他を寄せ付けない性格でありながらただ一人にだけ心を許す金髪女子と、高嶺の花でありながらただ一人だけを支えとして生きる銀髪女子と、そんな二人の恋模様をひたすら邪魔してくるノンケ

銀髪クーデレ同好会

本文

 私立、御伽おとぎ学園。

 とある財閥の権力者が私財の九割を投じて設立されたと噂されるこの学園は、さながらおとぎ話に出てくるお城のような外観の校舎が所狭しと立ち並ぶ、モダンな雰囲気が特徴的なだけの、いたって普通の進学校である。


 校門から校舎へと続く通路は赤レンガで舗装され、両脇を桜並木が彩る光景はまさに圧巻。

 目の前に荘厳と並び立つ校舎も相まって、この学園の入学希望者の七割はなんと『一目惚れ』が理由で進学を志している。

 とはいえ特に格式高い歴史があるわけでもなく、やはり見た目がメルヘンなだけの普通の高校という評価が正しかった。


 したがって普通の高校なりに、

 普通の生徒たちが、

 普通じゃない人に憧れ、

 普通じゃない青春を求め、

 思い切った行動に出ることもご多分に漏れず。


「アリスさん! 俺と付き合ってください!」


 男子生徒の声が、御伽学園の敷地内で大きく響いた。

 衆目に晒されながらの公開告白という男子生徒の無謀とも言える行動に、周囲から歓声が上がる。


 そうでなくとも、手を差し出された相手……アリス・パッキンロリの幻想的な美貌の前には、どんな男子であろうと一度は胸を高鳴らせ、バラ色の学園生活を夢見ることだろう。


 しかし夢は、叶わないから夢なのだ。


「一目見た時から貴方に惚れました! 世界で一番愛しています! 絶対大切にします! どうか俺と――」

「失せなさい、ゴミ虫」


 告白してきた男子生徒の声を遮り、差し出された手をアリス・パッキンロリはペシンと叩き落とす。


「汚らわしい……非常に不愉快だわ!」

「ひっ……」

「もう二度と、私に話しかけないで頂戴。それじゃ」


 アリスの剥き出しの剣幕に気圧され、男子は膝を折ってその場にへたり込んだ。

 フンと鼻を鳴らし、アリスはもう興味も失せたと言わんばかりに彼の横を通り過ぎていく。


 彼女の名前はアリス・パッキンロリ。身長140センチ台の小柄な体躯には見合わず、常に強気な態度で周囲を威嚇する金髪少女である。


 一部始終を目にしていた周囲の男子生徒たちが、にわかにざわめく。


「アイツ、マジで勇者だな……『苛烈の女王』たるアリスさんに告白するなんて……」

「それでもワンチャンあるかもって思っちゃうよなぁ」

「俺、あの身体を好きにできるなら何でもするぜ」

「うわ、お前そっちの趣味かよ。俺は真逆だわ」

「ああ、お前『銀』派?」


 噂をすれば影、といわんばかりに二つ目の歓声が上がる。


 白銀に輝くショートヘア、窮屈な制服を押し上げるように張り出す巨大な双峰。

 まるで物語の中からそのまま出てきたような現実感の無い銀髪少女の登場に、男子生徒はみな視線を奪われていた。


 そして共に、二人目の勇者の姿が彼女の前に現れる。


「白雪さん! 俺と付き合ってください!」


 男子が手を差し出す。手を差し出された相手――白雪白姫しらゆきしらひめはそんな彼の手を何も言わずジッと見つめていた。


「…………」

「あの、白雪さん……」

「…………」

「返事を……」

「…………」


 無言。ひたすらに無言。頑なに無言。


「あーもう!」


 見かねたアリスが白雪の代わりに男子の手を叩き落とし、彼女の腕を引き摺るようにして歩き始める。


「おっ、金銀コンビが揃い踏みか。朝からいいもん見たわ」

「アリスさんも可愛いけど、やっぱ付き合うなら『孤高の雪姫』たる白雪さんだよな」

「スタイル良いし胸も大きいもんな。マジ抱きてぇ」

「おいおい、あの近寄りがたい雰囲気がいいんだろ。俺は白雪さんの神秘的な吐息をひたすら吸っては吐くだけの観賞植物になりたいぜ」

「お、おぉ、そう……」


 そんな二人の姿に周囲は思い思いの評価を口にする。


「……っ!」


 傍らから聞こえる男子共の言葉に、アリスは歩幅を速めた。


(汚らわしい、汚らわしい、汚らわしい! みんなみんな気持ち悪い! クラスの女子が理解できないわ! どうしてあんな体毛が濃くて肉が硬くて性欲丸出しの猿共を好きになれるのかしら!? あんなのと付き合うくらいなら、一人で延々とドラえもんのありそうでないマイナー道具の絵しりとりでもしていたほうがまだ有意義だわ!)


 アリスはその潔癖とも言える性格から、学校中の男子という男子を嫌っていた。

 帰国子女という立場、人形を彷彿とさせる優れた風貌、ロリータな外見も相まって、彼女は多数の男子から好意を寄せられることが多い。

 しかし、そのどれもが彼女の表層だけを評価した告白であり、彼女はそれを快く思っていなかった。


 何より、告白してくる男子のまるでトロフィーでも眺めるかのような視線。


 あれがとても苦手で、近寄りがたくて、気色悪い。


 私はお人形じゃないのよ、とはアリスが常日頃から胸中に抱える悩みである。


「アリス、手……」

「えっ、あっ」


 白雪の声にハッと我に返り、アリスは力強く握った手を放す。

 辺りを見渡せば、いつの間にか人通りもほとんどない校舎裏へと歩を進めてしまっていた。


「ごめんなさい白雪。私、つい……」

「ううん。大丈夫。私のためを思って取ってくれた行動なんだよね。嬉しい」


 アリスは申し訳なさそうに彼女の手をさすり、白雪はそんな彼女の姿を見て優しく微笑んだ。


「まだ最初の授業まで時間があるし、一緒に文芸部の部室、行く?」

「……ええ、そうしましょう」


 白雪の提案にアリスは首肯し、今度は優しく手を握り、二人は部室棟へと足を運んだ。




――




「ねぇ、白雪。我ながら下らない質問をするけども、貴方はその、恋愛に、興味はあるかしら」

「どうしたのアリス? 急にそんなこと聞いて」


 本焼けを防ぐための遮光カーテンをまとめ、狭い部室内に朝日を取り入れる。

 ピチュピチュチチチと種類のわからない小鳥の声に耳を傾けながら、アリスは視線を白雪から逸らしたまま語り掛ける。


「正直言って、私は男子が嫌いよ。だからこそ毎日うんざりするほどの告白を断り続けているし、今後も受け入れる予定はないわ」

「うん。知ってる」

「男子なんて性欲丸出しで顔面皮脂テカテカのフケ量産機だと思っているし、話しかけられる度に武道館ライブレベルで鳥肌がスタンディングオベーションするわ」

「想像の倍くらいキツい評価だったけど、とりあえずうん」

「でも……白雪はどうなのかしら、って。私と違って、白雪は別に男子を嫌っているわけではないでしょ?」

「そうだね。少なくともそんなフェミニストがTwitterで炎上するレベルの毛嫌い方はしてないかな」

「だからね、私が勝手に白雪の告白を断っているのって、もしかしてお節介なのかなって」


 アリスの後ろ向きな言葉に、白雪が彼女の手を取り答える。


「ううん、そんなことないよ。正直……私にもまだ分からないの。『恋』とか、『アベック』とか、『相方』とか、『好きピ』とか」

「言葉選びの時代感覚がだいぶ迷走してるけど、白雪もそうなのね」

「だから、断る言葉すら出てこない私にとって、アリスって凄い尊敬できる存在なんだ」


 ふっ、と白雪は朗らかな笑みを浮かべる。


「いつも頼りにしてるからね、アリス」

「白雪……っ! ああっ、私もよ。白雪、貴方に比べれば、他の男子なんてドラえもんの『夢確かめ機』より無価値な存在に過ぎないと思っているわ」

「それがどういう秘密道具なのかは寡聞にして知らないけど、うん、私も、アリスのこと、とっても大事な友達だと思ってる」


 彼女の全てを包み込むような優しい言葉に、アリスは胸の高鳴りを抑えきれずにいた。

 その感情が同性の友達に抱いていい類のものではないことも、アリスは自覚していた。


 というかもうぶっちゃけた話、性的に好きだった。


 何度、彼女の薄桃色に染まった唇にむしゃぶりつきたくなったことだろう。何度、彼女の胸に壮観と聳えたつチョモランマへ登頂したくなったことだろう。何度、彼女のコウノトリを信じていそうな純粋な心にポルノブックを叩きつける妄想をしたことだろう……。


