後編
―…そこでテキストが途切れている。この後に続く数ページには海鳥を描いた落書きや、簡単な地図のようなものが描かれている。僕たちが知る限りカペル島はこの当時半島だったらしいけれど、確かにこれらの図は歴史の教科書で見るような想像図とも形状が似ている。
これを書き残した人物は現代人とそう変わらない気苦労の多い暮らしをしていたらしい。パブの隅っこでボヤいているような言葉が並んでいて、なかなかに人間臭い。だから、僕の体に流れている彼らのごく一部をこうして感じ取ることは思いの外容易かった。
有名な噴火はどのような形で起こったのか。そして、どんな風にして僕たちの先祖は生き延びたのだろうか…。とにかく僕は早くこの古代の事件禄の続きに戻りたくなって、しばらく続いている船のような絵を半ば無視する形でページを進めた。
図1 船
図2 火山
図3 島と船
図4 船と人々
図5 島々と太陽
図6 魚と漁師
一日目
今日から日記をつけることにした。新しい島を見つけてそこへ向かってみることに決まったから。その内に村へ戻るはずだったんだけど、レバンが気まぐれにこのまま他の島へ行った方がいいと言いだした。まあ、確かにあれを見る限りしばらく何も育たないだろうと俺も思ったよ。もう村は煙で見えなくなって、その上まだ火は広がり続けている。つまり、浜辺で拾ったこの日記を返しには行けそうにもないってことだ。そういうことで、こんな風に冒険日記を始めたという訳なんだ。
けど、これを読む限りこれの持ち主は俺たちをあまりよく思ってなかったらしい。まあ、大体は見当が付くんだ。時々嫌な顔でこっちをじろじろみる奴らはいたから。
今になってはもうどうでもいいことだけど、村では四六時中何派がどうとか、何だかそんなことばっかりやっていたもんで、そんなもんどうでもいいって奴らが浜辺に集まるようになってた。お気楽な奴が多いかな、結局十人くらい集まって字が書けるのだって俺だけなんだから。そんな連中さ。
レバンは漁に出ていた時から遠くの方に浮かんでいるあの島へ行ってみたいと言っていたから、それで何となく船を作ってそこへ行ってみようって話になって。
皆家族がいなかったり、仲が良くなかったりで、案外簡単に島から離れる決心はついた。…とは言うけど、皆泣いてたな。俺も弟が死んでからは独りになったけど、村の人達が何とか生きていてほしいとも思う。親切な人が多かったから。他の奴らだって、その内に戻って再会したいという気持ちはあるんじゃないか。それにしても腹が減った。村から持ってきた芋はまだあるかな。
二日目
言われてみれば昨日よりは島に近づいたのかもしれない。俺たちの生まれた島の方は所々がまだ煙で見えない。でも、浜辺の位置から考えると、まだ村があった所がどこだかわかる。
羊の柵のところに大きな木があったんだ。アラムが昔言っていたのが正しかったら、五百年くらい前からそれはあったらしいんだけど、それもこれも全部ただ真っ黒いカタマリになった。レバンはバジー達もあのカタマリのどれかになったんだと言う。それじゃアラムと一緒に森へ入った方はどうかなと聞いたけど、レバンはもうそれ以上何も言わなかった。
一つだけ良いこともあった。魚だ。ここらは今まで見たことが無いくらいに魚がとれる。もうこれだけで数日分はあるはず。この場所を覚えておいた方が良さそうだ。島に着いたらここら辺で漁をする生活も悪くない。
三日目
慌ててレバンがやって来て島から船がいくつかやって来ると言う。目を凝らしてみると、本当に細長い船が四つばかり見えた。急に怖くなった。もしかすると、とんでもなく凶暴な奴らかも知れない。一つの船には五人くらいが乗っていて、槍のようなものを持ってこっちを見ている奴までいる。
やっと争いごとから逃げられたと思ったけど、そんなに甘くないってことなのかもしれない。とにかくこの調子だと日が沈む頃には俺たちの運命も決まっているかもしれない。どうりで何も喉を通らない訳だ。顔を見る限りじゃ、他の皆だって大体そんなとこだろう。変なことにならなきゃいいな。
F2欠損。
六日目
思っていたのと違ったけど、とにかく俺たちはあの島へやって来たらしい。日記まで戻ってくるとは思わなかったけど、俺たちの島で起こったことを絵にかいて伝えたら、運よく殺されずにこんな風に薄暗い部屋に入れられた。他の奴らもどこかに閉じ込められているのだろうか。
この村は俺たちが住んでいた村よりもずっと大きかったし、それにずっと大勢が暮らしている。ここでは俺たちの言葉は通じない訳だけど、島やあの火山の絵を描いて見せると、何人かは俺たちがどこから来たのか理解していたみたいだった。方角まで知っていたのだから、あの辺りへ行ったことがある奴もいたんだろう。
