月世界夢遊病

犬狂い

短編

 友人曰く、私は朝に強いらしい。

 いや、勘違いしないで欲しい。私は神話の登場人物ではないし、この話は御伽噺ではない。だから朝日が沈むまではどんな刀でも傷がつけられないとか、朝日の加護を受けて能力が倍増するとかそういう意味ではない。そういう話を期待されていた方には大変申し訳ないこっちゃです。

「行ってきまーす」

 玄関で靴を履いていると家の奥からお母さんに声をかけられた。

「あ……お母さんいまから出かけるから、鍵かけなくていいわよー」

「はーい」

 私は軽く生返事を返してスクールバックを肩から下げて家を出た。

 閑話休題、私が朝に強いというのはどういうことかというと、早起きが苦ではないということだ。

 早起きが苦ではないというのはどういうことかというと、つまり朝早く登校できるということだ。

 朝早く登校できるということはどういうことかというと、少女漫画のように曲がり角で偶然にも運命の相手にぶつかるということが一生ないということだ。

 つまり、私はその日も何のアクシデントもなく学校についた。

 私、夢野未来(ゆめのみく)の辞書にはトラブルやアクデント、ハプニングという文字はいくら探しても見つからない。


■ ■ ■


「本日は転校生を紹介する」

 朝のHRの時間。私は雲を目で追うのをやめて、教壇に視線を移す。

 いまなんて言った。転校生だって。

 クラスがざわめく。退屈な日常に降ってわいたお祭り話だ。テンション上がらない人間はいないだろう。

 でも待ってほしい。胸中でまるでニヒルな感想を独白し、周りはどうか知りませんけどみたいな印象を与えている私だってテンションが上がっているのだ。そこは信じてほしい。

 そういうわけでいったいどんな奴が転校してきたのか興味津々だ。私は廊下側のすりガラスに映るシルエットに目を凝らす。

「では入ってきてくれ」

 先生が転校生を呼ぶ。

 建付けの悪そうな音を響かせて扉が開く。

 現れたその子はどこかはかなげで、けれどしっかりした目元と柔和な面影。それでいて可憐な雰囲気の。

 まあ一言でいえば不思議な美少女だった。

「はじめまして。私、月宮兎と言います!」

 教壇に上がるとそのふわふわとした髪の毛とは反対に、ハキハキとした口調で自己紹介をした。

 クラスが先ほどとはべつの盛り上がりを見せる。

 わかる。わかるよ。こんな美少女と同じクラスになれて男子は単純にテンションがあがるし、女子は早くお近づきになりたいと思っているよね。

 特に女子だ。女子は美女と仲良くなるとステータスがあがる。バフがつくのだ。

 べつに女子が計算高いとか男子が馬鹿だと言っているわけではない。ただ女子はちょっと打算的なのだ。女子のヒエラルキーは容姿という絶対的ステータスと友情という名の一筋の儚い絆で成り立っているのだ。