 何度、この気持ちを彼女に伝えようと、考えたことだろう。


「ねぇ白雪……」


 赤く染まった顔を隠すよう、アリスは俯きがちになって口を動かす。


「うん。何……?」


 白雪は首を傾げ、子供の返事を待つ母親のような穏やかな表情を浮かべる。

 アリスはたまらず両手をギュッと強く握り、ありったけの勇気を振り絞って言い放つ。


「私、私ね、ずっと前から、貴方のことが……好」


 その時であった。


「アリス先輩、白雪先輩、こんにちは! 今日も遊びにきました!」


 突然の闖入者に、静まり返る室内。


「あっ。金銅さん。こんにちは。それでアリス、私のことが、何?」

「貴方のことが――すと」

「すと?」

「そう。私、貴方のことガ、ストへ連れて行きたいと思っていたのよ。二人で仲良く包み焼きハンバーグを食べたくて仕方がないの。ほら私ってばドラえもんが大好きだから」

「あれココスだよ」

「やだ私ったらうっかりさん」


 うふふと笑みを零すアリス。


「アリス先輩、白雪先輩、こんにちは!」


 再度、突如として現れた少女が声を張り上げる。

 アリスは湧き上がる怒りを必死に抑えつけ、上っ面に笑顔を張り付けて応対する。


「あら、こんにちは金銅さん。二人で特に重要でも何でもない他愛のない話をしていたから気づかなかったわ、いたのね」

「はい、いました」

「どの辺りからいたのか、聞いてもいい?」

「『我ながら下らない質問をするけども』のくだりからです」

「本当に気づかなかったわ! もっと自己主張しなさい! そういうところよ金銅さん!!」

「なんで怒ってるんですか」

「貴方と私の今後に関わる重要な案件だからよ!」

「はて」


 こてり。あざとく首を傾げる彼女に思わず手が出そうになるアリス。


 彼女の名前は金銅銀子こんどうぎんこ


 名前からして金と銀の間に挟まる存在でありながら、現実世界においても二人の邪魔をする非常に厄介極まりない一年下の後輩で、控えめに言って死んでくれるか害意の無い観葉植物にでもなってそのお喋りな口をプランターに収めていてくれとアリスが常日頃から切に願ってやまないキング・オブ・お邪魔虫である。


 付け加えると。どうも金銅は、アリスが白雪に向ける特別な感情に気付いているフシがあった。

 実際に訊ねたことは無いのだが、あと一歩というところで必ず乱入してくることから、十中八九そうだろうとアリスは睨んでいた。


「ねぇ、金銅。少しこっちへいらっしゃい」

「はい、なんですか」


 ある種の確認も込めて、アリスは金銅に訊ねてみることにした。


「あのね、金銅。もしも。もしもよ。もしもの話よ? 『無人島に持っていくなら何がいい』レベルの他愛のない話題提起だと思ってほしいんだけど」

「私はスマホがいいです! 電話で救助を呼びます!」

「ねぇ金銅、話を聞いて。私の話を。まず無人島に電話回線が引かれている前提なのが現代っ子の恐ろしいところだけどまずは私の話を聞いて」

「はい!」


 アリスは一呼吸置き、彼女の肩に手を置いて口を開く。


「もしも、もしもね――私と白雪が付き合うことになったら、貴方、どうする?」

「どうする、ですか? うぅん、難しいですね……」

「やっぱり、軽蔑するかしら?」

「いえいえ! そんなことないです! お二人ならばお似合いだと思っていますし、なにより同性愛を否定するような輩はマイノリティを許容できない狭量な心の持ち主だと考えていますから! ただ……」

「ただ?」

「Twitterで拡散するときの文面はどうしたものかと……」


 これだ。これである。彼女の口は滅茶苦茶軽い。水素やヘリウムよりも軽い。

 約束をすれば政治家の公約よりも破られるし、内緒話をすれば背びれ尾びれ胸びれ腹びれにまだら模様とゼブラスタイルのトラ柄ファッションでネットの海に放流される。


 例えば、この前のことである。アリスが日々の忙しさから下着を付け忘れた日、うっかり金銅にバレてしまったことがある。無論、口止めしたにも関わらず、彼女はあろうことかSNSで拡散しやがった。ワケを問いただすと「いや、口は止められましたけど、指が勝手に……」と一休さんも二度見するレベルのとんちを返してきた。アリスがその後、男子の汚らわしい視線に耐えきれず学校を早退したのは言うまでもない。


 以上のエピソードも手伝って、アリスは金銅を常日頃から警戒していた。


 白雪に抱いているこの気持ちは、絶対にバレるわけにはいかない。SNSの発達や性的少数派の努力により同性愛が一般化してきた昨今とはいえ、それを認められない者もいまだ数多い。


 いや、何も認めてくれとは言わない。ただ放っておいてほしい。他には何もいらない。白雪さえいればいい。


 アリスは願う。「二人の仲を邪魔したりしなければ、それでいいから」と。


 そう、目の前の金銅のように邪魔さえしてくれなければ。


「はぁ。難しいです……『ちょっと待って今金銀お姉さま方が付き合ってるって話を聞いてあまりにも信じられなくなっていたのに目の前でキスまでされて流石に信じるしかないまま放心状態になってたらドブに足突っ込んでそれを見た通行人が電柱にぶつかってさらにそれを見ていたチャリのおっさんが笑いながらスッ転んでて完全に地獄絵図だった』……ですかね」

「やめておきなさい金銅。その文面は嘘だと思われる可能性が高いしそもそも140字に収まってないから絶対にやめておきなさい」

「はい! もっと推敲を重ねて承認欲求マシマシの文面を考えておきますね!」

「大丈夫よ、そんな未来は訪れないし訪れさせないわ。私が必ず阻止してみせるわ、ええ必ず」


 ヒソヒソと二人きりで内緒話をしているのが気になったのか、白雪がアリスの制服の袖をチョイチョイと引っ張る。


「ねぇ、アリス。金銅さんと何の話してるの?」

「他愛のない世間話よ。『無人島に持っていくなら何がいい?』というこの世で最も無駄な時間を過ごさせる思考実験ね。白雪なら何を持っていく?」

「私は……スマホかな」

「スマホ?」

「うん。電話で助けを呼ぶの」

「うふふ。無人島に電話回線が引いてあるわけないじゃない。白雪ってばお茶目ね」

「あっ……」


 かぁぁ、と顔を赤くしてやや伏し目がちになる白雪。白魚のような指先で長い前髪を下し、目元を隠すような動作にアリスは性的な興奮を覚えずにはいられなかった。


(本当に白雪ってば可愛いわ。いったい誰に似たのかしら。きっと私に似たのね、孕みたいわ)


 あまりの興奮に時系列のおかしい推測を立ててしまうアリス。


「あっ、白雪先輩私と同じですね。私もスマホって答えたんですよ!」

「愚かね。少し考えれば役に立たないってわかるでしょ。親にちゃんとした教育を受けさせてもらわなかったの? 本当に可哀想だわ、いっそ哀れね。いったい誰に似たのかしら」

「白雪先輩と私に対する評価の差が依怙贔屓ってレベルじゃないんですけど」

「現代のスマートフォンの進化は目を見張るものがあるの。衛星電話回線を使えば全世界圏外なんて存在しないわ、それを考慮した上で白雪の発言があるのよ。貴方の思いつきと一緒にしないで。貴方ってばいつもそう。人のおこぼれをかすめ取ることしか考えてないのね、コバンザメ以下だわ。きっと前世は寄生虫、もしくはダニね」

「無人島問題にスマホと答えただけでそこまで罵倒されます?」


 アリスが日頃の鬱憤を晴らしたところで、金銅がポンと手を叩き「あ、そういえば」と声を上げた。


「何かしら? くだらないことだったら麻酔無しで奥歯を引っこ抜くわよ」

「そこまでの覚悟を要求されなきゃ世間話の一つもできないんですか私。興味を持ってもらえるかわかりませんが、今度、隣町に新しいテーマパークがオープンするらしいですよ」

「へぇ、テーマパーク」

「と言っても、中身はただの遊園地ですけどね。もう何番煎じか分からないような普通のところで。あっ、でもお化け屋敷は滅茶苦茶怖いんですって。キャストなんかガチガチの演劇畑の人たちばかりらしくて」

「面白そうね」

「おっ。くだらなくないですか? 私、役に立ちました?」

「そうね。褒美に前歯のエナメル質を全て削ってあげるわ」

「先輩の辞書には『拷問』の同義語に『褒美』が載っているんですか」


 金銅はおもむろに胸ポケットへと手を伸ばすと、二枚のチケットを取り出す。


「で、その遊園地の無料優待券を偶然持ち合わせているんですけど、お二人にどうかと」


 ピクリ、アリスの眉根がかすかに潜められた。


「施設建設に関わった親戚から頂いたんですけどね、私、この日はちょっと用事がありまして。捨てるのも忍びないので、どうか貰って頂けませんか?」

「貴方にも親切心という概念が備わっていたのね、気色が悪いわ」

「ゴキブリでもここまで嫌われる事は稀ですよね」

「どうせ裏があるに決まっているもの。おおかた用事なんて嘘で――隠れて私たちを尾行するつもりなのでしょう?」

「いや、本当にバイトが入っているんですよ」

「じゃあどんなバイトか言ってみなさいよ」

「遊園地のスタッフですけど」

「堂々と私たちを尾行する気じゃないの!」


 わざとらしいほど大きい溜め息をつき、もはや用はないと言わんばかりに手を振るアリス。


「全く、時間の無駄だったわ。そもそもジェットコースターだの観覧車だの、わざわざ自らを危険に晒すような真似をして何が楽しいのかしら。理解に苦しむわ。どう思う白雪?」