やっと陸に上がったと思ったら、今度は昼なのか夜なのかも分からないところで、独り言を言いながら臭い粥のようなものを食うことになるとは思わなかったね。こんなだときっと他の奴らも文句を垂れていることだろうさ。
F4欠損。
七日目
今日は村長らしい年寄りの所へ連れて行かれて、そのじいさんに俺たちの島の言葉やら文字を教えていた。今日も誰とも会えなかったから、このじいさんに聞いてみたらさ、他の皆はどこか別の場所で仕事をしているらしい。村長が俺がちぎって渡した紙に箱を重ねたような絵を描いて、それをつつきながらもごもごと何かを話していた。それはたぶん、俺だけ別の箱にいるということを言っていたのだろうと思う。俺だけがここにいる理由、それはつまり、読み書きが出来るから、ということじゃないかな。
薄暗かった部屋に戻ると、妙に明るくなっていたから驚いた。見ると壁の所が開いていて、そこから外が覗けるようになっていた。板を引っ張るとそれが閉じるようになっているんだ。この村の建物はどこもこんな風に壁が開いたり閉じたりする仕掛けがあって、天井の上にまた別の部屋がある所もあった。
ここでの生活は話が通じないから面倒なこともあるけれど、こんな感じで時々面白いことが見つかる。あの臭い粥も一緒に付いてくる汁を混ぜれば、それだけでなかなか美味くなった。よくは分からないけど、これは何かの薬草から作るんだろう。
そろそろ魚が恋しくなってきた。俺たちが獲った魚はどこへ行ったのか。何より今俺が試してみたいのは、あの汁をつけて焼き魚を食うことなんだ。
八日目
俺とよく話をする村長のじいさんには弟がいるみたい。何回か見たけど、こいつが部屋に来る時は、大体兄弟ケンカが始まって、それもなかなかの大声でやる。それでもって、二人ともしばらく怒ったままになってさ、おまけに弟が最後に大きな音で板を閉じて出ていくから、よそ者の俺は困り果ててしまう。俺たちの村でそうだったように、こんなところまでやって来たってのに、どこでも揉め事というのは習慣らしいね。
まあ、弟の方が何と言っているのかわかりゃしないけど、俺はこのじいさんと気が合うから、ちゃっかりじいさん派気取りの訳なんだ。そんなことよりも、今晩は夕食に魚をお願いしておいたから楽しみだ。もちろんあの薬草の汁付きでね。
九日目
この村には細い川がいくつもあって、その周りに大きな畑がある。村人たちは毎日そこに並んだ野菜なんかをカゴに集めて回っている。今日初めて気づいたことは、それよりもずっと向こう、ちょっと騒がしい林のあっち側に大きな柱が立ち始めたことだ。
それが何かしらの面白い仕組みで動く道具だと、俺はすぐに感付いた。これは村長のじいさんが時々眺めていた絵の中の一つに違いない。林からはみ出すような高い柱なんだけど、一体何に使うのかは分からない。そういうことはまるでダメなんだ。俺たちが乗っていた船のことも、正直あんまし興味が無かったしね。でも、その内に分かることさ。
ところで、やっぱり魚とあの汁の相性は最高だったね。今日はじいさんに礼をと思っていたんだけれど、肝心の村長は浮かない顔で紙に書かれた文字か何かを読んでいて、なかなかいつものように言葉の練習を始めようとしない。
しばらく、俺は部屋の中をうろうろしながら、そんな風にじいさんを待っていたけれど、結局今日の練習は無しになって、自分の部屋に戻って来た。そばにはまだ見張りが付いて来るわけだけれど、最近は好きに歩き回ることが出来るようになった。それでも、あの林の向こうへ行くことだけはどうしてもダメみたいだけどね。
最近は日に日に林の向こう側から聞こえる声が大きくなっていく。あそこにはもう相当の人数が集まっているんじゃないかな?もしかすると、一緒に船で来たあいつらもそこにいるのかも。
十日目
今日は部屋から出ようとしたら、見張りの男に部屋にいるように言われてちょっとびっくりした。仕方ないけどそういうわけで、壁の穴から外を覗いたりしながら一日を過ごすことになった。部屋の外では男たちが騒がしく走り回ったり、大きな声で何かを叫んだりすることもあった。分からないけど、とにかく何かが起ころうとしている。これはまるで、あの山が火を噴いた時みたいだよ。野菜を集めていた人たちも今日は見なかったな。それでも、林の向こうじゃいつも通りに仕事をしてるらしい。
図7 農場と人々
G3~4欠損。
十六日目か十七日目
村長のじいさんがこの日記を返してくれたのは良いんだけど、また違う部屋に移された。ここの壁にはあの動かせる板がないから、外をうかがうには出来るだけ大きな隙間を探すしかない。なかなか苦労したけど俺は畑が十分に見渡せるくらいの丁度いい隙間をなんとか見つけ出して、そこからまた一日中外を見ていた。