 でもでも、待ってほしい。まるでシニカルな述懐で、私は孤高を愛する一匹狼ですと装っている風の私も御多分に漏れてはいない。

 ぶっちゃけ早く友人関係に持ち込みたい。なだれ込みたい。

「はじめまして、あなた名前は?」

「へっ!?」

 目の前に転校な美人生がいた。

 彼女はかがんで、その長い髪を片手で押さえていた。椅子に座っている私をのぞき込むようにこちらを見つめている。

「へ、あ……ゆ、夢野……未来です」

「あなたが。先生が夢野さんの隣の席だって」

「は、はあ……そうなんだね」

 いきなり美女が顔をよせてきてしどろもどろになってしまった。

 彼女は隣の席に座ると、鞄を机に置くなり私に問いかけてきた。私だけに聞こえるように。

「ねえ、夢野さん? 『月』に行ってみたいとは思わない?」

「はあ?」

 あまりに突然のことで、私はこいつ頭大丈夫かと言外に聞き返すような返事を返してしまった。

 まあ私の慌てっぷりは『返』が三つかぶってる辺りで察してもらえると助かりますです。はい。

 それから月宮さんは私にキスしてきた。

「…………」

 キスをしてきた。

 え。なに。どういうことなの。

 いや、おでこにとかほっぺにとかそんな軟なもんじゃねえです。モロです。モロに口です。唇です、先生。

 あ、駄目だ先生教壇でぽけーっとしてるわ。

「……っ!」

 ちょっと待って。それは待って、月宮さん。いや、この女(アマ)。

 なんで、私に息送り込んできてるの、この子。

 月宮さんは私と唇を重ねるとそのまま、自分の熱い肺腑に詰まった酸素を直接渡してきたのだ。

 私のファーストキスの味は生暖かく湿った感触とフローラルな香りがした。、

「ぷはっ……ちょっと!? あんた……!」

 二の句が続かない。

 慌てて月宮さんの顔を押さえて、押し返した。いや当然でしょ。私たちの席を見て、クラス静まり返ってるし。

 私がにらみつけると、彼女はいままで通りにこやかに答えた。

「ねえ、私といっしょに来て? 月に連れて行ってあげるから!」

「…………」

 ええ。なんなのこの子。


■ ■ ■


「ねえねえ、夢野さん?」

「…………」

 昼休み。机に突っ伏し、隣の席から聞こえる妄言を無視していた。

「ねえねえ……」

「ああー、うっさい」

 そしてついに私はキレた。

 休み時間中もずっとこうだ。

「月に行きたい? いけるもんなら行きたいわね」

「やった! いっしょに行ってくれるのね」

「いや、誰が……」

 嫌味が通じないのかしらん。

「じゃあ早速行きましょう!」

「はあ、どうやっ……」

 私は言葉を言い終わる前に首筋によくわからない針を刺された。首筋の後ろがちくっとした。

「痛ったぁ……なに? なにしたの?」

 そう問いかけが終わるか終わらないかだった。

 目の前の景色が一瞬にして退屈な教室から、自動販売機の中みたいなところに変わっていた。

「え?」

 なんだろう、私いままで教室にいたのに。なにこの光景。

 片開になっていた自販機のドアが開け放たれる。機密が解除され、中の酸素がぷしゅーと音を立てて外に排出される。

 そこには月宮さんがいた。見たこともない服を着て。

「ようこそ、ここが私たち月の民(ルナリアン)の暮らす月面基地だよ!」

 もう好きにしてくれ。


■ ■ ■


「つまりその転写式テレポートだっけ?」

「情報転写式テレポーテーションだね」

「そう、それ。そのわかんないので私は月面まで飛ばされたってこと?」

「正確にはこっちで精製された素体(ネイキッド)に遺伝子情報と記憶を転写したのがいまの夢野さんの体だよ」

「ああー、わかんないわかんない。まあいいわ」

「うん!」

 なにがうんなんだか。にこにこした顔で、こいつは。

「それで月宮兎。あんたはこの月で――私にはどっかの繁華街にしか見えないけど――暮らす月人(ルナリアン)で、地球には文化接触でやってきたって?」

「うん!」

「はあ……!」

 私は月宮と、彼女が月だと主張する繁華街のど真ん中でファーストフードをつまみながら、事情を聞いていた。

「理解した?」

「うん。なにひとつ理解できないことを理解した」

 笑顔で聞いてくる相手に、私も120%の笑顔で答えた。100%が嫌味で、20%が社交辞令だ。

「ぶっちゃけ、あんたの気が狂ってると思ってたけど、私のほうがパラノイアになった気分……正直私たちはもともとルナリアンで、ある日突然私だけが地球人という妄想に取りつかれて、いまあんたからカウンセリング受けてるって言われたほうが信じられる」