「私、ちょっと興味あるかも」

「奇遇ね白雪。私も遊園地が大好きよ。私ってばジェットコースターに乗って知性の感じられない低俗な叫び声を喚き散らすあの行為に得も知れぬ快感を覚えるの」

「そうなんだ。私もアリスと一緒に遊園地、行ってみたいな」

「えぇ。早く二人で観覧車に乗ってゴミのように溢れかえる家族連れを高所から眺めて優越感に浸りましょう」


 金銅から差し出されたチケットをピッと抜き取り、子供のように無邪気な笑顔を浮かべるアリス。その表情に前言を丸々撤回した罪悪感は一切感じられない。


「さっきからアリス先輩の楽しみ方が恐ろしく陰湿のはさておいて、貰ってくれるのは嬉しいです。今週末にプレオープンしますので、是非遊びに来てください」

「感謝するわ金銅さん。今週末も家で呼吸することを許可しましょう」

「生殺与奪の権をアリス先輩に握られていたことに若干の恐怖を感じますが、週末は遊園地のバイトに行かせてくださいよ」

「金銅さんってば冗談がお上手ね。いったい貴方に何の権利があってバイトなんて許されているのかしら」

「人権すら主張させてもらえないんですか私」

「だって、絶対邪魔しにくるじゃない」

「しませんよ。遊園地スタッフの忙しさ知らないんですか。休憩すらまともに取れないレベルですよ」

「バカにしないで頂戴。霧吹きでミッキーマウスの絵を描いたり、いきなりプロ顔負けのダンスを始めたり、万引きしたお客さんに出口で『夢の国はここまでですよ』と現実を突きつけたりするのでしょう。私知ってるんだから、Twitterで見たのよ」

「情報源の信憑性が恐ろしく低い。というか、あんなトップ層と比べないでください。普通の着ぐるみバイトですってば」

「じゃあ施設の薄暗い裏側のスペースとか、女子トイレの清掃用具個室の中とか、二人の距離が自然と縮まるような暗がりの密室には来られないということね?」

「どういう目的でそんな場所に入り込むのかわかりませんが、まぁそんなところにいく暇はないでしょうね」


 アリスは思わず心の中でガッツポーズし、堪えきれず現実でもガッツポーズしていた。


「どうしたのアリス」

「なんでもないわ。それじゃあ白雪、今週末は駅前で待ち合わせね」

「うん。友達と一緒に遊園地なんて、すごく楽しみ」

「私もよ白雪。着ぐるみを見つけたら一緒に石を投げるかスネを蹴りましょう」

「やめてくださいよアリス先輩そんなクソガキみたいな真似」


 金銅の言は本校のレトロなチャイムにかき消され、アリスはウキウキとした笑顔でチケットを鞄の奥にしまった。




――




 週末の朝、都心の駅前。事前に決めた待ち合わせ場所で、一人佇むアリスの姿があった。

 クリスマス前の夜のような笑顔で前掛け鞄をギュッと握り込む仕草は、ロリータな風貌と相まって外見年齢相応の子供のようにも見えた。


 彼女の眼差しがさらに輝きを増すのは、道の向こう側から白銀の髪を揺らして近づく親友の姿に気づいてのことだった。


「アリス、お待たせ」


 走り寄ってきたせいかやや乱れ気味になった白雪の髪を手櫛でといてやりながら、アリスは彼女に笑いかける。


「そんな、全然待ってないわ」

「本当に?」

「ええ本当よ」

「でも、まだ一時間も前なのに、いつから来てたの? 私も早めに来ておこうと思っていたのに」

「本当に待ってないわ。ほんの昨晩くらいからだから」

「丸半日を『ほんの』と感じられるのは寿命が万年を超える生命くらいだよ」


 まさかの事実に白雪の目が丸く見開かれた。


「えっと……ごめん、アリス。私、時間を間違えてた?」

「ううん。違うの。私が待っていたかっただけなの。白雪との待ち合わせって考えると、こうして立ち呆けている瞬間も幸せに感じられて……気づいたら十二時間も経っていたわ」

「十二時間も待ち続けられるそのメンタルにただ感嘆するばかりだけど、深夜に女の子一人でいたら危ないよ」

「平気よ。途中、お廻りさんから補導を受けて、知らないおじさんに援交を持ち掛けられたことを除けば何の問題もなかったわ」

「除いてはいけない大問題だよ」


 白雪はアリスの手を握り、子供に諭すような口調で言う。


「もっと自分を大事にして。ね……?」

「えぇ、えぇ。本当に心配してくれてありがとう白雪。私、白雪が待ち合わせに来てくれて嬉しかった。もう死んでもいいわ」

「齢十七にして人生を擲なげうってもいいレベルの大願成就が、これ……?」


 目じりに涙を浮かべながら、白雪の手を恋人のように握り直して駅のホームへと向かうアリス。


「それじゃあ早速行きましょう白雪」

「うん。アリスは、まずはどこにいきたいとか、ある?」

「……そうね」


 顎に手をやり、数秒黙考した後、アリスは口を開いた。


「トイレとレストランかしら」

「早くいっておいで」


 丸半日を棒立ちで過ごしたアリスの膀胱と胃袋はもはや限界に達していた。




――




「お化け屋敷、ね……」

「うん。ここが一番オススメって言ってたから」


 遊園地についた二人は近くのフードコートでお腹を満たした後、事前に金銅から聞かされていたアトラクションの元へと訪れていた。

 バーコードチケットを受付のやたら明るい口調で語りかけてくるゾンビナースに読み取ってもらい、二人は世界観のよく分からない幽霊病棟へと足を踏み入れた。


 薄暗く、唯一の明かりと言えばアリスが入口で渡されたポケット懐中電灯のみの空間。

 自然と二人の距離は縮まり、まるで付き合いたての恋人のように腕を組みながら病院の廊下を進む。

 物音一つしないこの場所で、アリスは自分の心臓の音が白雪に聞こえていないか不安になった。


「ひっ」


 白雪がキャスター付きの台に足をぶつけ、小さく悲鳴を上げる。

 カラカラと音が鳴り響く中、「はぁー……」と息を整える彼女。

 腕を組んでいる関係上、白雪の恐怖が指先を伝ってアリスにも感じられた。


「大丈夫? 白雪。もしかして貴方、怖いのが苦手なんじゃないの?」

「……うん。実はとっても苦手。子供の頃は幽霊が怖くて不眠症になったくらい……」

「デジタルネイティブ世代の幼少期としては稀に見るレベルの純真さだけど、そんなに怖いのならどうして入ろうって言ったの……?」


 キュッ、と腕が引き寄せられ、白雪は震える唇で言葉を紡いだ。


「アリスが隣にいてくれるなら、平気だと思って……」

「白雪……」


 アリスの股ぐらはもはや赤道直下の熱帯気候を彷彿とさせる湿り具合であった。


「白雪、私がついていてあげるわ。この手を絶対に離さないで。今後一生」

「今後一生はちょっと嫌かな……」

「遠慮しないで。トイレでもお風呂でも、好きなだけ一緒にいてあげるわ」

「その時はむしろ一緒にいてほしくないけど……わっ!」


 ガタタン! と後方で何かが倒れるような音がした。

 センサーに引っかかったのか仕掛けが作動したらしい。

 その場で膝を折り、蹲る白雪。涙目でアリスを見上げ、「うぅ……」と声を震わせる。


 アリスの股ぐらはもはやナイアガラの滝壺に舞う水滴を彷彿とさせる湿り具合であった。


「うぅ……怖い……おしっこ漏れそう。代えの下着持って来ればよかった……」

「問題ないわ。例え白雪が失禁したとしても、私の下着を貸してあげる」

「流石にそれは私のほうが躊躇うレベルだよ。それに、アリスが困るでしょ」

「気にしないで。私は白雪のためならいつでもノーパンになる覚悟はできているわ」

「常時抱いていては欲しくないタイプの覚悟だけど、気持ちは嬉しい。ありがとう、アリス」


 再度、お化け屋敷の攻略に挑もうと白雪が腰を上げた瞬間だった。


『ゴアアアァアアァ!』

「ひゃっ」


 突然の唸り声に白雪がバランスを崩す。

 ふにゅん、白雪の胸がアリスの細い腕を丸々飲み込み、暖かく包み込まれる柔らかな感触に彼女の理性は弾けた。


「……ねぇ白雪、このまま私と一緒に歌舞伎町にあるほうのラピュタへ行きましょう。ご休憩が選べるタイプのお城だから軽い気持ちで赴けるし、まさに天空へと昇れるような気持ちにだってなれるの。私と一緒にこの凝り固まった社会の恋愛観をバルスしましょう。大丈夫、貴方はムスカ大佐の分け目の比率でも考えていなさい、白雪のパズーは私が優しくシータしてあげる」

