第2話
「ぅ……ん……」
ガタガタと揺れる馬車は舗装されていない道を走っていた。跳ね上がる床は否応なく気持ちよく寝ていた少年の頬を打つ。砂埃が舞い上がり土の香りが周囲に広がっている。
「ここから気を引き締めねばな」
「へぇ。それに……この魔窟を抜ければ南都エルステインでさあ」
行商人らしき男が隣を疾走する男に問いかけた。荷物で満載とはいえ馬車のスピードに苦も無く並走する男であったが行商人にとっては既に見慣れた光景である。
――魔導士と呼ばれる彼らは魔法を操り悪魔を屠る。そう、人の理を容易く超える者達なのだ。故にこうして危険な魔窟を通り抜けるという暴挙を行っているのだ。
「しかし……魔窟を通り抜けるなんて事を考え付いた俺はやはり天才だったな。十日間の旅程は半分に短縮でき、関税もいらず……かかる経費も半分。笑いが止まらないとはこのことだ!! 魔導士を雇ってもまだ儲かる。そして……私は運もいいのだからなっ!!」
興奮で顔を紅潮させた行商人に軽く会釈を返して魔導士の男は鋭く周囲を見回している。人類の天敵である悪魔の住処。
悪魔と遭遇すれば只人ならば死が確実である。魔導士とて悪魔の強さによってはどうにもならない。だが、この行商人は溢れでる野心で恐怖をねじ伏せてきた。こうして一度も悪魔と出会わずにこれた事からまさしく強運の持ち主であった。
魔窟を横断する馬車は道なき道を進み続ける。後ろへと流れていく景色。目の前には大きな木から伸びた根があった。
ガタンッ
そして、ひときわ大きく馬車が跳ねた。
「ぃ……た……っ!」
だが少年は声を上げるだけで起きなかった。 眉を顰めたのは一瞬。すぐにまた深い眠りに落ちていく。
「ん? なにか声が聞こえなかったか?」
「たしかに……積み荷の方から……」
二人して積み上げられた荷を見上げる。
そして、もう一度馬車が跳ねた。
「いって……」
今度は二人ともが見逃さなかった。行商人が馬をその場でゆっくりと止める。それと同時に魔導士の男が軽快な身のこなしで荷室へと乗り込んだ。耳を澄ませば静かな寝息が聞こえてくる。
「ぅ……すぅ……」
音源を探していた魔導士が核心を持って行商人へと振り返った。静かに頷く行商人の意向にそって魔導士の男は奥に積み込まれた大きな木箱の隙間を覗き込んだ。
そして周囲の荷を少しずつずらしていく。
「ってやはり人ですぜ……」
丸まった態勢で隙間におさまる少年。年のころは十代後半といったところ。気持ちよさそうに寝ている姿に呆気にとられる魔導士だった。
「無賃乗車ということか。いつのまにと言いたいところだが……」
行商人が回ってきたルートは広大だ。その間に見つからないように乗り込んだという事なのだろうが、何とも間抜けな少年に呆れた様子を行商人も同じく見せていた。
「どうしやす?」
「捨ておけ」
助ける義理も無ければ連れていく義理も無い。ましてや無賃乗車している事から金も持たない貧乏人だと判断した行商人はさっさと決断を下していた。少年を捨てればそれだけ馬車が軽くなるというメリットもあるのだ。
魔導士の男が少年をひょいっと持ち上げる。
「しっかしまだ起きないですぜ……。馬鹿なんだか度胸があるのか……」
そしてぽいっと外に放り投げた。
「ぐへぇっ!!」
盛大に背中を打ち付けた少年の口から声が漏れた。流石に起きたのか目を擦りながらゆらゆらと上半身だけを持ち上げる。そして、魔導士の男とばっちり目が合う。
「あ、起きやした」
「もしかして……ばれた?」
ばれたという言葉に行商人と魔導士が同時に頷いた。悲壮感溢れる表情で周囲を見渡した少年は鬱蒼と生い茂る森の中という事実を知る。
「た、頼む……エルステインに行くんだろ?? 乗せてくれ!!」
その場で土下座しそうなほどの勢いで行商人の前に躍り出た少年。
「金はあるのか?」
だが、野心溢れる行商人は聖人ではない。
「……ない」
「なら無理だ。その年ならわかっているだろうがな」
そう言って行商人は何事も無かったかのように馬車に乗り込む。
「ああ、そうだ。ここはスレインの森……魔窟の領域だから気を付けるんだな」
「魔窟……魔窟……って嘘だろっ!?」
「いやほんとだぜ。少年」
肩をぽんっと叩いた魔導士は憐憫すら込めた視線を送っていた。明らかに只人である少年が生き残れる筈が無かった。肩を震わせ地面を見つめる少年を見て怖がっているのだろうと魔導士はもう一度肩を叩いて少年から離れていった。
魔窟の周囲は闇に汚染されるとは有名な話だ。スレインの森もまた例にもれず中心部に魔窟が存在している。離れているとはいえこの場もまた魔窟の領域であったのだ。
(スレインの森って事は……エルステインまで……まだまだ距離がある。無理……しんどい……)
肩を震わせた少年の脳裏に浮かぶのはもしこの場に置いて行かれたと仮定した際の労力であった。
(金……金……そうだっ!)
