5:運命

「痛ェ…一体何が起こったってんだ。」


男は赤く腫れ上がった腕を押さえながら、よろよろと立ち上がり、そう呟いた。


俺もこの男と同様、何が起こったのかを全く把握出来ていない。


殴られると思って身構えたら、敵が勝手に飛んで行った、それだけのようにしか感じなかった。


「私の魔法ですよ。」


沈黙を遮るかのようにヴィーナスがそう言った。


静まり返った場内に、透き通った声が良く響く。


「対象の人物の意志を具現化する能力…、エイミーちゃんは私を守ってくれました。だから、次は私の番です。」


俺の意志を具現化…?


「なんダァと?そんな魔法、見た事も聞いた事もねぇぞ?」


「私もこの魔法を人に使うのは初めてです。最初はあなたに攻撃魔法を打つことを考えていましたが、制御が難しいので悩んでいました。でも、エイミーちゃんは私に勇気をくれた。見ず知らずの私なのに、信じてくれた。それで一歩進めたんです。私なら出来る気がするって。」


「チッ、馬鹿が。」


「私からもはっきりと申し上げます、あなた方の協力の要請を仰ぐ事は出来ません。」


毅然とした態度の彼女はどこか様になっていた。


そうか、敵が吹っ飛んだ理由はヴィーナスが俺を強化してくれたのか。


何だか、温かいな。


これだったら、何でも出来る気がする。


「くそォ、お前まで反抗する気か。でも一体何だってぇんだ、この反発力は…。衝撃が強すぎて、身体中の神経が麻痺してやがる。」


男は立ち上がった状態を保つ事すらままならない様子だ。


「うふふ、それはエイミーちゃんの意志の強さのおかげですよぉ。出会ったばかりなのに、こんなに私の事を思ってくれてるなんて照れちゃいますぅ。」


ヴィーナスの口調が戻っていた。


俺もそろそろ、会話に戻らないとな。


「おい、あんた。まだやるなら、俺はまだ付き合うけど。」


周りを見渡すと、机や料理が床や窓とあちらこちらに散乱していて大変な事になっていた。


店員たちも呆然としていて、泣いている者までいた。


流石にやるなら外で…、と言いたいところだが。


「クソッ、めんどくせぇな。さっさと行くぞ、お前ら。」


男はふらふらとよろめきながら、後の二人を連れて店を出て行った。


「ふぅ、何はともあれ助かったよ。ありがとう、ヴィーナス。」


本当に、彼女が居なかったら今は死んでいたかもしれない。


「私は大した事は何もしていませんよぉ。エイミーちゃんの無事が、何よりも一番大切ですからねぇ。それよりも、私の方がエイミーちゃんに感謝しないといけません」


「いや、そんな大げさな。何の役にも立っていなかったと思うけど。」


「いいえ、そんな事ないです。私は人を拒絶する事をずっと恐れていました。私から人災の火種を作ってしまう危険性があったからです。でも、エイミーちゃんは私に断る勇気をくれました。私は人の事が好きなあまり、愛情を履き違えていたのかもしれません。まだまだですね、私も…。」


不意に、ヴィーナスの語気が弱まっていく。


少しうつむき加減に手を後ろで組んでから、無理をするように俺に笑顔を見せようとしていた。


そんな悲しそうな顔、するなよ。


俺は内心、切なさを抑える事が出来なかった。


人の心の中から消えない悪というのは、絶対に存在する。


人よりも優位に立ちたいという向上心が本能的に備わっている。


そうでなければ、この世界は成長しないのだ。


それだけならまだしも、他人を地の底に蹴落とすために悪さを企てる奴がいる。


決して消える事が無い悪があっても、一回でも信じてみよう、きっと良い人かもしれないなんて…。


彼女が少しでも、あの大男についていった心境が容易に想像できる。


「馬鹿。」


「ふえっ!?」


そっと頬に手を優しく当てる。


何故だろう、この人の前だと格好良い自分を見せたくなる。


自分をずっと見ていて欲しい、そんな欲望。


「お前はそれで良いんだ。他人を好き過ぎて簡単に信用してしまう大馬鹿で良いんだよ、後は周りの人間次第なんだから。」


ヴィーナスの存在自体が願いなのだと本気で信じている。


信じる事以外に何も頭に無いから、こんなにも綺麗なんだ。


儚くて、寂しそうで…。


少量のひびが入るだけで崩壊してしまいそうだ。


でも、奥で何かが光り輝いている。


俺は、闇に飲まれた人間だったのだろうか。


こんなにも、光を求めている。


救われたい自分がいる。


記憶が無い事もそうだが、こんなに自分が思い詰めている理由がそれ以外見つからない。


「急になんですか、もぅ。エイミーちゃん自体はよわよわさんなのに、あまり格好良い言葉を使っては駄目ですよぉ?」


ヴィーナスは頬を少し紅潮させながら、手をもじもじさせている。


「まぁ、そうだけど…。」


俺は今ここにいる理由が少しだけ理解できた気がする。


「でも、そう言ってくれるだけで嬉しいですぅ。エイミーちゃんが私の事を気づかってくれるだけで凄い励まされますよぉ?」


必然性なんて言葉、あまりにも馬鹿らしくて思うことすら拒否してしまう。


彼女と出会った今日という日を、運命というだけで終わりにしたくない。


これは“邂逅”なのだと、俺は感じていた。


未来への繋がりを持ってしての、運命にしたい。


「そうか。なあ、変な事聞くかもしれないけど、一緒に…、行っても良いか?」


理由を全て理解するなんて、無謀にも等しい行為だと分かっている。


もしかしたら中身なんて無いのかもしれない。


でも、俺はそれを創りたいと思ってしまった。


彼女の膨大なエネルギーにずっと包まれていたいと思ってしまった。


「へ?」


彼女はきょとんとした顔で首を傾げている。


「少しの間だけでも良いから、一緒に旅について行っても良いか?役に立たないだろうけど、邪魔にならないようにするし、最悪の場合切り捨ててもらっても…」


ヴィーナスは右手の人差し指で俺の口を紡いだ。


「邪魔になるわけ無いじゃないですか、私の“道”なのに。」


彼女の道、余りにも大きすぎる名前。


彼女は、その言葉の響きを確かめるようにして目を閉じている。


「むぐっ…、じゃあ…?」


「これからも宜しくお願いしますね、私のご主人様。」


その彼女の満面の笑みは、瞬間的に脳裏に焼き刻まれた。


自分でも理解できないほどの焦燥は、体を駆け巡り、胸の高鳴りへと変わる。


「じゃあ、ヴィーナスは俺のお母さんってことで。宜しくな、その、え~っと、ママ…。」


ヴィーナスがきゅ~んという声が漏れ出てしまいそうな程、身悶えしているのが見て取れる。


「いつでもママに甘えてきて良いんですからねぇ、よちよち。」


余りにも恥ずかしいセリフだけど、今は嬉しい思いの方が勝っていた。


気付けば、昼下がりの明かりが窓から強く照り付けていた。


片付けをしている周りの人に悪いと思い、カーテンを閉めた。


この高揚心を抱きながら、俺とヴィーナスは店の片付けを手伝おうと店員の元まで向かうのだった。



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消化した人生の先へ Edward @ApostroSpera

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