「えっ、何、アリス。ごめん。怖くて何も聞いてなかった」


 むしろ聞いていなくてよかったとも言える。なにせ、となりのパツキントトロはしもがトロトロであった。

 下手な受け答えをしてしまえばマジエッティなもののけと化したアリスにおもひでをぽろぽろされかねない勢いだっただろう。


「『大丈夫、私が守ってあげるわ白雪』って言ったの」

「うん。お願いね……」


 よこしまな思考を切り替え、言葉を取り繕うアリス。

 白雪に頼りにされているという幸福感を胸に、しばらく歩を進める。


『……そこで、これからゲストがやってくるんですけど……』


 ふと、壁の向こう側からヒソヒソと話し声が聞こえた。きっと脅かし役であるキャストたちの声が漏れているのだろう。

 アリスは彼らの段取りをできるだけ耳にしないよう、聞こえる声を意識の外へと向け――。


『金と銀の髪色をした女子二人は放っておいたらいい感じの雰囲気になるので、金のほうが銀に告りそうになったら全力で邪魔してください』

「白雪、戻りましょう。私、この道を進むのがとても怖いわ」


 聞きなれた声にアリスはピタリと足を止めた。腕を組んでいた白雪も、つられて歩みを止める。


「……アリス、どうかした?」

「この先にリア充を狙い撃ちするタイプのお化けが出てくるわ。彼女は金髪の女と銀髪の女に常軌を逸した恨みを抱いていて、私たちが仲良くしていると全力で邪魔してくるの」

「そんなピンポイントで私たちを狙う幽霊がこのお化け屋敷に? ヤマの張り方が恐ろしく下手過ぎない……?」

「ターゲット層がすこぶる狭いだけあってやる気は満々。恐らく、私たちの仲を修復不可能になるまで引き裂かなきゃ気が済まないでしょうね」

「テーマパークにあるまじき性根の悪さだけど……うん、わかった。アリスがそこまで言うなら、私も戻る」


 二人は踵を返し、元来た道を振り返るようお化け屋敷を後にした。


 アリスは迸る頭痛にこめかみを押さえ続けていた。




――




「ごめんね白雪。実は私も怖いのが苦手だったの」

「えっ、そうなんだ。じゃあ悪い事しちゃったかな」


 お化け屋敷を出てしばらく、喉の渇きに自販機を求め、近くのベンチに二人は腰掛ける。

 手元でラベルの表面に浮かぶ水滴を撫でながら、ペットボトルのひんやりとした冷たさにしばし心地よさを感じる。


 アリスはフルフルと首を横に振り白雪を心配させまいと笑顔を浮かべた。


「ううん。気にしないで。とても楽しかったわ。途中までは」

「アリス、ペットボトルを握り締め過ぎて中身が噴き出してるよ」


 本当にあのなんたら銅とかいうドチャクソお邪魔ピーポーどうしてやろうか。アリスの隠しきれない怒りのパワーが前腕筋に込められる。


「それじゃあ、次はどこに行こうか」

「そうね……」


 ふと視線を上げた先、羽の生えたシカの着ぐるみが風船を配っている姿を見つける。


「あれ。このテーマパークのマスコットよね」

「あっ、テンシカちゃんだ。あの子、天使とシカのハイブリッドって設定なんだって。可愛いね」

「数ある生物の中でも恐ろしく共通点の見つからない二つをピックアップした理由は何なのよ。異種交配するにしてももう少し相手を選びなさいよ」


 一笑に付しアリスは席を立とうとするが、一方の白雪はしばしテンシカちゃん(笑)を見つめていた。

 その視線の先が意味するところを考えて、アリスは声をかけた。


「もしかしてだけど、白雪。……風船が欲しいの?」

「えっ!? あ、い、いや、まぁそうなんだけど……で、でもあれ、子供用だし……」

「私が貰ってきてあげてもいいわよ」

「ほっ、本当……っ!」

「ええ、もちろん。私、外見的にはまだ子供でも通用するかもしれないし」

「おっ、お願いできるかな?」


 キラキラと子供のような眼差しで見つめられては、アリスの子宮は疼きに疼きまくって「えぇ」と言葉を返すしかなくなってしまう。

 アリスの身長的にはまだ十歳未満に見えなくもないだろうし、なにより白雪が欲しいと言っているのだから強奪してでも風船を調達しなければいけない。


(全くアリスってば無邪気極まりないわ。純真さの塊みたいな子ね。本当に大好きよ。こんなにも幸せな時間を過ごせるなんて、金銅さんには感謝しなければいけないわ。あとは金銅さんに出会わなければ完璧ね。今会ったら怒りのあまり殴っちゃうかもしれないからね。絶対会わないようにしましょう。絶対にね)


 アリスはテンシカちゃん(爆笑)の周囲から子供の姿がはけるのを確認し、満を持して話しかけることにした。


「ええっと、こほん。……て、テンシカちゃん(苦笑)? 私にも風船を分けて欲しいのだけど」

「あっ、ごめんなさいアリス先輩。これ子供用なんですよね」

「……………………」


 くぐもってはいるが聞きなれた声に、アリスはこれでもかと眉根を潜める。


「じゃなかった。子供用なんだシカ!」

「金銅」

「なにシカ」

「ちょっとこっちへ来なさい」

「やめるシカ! 離すシカ! テーマパーク内のマスコットへ手を出す行為は天界法違反だシカ! 五年以下の懲役または三十万円以下の罰金が課される可能性があるシカよ!」

「こんな状況でも世界観を大切にするなんて見上げたマスコット根性ね。いったい何発目からその耳障りな語尾が消えるのかしら」

「ややややめるシカ! 『メルヘンパーク須永』で暴力沙汰はご法度シカ! このテンシカちゃんにも理解できる法が通用してないシカ!?」

「無論、理解しているわ。三十万で一発殴らせてくれるという話でしょ。お得ね」

「金銭感覚と倫理観ぶっ壊れてるんですか!?」

「気はたシカよ」


 遠巻きに見ていた白雪にハンドジェスチャーで「しばらくそこで待つように」と伝えた後、マスコット一人の悲鳴も聞こえないような暗がりへと二人は身を隠した。







 ドン! とテンシカちゃん(失笑)を壁に詰め寄り、腕を突き出し逃げ場を塞ぐ。

 いわゆる壁ドンの体勢である。


「な……なんですかアリス先輩、こんなところに呼び出して」


 金銅がマスコットとしてのロールプレイをやめているのを確認し、アリスはいよいよ持って口を開く。


「前々から気になっていたんだけど、金銅さん、貴方気づいているわよね?」


 数え上げればもう一年も前から心に引っかかっていたことだった。


 金銅銀子は、アリスが白雪に抱いている特別な気持ちに十中八九気づいている。

 だとすれば何故、金銅はアリスの邪魔ばかりしてくるのか。

 いい加減、ハッキリさせておきたかった。


 だが詰め寄るにしては、アリスに分の悪い話題だった。


「……何のことですか?」

「それは……」


 いざ尋問するにしても、『私が白雪のことを好きだと気づいているわよね?』とストレートに言えるはずもなく。

 アリスはモニョモニョと喉元まで出かかっている言葉を吐き出せずに何度も飲み込む。


「その、私が……し……きのこと、好きって」

「え? なんですって?」

「だ、だから……! わ、私が、し、しら……ゅき、のこと、好きだって」

「は? シラタキ?」

「白雪よ白雪! なんでこの状況で好物の話をしなきゃなんないのよ! 私が白雪のことを好きだって、貴方、本当は気づいているんで――」


 はっ、とアリスは口をつぐむ。

 勢いでとはいえ、自ら同性愛者であることを告白してしまった。

 もしたドン引きされているのでは……と、アリスは恐る恐る、金銅の反応を伺った。


「……やっと、自分の口から正直に言ってくれましたね。私、ずっと待っていたんですよ」


 金銅は「ふぅ」と一つ息を吐くと、着ぐるみの頭部を外して穏やかな笑顔を浮かべた。


「金銅さん……やっぱり貴方、私が白雪に特別な感情を抱いていることに気づ――待って。というか貴方のせいで白雪に直接伝えられずに終わったチャンスが腐るほどあるのだけど」

