ソフトクリームの誘惑。

「誘惑ってしたことある?」


「急になんの話」


「何の話って、別にただの世間話として」


「そっちは?」


「うーん。あると言えばあるかもしれないし、ないと言えばないかな」


「なにそのズルいこたえ」


「いいの。そもそもわたしから訊いたんだから。で?あるの?ないの?」


「誘惑ってさ、ダメだって分かってるって前提があってのやつだよね、きっと」


「うーん、そう言えばそうかな」


「ないよ、そんなの」



君が通りすがりにソフトクリームの看板を見つけて喜んで買いに行って、戻ってくると話はこんな感じになっていた。


「前に観た映画なんだけどね」


「うん」


「タイトルは思い出せないんだけど、確かフランス映画。その中のシーンで今のわたし達みたいにソフトクリームを食べてるシーンがあるの。こうやって向かい合って、女の子はソフトクリーム。男の子は君みたく何か飲んでて」


「へぇ」


「その女の子はね、やたらと彼の目を見ながら食べるの。溶けていくソフトクリームを下から舐め上げるみたいにして」


「なんか意味ありげだね」


「そう!一緒に観てたその時の恋人もそう言ってた。彼の場合もっとこう直接的な言い方だったけれど」


「ふうん」


「でもね、わたしは言われるまで気づかなかったの。いや、なんとなく挑発的というかなんていうか、そういうのは思ったんだけど。その意味までは分からなかった」


「その意味ってエロス的なってこと?具体的には」


「あー、具体的には言わなくていいよ。とにかく多分それ。でも、わたしは言われるまで分からなくて。だって、ソフトクリームをこうやって食べて、今わたしが君のことを見つめたとして。ほらこうやって、ね?そこにそういう意味を込めるだなんて、考えたこともないでしょ?」


「まぁ、そうだね。でも、恋焦がれる相手に抱かれたくて、ひょっとしたらその可能性がその場にあったとして。言葉にせずとも伝えたいと思ったとしたら、どう?」


「言葉にせずとも伝えたい、か。それは素敵かも。けど、けどなぁ、わたしならもっと違った方法にするかな」


「どんな?」


「どんなって急に言われても。うーん、例えばソフトクリームが溶けてきても、気にしないで見つめ続けるとか?」


「そんなの誘惑になるかな」


「じゃあ、これは?その手をペロリと舐めて見せるとか?」


「結局のところ、映画のシーンと似てる気がするけど」


「それはそっか」


「まぁ、いいや。それでその映画はその後どうなるの?」


「うーんと、確かその彼は誘惑にのってくるの。けど、そこからが悲劇というか、あくまでわたしから観た感想なんだけど」


「悲劇になるの?」


「個人的には彼女が可哀想だった」


「弄ばれて捨てられるとか?」


「それよりも酷くて。その彼はね、男の人に性的魅力を感じる人なの。そして、彼女はベリーショートで着ているものもボーイッシュで一見少年のようにも見える子で。そもそも彼が彼女を気に入って誘惑に乗ったのはその外見だから。だから、だからなのよ」


「え?だからって何。そこをぼやかされても分からないんだけど」


「だーかーら!女の子なのに、男の人の代用品みたいなことをされるの!」


「それでも彼女は従ってるの?」


「そう」


「それで最後はどうなるの?」


「それがそこから覚えてないの」


「えー!!気になるところで!!」


「でも、ハッピーエンドではなかったと思う」


「最後の最後でそんな適当な説明はひどすぎる。じゃあ、観てみるからその映画のタイトルは?」


「ごめん、忘れちゃった」


「おーいー!」


「ごめん、ごめん。ただね、それでも彼女はそれを受け入れ続けるの。健気だなぁって思った記憶だけはハッキリ覚えてる」


「でも、ラストは忘れたってどうなってんの、ほんと」


「そんな風に盲目的に誰かを好きになったことってある?」


僕の気になったラストの話はスルーして、彼女はポツリと呟くように言った。

そして、ドロドロに溶けたソフトクリームが垂れない様に下から舐めた。


でも、僕の目は見ていなかった。



「きっと、わたしが知らないだけでそういうことってあるよね」


俯いて僕の方へは見向きもしない彼女に少し苛立って、僕は彼女の手首をグイッとソフトクリームごと引っ張って、そのソフトクリームをペロリと舐めた。


彼女の目をしっかりと見つめながら。


溶けていくソフトクリームは彼女と僕の手にダラダラと溶けてきて、二人の手をすぐにベタベタにして繋げた。


「あーあ。わたしが長々と変な話しちゃったから、ソフトクリームダメになっちゃった」


さっきのことを何でもないことにしようとした君の手と僕の手に伝ってきたソフトクリーム。それを僕がまた舐めると、君はさっきよりもびくんとして少し怯えたような顔をした。


言葉にせずとも伝えたい。

僕には彼女が話した映画の女の子の気持ちがわかり過ぎて、苦しくなった。

だからって、真似をするには過激なやり方だったと君の顔を見て分かった。


それでも。



「盲目的に好きになったこと、あるよ」





君はいつだってずるい。

でも、結局そのずるさも受け入れてしまう。


誘惑?


そんなの最初から知っていたよ。

でも、そんなの全部僕のせいにして隠せばいいって。


こういうのが好きとか、ああいうのが嫌いだとかいくら言っていたって、そんなのは一瞬で全部吹き飛んでしまう。


だから、あの女の子も受け入れたんだ。


君から聞いただけで、観たこともなければタイトルもラストも知らない映画が、今僕の中で何度も何度も繰り返し観てきたようなものになっていた。



ベタベタの手からは生あたたかい君の体温が伝わってきて、その手を振りほどかない君を軽蔑しながらも、もうどうしようもなく「戻れない」のだ。


三つ目のボタンを外す時。

僕の弱さを知った時。

君のずるさを再確認した時。

手を離す時。

涙を見た時。

ひどい言葉を言った時。


戻れない一線を越えてしまった「今」を思い出すんだ、きっと。


何度も何度も、何度も。


























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

「なんとなく」の欠片たち 切り株ねむこ @KB27

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