「創作物はいらない」という人

隅田 天美

「創作物がいらない」という人

 新型コロナなるウィルスに世間が騒ぎだしてだいぶ、落ち着いてきた。

 東京などの大都市はまだとして私の住む群馬県などは一部で悪名高き(私自身は何とも思ってないですが)『アベノマスク』と揶揄されるマスクが来る前に市販のマスクが薬局などで出始めている。

 もっとも、第二波がすでにヨーロッパなどで出始めているそうで油断はできない。


 本題。

【製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。 】


 ある劇作家の言葉である。

 この発言自体、私的には業腹である。

 私は文章で生計を立てたいと思ってはいるけど、製造業が下とは思わない。

 私が使っているコンピューター(パソコン)にしろ、食材にしろ、移動手段にしろ、たくさんの人が製造業で頑張っている。

 日本の復興は製造業が支えたといっていい。

 経済的なことを書くのなら、この人、相当古い。

 リーマンショックなどにより昔のような『たくさん作ってたくさん売ればいい』という大量生産大量消費経済ではなく今は小回りの利く少量生産個人消費がメイン。(私も経済の素人だけどさ)

 それに、今は「失われた二十年(または、それ以上)」と呼ばれるほどで回復できていない。

 当然、ネットなどでも怒りの声が上がり本人は弁明したがますます炎上するという文字通り「火に油を注ぐ」ことになった。


 ただ、批判の中には『舞台の何が世界の役に立つ!?』などという意見も出たようだ。

 この言葉が私の中で引っかかった。


 我々は、ものを書く。描く。

 小説、漫画、絵画、イラスト、アニメ……

 創作物もあれば二次創作もある。

 しかし、(説明書などの実用書は除く)これらは何の役に立っているのだろう?

 たぶん、有名無名、古今東西、老若男女、誰もが一瞬思うこと。

――この作品は、自分が書いているモノは何の役に立っているのだろう?

 ある人は言う。

『自己満足でいいじゃないか?』

 本当に?


 かの喜劇王チャップリンの映画、モダン・タイムス(でいいだよね?)で主人公が機械化された都会で発狂するシーンがある。(子供のころに確かに見たような気がする)

 効率・能率を考えた場合、私はたぶん、「不良品」だろう。

 理由、発達障害持ちだから。(言語などには強いが暗記・数学関係には極端に弱い)

 殺されても文句はないだろう。

 でも、人は基本的に生きたい生き物である。

『ヘルプ・フォー・クライ』(泣くから助けて)

 

 何度か書いているが私の高校時代は地獄だった。

――誰も助けてくれない

 絶望しかない日々であった。

 そんな時、柴田錬三郎の『御家人斬九郎』を読む。

 背筋がぞわっと毛羽立った。

――こんなすごい文章を書ける人がいるんだ

――続きを読みたい

――生きていたい

 

 その後、池波正太郎の『剣客商売』にもハマり数多くあるエッセーにも手を出した。

(柴田錬三郎のエッセーもあるにはあるが少ない。でも、近所の図書館に多く所蔵。ありがとう、高崎市中央図書館!)

 その中のインタビューか何かで本人が語っていたが、(池波正太郎は作家になる前に劇作家として功績をあげていた)「自分たちが現役時代は舞台を見た自殺志願者が自殺を止めるほど力があった」とか。

 インターネットやテレビの普及していなかった時代(昭和中期)まで娯楽はラジオや舞台演劇、映画などに限られてほとんどが一発勝負であった。(映画などはその限りではないけど)

 今のように編集技術や特殊撮影が発達していない時代。

 金をとる分、一発勝負の緊張感は相当なものだっただろう。

 だから、自殺志願者を止める力もあった。

 いや、今もある。

 私は過去数回、好きな俳優さん目当てに舞台を観たがすごく面白い。

(しかも、その俳優さんに会えた。幸せ)

 

 本題に戻ろう。

 私の考えである。

 そもそも、職業に上下や優劣があるだろうか?

 例えば、本当にモダン・タイムスのように無駄のない生活がいいのならSNSなんて失笑物だろう。

 SNSほど製造業で無意味で無駄なものもない。

 正しい情報を知って、どうする?

 革命を起こす?

 馬鹿々々しい。

 でも、仮に電子だとしても人と繋がることが自分が自分であるという『自己肯定』に繋がる。

 それは時に生産性にも左右することだ。


 つまり、無駄なものなどない。

 私は家が貧乏だったので「ある資源でやる」という意識がある。

 だから、「これ、つまらね。ポイッ」というのはもったいないように思う。

『一は全。全は一』

 というのは名作漫画『鋼の錬金術師』(荒川弘)に出てくる言葉だが、世界こそ私であり、私こそ世界なのだ。(←「そこまで悟っているわけねぇじゃん」)

 その世界が単なる能率だけを求めるだけの機械ならつまらない。

 逆に空想ばかりのアホでも世界は成り立たない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「創作物はいらない」という人 隅田 天美 @sumida-amami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