「はい。もちろん気付いていました。アリス先輩が白雪先輩に特別な想いを抱いていることに。私はそれを知っていて、あえて邪魔をしていました」

「ついに正体を表したわね妖怪『ゴミクズド最低クソ邪魔出歯亀刺身のタンポポ以下女』。口を開けなさい、ペンチを差し込むわ」

「やめてください隙あらば私の奥歯を麻酔無しで引っこ抜こうとするの」

「隙あらば私の告白を邪魔しようとした貴方の言うことなど聞かないわ」

「それにはちゃんと理由があるんです」


 金銅は真面目な表情を浮かべ、静かな口調で語り出す。


「アリス先輩は、財閥解体が何年に行われたか知っていますか?」

「……確か戦後間も無い頃だったと記憶しているけど、どうして今その話をする必要があるの?」

「こんな噂を聞いたことがあるんじゃないですか? 御伽学園はとある財閥の権力者が設立に関わっていると」


 そういえば、とアリスは本校に流れる眉唾な噂の数々を思い出す。


「あれ、私の曾祖父のことなんです。校舎のデザインなんかはかなりこだわったらしいですよ」

「冗談でしょ? あのメルヘン趣味なお城校舎がジジイ考案の建物であって良いワケがないわ」

「嫌な言い方しないでくださいよ、あれでもかなりの実力者だったそうですよ。なにせ二十代でこの国の再繁栄期を築き上げた超敏腕経営者ですからね」


 えへん、と胸を張る金銅。身内の自慢をする人間は数多くいれど、これほどの大物は中々ないだろう。


「そして私の曾祖父は何を隠そう……百合豚でした」

「なんて?」

「百合豚でした」

「ごめんなさい。まだ理解が追いついていないのだけど、貴方いま、敗戦直後の焼け野原と化した日本の戦後復興の功労者である自分の曾祖父を罵倒しなかった?」

「百合豚ですか?」

「謝りなさい。今すぐ墓を掘り返して謝ってまた埋めてきなさい」

「しかし、曾祖父が学園を創設した目的の七割は『お嬢様学校を作り独自の文化を発展させ、女学生同士のオープンな恋愛を紅茶片手に眺める』でしたから」

「マリア様も二度見するわよそんな馬鹿げた創設理念」

「ちなみに残りの三割は『お嬢様学校を作り独自の文化を発展させ、女学生同士の密やかな恋愛を影ながら応援する』でした」

「じゃあ十割よ。全てはジジイの性癖を満たすためだけの目的で作られた機関じゃない」


 げんなりとした表情で頭を抱えるアリス。金銅はそんな彼女のことなどお構いなしに言葉を続ける。


「そして曾祖父は死ぬ前、私にこんな言葉を残してくれました。『女同士の恋愛は絶対に叶わないものであってはいけないが、くっついたら終わり』……」

「敗戦のどん底からこの国を支え抜いたお年寄りがそんな面倒くさいオタクみたいな遺言を残すなんて……」

「私は尊敬する曾祖父の理念の元、御伽学園に潜む百合の気配を探し求め、そしてアリス先輩と白雪先輩を見つけました」

「なるほど、全ての元凶は貴方の曾祖父なのね。墓石を蹴飛ばしてくるわ、場所を教えなさい」

「やめてください不謹慎な。そしてアリス先輩は白雪先輩と一緒に過ごすうち、彼女へ特別な感情抱いている自分に気づきました」

「ええ、そうね。そこで現れたのがお邪魔虫界のホープこと貴方だったわね、金銅さん」

「はい。だから私は二人の邪魔をすることに決めました。百合はくっついたら終わりですから」


 アリスは金銅のその言葉に、少し、カチンと来てしまった。


「ねぇ、金銅さん。貴方はどうして、そんなに普通でいられるの」

「どうして、とは?」


 一年間、胸につっかかっていた言葉が、いよいよ持って外に吐き出される。


「貴方は、人の恋愛感情を踏みにじっておいて、何とも思っていないの……?」


 なんだ、私の決死の勇気は、そんなワケの分からないオタクジジイに邪魔されていたというのか。


 アリスの声に怒気が混ざった。

 人付き合いの苦手なアリスにしては比較的長い年月を共に過ごした金銅に向けていい感情の類ではなかったけれど、それを抑えることは難しかった。


 とにかくアリスは、ムカついていたのだった。

 けれど、そんな憤りも長くは続かなかった。


「じゃあ逆に聞きますけどアリス先輩、恋愛感情の押し付けって脈ナシの人からは、どう思われてるか知ってます?」

「……っ」


 はっ、と息を呑む。


「十分理解しているはずですよ。常日頃から貴方も言っているじゃないですか。『汚らわしい』『不愉快』『もう二度と話しかけないで』。人の気持ちを踏みにじっているのはアリス先輩も同じでしょう。なのにどうして、自分の恋愛は上手くいくと思っているんですか」


 金銅の目が細められ、こちらを値踏みするような視線を向けられる。

 アリスの腕から力が抜ける。掌には嫌な汗が滲み出ていて、気持ちが悪い。


「友達だと思っていた人から性的な感情を向けられるのって、結構キツいですよ。それでも、白雪先輩との友情を壊してまで、進めたい関係ですか?」

「……別に、上手くいくなんて、思ってないわよ」


 震えた声で、アリスは答える。


「じゃあどうして」

「でも……っ!」


 アリスは胸に手を当てて、声を振り絞る。


「でもっ! おっ、抑えきれないの! 大好きなの! 白雪の顔を見てると、色々と溢れてきちゃうの! 視界がキラキラして、胸がドキドキして、背筋がゾクゾクして、とにかくムラムラするの! 手を繋ぎたくなるし、抱き着きたくなるし、キスもしたいし、セックスとか想像しちゃうの! 子供はどうなるのかなとか、結婚したら苗字は白雪になるのかなとか、いつまで一緒に居られるのかなとか……考えてると不安になって、それでも、もしかしたら上手くいくんじゃないかなって、変になっちゃって……」


 そうだ。アリスは、心底ムカついていたのだ。

 隠しもせずに自分の『好き』を曝け出せる男共に。

 そして、そんな彼らに嫉妬している自分に。

 何もかもに。


「白雪には私しかいないように、私にも白雪しかいないの。きっとこの気持ちを伝えたら、もう二度と元の二人には戻れない。だから今の関係が壊れることがとても怖いの。それでも、この気持ちを言葉に出さなきゃ胸がパンパンに膨れ上がって破裂しちゃいそうになるの……だから! だから私は白雪に好きだって伝え――なにしてるの金銅さん」


 途端に感情を失った声で語りかけるアリス。


「なんですかアリス先輩。続きをどうぞ」

「どうぞじゃないのよ。その手に持った端末は何かしら」

「8Kで録画が可能な最新機種のスマホです。曾祖父がアリス先輩と白雪先輩の大ファンで、自室に備え付けの大画面プロジェクターじゃないと見たくないと駄々を捏ねるんです。本当やれやれですよね」

「貴方の曾祖父は既に他界したのではなくて?」

「生きてますよ。死ぬ前とは言いましたが、人類はみな死を控えているようなものですし、嘘は吐いていません」

「何故、録画を?」

「アリス先輩の恋模様を逐一報告せよと勅命を受けているんです。これを提出するとお小遣いが貰えるのです」

「あらやだファンキーな余生を送っていらっしゃるのね、羨ましいわ、本当に早く死なないかしらあの老害」


 プラスな感情が一切籠っていない表情を浮かべるアリス。反して金銅は大笑い。アリスのこめかみに青筋が浮かぶ。


「とすると、まさかだとは思うけど……」

「はい。アリス先輩が告ったら全部終わるので、できる限り引き伸ばさせて頂きました。ジャンプ方式ですね、甘い汁を啜らせて頂きました」

「金銅さん。今後一生、奥歯を噛み締めるという行為を捨てる覚悟はできているかしら」

「はい。土下座でも、切腹でも、抜歯でも、一見さんお断りの老舗食堂で『アド街を見た!』と叫ぶ罰ゲームでも、甘んじて受け入れましょう。私の曾祖父が」

「そこまでの覚悟を示せる優れた精神性を持ち合わせていながら少しの罪悪感も感じられない謝罪というのは快挙よ金銅さん。誇っていいわ」

「シンプルにドストレートな辛辣さをぶつけてきますね」


 金銅の沙汰を振り返ってみれば、情状酌量を下せる器の広さなどアリスにはなかった。


「本当はもう少しだけ、とぼけるつもりでいたんですけどね」


 スマホの録画を止め、金銅ははにかむような笑みを零す。


「先輩の飾らない姿を見てると、小遣い稼ぎのために奔走している自分がなんだか恥ずかしくなってきました」

「良かったわ、何一つ同情の余地が無いお蔭で一切の躊躇いなく貴方を拳でビンタできるもの」

「せめてパーでお願いします」

「着ぐるみを脱ぎなさい金銅。お嫁にいけない身体にしてあげる」

「あっ、というか。白雪先輩は十中八九アリス先輩のこと好きですよ。一人の女性として」

「おだててもこの拳は下げられないわよ金銅さん。いったい何を根拠に――」


 金銅は人差し指を唇に当て、得意げな顔で言い放った。


「先輩たちを一年間見守らせて頂いた私の、勘です」


 アリスは妙な説得力を覚えたが、振り上げられた拳は止められなかった。

 鼻っ面にぶち込んでやったら割とスッキリしたので、ちょっとだけ許した。




――




 金銅を解放して、しばらく。

 白雪と再開を果たしたアリスは、彼女のバイトが終わるまでの間、誰の邪魔も入らないという状況下にかつてないほど晴れやかな笑顔を浮かべていた。


 白雪とのメリーゴーランド、白雪とのジェットコースター、白雪とのコーヒーカップ……。もはやアリスの下着は下着としての役割を果たしていなかった。


 時期に日も暮れ、そろそろお開き……というタイミングで、あのクソカス邪魔カス出歯亀カス女こと金銅が姿を現したのだった。


「あっ、お二人とも。どうですか、アトラクションのほうは。楽しめました?」

「うん。楽しかった。今度は金銅さんも一緒だといいな」

「あはは、ありがとうございます。白雪先輩。アリス先輩は?」

「ええ、私も本当に楽しかったわ。貴方一生ここでバイトしてなさいよ。退学手続きは済ませておくから」

「職業選択の自由すら奪われる私の立場よ」


 と、ここで金銅がポンと手を叩き「そうそう、いい提案があるんですけど」といかにも嫌な予感しかしない話題提起を始める。


「このままお泊り会なんてどうですか?」

「お、お泊り会?」

「はい。丁度、明日も祝日で休みですし、どうですか?」


 金銅の提案に、白雪は目を丸くした。

 アリスはといえば動揺を隠せない様子で金銅に問い詰める。


「ちょ、ちょっと金銅さん、それはいったいどういうつもり……」

「うん、うん。いいと思う。絶対やりたい」


 意外にも乗り気な反応を見せる白雪に、金銅が話を続ける。


「それはよかったです。で、誰の家でやるかって話なんですけど、白雪先輩の家でも大丈夫ですか? 一応、白雪先輩の家が一番近くて広いですし……」


 いい加減看過できないと言わんばかりにアリスは金銅の肩に手を置き、声を潜め言及する。


「ちょっと金銅さん。いきなり白雪の家でなんて、何を考えてるの。もう少し欲望は小出しにしていきなさい、怪しまれるわよ」

「なに私のことナチュラルに変態扱いしてるんですか。別に普通でしょう、友達の家でお泊り会」

「白雪の家ということが問題なのよ。考えてもみなさい。あの室内には白雪が抱いて眠るベッドに白雪が着用する下着に白雪が露出するためのバスルームが設けられているのよ。そんな淫靡極まりない空間で貴方が理性を保てる保障なんてどこにもないじゃない。救いようのないド変態ね、警察を呼ぶわよ」