「じゃあそれでいいよ?」

「よくない!」

 私はじゅるじゅるストローから飲み物を飲んでズキズキする頭を抱えた。

「ああ、頭痛い」

「大丈夫? 空気構成は地球と同じ窒素78%、酸素21%……」

「そういうことを聞いてるんじゃないの!」

 とりあえずお腹も満たされたし、トレーのゴミを商品受け取り口のリサイクルボックスに投入した。掃除機みたいにゴミが吸い込まれていく。

 商品受け渡し口には誰もいない。月面のお店は高度に機械化が進んでいるらしい。月宮さんがそう言っていた。

「ここ本当に月なの?」

 私は月の道路を歩きながら当然の疑問を口にした。

「証拠が欲しいってこと?」

「そういうこと」

 それならと月宮さんは急に私の腕を引っ張る。

「ちょ、ちょっと」

「なら、天文台へ行こう!」

「てんもんだい?」


 私は彼女に連れられるまま天文台と呼ばれるエレベーターの前まで連れてこられた。

 エレベーターという私見は、まず目の前に大きな鉄の扉。そこから上にずっと伸びるチューブ状の鉄筒を見た感想だった。

「なにここ」

「いいから入って入って」

「ああ、もう」

 強引なんだから。

 私はそう思いつつ彼女の言うままに、そのエレベーターに乗った。月宮さんがボタンを操作している間、私は壁を眺めていた。

 どうやらカゴの内側はガラス張りらしい。そこから外の筒状の金属壁が見える。

「…………」

 体浮く感覚。それから少し下に引っ張られる感覚。どうやらエレベーターは上昇をはじめたようだ。

「どこへ連れていく気」

「まあまあ、すぐにわかるから」

 月宮はウィンクしてそう答えた。

 そしてその意味はすぐにわかった。

「……! なに、これ」

 私はガラスに張り付いた。

 外だ。外が見える。

「月……」

 月面だった。ガラス張りのすぐそこ。すぐ外には灰色の地面と黒い空、そして無数の掴んでも掴み切れないほどの星々が浮かんでいた。

「これって本物なの?」

「ようこそ、月面に」

「待って。待ってよ、これが本物だとして……どうしていままで地球人にばれなかったの? あの街は?」

「ここは地球から見て裏側だから」

「だけど、私地球で月の裏側の写真見たことある」

「私たちは月の地中に基地を作って住んでるの」

 本当なのだろうか。月宮さんが言っていることも、この月面も、この私自身も。はたして本物なのだろうか。

 いや、おかしい。

「おかしいんじゃない」

「え?」

「ここに来るまでひとりも人を見なかった」

「お店はどこも自動式なの、ロボットが……」

「そうじゃなくて、ロボットにお店を任せてるなら……それを利用する『お客さん』はどこにいるの?」

「…………」

 そこではじめて月宮さんは沈黙した。

「どうしたの、答えて。どうして私たち以外に人間がいないの」

「…………」

 彼女は沈黙を返してきた。そしてふっと悲しそうな顔をすると、私に向かって言った。

「これは夢――」

「ゆ、め……?」

「そう、いつもの夢よ。もうそろそろ目覚めるわ。ほら……あなたにもわかるでしょ?」

 こんなにも美しい星空も、微生物さえ凍えるような灰色の砂漠も夢なのだろうか。こんなにも現実的で触れれば感触のあるこの強化ガラスさえ。

 そのとき警告音が聞こえてきた。

 エレベーター内部が赤く光る。警告灯だ。

「わかるでしょ、夢の終わり」

 私は彼女の言葉を数瞬反芻した。

 そしてごくりと飲み込んだ。

「わかった。そうだね、これは夢の終わりだ。だって――」

 透過ディスプレイの向こうからごーっと轟音を立てて、ミサイルが迫ってくる。ひどく現実感のない。そのミサイルはあっという間にこの天文台に着弾して爆発する。

「とても唐突だもの」

 私は破損したディスプレイのかけらや中の空気ともども月面に投げ出される。それは彼女も同じだった。

 どうしてそんなに悲しそうなの。どうしてそんなに悔しそうなの。

 これは夢だよ、夢。ただの悪夢なのに。

 そんな悲しそうな顔の月宮さんは、渦巻く希薄な空気の中を泳いで私に近づいてきた

 それからまた出会ったときのようにキスして、私の喉に肺腑の空気をすべて吐き出すと星空に吸い込まれていった。

 私もそのわずかな酸素で数秒生きながらえながら、星々の輝く暗闇へと消えていった。


■ ■ ■


 私はベッドから転げ落ちて、目覚めた。

「なんだ。ただの夢か」

 ひどいオチだと思った。


 登校の支度を整えて玄関で靴を履く。

「あなた、今日は初登校なんだから髪の毛しっかりセットしたの?」

「わかってるよ、お母さん。私、もう子どもじゃない。カギは締めなくていいんだっけ?」

「ええ、そうよ」

 家の奥から声をかけてくるお母さんにそう返して、私は外に出た。

 最後扉を閉めるとき、お母さんのつぶやきが聞こえてきた。

「あれ? なんで私が出かけるってわかったのかしら……」、


「では入ってきてくれ」

 廊下で待っていた私に扉の向こうから担任の声が聞こえてくる。

 私はガチガチに緊張しながら教室のドアをあけた。

 そして興味津々というクラスの面々の前に立ち、自分で黒板に名前を刻んだ。

「夢野未来って言います。皆さん、よろしくー!」

 挨拶は最初が肝心だ。元気よく自己紹介するとクラス中から拍手がわいた。

 よし、大丈夫。今日からうまくやっていけそう。

「え?」

 そこで私はひとり拍手もせずに窓の外を覗いているクラスメイトを見つけた。

 はっと息をのんだ。

 だってその横顔は私の知っている顔だったから。

「ねえ、あなた月宮さん!?」

「…………」

 窓の外を見ていた少女は驚いたように私を見上げた。

 その顔は間違いなく月宮さんだった。

「月宮さんだよね!」

「私、あなたと会ったことあったかしら?」

 月宮さんは私の知っている月宮さんとは違いとってもそっけなかった。

 だがそのくらいではくじけない。

 私は言った。

「ねえねえ、私を月に連れて行ってよ。ルナリアンなんでしょ、あなた」

 そして私は彼女にキスをした。

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月世界夢遊病 犬狂い @inugurui

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