ポケットにくしゃくしゃに丸めて入っていた髪を勢いよく取り出した少年。
「待て!! 金はあるんだ! エルステインにさえ着いたら幾らでもある!!」
「その証拠は?」
「これだ!」
行商人は受け取ったくしゃくしゃの紙を嫌そうに広げると読み込んでいく。そして、思わず吹き出すと近くにいた魔導士に手渡した。訝しそうに受け取った魔導士も読み進めていくうちに噴出していた。
「南都エルステインの統括魔導士エル・セレシア卿と知り合いというのは流石に……嘘も限度があるぞ」
呆れを通り越して哀れみの視線すら送る行商人。
「国家魔導士にして魔冠グランドに次ぐ魔聖パラディンの魔導士……只人なんて愚か、俺みたいな一般魔導士もお会いした事がないお方ですぜ」
全くもって信じた様子のない二人。目の前で立つ少年の姿はどうよく見ても農家の坊主といった装いだ。ほつれた服にボサボサの髪。眠そうな半目でこちらを見る少年が英雄と知己を得ているとは思えない。
「そんな英雄であるセレシア卿がどうしてお前のような者に栄誉ある士官学院に推薦するだとか……家に居候していいだとか。ましてや坊主みたいな少年に何でセレシア卿が敬語を使うんだ……まったくつくにしてもしっかりとした嘘を吐くんだな」
「本当なんだって……そのエルに来いって言われてるんだよ」
「いや……それなりの余興にはなった」
叫ぶ少年であったがもはや取り合う必要も感じず行商人は馬に鞭を打った。
軽快な音を立てて馬が走り出す。項垂れる少年はその場でしゃがみ込むと無気力に空を見上げた。
「歩くのは……流石にしんど……」
――その時
近くで爆音が鳴り響いた。
地面が振動している。木々が暴れるように揺れ、その振動は確かに近づいてきている。
「お、おいっ! 落ち着け!! くそっ……どうなっている!?」
馬車に繋がれた馬が怯えたように暴れ、行商人は必死に宥めようとしているが焼け石に水の状態であった。そして魔導士の男だけは正しく現状を認識していた。
「ちっ、旦那の賭けも今日で終わりのようですぜ」
グルゥアアアア
根源から恐怖を呼び起こすような咆哮と共に茂みから飛び出す三十の影。おぞましい闇を凝縮したような毛を持った漆黒の狼であった。
「ひっ……。お、おい! なんとかしてくれっ!!」
獰猛な唸り声をあげ、だらだらと涎をたらす姿に行商人は腰を抜かす。
「まさかこんな浅い部分にこれだけ出てくるとは……闇狼ダークウルフの群れが相手になりやすと魔士のあっしだけでは手に負えませんぜ。この規模の群れが相手じゃそれこそ魔聖か魔卿が必要になりやす。今回は運が無かったということでさあ。報酬も良かったんで付き合っていやしたが……それでは……失礼しやす」
その言葉は行商人の心を折るには十分だった。颯爽と走り出した男は魔法の補助を受けているのか素早くこの場から姿を消していた。
「ま、待てっ! まってく――」
グルル
背後から再び無数の闇狼ダークウルフが姿を現す。正面に三十頭、背面に二十三頭の魔狼に囲まれた行商人の男は現実を受け入れられないのか、放心したまま空を見上げていた。
「なあ、おっさん」
「は、はは……お終いじゃ……」
「おっさん。聞こえてるんだろ?」
「煩い……もう死ぬんだから静かにしてくれ。お前も運が悪かったな……ここで死ぬんだ」
「ここまで用意周到に待ち伏せしてたって事はおっさんが何回もここを通るから匂いで目をつけられていたんだろうさ。一、二回で辞めとくんだったな」
少年の言葉通り欲をかきすぎた過去の自分に激しく後悔するが最早どうしようもなかった。繰り返していくうちに恐怖よりも欲が勝っただけのことだ。
力なく目の前の少年を見つめた行商人は少年が笑みを浮かべている事に気が付いた。そして、何より横になったままふわふわと宙を浮く少年を見て疲れたように頭を振っていた。
「これは夢か……」