「人のこと想像だけでどこまで罵倒するつもりですか。というか、アリス先輩じゃないんだからそんなことしませんよ失礼な」

「私を失礼呼ばわりしたことはさておき、その言葉は本当ね? 信じていいのね? 冗談でも白雪の下着を漁り出したら割と容赦なく通報するわよ」

「もはや一後輩に向けていい敵意のレベルじゃないですが、アリス先輩の私刑に比べれば幾分そっちのほうがマシなのでそれでいいですよ」

「言ったわね? 嘘吐いたら貴方の生爪を全て剥がすわよ」

「むしろそこまでされた上で警察に突き出される私メチャクチャ酷じゃないですか?」


 と、二人でコソコソやってる間に、白雪が口を開いた。


「うん。いいよ。ちょっと散らかってるから片付けの時間が欲しいけど……」


 アリスは目をカッと見開き、素早い動作で白雪のほうへ振り返る。


「……ほ、本当にいいの?」

「うん。アリスとお泊り、楽しみ」


 胸の前でグッと拳を握る白雪の姿にアリスは『萌え』『興奮』『欲情』の三種の感情を抱きつつ、金銅の耳へ口元を寄せた。


「金銅さん、分かってるわね。ちゃんと手錠を持ってくるのよ」

「何一つ分かりませんが」

「理解力の無い子ね。就寝時、私が白雪に手を出さないように決まってるじゃない」

「毎度毎度私のことを変態プレイに巻き込むのやめてください。というか私が持ってる前提で話進めるのもやめてください」

「あら、貴方は白雪が強姦されてもいいというの? 見捨てるという行為は被害者にとって犯罪幇助と一緒なのよ。分かったら私を拘束しなさい、これは命令よ」

「こんなに気の強いマゾヒストは初めて見ましたが……」


 それからしばらく、一度それぞれ自宅へと荷物を取りに戻って再度集合という流れになった。


 アリスの鞄には大量のショーツが詰め込まれた。




――




「はい、どうぞ。入って入って」

「お、おじゃまするわ」

「おじゃましまーす」


 学校から四駅分の距離、徒歩で十分くらいほどの場所にある賃貸マンション。

 一人暮らしにしてはやや広めのワンルーム。元々、白雪の趣味が読書であること以外には物欲が薄いこともあり、目立ったインテリアといえば本棚くらいなのも手伝ってか、生活感はあまり感じられない空間である。


 玄関から一歩も踏み入れることなく深呼吸を繰り返すアリスとは対照的に、金銅は家主である白雪を差し置いてズカズカと入室していく。


「へぇ、白雪先輩、少し片付けるって言ってましたけど、そんなに散らかるようなものないじゃないですか」

「私、よく積読しちゃうから。本棚に納めずに床に積み重ねてたりしてて」

「ふぅん、意外にズボラなんですね。『孤高の雪姫』の自覚あります?」

「そ、それは周りの人が勝手に言ってることだから……」


 ジロジロと部屋の中を見回す金銅。アリスにとって、白雪の自室という神聖極まるこの場所では不躾な行いのはずだが、肝心の本人が過呼吸により頭をクラクラと回しているので関係なかった。


「あれ、白雪先輩の家、テレビないんですか」

「うん。どうせ見ないから、必要ないと思って」

「あっちゃー。みんなで映画観賞でもと持って来たんですけど、無駄になっちゃいましたね」

「わかった。今からテレビ買ってくる」

「待ってください白雪先輩。そんな『コンビニでアイス買ってくる』みたいな気軽さで言われても私のほうが申し訳ないんですけど」

「4Kでいい?」

「『パピコでいい?』みたいなトーンで言わないでください。ってかよく知らないでしょ白雪先輩。もう、アリス先輩も何とか言ってくださアリス先輩おわーーーーー!?」


 金銅が視線を向けると、アリスはカーペットに鼻を埋める体勢で五体投地にふけっていた。 


「アリス先輩! 生きてますかアリス先輩!」

「…………何かしら」

「とりま息はありますね……どうしたんですかアリス先輩、過呼吸でぶっ倒れましたか?」

「……別に、白雪の足裏の匂いが染みついたカーペットとか嗅いでないわよ」

「私の心配返してください。なに人にあんだけクギ刺しといて自分はマニアックなプレイに興じてるんですか」

「人を変態扱いするのはやめなさい。本当に、ちょっとふらついて、倒れた先がたまたまカーペットの上だっただけよ。本当よ。多少倒れる先をコントロールしたけどまぁまぁの事故よ」

「まぁまぁの事故ってどういう事故ですか」

「それよりも貴方の持ってきたDVDのラインナップ。ちょっと男向け過ぎじゃないかしら。私たちは花の女子高生よ。もっとジャニーズが主演努めてるような漫画原作の頭悪い恋愛映画を持ってきなさいよ。今年は『オタ恋』なんかいいんじゃないかしら。今夜は『オタ泣き』ね」

「『ドラ泣き』と同レベルのキツい造語で話逸らすのやめてください。まったく、これじゃあ今晩まで持ちませんよ……」


 アリスの身体を起こし、白雪の外出を止め、金銅は既に疲弊したような表情で大きい溜め息をついた。


 しかしいざ、三人並んで床に座ってみたものの、特に何かする予定というものもなかった。

 コンビニで多少お菓子やら飲み物やらは調達してきたが、パーティーグッズの類は誰も持ち合わせている様子がない。

 白雪は言わずもがな、アリスも友達といえばこの二人以外にほぼ皆無の交友関係。お泊り会なんて無論参加したことなどない。


 と、なると。


 必然、コミュニケーションに関してはコイツに任せておけばだいたい何とかなる金銅銀子へと、視線が向けられる。

 親戚から遊園地の無料優待券を貰うほど交友関係が広く、かつ、周囲から一目置かれている存在である白雪とアリスの間に挟まってくるほどの積極性。

 彼女ならば、この凝り固まった空気をAVのリンパマッサージ師のごとくグッチョグチョのヌルヌルにほぐしてくれることだろう。


 金銅はタイミングを見計らったように「さて」と手を叩くと、膝を伸ばして立ち上がる。


「それじゃ私、そろそろお暇しますね」

「ウェイトウェイトウェイト待ちなさい小娘」


 さっさと玄関へと向かう足を止めるよう、アリスが必死に呼び止める。


「なんですかアリス先輩。私、早く帰ってソシャゲのオート戦闘を最低速度で眺めたいんですけど」

「貴重な十代の青春を最低な形で浪費しまくっているけど、とにかく待ちなさい金銅さん。貴方、泊まるんじゃないの?」

「はい、泊まりません。実は私、着替えも歯ブラシもお気に入りの枕もお祈り用の十字架も家に忘れてしまったんです。終電も逃しちゃいそうですし、このまま帰宅することにしますね」

「息を吐くように嘘を吐く貴方が敬虔なクリスチャンだとは恐れ入ったわ。大丈夫、着替えも歯ブラシもお気に入りの枕も私が用意してあげる。だから泊まりなさい金銅さん。泊まれ」

「あの、先輩……」

「なにかしら」


 金銅は玄関のドアノブに手をかけた体勢のまま、アリスに対して目くばせをする。

 金銅の意図に気づいたアリスはハッとした表情を浮かべるも、すぐに静かに首を横に振った。金銅は微妙な表情のまま、続ける。


「でも私、今夜はラピュタの再放送見なきゃいけなくて……」

「大丈夫よ金銅さん。ラピュタは再放送界の魔王だから、すぐに二度目三度目がやってくるわ。芸人の浮気報道を上回る速度で再放送を繰り返すのがラピュタなの。日本テレビはスタジオジブリに脅されて金曜ロードショーを作ったという噂もあるくらいよ、ラピュタの再放送を流すためだけにね」

