあな」
そう言って”アイツ”は鼻の頭を掻いた。ちょっと照れ臭そうだ。
「ありがと。嬉しいよ」
「うるせ。早く部屋帰ってろよ」
「冷たーい。なんかプレゼントとかないの?」
「……これから買って帰る予定だったんだよ」
”アイツ”がぶつくさと言う。
ちょっと照れてるっぽい口調に、私の口が勝手に気持ち悪いにやけ顔になる。
「へー。いいとこあるじゃん。サプライズ?」
「……ばれたら何にもならねえけどな」
「それでもうれしいよ。でもさ……」
「なんだよ」
「配達終わる時間に開いてるお店なんてないと思うよ」
「……あ」
気づいてなかったらしい。ちょっと恥ずかしそうな顔になる”アイツ”はなんか可愛くて、私の笑みはもっと大きく、そして意地悪くなった。
「気づかなかったのー?」
「うるせ。店があくまでどっかで時間つぶせばいいだけだろ……なんか欲しいものあるか?」
「えー。聞いちゃうの? ますますサプライズ感ないなー」
「こうなったら今更だろ。なんかあるか?」
開き直る”アイツ”の顔を見ながら、ちょっとだけ考える。
ああ、あれがいいや。
「あー……じゃあケーキ。コンビニのやつ」
「は? そんなんでいいのか?」
「うん。なんか特別感あるじゃん」
「まあ……そう、か?」
「そうだよ。味はセンスで」
”アイツ”はちょっと納得いってない感じで、でもこっくりと頷いた。
それから”アイツ”は配達の仕事に戻った。別れ際に私が手を振ると、”アイツ”は軽く手を挙げて応じた。それだけでちょっと嬉しくなってしまった私は大分浮ついてるのだろう。音を立てながら遠ざかっていったバイクを見ても、寂しさは感じなかった。
そこからマンションまでの足取りは、なぜかびっくりするくらい軽かった。ちょっと激しめに腕を振って歩いたから、手に持ったままの炭酸水は蓋を開けた瞬間にあふれてしまうだろう。そうなっても構わない、と思えるほどに私の心は浮ついていた。
頭の中もやけにはっきりしていて、再就職用のサイトに登録することとか、今度はどんな風な仕事したいかとか、履歴書書かなきゃなーとかいろんなことがクリアに見えてきたような気がした。
でも、とりあえず帰ったらひと眠りしよう。
「明日」で”アイツ”が待っている。
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