いつものように昼間から林の辺りが騒がしかったんだけれど、これから日が沈もうってのに、そこにはまだ大勢が残っていた。帰るどころか、その内に松明まで持ち出して来たらしい。木の間から見える火の玉が、狂ったようにがやがやと騒ぎ立てている。
どうやらこれは決してただ事ではなくて、事情はよく分からないんだけど、何かの争いごとが起きているに違いない。俺が日記を取り上げられたり、部屋を変えられたりしたことから考えて、ひょっとすると一緒にここに来たあいつらが何か関係しているのかも知れない。
じいさんの計らいか、今夜も俺の好物の焼き魚とあの汁が差し入れられた。でも、あの怒ったように揺れている火を見てからは何も食う気にならないんだ、何にもね。
G7~9欠損。
俺は確かに大きな岩が降って来るのを見た。それから、微かに木が焼ける臭いがする。
あの柱の方から岩が飛んで来る。たくさんの松明の中にレバンがいる。誰かと話している。そっちの奴も一緒に来た奴に間違いない。月が隠れる、もうこれ以上は書けない。崩れた壁から…〈判読不可〉―
―…握っていた拳を広げてみると、掌に爪の後が残っている。この手記で語られていることは、僕たちの祖先が、今はもう失われたカペル半島内の集落から運良く脱出し、大陸沿岸部の村に逃れて来るまでの生々しい記録であり、同時にこれはカペル半島由来の木造技術が大陸へ渡ったことを示す世界で唯一の文献ということになる。
〝林からはみ出すような高い柱〟や〝大きな岩が降ってくる〟と描写された部分は、明らかにこの手記と同時代の地層から発掘された大型のカタパルトを指し示していて、これまで発見されたカタパルトの構造の接合部分にカペル島周辺の海底から引き揚げられた木造船と同じ技術が使われているということについては長年様々な議論があったのだけれども、この手記の解読によって文字通り決定的な一石を投じることになりそうだ。私的な関心はとにかく、そこが僕にとって重要な点だった。
こうして僕がここへ来た目的の半分は果たせてしまった。明日は沿岸の発掘現場へ顔を出す予定だ。開いた手帳にはすっかり赤い日が射している。
僕はビジターパスをセキュリティに返すと、軽く頭を下げて門を出た。実をつけ始めた大きなイチョウの並木道を下りながら、密かに僕はまたあの手記の中に舞い戻っていたのだった。
僕個人としての感想を言うなら、手記の前半部で書かれていた派閥争いの模様が、現代人のそれと大差なく聞こえたことがやっぱり興味深かった。
遥か太古から今日まで延々と繰り返している集団の終わりのない細胞分裂は必ずしも完璧な集団を目指すための最適解を求めて行われている訳ではないのかもしれないと、そう思わされたのは、どう争うかの進歩は確かにあるのだけれど、それを引き起こす背景にはまるで変化が無いからで、例えばそれぞれが自分の正義を妄信してしまうことや、それに異議を唱える者を許せないことなんかは、僕たちが毎日実際に目にする光景と1ミリも変わらないからだ。
自分達のモラルを信じて分裂する人々は目の前にぶら下がったニンジンをただひたすらに目指しているようなもので、ある地点を目指して進めば、他方からは後退していることになる。完璧を目指して一歩を踏みだすと、同時に一歩遠ざかってしまうと、そういうわけなのかもしれない。
僕が思ったことは、寧ろ初めからこのフレームワークは完璧な状態で始まっているんじゃないか、つまり分裂そのものが最適解なのかもしれないということ。
多様化する情報の蓄積は確かに行われて、その蓄積物の中からは時々、希少な普遍的事実が採掘される。そうしてこの希少なピースを組み込むことで、社会はより詳細に複雑化した情報の保存を可能にする。言い換えれば、無限にそして加速度的に拡張されてゆくデータベースが僕たちが生きる世界の本質であるのかもしれない。
手記のアラムやバジーのような人々があの時を境に永遠に失われたと残念がる気持ちにならないのは、両者を否定して島を離れた者達の子孫である僕たちが数え切れないくらいにその代役を務めてきたからだろう。きっと、生き残ったのが誰だったかなんて、そんなこときっとどっちでも良いことなんだ。
今こうしてタクシーに乗り込もうとする間にアラムやバジー、レバン達が再び新芽として生まれては枝分かれしてゆく。彼らが船出したその日から五千年以上経った今日、その立派な大木の枝枝からはどれだけの実り、普遍的事実が得られるのだろう。そして、それを心待ちにしているのは本当に僕たち自身なのだろうか。
タクシーの窓から並木道が見えなくなる頃、僕はラジオの何でもないようなニュースに飛びついて口元を歪めていた。
Diary for DIVERSITY SI.ムロダ @SI-Muroda
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