「でも私、Twitterで流れてくる『全○○の人たちに伝えたい』シリーズの料理ツイートを今夜同級生との女子会で試そうと思っていて……」

「今シレっとダブルブッキングを告白したわね金銅さん。そしてやめておいたほうがいいわ。ああいうツイートの八割はそこまででもないうえに、期待値のハードルを上げ過ぎて最初の一口で誰も手をつけないまま三角コーナーの片隅で異臭を放つだけのテンション駄々下がりな悲しい女子会になること間違い無しよ。欧米のパーティー文化を経験した帰国子女の私が言うのだから間違いないわ」

「なんかTwitterに恨みでもあるんですかアリス先輩」


 いい加減、アリスの引き留めにもうんざりしてきた金銅は、彼女の耳元へ口を寄せ、ヒソヒソと話し合い始めた。


『先輩、なんで引き留めるんですか。折角、私が白雪先輩と二人きりにしてあげようとしているのに。バカなんですか』

『愚かね金銅さん。私の性的興奮値は白雪の部屋に通された時点で既にマックスまで達しているのよ。エヴァで例えたらシンクロ率400パーセントよ。ゼルエル戦なのよ。私の股間は既に白雪から発せられる淫靡なハーモニクスをビンビンに感じ取っているの、このままでは白雪のそそり立つ荷電粒子砲が私にぶち込まれる妄想だけで達してしまいそうだわ』

『例え方が異常にキモイですけど、まぁいいじゃないですか。先輩はもっと大胆になるべきですよ』

『待ちなさい裏切り者! 私が今夜腹上死したら貴方が罪に問われるわよ!』

『どんな有能検事でも第一審で棄却されますよそんなクソ案件。いい加減に覚悟を決めてください先輩』


「じゃ、アリス先輩、白雪先輩。また来週会いましょう。それでは」


 バタン。無情にも閉められた扉の音。シンと静まり返る部屋の中、アリスと白雪は何か話すワケでもなくただジッと座り込んでいた。


 かと思えば、再度ドアが開いた。


「そうだ、白雪先輩。これ、アリス先輩に渡しておいてください。今夜使う予定だったらしいんで」

「……? わかった」


 それだけ言い残すと、金銅は未練は何もないと言わんばかりにさっさと行ってしまう。

 白雪はアリスの元へと歩み寄ると、金銅から手渡されたものを見せてきた。

 白雪のいぶかしむような表情に首を傾げながらも、アリスは彼女の手に持ったブツを精査する。


 手錠だった。


 変な空気になった。


 白雪は赤面した表情を浮かべ、アリスの言葉を待っている。


「……白雪、知ってる? ドラえもんとドラミがロボットなのに兄妹扱いされる理由はね」


 ドラえもんの豆知識で話を逸らした。




――




 結局、白雪の部屋にいるという事実に緊張しまくりなアリスはいつも通り話を広げることもできず、変な空気のままドラえもんのありそうでないマイナー道具絵しりとりに興じること二時間。


 そろそろ寝よっか、みたいな話になり、お泊り会にも関わらず九時就寝の流れと相成った。


 来客用の布団などあるはずもないので、一つのベッドに同衾する形となる白雪とアリス。

 エアコンが作動しているにも関わらずアリスの身体は妙な汗にまみれていた。


「金銅さんもいたら、相当ぎゅうぎゅうになっちゃってたかもね」

「そ、そそそそうね」


 声も震えている。


 窓から差し込む月明りのみが照らす室内。

 掛け時計の長針がカチカチと動く音のみが鼓膜に響く。

 すぐ近くに白雪が無防備な寝姿を晒しているという事実に、アリスの心臓が妙な興奮で高鳴りを見せる。

 やはり、今からでも手錠をかけておくべきか。


「ねぇ、アリス……あの手錠、何に使うつもりだったの?」


 心臓が止まった。

 ような気がした。

 とりあえず呼吸は止まった。喉から「ヒュエッ」と音がした。


「アリスのことだから、きっとまた、金銅さんにからかわれてるのかな、って思ったんだけどね。あの後、アリス、話を逸らしたでしょ。だから、これはアリスが使おうと思って持ってきたんだ、って考えると、じゃあ、使用用途はなんだろう、ってなって、ずっと心の残ってるの」


 あの手錠一つにそこまで気を回していたとは知らなかった。まさか自身を拘束するつもりだったとは口が割けても言えない。


 弁明しようかどうか、アリスが手をこまねていると、白雪が話を続けた。


「まさか、私に使うつもりだった……とか?」


 とんでもない勘違いをしていた。何やら予期せぬ方向に話が転がりそうな予感である。


「ちっ、違うわよ!?」

「だよね。だって、本来は金銅さんもいる予定だったもんね」

「そうそうそうよ。あれは金銅に使うつもりだったの。金銅がいつ白雪に興奮して襲い掛かってくるかわかったもんじゃないからあれで拘束するつもりだったのよホントよ。話を逸らしたのはちょっとドラえもんの豆知識が話したくなったからよ。ほら私ってばドラえもんが好きだから。大丈夫、白雪は誰にも汚させないわ。安心して」

「そっか……そうだよね……そっか」


 我ながら良い言い訳ができたものだと感心する。しかし白雪の煮え切らない反応を見ると、まだ訝しんでいるのかもしれない。ここは一つ。金銅の変態エピソードを捏造してでも疑惑を晴らさなければ――と、思考を回している時だった。


「アリス、私、ズルかった」

「……白雪? どうしたの?」


 唐突に自虐を始めた白雪に、アリスは疑問の声を上げる。


「私、告白も自分で断れなくて、友達もいなくて、そのクセ自分から動くのは苦手で……誰かが動いてくれるのを、ずっと待ってた。傷つけたくないから、傷つきたくないから、臆病に誰かが動いてくれるのを待ってた。……アリスから動いてくれるのを、ずっと待ってたんだ」

「……いきなり何を言い出すの。そんなことないわ。貴方は――」

「だから、私も、変わらないといけないと思った」


 ガチャリ、と布団の中から謎の音が響く。

 不思議に思い、毛布を跳ねのけようとする……が、手が動かなかった。


「し、白雪?」

「ごめんね、アリス」


 流石にアリスも、白雪が彼女の手に自ら手錠をハメたことに気づいた。

 何故そんなことをするのか、そんな疑問を口にしようとしたその瞬間だった。


「しらゆ、……んむっ」


 アリスの唇が、白雪の唇によって塞がれた。

 小柄な体躯を覆うように、白雪が上に覆いかぶさってのキス。

 テクニックなんて感じられない、素人同士のディープキス。

 歯がカチカチと当たるのも気にせず、欲望のままに舌を絡ませ合う。

 クチュリとした水音が脳内に響き、意識がぼぉっと遠くなる。


 息が続かなくなってようやっと、二人の唇は離れ、つぅと唾液のアーチを作った。


「はぁ……はぁ……。私、アリスのことが好き。大好き。ずっとずっと、一緒になりたかった、はぁ」

「はぁ……し、白雪……?」

「ごめんね。ごめんね。気持ち悪いよね。ごめんね。でも、ずっと好きだったの」


 白雪の息切れをしながらの告白に、アリスは妙な昂りを覚えていた。


「初めて会った時からずっと好きだった。たった一人の文芸部員だった私と、友達になってくれた。何も面白いことなんて言えないし、友達も少ないし、気の利いたことだってできないし、髪だって白髪みたいで気持ち悪いし、特技も何もない、取柄なんて一つもない私なんかと一緒に、友達になってくれた。あの瞬間、こんなにも嬉しいことはなかった。毎日楽しかったから。アリス以上の人となんて、今後出会えそうにもないくらい、いっぱい好きなの」


 アリスの頬に、ポタポタと涙が落ちる。白雪の目が潤み、震えた声で言葉を紡ぐ。


「ごめんね。気持ち悪いよね。でも好きなの。こんな手錠が無いと、キスの一つもできない臆病者だけど、本当にアリスのことが好きなの」

「…………私も。同じ気持ちよ、白雪」


 アリスは白雪の顔をジッと見つめ、真剣な表情で伝える。


「私も白雪のことが好き。一人の女性として、一緒になりたいと思ってる」

「……アリスは優しいから、そう言ってくれるかもしれないけど」

「違うの、白雪、聞いて。私も初めて会った時から、ずっと好きだったの」


 過去の思い出を振り返るように、アリスは言葉を紡ぎ始める。


「私ね、白雪と出会って救われたの」

「アリス……が?」

「私、幼少の頃からずっと海外に居て、帰ってきたら日本語が一切分からなかったの。しかもこの金髪とか、アリスって名前とかで、からかわれても言い返せなかったりして……。どうして私はこんななんだろう、ってずっと悩んでた」

「……うん」

「そんな中、図書室で私に話しかけてきた貴方の姿を見て、思わず笑っちゃったわ。だって、私の髪色に負けず劣らない銀髪だったんだもの。一瞬で、あっ、仲間じゃない、って思ったわ」