「おっさんを助けたらエルステインまで乗せてってくれるか?」
そう言って少年はニヤリと笑う。
「そんな事ができるなら何度だって連れて行ってやる」
「そうか。なら……目を閉じておくんだな。俺が良いっていう頃には全部終わってる」
「もうどうにでもなれ……目を瞑ればいいんだな?」
「ああ。簡単だろ?」
そして、やけくそ気味に行商人は目を閉じた。
「はぁ、この数が相手じゃ使わないと厳しいかな……」
少年は首から下げていた漆黒の指輪を手に取る。
そして、親指で弾いた。
キインッ
金属の硬質な音が鳴り響く。
音が広がる速さと同じく、幾何学模様、そして何重にも重なった魔法陣が少年の足元から急速に広がっていく。びっしりと刻まれた複雑怪奇な記号が蠢く幻想的な光景が顕現した。
記号は瞬く間に蠢き文字を形成していく。
グルアアッ
唸る闇狼達は本能で危険と察したのか、合わせて五十三頭が一斉に飛び掛かった。人類とは比較にならない程の速さで迫りくる闇狼は少年の細い首目掛けて殺到する。
「朱に煌めき顕現せよ。魔剣“十三式”【煌刃ソラス】」
それは短い詠唱だった。
魔法陣に描かれた文字が蠢き、詠唱に沿って結果を導き出す。無数にあった文字が【煌刃ソラス】という魔剣を生み出すべく並び替えられる。
「チェックだ」
魔法陣が輝ききらきらと煌めく刃が吹き荒れる。
陽光を反射して輝く刃が視界を覆う。いつのまにか少年の手に握られる光の剣。魔導士が剣を見たのなら膨大な場力が込められている事に気が付いた筈であった。だが、この場には闇狼と目を閉じた行商人しかいない。
視界のきらめきが鮮血の朱へと変貌する。
極小の刃に付着した血が華やかに世界を彩った。
華やかな光景は唐突に姿を消す。残されたのは夥しい程の血を流した闇狼の亡骸のみ。恐怖の代名詞とされる悪魔が瞬きの間に死んでいたのだ。
展開されていた魔法陣は淡い光を残して霧散する。中心に立つ少年は何事も無かったかのように半目で空を見上げていた。出会った時と同じぼうっとした姿を見て行商人は肩を震わせた。
「魔聖パラディンクラスでは……は?」
「ん? おっさん、見てたのか?」
「それに……い、いま……のは……魔剣――」
「おっさんの気のせいだろ」
驚愕した表情を浮かべる行商人。誰もが知る伝説の魔導士が扱った魔法。吟遊詩人が歌い、巷に溢れかえった本の数々。魔法によって作られた魔剣を統べる伝説の魔導士。
「いやぁ~まずったな~。流石にバレるわな……」
ぶつぶつと何かを呟いている少年を見ていた行商人の視界にふと少年から見せられた手紙が入った。
「まさか……そんな……」
魔聖パラディンエル・セレシア卿という差出人。敬語を使っている手紙、そして、魔士である魔導士が逃げた悪魔を圧倒する魔法。そして、魔剣という言葉。
その全てが脳裏をぐるぐると回る。
「ま、まさか……」
荒唐無稽な想像が意図せず組みあがっていく。
「貴方は……いや貴方様は……魔剣の――」
「なぁ、おっさん」
唇に人差し指を当てた少年。半目すら今では圧倒的な存在感を持って行商人を縛り付ける。
「色々とあるんだ。な?」
「は、はい!!」
「よし。ならエルステインに行ってみよ~」
すたっと荷室に乗り込んだ少年は横になるとすぐに寝息を立てていた。
フリーズしていた行商人は一度大きく震えると、意を決したように何事も無かったかのように馬車を走らせ始めた。彼の手には到底収まらない事態に思考を放棄したと言ってもいいのだろう。ましてや、これ以上詮索する事は憚られる。
余りにも荒唐無稽な事実を知って彼の正体は墓場まで持ち帰ろうと決心したのだった。
魔導を極めし伝説の魔剣使い ~明日頑張ると言ってから約2年、かつての伝説が再び幕を開ける……かもしれない~ @rabbits
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