 アリスは続ける。


「白雪はあの時、私にこう話しかけてくれたわよね。『貴方も本が好きなんですか』って――英語で」

「だって、昼休みになったらいつも、図書室に来てくれたから」

「クラスに居場所がなかっただけよ。お弁当を食べる場所が欲しかっただけなの。で、結局。私が言葉を返しても、白雪はしどろもどろするだけですぐ帰ったわ」

「だ、だって! 『どういうつもりですか?』なんて全然知らない答えが帰ってきて、何を言っていいのかわからなくなって……」

「そうよね。そして次の日、貴方は前日の返答を英語で用意してきて。それに私がまた答えを返したら、すぐに帰っていっちゃったのよね」

「毎回捻った答えをされるから、すごく困った……」

「ふふ、ごめんなさいね」


 そこで言葉を区切り、アリスは涙で滲む瞳で白雪を見上げた。


「私はね……同じクラスでもない見ず知らずの同級生のため、わざわざ図書室で辞書や参考書を読んでいる貴方を見て……泣きたくなるほど嬉しくなったの」


 アリスは手錠につながれた両手で白雪の頬を包む。


「あれから二年間、ずっと言えなかったセリフがやっと言えるわ。――私と付き合って、白雪白姫」

「アリス……!」


 互いの唇が塞がれる。

 優しさとか気遣いとか感じられないような、激しい接吻。

 必死に抑え続けていた感情が、二年越しに吐き出される。


「ずっとずっと好きだった。私、今、世界で一番幸せかもしれない」

「ううん、二番目よ。だって一番は私だもの」


 そんな風に惚気たりしながらも、二人は舌を絡ませ合う。

 つつき、吸い、噛み、様々なバリエーションを加えつつ、ヒートアップしていく。


 若い女子二人がキスを済ませたとなると、次に発展していく行為がおやすみの挨拶なんて眠たいことじゃないのは分かり切っていた。


「はぁ、はぁ……あの、白雪。ちょっといいかしら」

「ダメ」

「ダメじゃなくて、その、今後に関わることなんだけど」

「……なに?」

「……手錠、外してくれないかしら? ほら、私も白雪のこと、触りたいっていうか……その……まぁとにかく、逃げたりとかしないから、外してほしいのだけど」

「カギ無いよ」


 最悪の事実がサラッと伝えられてアリスの脳天を貫いた。


「えっ、じゃあ私、少なくとも今夜はこのまま?」

「……外さなくていいんじゃない?」

「白雪? あれ白雪?」

「大丈夫、全部、私がやってあげるから……」


 途端に積極的な姿勢を見せる白雪に、アリスは背筋に嫌な汗が浮かぶのを感じてた。


「ひゃっ」

「わぁ、アリス……もうこんなに」


 アリスの大事な部分に白雪の手が侵入してくるのを感じ、妙な声を上げる。


「すごい……アリスのここ、いやらしいおもひでがぽろぽろしてくる……」

「やっ、やだっ、そんなこと言わないで……!」

「本当に敏感。いったいどれだけ私のこと、思い出の中でマーニーしたの?」

「やめて白雪っ。ジブリを使って私に言葉攻めするのはやめて……っ」

「ねぇ答えて。本当は、週に何回マーニーしてる……?」

「……そんなの、覚えてないわ。五回か、六回か……」

「そんなに……? いやらしいね、アリス……」

「七回、八回、九回、十回……」

「嘘でしょまだ助走段階……? いったいどれだけのマーニーを経験して……」


 恥ずかしくなって、アリスは赤面を枕に埋めながら答える。


「い、一々数えたりなんかしないわよ……っ! だって、きっ、気絶するまでやっちゃうから……」

「アリス、可愛い……はむ」

「んん……っ」

「アリスのココ、さっきまでチキン・リトルだったのに、今はすっごいダンボしちゃってる……」

「そんなっ……ジブリがネタ切れしたからってディズニー作品から引用するなんて……ひゃんっ」

「眠れる森のここも私がシュガーにラッシュしてあげるね」

「白雪やめて……っ! これ以上私とディズニーを汚さないで……!」

「アリス……私、もう我慢できない。これ、分かる……?」

「う、嘘……それって……」

「そう、飛行石」

「飛行石」

「三種類の振動パターンが収録されているタイプの飛行石だよ」

「白雪お願いもうやめて! これ以上ラピュタを冒涜したら金曜ロードショーを健全な目で見られなくなっちゃう!」

「大丈夫。アリスはムスカ大佐の分け目の比率でも考えていて。私がやさしく、天空まで連れていってあげる……」


 振動する飛行石をアリスのパズーと白雪のシータに押し当てた。アリスの内なるラピュタははちきれんばかりに輝きを発し、二人は手を重ね合わせる。

 二人は貪るように唇を絡み合わせると、身体をふるりと震わせて天空の城へと飛び立っていった。




――




 翌日も、二人は白雪の部屋で延々と過ごしていた。過ごし、シていた。

 結局アリスの手錠は外されることなく、途中、金銅を呼び出してカギを受け取ることによって事なきを得た。

 金銅は特にこちらを追求することはなかったが、きっともう気づいているのだろう。


 そして登校日、二人は手をつなぎ、学校への道を歩いていた。

 周りからの視線は気になったが、硬くつながったこの手はどんな偏見の目や社会的問題にも絶ち切れないと本気で思った。


 校門前に来ると、にわかに周囲の生徒がざわめきだした。

 普段からこのレベルの注目には慣れていたが、それにしては少し違和感を覚えた。

 ふと、いつもしつこいくらいにやってくる告白ラッシュがなかったことに気づく。


 不思議に思いながらも、まぁきっとこれで打ち止めなのだろうと考える。

 が、にしても視線の種類が普段とは違うような気がした。


 どこか、動物園の珍しい動物を見るような、好機の視線。


 いつもの通り、文芸部に行くと、金銅が机に座ってスマホを弄りまわしていた。

 どこかニコニコと無邪気な笑顔を浮かべ、満足そうな表情だ。


 アリスはふと気になって、金銅に話題を振ってみることにした。


「おはよう」

「あっ、アリス先輩、白雪先輩。おはようございます」

「何か嬉しいことでもあった?」

「はい、とっても!」

「へぇ、それはよかったわね。ところで金銅さん、なんだか周りからの視線が非常に多い気がするのだけど、何故だかわかる?」

「あ」


 金銅は真顔で口を一文字に結び、白々しく目を逸らし始める。


「……ねぇ、金銅。私のことをたった一文字で不安にさせることに定評のある金銅。とてつもなく嫌な予感がするけど、何か心当たりがあるなら教えて頂戴?」

「いや、別に、なんでも、ないですけど」

「大丈夫、怒らないわ」

「本当ですか?」

「本当よ」

「じゃあ、言いますけど」

「ええ」

「私のツイートが学校内でバズったせいだと思います」

「へぇ、なんて投稿したの?」

「『【朗報】アリス姉さまと白雪姉さま、ついに禁断の情火に身を焦がす【参考動画有】』」

「金銅」

「なんですか」

「いつ撮ったの?」

「予備のスマホを先輩のお家に忘れちゃって……」

「録画状態で?」

「不思議な偶然もあるものですね」

「金銅」

「はい」

「どうして投稿しちゃったの」

「手が滑って……」

「本音は?」

「バズりそうだなぁって」

「金銅」

「はい」

「――貴方をこの世で最も惨たらしい方法で殺すわ」


 金銅が逃走を開始するよりも早く彼女の腕はアリスによって拿捕され、数瞬後、およそこの世の者とは思えない断末魔の叫びが大空へと溶けていった。




――




「――こうして、悪の権化である金銅銀子は死よりも恐ろしい拷問の末に処刑され、二人のお姫様は誰にも邪魔されない場所で末永く幸せに暮らしたのでした。めでたし、めでたし」

「えぇー。結局、あの承認欲求モンスターはどんな罰を受けたのー?」

「知りたい知りたい! あのクズゴミカスムシ雑草以下CO2製造機への制裁を微に入り細にわたって聞きたーい!」

「あらあら、この子達ったら。いったいどこでこんな汚い言葉遣いを覚えてきたのかしら」


 くすりと笑みをこぼし、腰まで届く流麗な金髪をふわりと揺らす女性。

 彼女は十数年振りに引っ張り出したアルバムをパタリと閉じ、目の前の双子……金の髪色をした男の子と銀色の髪をした女の子に向かって微笑む。


「はいはい、あのクズゴミカスムシ承認欲求お化け雑草以下CO2製造機出歯亀最低女へ下した詳細な罰のお話はまた今度。そろそろ、ママが帰ってくるわよ」


「はぁい」と間延びした返事を耳にして、アリスはアルバムの表紙をツツと撫でる。

 今晩の食卓では久しぶりに学生時代の話でもしようかと、懐かしさに目を細めながら。


 ピンポン、作り置いた夕食の匂いが鼻をくすぐるリビングに、チャイムの音が鳴り響く。


 この瞬間は、十数年経った今でも胸が高鳴る。

 足早に玄関へと駆けていき、チェーンを外してドアノブに手をかける。


「――おかえりなさい、白姫」

「ただいま、アリス」


 もう何度目かもわからないキスを交わして、二人は互いを強く抱きしめ合う。


 きっとこれからも二人は、末永く幸せに暮らすことだろう。


 どんなおとぎ話も、最後はハッピーエンドだと決まっているのだから。

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他を寄せ付けない性格でありながらただ一人にだけ心を許す金髪女子と、高嶺の花でありながらただ一人だけを支えとして生きる銀髪女子と、そんな二人の恋模様をひたすら邪魔してくるノンケ 銀髪クーデレ同好会 @ginpatu_doukoukai

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